遷都1300年の奈良 2010年2月27日-3月1日

2月27日(土)

本日は天気予報が雨なので博物館でのんびりしようと思ったら、奈良博は展示替えの最中。じゃあ大和文華館にしよう、と思ったら、こちらはなんとリニューアル工事中。なにも奈良にこだわることはない、京博があるじゃないかと思ったらこれまたロング休館中。いくらオフシーズンとはいえ、なにもこんなに一斉に閉めなくても・・・
しかたなく普通に寺をまわることにして、思いついたのは大和文華館の近く、生駒周辺の霊山寺やら長弓寺だった。
新横浜6時発のN700系ひかりは京都着がなんと08:01。まるでのぞみのような猛スピードだ。横浜はザーザー降りだったが関西は雨が上がっていた。
近鉄線を西大寺で難波方面に乗り換え、富雄で下車。富雄は霊山寺と長弓寺へ行くバスの起点だ。バスの時間から考えるに、先に霊山寺に行って再び富雄に戻り、長弓寺に向かうのが効率が良さそうだ。

霊山寺

本堂
霊山寺本堂(国宝)(09:54)
三重塔
霊山寺三重塔(重文)(10:35)
霊山寺前バス停で下車するとその名のとおり、霊山寺は目の前だった。富雄からはほんの10分ほどだった。拝観受付を過ぎるとすぐ左手に食堂がある。これはまあいいとして、続いて、浴場・打ちっ放しゴルフなどが現れる。なんだか不思議な寺だ。そして参道が谷状地形になり鬱蒼としてきたと思ったら、左上に三重塔、右上に本堂が見えてきた。これでようやく寺らしくなった。鐘楼は修復工事中だった。
この本堂はほぼ完璧な和様建築として有名である。内部には仏像がずらりと並ぶ。気になったのは写真だけ飾られていた地蔵だったが、秘仏で拝観できない。残念。
三重塔も相輪が修理中らしく、保護材で覆われていた。三重塔本堂は谷底の池をはさんで向かい合っている配置。
帰りのバスまで30分ほどあるので、境内の食堂で早めの昼食をとった。

長弓寺

本堂
長弓寺本堂(国宝)(12:39)
富雄から学研北生駒行きのバスに乗り、生駒上町で下車。長弓寺はバス停からは10分もかからない。少々俗っぽいところもある霊山寺に比べ、こちらは風格のある趣き。
しかしその立派な本堂は扉を閉ざしていた。20年前に訪れた際は内部拝観が可能だったが、今はやっていないのだろうか。しかし「土足厳禁」の札やスリッパなどから察するに、拝観できるもよう。ちょうど昼時だったので、食事でもしているのだろうとしばし待つが、一向に変化なし。しびれを切らして、近くの別院で相棒が御朱印集めのついでに聞いてみると、「今日は人がいないんで・・・」というツレナイお返事だったとのこと。ここの見ものは外陣の三間ぶっこ抜きのどでかい虹梁だが、内部を見せてもらうことは不可能と相成った。残念無念。

奈良へ

せんとくん
近鉄奈良駅のせんとくん(13:54)
帰りのバスは、寺の東側にある真弓4丁目バス停から学園前駅行きに乗った。こちらは20分に1本のペースで走っている。
このあとはどこに行くというあてもなかったが、もう13時を過ぎているので、行けるところは限られてくる。どうせ奈良に泊まるのだからと、奈良市内を見物することにした。興福寺はリニューアルオープンまでとっておくとして、とりあえず東大寺に向かった。
にしても、登大路はいたるところ工事中。1300年記念を謳うんなら、それまでに仕上げとけばいいのに、と相棒が言う。

東大寺南大門

南大門
東大寺南大門(国宝)(14:27)
南大門
東大寺南大門(国宝)(14:29)
南大門はあいかわらずでかい。いつになく鹿が多いような気がする。
奈良に来ると同じところに寄ることが多いので、同じ写真ばかりが増えてしまう。そこで、ここは広角レンズで撮ることに決めた。寺院は柱や梁が強調されるので、ビルなどを撮るよりもはるかに面白く感じる。

東大寺法華堂(三月堂)

三月堂
三月堂(国宝)と鹿(14:41)
三月堂が5月から修理のために見られなくなってしまうということで、今のうちに見ておくことにした。内部の天平仏空間は奈良でももっとも好きなところのひとつで、相変わらず素晴らしい。しかし、修理中は本尊の不空羂索観音などが運び出されてしまうらしい。さらに、伝日光・月光像などは、2011年には東大寺総合文化センターなる収蔵・展示施設に安置される予定だという。ということは、この濃密な空間はもうこれが見納めなのだ。残念ではあるが、防災対策ということなので、しかたないか・・・

東大寺二月堂

二月堂
二月堂(重文)からの眺め(15:01)
二月堂
お水取りの準備が整った二月堂(重文)(15:04)
2日後からお水取りが始まる二月堂にも寄る。雲が多くて眺めはイマイチだった。

東大寺戒壇院

続いてぶらぶらと戒壇院へ。ここは正式には戒壇堂と言うようだ。今回初めて気づいた。
ここの四天王像は、自分の大好きなリアル系仏像の代表格だ。好きな仏像を挙げろと言われたらベスト5には入れるだろう。手前の2体がカッと目を見開き、後ろの2体は強烈に睨みつけ、北東-西南の対角線の2体は腕を上げた「動」、北西-東南の2体は腕を下げた「静」の構えというように、全体としてのリズムもある。天平時代はもとより、日本美術史上の最高傑作と言っても過言ではない。願わくば昔のように壇上に登ってこの4人に囲まれてみたいが、今はそうもいかない。
内部は狭く、4体の像の他に厨子のような小さな多宝塔があるだけだが、ぐるぐると何周もしているとあっという間に30分くらい経ってしまうのだった。内部の照明がLEDになったみたいで、妙な明るさで違和感を覚えた。もうちょっと薄暗い方がより迫力が感じられてよいと思うのだが。
ほんとうはもっと見ていたかったのだが、拝観時間が終わる前に大仏殿に寄ることにして、戒壇院を出た。

東大寺金堂(大仏殿)・盧舎那仏坐像(大仏)

大仏
東大寺大仏(国宝)を激写する人々(16:01)
柱の穴くぐりに並ぶ人々(16:10)
あいかわらずでかい。ゲートを通り、参道から大仏殿へと向かう間から、なんだかやたらとハングルが飛び交っている。外国語だから余計に耳につくせいだと思うが、日本人と韓国人と半々ぐらいなんじゃないかと思えるくらいの勢いだった。
堂内に入ると、日本人も韓国人も写真撮影に余念がない。堂内の仏像の写真撮影を禁じている寺院がほとんどのなかで、許しているのはここと飛鳥寺くらいしか知らない。みんなベラベラと騒々しいわ、柱の穴くぐりには行列も出来ているわで、もう寺院の参拝というよりはパビリオンの見物という感じなのだが、不謹慎な感じがしないどころか、まったく違和感がない。ここのいいところは、そんなことを超越した、大らかなところだと思う。登山をしていて雄大な風景を見ると人間は小さいなあと思うことがよくあるが、この大仏からも同じような印象を受けるのだ。実にでっかい。
2月の閉門は16時30分。それまでに入りさえすれば、拝観はさせてもらえるみたいだ。やっぱり大らかだ。

春日ホテル

今日の宿は近鉄奈良駅すぐ近くの春日ホテル。値段は高いが、予約が直前だったため、ここしか空きがなかったのだ。近ツリのパック旅行で申し込んだのだが、その特典で、せんとくんバッグをもらった。食事もなかなか美味しく、大浴場も気持ちよかった。

2月28日(日)

奈良駅
改装中のJR奈良駅(08:11)
宿の朝食は7時から。速攻で済ませて、JR奈良駅に行き、電車で法隆寺駅へ向かう。奈良市内から法隆寺行きのバスもあるが、1時間もかかるうえに始発が8:43と遅い。寺院拝観は、早め早めに動くことが肝要だ。

法隆寺へ

南大門
法隆寺南大門(国宝)(08:58)
法隆寺へは駅から南大門前の松並木まで歩いても15分程度。道標もしっかりある。
南大門をくぐると本日もまたまたハングルの洗礼が。彼らは定石どおり、西院伽藍へと向かうようだ。我々は本日第一のお目当て、伝法堂のある東院伽藍へと突き進む。

法隆寺東院伽藍

夢殿
法隆寺夢殿(国宝)(09:57)
絵殿
法隆寺絵殿(重文)、この奥に伝法堂(国宝)がある(10:08)
伝法堂は東院伽藍の中心である夢殿の北にある。
まず東院伽藍に入るのだが、そのときちょっと戸惑ったのは、東院では共通拝観券を販売していなかったこと。西院伽藍では、東院と百済観音堂(宝物館)との共通券を売っているのだが、東院ではここのみの拝観料を払って入る。あとで西院に行くときにここの券を見せれば差額を差し引いてくれるというわけだ。
で、入ると、左(北)側の絵殿に靴を脱いであがり、その奥に本日の第一の目的である伝法堂がある。伝法堂は奈良時代の住宅建築のただひとつの遺構だとかいうことで、言われてみれば仏堂とは違うかなあという感じ。どのみち仏堂として使うにあたって随分と改築されているようだ。
しかしここでは、国宝の建物よりも内部の諸仏の方が興味深かった。四天王に囲まれて、前後2列に仏像群が並ぶ。後列は奈良時代の乾漆像で、すべて重文指定の阿弥陀三尊が3組。3組とも坐像だが、印の結びが定番の上品上生でない。特に謎めいていたのは向かって左の阿弥陀で、親指と薬指で輪っかをつくった両手を胸前にあげているのだが、左手が少しだけ上になっている。こんな印は見たことない。
また、前列は平安時代の木造仏が一列に並ぶ。いずれも重文指定だが、なんだか真ん中の地蔵仏だけ下手くそだ。と思ったら、これだけ室町時代のもので、これだけ文化財指定がなかった。それでもこのお堂じたいが地蔵のためのものなので、一番よい位置にいるようだ。
堂内には入れなかったのはちょっぴり残念だが、まあとにかく、このお堂は7月24日の地蔵会の日の夕方数時間しか開かないということで、ここまでじっくり見られたのは実にありがたいことだ。
伝法堂をいったん出てから夢殿を見物。すると先ほどのハングル軍団がやってきた。なんと紙コップに入れた飲み物を飲みながら堂内を覗き込んでいる。それこぼしたらどうすんだと。それにしても、そんなの持った人を構内に入れちゃった法隆寺の適当さにも驚いた。

中宮寺

伝法堂
中宮寺の門前から見た法隆寺伝法堂(国宝)の背面(10:14)
クロガネモチ
中宮寺のクロガネモチ(10:17)
午後は修復なった唐招提寺に行きたいが、バスが1時間に1本で、時計を見ると行っちゃったばかり。そこですぐ隣の中宮寺に寄った。如意輪観音は変わらず美しいが、厨子が暗くてよく見えないのは残念。
この日は表御殿の特別公開の最終日だった。観音のおわします本堂の脇を抜けて御殿内部へ。座敷の中には入れないが、廊下から覗き込んで係員の説明を聞くというスタイルだった。上段の間と控えの間の格式の差による造作の違いなど、なかなかおもしろく、勉強になった。
中宮寺を出てもまだバスには間があるので、翌日公開される上御堂西円堂の高みから偵察したが、木立の中でよく見えなかった。

薬師寺を迂回

法隆寺のバスターミナルからバスで唐招提寺へ。唐招提寺まで乗るよりも、少し手前の薬師寺までの方がバス運賃が40円安いからとケチって薬師寺駐車場バス停で降りたのが失敗だった。バス停は薬師寺の南側にあり、唐招提寺は薬師寺の北側にある。東塔が工事中の薬師寺には入る気がまったくないので迂回したため、近鉄線を越えて西ノ京の駅までぐるりと回って行くことに。結局15分くらいタイムロスしてしまった。

唐招提寺金堂

南大門を入って参道のまっすぐ奥に、落ち着いた勾配の屋根を持った金堂が見えるのはとても美しい眺めだ。10年間修理で見られなかったことを思うと感激はことさら大きい。近寄って内部を拝見。大らかで奈良時代的な盧舎那仏、堂々と立つ薬師如来、普通は42本の手で表現されるところを本当に1000本近くある珍しい千手観音、この3体に加えて梵天・帝釈天四天王と、天平仏のオンパレード。
ふと軒を見上げてみると、竹の棒やら針金やらがやたらと張り巡らしてある。なんか興ざめだが、どうも鳩害がひどいみたいだ。少し離れて屋根を見上げると、真新しい鴟尾がすでに鳩フンで汚れていた。

唐招提寺講堂

講堂
唐招提寺講堂(国宝)(12:23)
金堂のすぐ裏手に、平城京の建物の唯一の生き残りとして知られる講堂がある。正面が9間もあって長く、そのためか中はスカスカな感じ。本尊の弥勒如来坐像の顔はなんか好きになれない。

唐招提寺新宝蔵

春と秋のみ公開の新宝蔵がこの日は開いていたので、これまた久々に見学。ここは寺全体の拝観料とは別に入館料を払う必要があるので、興味を持っている人以外は来ないから静かでいい。一部屋だけのコンクリの建物に入ると、ずらりと並ぶ仏像群に驚く。しかもそのほとんどは手や頭部が欠けていたりして、おかげでなんだかちょっと不気味でもある。
一番有名なのは右隅にある「唐招提寺のトルソー」こと如来形立像だろう。随分久しぶりに見たがやはり美しいフォルムだ。
いずれも下半身がでっぷりとした薬師如来衆宝王菩薩獅子吼菩薩の3体は、2006年に上野の「仏像展」に出品されていた、一木造の像だ。鑑真とともに唐からやってきた工人の作と推定されている。それまでの日本には木彫りでここまで表現する技術がなく、それを唐の工人が伝えた、ということになっているようだ。
中央のどでかい大日如来(像高352cm)の向かって左に並ぶ乾漆菩薩形立像は顔が半分欠落しているが、そのおかげで乾漆の厚みがわかった。頬や額などで厚さが違っていて、うまく成形しているのがよくわかる。
左隅の宝生如来は腹がいっぷう変わっている。ちょっとメタボちっくで、浮き輪がくっついているというか、ミシュランマンみたいな腹なのだ。室生寺に似た像があると解説板に書いてあったが、どんな像なのかまったく記憶にない。
今回の金堂修理で役目を終えて下ろされた、天平時代と鎌倉時代のふたつの鴟尾も展示されていた。特に天平時代のものは、あの屋根の上に1300年も乗っていたのかと思うとちょっとした感動を覚える。鎌倉時代のものは、背面の銘文がくっきりと間近で見られた。

唐招提寺をあとに

宝蔵・経蔵
唐招提寺宝蔵(左・国宝)・経蔵(国宝)(12:56)
建築群
リズミカルな配置の建造物群(左から金堂・講堂・鼓楼・礼堂)(12:59)
新宝蔵を出てからまた境内をうろうろした。宝蔵経蔵はどちらも校倉造だが、ふたつの校倉建築が並んで建っているのはここだけらしい。最後にまたまたいろんな角度から金堂を眺めてから門を出た。

蕎麦切りよしむら

鴨汁ざる
よしむらの鴨汁ざる(13:48)
よしむら
蕎麦切りよしむら(14:03)
ちょっと小腹が減ったので、唐招提寺と薬師寺の中間あたりの「蕎麦切り よしむら」で遅めの昼食をとった。運良くすぐに入れたが、場所柄もいいのか、行きにチェックしたときは結構混んでいるようだった。
荒挽そばを注文したら、今日はいい粉が入っていないのでやってないという。「店主がこだわっているので・・・」とのことだった。仕方ないので相棒と同じ鴨汁ざるにした。「こだわりの蕎麦屋」というとどうも先日見た『志村けんのだいじょうぶだぁ』のコントを思い出してしまうのだが、ここは当然大真面目だ。鴨も美味かったが、一緒に椀に入っていたネギが焼いてあって香ばしくて美味かった。量が物足りなかったので追加しようと思ったが、店が混んでいてタイミングを逸してしまったので、ここは退散することにした。また来ることもあるだろう。
西ノ京駅から近鉄で奈良に戻った。

新薬師寺

本堂
新薬師寺本堂(国宝)(15:53)
本堂
広角レンズであおるように撮ってみた(15:54)
奈良に着いた頃には15時になんなんとしていた。東大寺は昨日行ったばかりだし、興福寺は明日にならないと国宝館が開いていないし、博物館は特別展が「お水取り」とかじゃ見る気がおきない。少し考えて思いついたのは新薬師寺だった。
のんびり歩いて30分ほどで新薬師寺着。ここの簡素な本堂も大好きな建物のひとつ。ここや唐招提寺を見るといつも思うのだが、屋根がホントにきれいだ。天平の仏堂は、自分の好みのツボにぴったりすぎて、実に心地よい。
中は相変わらずビデオがうるさかった。しかし照明が前とは違うような。本尊薬師如来十二神将のまわりを5周くらいぐるぐるしてから寺を出た。

奈良市写真美術館

奈良市写真美術館
どこか天平の建物を思わせる奈良市写真美術館(16:00)
新薬師寺を出たときはまだ16時前だったので、すぐ近くの写真美術館に寄っていくことにした。ここは入るのは初めてだ。この日の展示は入江泰吉の「大和路巡礼」の飛鳥編で、仏像や寺院の写真よりも田畑で働く人の姿が多かった。一番印象に残ったのは50年前の亀石だった。今やすっかり観光地化してしまっている亀石が、畑の真ん中に、まるで忘れ去られてしまったかのようにぽつんと置かれている感じ。おもしろい。
ゆっくりと30分くらい観てから、入江泰吉撮影の東大寺戒壇院広目天と三月堂日光菩薩の絵はがきを買って、ホテルへ向かった。

奈良の夜

ライトアップされた興福寺五重塔(国宝)(19:13)
イ・ルンガは武家屋敷を改装した店(21:51)
今宵の宿はサンルート奈良。猿沢池の南にあるビジネスホテルだ。禁煙フロアに入れてもらえた。夕食は外に出た。
猿沢池から興福寺を見ると、五重塔がライトアップされていて、散歩している人も結構いた。夜7時だというのに、人力車の客引きがうるさかった。それにしても、どうして人力車の客引きってあんなにムカつくんだろう。実に不思議だ。
この日の夕食は、東大寺近くのイタリアン、イ・ルンガに行った。実は今回の旅行では、法隆寺の特別公開と同じくらい、この店の料理を楽しみにしていた。こういうときはあまり期待しすぎると反動が恐ろしいのだが、そうせずにはいられなくて困った。結果は大満足だった。特に印象に残った料理はホワイトアスパラのソテーだった。卵とチーズのソースだったのだが、これが注文したロアーニャのバルバレスコ「パイェ」にぴったり。セオリーだと卵とワインは合わないことになっているが、そんなの嘘だと思った。3時間ほども食事を楽しんで、幸せな気分で店を出た。興福寺のライトアップも終わっていて、街はひっそりと静まりかえっていた。

3月1日(月)

人孔
カラフルな斑鳩町のマンホール(08:36)
本日はふたたび法隆寺へ。朝食バイキングを早めに済ませて宿を出て、昨日とほとんど同時刻の電車に乗った。月曜なので通勤ラッシュが心配だったが、あまり混んでいなくて楽勝で座れた。

法隆寺西院伽藍

中門
法隆寺中門(国宝)を見上げる(08:57)
上御堂
特別公開の法隆寺上御堂(重文)(09:05)
早速西院伽藍に入場。本日のお目当ての上御堂は、講堂(修理工事中だった)の右脇から裏に出て少し上がったところ。初めて見るここの釈迦三尊はとてもいい仏像で、凄まじいほどのオーラを感じた。写真で見ると何の変哲もなさそうなのに。講堂の本尊の薬師三尊よりは半世紀ほど早い作らしいが、ずいぶんと印象が違う。
上御堂と西院伽藍の中を3周ほどぐるぐるまわってから大宝蔵殿のお宝を拝見して、法隆寺をあとにした。昼のバスで奈良へ戻ることにして、それまでの1時間ほどで近くの法輪寺・法起寺を見ていくことにした。

法輪寺へ

里山
奈良らしい里山と塔の見える道(11:14)
東院伽藍の門前を左に曲がり、里山の風景の中を道なりに行く。田んぼや古墳の向こうに塔が見える。そういうところがとても奈良らしい。超メジャー観光地の法隆寺からわずか数分で、そんな景色が広がっている。
10分ちょいで法輪寺に到着。三重塔が目立つが、これは1975年の再建の塔。教科書にも載った有名な「法隆寺を支えた木」の棟梁西岡常一が手がけたもので、創建当初と同じ姿ということだ。この塔の写真だけ撮って帰る人も結構いるように見受けられたが、実はこの寺はコンクリ造りの講堂の中の諸仏が見ものなのだ。拝観せずに帰るのはもったいない。
寺の本尊薬師如来坐像は珍しい飛鳥時代の木彫仏。法隆寺の薬師如来とそっくりな姿だが、木肌のためか、金銅仏よりもさらに柔和な印象を受けた。光背が美しい。堂内の須弥壇(?)が島式なので背後からも見ることができるので、光背をささえている棒の竹のデザインが間近でよぅく見られた。
もうひとつ目を引くのは講堂の本尊である十一面観音立像。でっかい一木の仏像だ。どこかで見たことのある顔だなあと思っていたら、新薬師寺の本尊薬師如来と顔つきが似ていることに、帰宅してから気づいた。同じ平安前期の像だからかもしれない。

法起寺

三重塔
法隆寺によく似た法起寺三重塔(国宝)の初重(12:05)
三重塔
法起寺三重塔(国宝)全景(12:11)
法輪寺からまた10分ほどで法起寺へ。ここのメインはなんと言っても現存最古の三重塔だ。法輪寺同様、雲形の部材が法隆寺を彷彿させる。さらに各層のサイズも法隆寺五重塔の初重・三重・五重とそれぞれ同じとかで、先ほど法隆寺に寄ったばかりの目には既視感たっぷりなのだった。収蔵庫に安置されている十一面観音像もなかなかよい像のようだが、ガラスの反射がひどくてよく見えないのがとっても残念だった。

興福寺国宝館

法起寺前のバス停から春日大社行きバスに乗ってまったりと1時間近くかけて奈良市内へ戻った。目当ては興福寺なので県庁前バス停で下車した。
リニューアルオープン初日の国宝館は、大混雑かと思いきや、いつもよりもちょっと混んでいるかな、という程度だった。八部衆・十大弟子立像がガラスケースから出されたうえに常時全員が勢ぞろいというのが新展示の目玉。大スターの阿修羅は真ん中の一番いいところに置かれていた。背景は茶色というかエンジ色のような落ち着いた色のフェルトみたいな素材になっていて、仏像がなかなかよく映えて見事だった。しかしあまりにも演出が凝りすぎていて、これではまるで美術館のようで、信仰の対象という感じはゼロ。ここがあくまでも伽藍の一部であることを考えると、賛否が分かれるだろうと思った。
八部衆にばかり人が集まっていたが、その裏で実は天燈鬼・龍燈鬼もガラスから出ていた。八部衆・十大弟子は見学者からちょっと遠い気がしたが、こちらの方は近くに感じる(と思ったのは自分のお気に入りの像だからかもしれない)。それにしても、たった1枚のガラスがあるとないとではこれほどまでに違うのか、と思う。像と自分との間が何ものにも遮られていないという空気感が心地よい。表面の質感もよくわかるし、像がなんだか生き生きとしているように思えてしまう。管理はたいへんかもしれないが、ぜひ続けてほしい展示だ。
たっぷり1時間近く楽しんでから国宝館を出た。出口には新たにミュージアム・ショップが作られていて、賑わっていた。やはり商売上手な興福寺、新展示というのは表向きの目玉で、こっちの方がメインなんじゃないかと勘ぐってしまうのだった。

京都

地ビール
つなまよねーず蒲鉾と町家麦酒(20:19)
お馴染みの東金堂を見たあと、少し小腹が減ったので東向の商店街で草餅を買って食べたりしていたら雨が降ってきた。そこでもう奈良は打ち切りにして、京都に向かった。
京都駅で土産を買ったりしてから、なんだかぱっとしない割に高い天ぷらを食べた。つまみと地ビールを買って20:16発ののぞみに乗り、車内でちびちびとやりつつ、この小旅行のことを思い返した。
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