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日本編 | 大田南畝が見た書画 〔日本編〕 | 大田南畝関係 |
読み・名前 | 分類 | 記事・画賛等 | 形態 | 年月日 | 場所 | 出典 | 巻・頁 |
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せいがん そうい 清巌 宗渭 | 書 | (「五松館筆語」より茶会記事) 「五月朔日正午 落野基斎亭 掛物【清巌/墨蹟】」 〈配列から延享二年(1745)の記事と思われる〉 | 掛幅 | 延享2年? 1745/05/01? | 落野基斎亭 | 一話一言 補遺参考篇1 | ⑯23 |
書 | (青木氏所蔵書画目) 「清巌書 横幅 心 掬水月 在手弄 花香満衣 清巌書〔清巌〕〔宗渭〕印」 | 掛幅 | 文化5年 1808/05/07 | 小石川 両御番 青木久右衛門 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻29 | ⑭127 | |
せいしょうどう 青菖堂 | 画 角力図 | 「(川崎宿、明長寺)堂上に絵馬ありて、奥州丸山権太左衛門と九州阿曽守桐右衛門と角力とるかたかきたり。延享二乙丑歳霜月、武州川崎大師河原入間川五左衛門といへるものゝ上たる絵馬にて、江戸画工青菖堂とあり。行事木村庄之助軍配団扇もちてかたはらにある所をゑがけり」 | 絵馬 | 文化6年 1809/01/10 | 川崎 明長寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨134 |
せいちゅうりょう 井忠良 | 書・額字 | 「川崎宿に井忠良といふ書家あり。万年屋にかけし亀齢館といふ額もこの筆也。常山と号す。己巳に六十三歳也。関思恭の門人也。玉屋といへる家のもの也とぞ」 | 扁額 | 文化6年 1809/01/09 | 川崎 万年屋 〈南畝実見〉 | 向岡閑話 調布日記 | ⑨431 ⑨134 |
せき きねい 関 其寧 | 書 | 「(嶺村)床にかけし関其寧の書る延年益寿の大字の二幅なをあり」 | 屛風 | 文化6年 1809/02/05 | 嶺村 名主・長久保宅 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨164 |
せき しきょう 関 思恭 | 書 | (山陽道・明石・紺屋五朗兵衛の庭、沙羅園にて) 「床に、蝶護花の三字を掛たり。関思恭が書なり」 | 掛幅 | 文化1年 1804/08/19 | 紺屋五朗兵衛 〈南畝実見〉 | 革令紀行 | ⑧416 |
書・漢詩 | 「(府中、番場町の名主・矢島家)屛風にかける詩をみる。関思恭の書なり 歓友蘭時往 迢々匿音徽 虞淵引縄景 四節逝若斯 芳蔵久已茂 佳人竟不帰 躑躅遵林渚 恵風人我懐 感物恋所歓 采此欲貽誰」 | 屛風 | 文化6年 1809/01/02 | 府中 矢島忠兵衛宅 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨120 | |
せそんじ 世尊寺殿 | 書 回向文? | 「辛未六月十四日虫干 護持院什宝 目録 廻向地獄文 世尊寺殿筆 一巻」 | 巻物 | 文化8年 1811/06/14 | 護持院所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮317 |
せつさんじん 雪山人 | 書 | 「(伊勢屋源右衛門愛蔵の古書画)此方の書画ども多き中に、別て雪山人の書を多くたくはへたり。六枚屏風たけのもの数十紙あり。予に一枚おくれり。飛觴といへる文字なり」 | 掛幅 | 天明8年 1788/02/29 | 浅草 鳥越 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻9 | ⑫369 |
せっしゅう 雪舟 | 雪舟 (別資料) | ||||||
せっそん 雪村 | 画 福禄寿 | (瀬田村名主四郎衛門 長崎氏 所蔵書目) 「雪村 福禄寿 墨画 立軸」 | 掛幅 | 文化6年 1809/03/21 | 瀬田村名主 長崎四郎衛門 〈南畝実見〉 | 向岡閑話 | ⑨495 |
せつこ 雪湖 | 画・梅図 | 「掛物 一幅 梅の画 越雪湖筆」 〈南畝の実見ではなく、将軍御成のため事前見分を行った報告の写し〉 | 掛幅 | 寛政5年 1793/03/19 | 尾州外山屋敷 余慶堂後ノ間 | 半日閑話 巻3 | ⑪101 |
ぜんけい 善恵上人 | 書・和歌 | 「(鵜の木村、光明寺什宝)【中興】開山善恵上人自書扇の地紙あり 光台ニ見シハ見シカハ見ザリシヲ聞テゾ見ツル白河関 善恵 鵜木光明寺常什宝、善恵上人於奥州白河関詠草、題所持扇、賜宇都宮天弥三郎実信、恐向来損失、今新令加表装畢 天明五年丑歳五月 海誉記 これは知恩院大僧正海誉祐月和尚の書也」 | 扇の地紙 | 文化6年 1809/01/15 | 鵜の木村 光明寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨136 |
せん そうたん 千 宗旦 | 書 | 「(「五松館筆語」より茶会記事) 十月 宗也亭 懸物【宗旦大横文】」 〈記事の配列から「同」は子年と思われる。延享元年(1744)にあたる〉 | 掛幅 | 不明 | 不及斎久田宗也亭 | 一話一言 補遺参考篇1 | ⑯19 |
せん りきゅう 千 利休 | 書 | 「庚午六月九日関宿城主久世【大和守】君にて小倉色紙をみる。高砂の尾上のさくら咲にけりとやまの霞たゝずもあらなんのうたなり。同十日関宿より取よせ給ふとて、同じ色紙に添たる千利休が書を見せ給ふまゝ写し置り 定家小倉色紙 添利休文 返/\も忝次第満足仕候べく候 定家色紙雖秘蔵預ケたてまつり候、被寄思食承候段誠に本望忝次第に候。 猶以対拙者相当之御用被仰候由外聞実儀満足奉存候べく候。内外共別て 被懸御目候様にともすやに内々被令申候。尚可得尊意候。恐惶謹言 菊月八日 千利休 もすや 堺鑑に万代(モズ)屋道安とあり 色紙の箱のふたに書付けることば 京極黄門小倉の色紙一葉并利休居士の文をあはせて、関宿の大城のかみ久世君の久しき世よりおさめ置給へるを、白川少将集古十種の中にゑらみいれ給ひしより、高砂の尾上のさくら外山のかすみたちへだてず、世にもあまねく聞つたへてみん事をこふ人多くなりぬ。これなん千家の文にみへし人の名のよろづ代までも伝へゆくべきことはりなりけらし 藤原覃」 | 色紙 | 文化7年 1810/06/21 | 関宿藩主 久世大和守所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻34 | ⑭302 |
せんそう そうしつ 仙叟 宗室 | 書 | 「(「五松館筆語」より茶会記事) 三月二十七日 ひしや藤田三四郎菓子の茶 片木勘兵衛 栖了軒 岡坂昌寿 掛物【茶の湯には我を知るべし/是楽の本也 仙叟宗室評】」 〈記事の配列から延享二年の三月と思われるが判然としない)〉 | 掛幅 | 延享2年? 1745/03/27? | 藤田三四郎茶室? | 一話一言 補遺参考篇1 | ⑯21 |
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