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中国編大田南畝が見た書画 〔中国編〕大田南畝関係
【い】※◯は欠字、◎は表示不能文字
読み・名前分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
いっさん いちねい
一山 一寧
書?「(「五松館筆語」より茶会記事) 五月十四日 於堂島新地北中町天王寺屋
 六衛門懸屋敷退老堂堀新五郎出茶湯
 懸物【寧一山】

〈配列から延享二年(1745)の記事と思われる〉
掛幅延享2年?
1745/05/01?
天王寺屋六衛門宅一話一言
補遺参考篇1
⑯23
いふきゅう
伊孚九
「牙人のもて来し書画を得たり。書は道者元〔欄外。時過無言花月開 道者元〕
 画は伊孚九なり (中略)
 書画一覧云、伊孚九、名海、也堂ト号ス。又辛野、匯川等ノ号アリ。清ノ呉郡
 ノ人。水墨ノ山水、又行草ノ書ヲ能ス。又書画人名録、伊海、字孚九、号莘野
 又号匯川、又号也堂、呉郡人、書画、とあり」

〈牙人は仲買人。「書画人名録」は彭城百川の『元明清書画人名録』(安永六(1777)年刊)「書画一覧」は未確認。南畝が入手したのがどのような絵柄なのか不明〉
不明文化2年
1805/02/19
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧523

千字文
「千字文【一巻】 乾隆丁卯秋七月望前三日、長崎客館曠心楼に書す
 山唐伊海孚九氏〔任聖斎〕〔字九〕
 伊孚九楷書、甚(ママ)乙丑仲夏十九日清晨観」

〈乾隆丁卯は乾隆十二年(1747)。所有者の記載なし。この千字文については、よほど執着があったとみえ、後年「買いもらしたる奇書」として、大雅堂の山水二幅などと共にこの千字文もあげ、「値を購ずる事ならずして、買失ひしもの胸憶の中に往来して、忘るゝ事あたはず」と記している(『一話一言』補遺参考編3⑯436)〉
掛幅文化2年
1805/05/19
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧580
いんげん
隠元
 隠元 (別資料)
いんだら
因陀羅

維摩画像
「維摩之像、因陀羅絵、讃語無準筆、実世上希有之物也、去年偶過常州鹿島
 郡大倉村福泉禅寺之次、見此絵甚及破壊、故装潢以還壁焉
  元禄壬申之年   光圀印
 (他に、松平(源)頼救と丹治真人信敬の鑑定書あり、省略)」
掛幅文化5年?
1808/12/?
不明玉川披砂⑨368
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