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日本編大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
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読み・名前分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
ほうきょうじのみや
宝鏡寺宮
書・額字「(大坂、和光寺)本堂和光寺の額は宝鏡寺宮の【皇女】御筆なり」扁額享和1年
1801/03/30
大坂 和光寺
〈南畝実見〉
蘆の若葉⑧160
書・額字「(長崎大浦)妙行寺といふ寺に入てみる。妙行寺の額は宝鏡寺の御筆なり」文化2年
1805/03/24
長崎 妙行寺
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧560
ほうしゅう
宝洲禅師
書・聯「(大坂、瑞竜寺)本堂の聯
 法席殷昌振起別伝之旨 宗門顕煥宏開逸格之途〔道聡〕〔宝洲〕印
対聯享和1年
1801/03/30
大阪 瑞竜寺
〈南畝実見〉
蘆の若葉⑧178
ほうぼう
蜂房
画・肖像「峯村の里正蔵之助は酒を嗜みて、一日のうちに二合ほどづゝ度々にのむ。朝より夕まで酒気のたゆる事なし。官吏をむかへて、お早う御出などゝいうふさまなれたり。しかれども、その真率なるゆへに、官吏の怒にあふ事なし。我戯れに酒仙と名付て、蜂峰をして肖像を画かしむ
「酒仙賛 むかし大星由良之介は、生酔なれども敵をわすれず。今の長久保蔵之助は、熟酔にして御用をわすれず。あしたに二合、昼二合、ひつじの下りに又二合、あはせて六合用水の、一升でも一とでも、三斗五升も四斗樽も、たえず圦樋の大上戸。くめどもつきじ、のめどもつきじ

 峯村のやくしの壷の酒なればのめやうたへや浄瑠璃世界
不明文化6年
1809/03/20
峯村名主
長久保蔵之助

〈南畝実見〉
調布日記⑨143
ほうねん
法然 (源空)
書・和歌(山陽道・須磨寺)
「(平敦盛の)赤旗の名号は法然上人の筆にして、為敦盛空顔憐清菩提書之源空としるし、和歌

 音寿丸よにこそすまでたへいりてみだれ蓮にともに生るゝ
掛幅文化1年
1804/08/19
須磨寺
〈南畝実見〉
革令紀行⑧413
ほくさい かつしか
葛飾 北斎
画・摺物「近藤重蔵へ北斎画五十三次摺物壱帖(中略)貸し置候。是は折々御催促御取返し置き可然候」
〈南畝と近藤重蔵は親密な間柄であった。貸し出した北斎の摺り物を回収するよう、長崎から江戸の嫡子定吉宛へ催促したのである〉
摺物文化1年
1804/10/12
南畝所蔵書簡番号76
大田定吉宛
⑲104
ほそい こうたく
細井 広沢
 細井広沢 (別資料)
ほそい きゅうこう
細井 九皐
書・額字「(等々力村、満願寺)物の額は致航山の小篆にして、広沢先生の書なり。本堂の額は満願寺といへる行書にして九皐の書といふ」
〈細井広沢と細井九皐父子の墓あり。南畝、碑文を写す〉
文化6年
1809/01/16
等々力村、満願寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨143
ほっしょういん
法性院大僧正
「(八王子、信松院什宝)法性院大僧正【信玄】の書一通【伊勢物語すみだ川の所半葉】
〈法性院大僧正とは武田信玄〉」
掛幅文化6年
1809/02/14
拝島村 龍津寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨185
ほんあみ こうえつ
本阿弥 光悦
書・額字「(池上本門寺)門の額は本門寺とありて、鷹峰山太虚菴光悦とあり(中略)仁王門あり。長栄山といふ額も又光悦の筆なり」文化6年
1809/03/20
池上本門寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨258
夕霧「護国寺什宝
 夕ぎり 本阿弥光悦筆 小堀遠州外題」
不明文化8年?
1811/?
護国寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言
巻49
⑮329
ほんだ ただむね
本多 忠統
書・額字(東海道・四日市・伏見屋伊右衛門宿の額)
 倚秋風 滕忠統書
享和1年
1801/03/06
東海道 四日市
伏見屋伊右衛門

〈南畝実見〉
改元紀行⑧110
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