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日本編 【ほ】 | 大田南畝が見た書画 〔日本編〕 | 大田南畝関係 |
分類 | 記事・画賛等 | 形態 | 年月日 | 場所 | 出典 | 巻・頁 |
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書・書簡 | 「細井広沢書翰 此観鵞百談は、先年大久保佐渡守殿御息様今伊豆守殿十六歳の時の筆にて書たて候。 (中略) 六月廿一日 尚々十日斗は御とめの不苦候。十五日も苦からず候。以上 与惣兵衛様 二郎太夫 右広沢翁【細井二郎太夫】書翰、浅草鳥越いせ屋源右衛門所持也」 | 不明 | 寛政5年? 1793/ | 鳥越 伊勢屋源右衛門宅 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻18 | ⑬210 |
書・額字 | 「(木曾街道・和田宿)堂の額に、信定禅寺とありて広沢【細井知慎】の筆なり」 | 額 | 享和2年 1802/04/02 | 和田宿・信定寺) 〈南畝実見〉 | 壬戌紀行 | ⑧309 |
書・漢詩 | 「同寮柴田氏所蔵広沢翁書巻 木落川気涼 鴻飛水空夕 凝灯示遠沙 夜榜隣幽石 月色棲雲寒 霜花坐来白 遥見九華峯 蒼々但蘿薜 右舟次鐔津 蘆夜雨花看不定 夕陽楓樹見初飛 影随漢騎営辺落 夢繞胡児笛裏帰 右白雁 十年滄海寄萍蹤 迢逓江山思万重 鳥外明河秋一葉 天涯涼夜月千峯 心知久別魂応断 生事中年夢亦慵 無限相思何処著 越山仙隖樹蒙茸 右、寄嵩高先輩明王安中詩、広沢慎書於青山館、時甲辰秋八月也〔滕印知慎〕〔字曰公謹〕 予が生平見る所の広沢の書これにまされるはなし。詩もまた清絶なり」 | 巻子本 | 文化4年 1807/10/09 | 柴田氏所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻25 | ⑬475 |
書・額字 | 「(等々力村、満願寺)物の額は致航山の小篆にして、広沢先生の書なり。本堂の額は満願寺といへる行書にして九皐の書といふ」 細井広沢と細井九皐父子の墓あり。南畝、碑文を写す」 | 額 | 文化6年 1809/01/16 | 等々力村、満願寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨142 |
書・漢詩 | 「(登戸村、善立寺)広沢の書し字帖(テホン)あり」 「(善立寺)此僧、広沢先生の字帖を蔵せり。僧名は日言といふ【号古岩】 永◎大師玉林八咏 甲寅初秋広沢知慎書思貽斎 石楼長吸海山雲 独枕雲中半似醺 睡起掻頭無箇事 笑看四壁自成雯 (以下七言絶句七首省略) 甲寅秋 広沢老人」〈「甲寅」は享保九年(1724)〉 | 法帖 | 文化6年 1809/01/18 | 登戸村、善立寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨145 ⑨422 |
書・和歌 | 「(等々力村名主方)広沢翁の書る和歌をみる 玉川のあたりちかき到航山に先塋あり。かの所に詣侍りて、拾遺集にむかしの人の恋しきやなぞといへるをおのひ出て むかしよりむかしの人恋しきやなぞかへりこぬ玉川の浪 とうめき出て、また袖をしぼりぬ。時に戊申の秋の半也 広沢翁 戊申は享保十三年にて十三年にて翁七十一歳の時なり。又唐詩二首【已見寒梅発/友人五陵去】あり。いづれも見事なり」」 | 掛幅 | 文化6年 1809/02/06 | 等々力村名主 郷左衛門宅 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨164 |
書・額字 | 「(宇奈根村、常光寺)おくまりたる所に隠れ家あり。釈迦仏一躰あり。如松といへる字を広沢の篆字にして書し額をかく」 | 額 | 文化6年 1809/03/23 | 宇奈根村 常光寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨262 |
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