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日本編大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
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読み・名前分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
ばいほう
梅峰
書・題字「(小机村、長福院)寺は泉谷寺の持にして無住なり。堂の額に勧善懲悪七十一歳梅峰書とあり」扁額文化6年
1809/03/11
小机村 長福寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨241
はくいん
白隠禅師
書・賛「白陰禅師の賛に、蓮の葉に蛙の画たる歌を、杷枇丸、画見せければ
 蓮のはに小便すればお舎利哉 支考
 蓮のはの顔していたり芋の露 東作」
不明天明4年
1784/02/
青山堂枇杷丸宅
〈南畝実見〉
巴人集②438
書・賛「(羽村、名主岡本宅)床に掛し文字、白隠和尚の書に似たれば、あるじにおふに、さなりをいふもおかし。其文にいはく
 村民の長殿子孫万歳、繁昌の御祈祷の謎々 桶やの正直なに。
 村民の長殿はどうじや 
(中略) 宝暦辛巳冬
不立文字の家にして、最つたなき文体は、原の松蔭寺白隠和尚にすぎたるはなし」
〈宝暦辛巳は同十一年(1761)〉
「羽村里正岡本小源太所持ニ白隠和尚達磨ノ画賛アリ。是ハ略す。又白隠和尚ノ書
 村民の長殿はどうじや(以下「宝暦辛巳冬」まで上記と同じ文あり、省略)」
掛幅文化6年
1809/02/14
羽村名主
岡本小源太

〈南畝実見〉
調布日記⑨180
⑨375
書・歌詞「同じく(白木屋)高どのに、白隠禅師のかける竹のはに鮎をつけたるゑに、
 鰷(アユ)は瀬にすむ、鳥は木にとまる、人はね酒の気をやすむ、と書せ給へ
 るかたへに一首をこひければ

 惜いかな白隠和尚出家してさすがさびたる鮎はくはれず」
不明文化12年
1815/10/22
白木屋七々集
万紫千紅
②270
①293
はくにょ
泊如
書・題字「(高幡不動)門の額に高幡山とありて、天和壬戌杪秋日 僧正泊如書とあり」掛幅文化6年
1809/02/17
高幡山金剛寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨187
はくりゅう
白竜 道人
(竜寿)
書・詩『瓊山題詠』(寛政庚申春、白竜道人竜寿の序)乾坤二帖
「右二帖借抄于西勝寺 乙丑上元 杏花園」
(「乾」所収の中国人)木庵・費晴湖・劉雲台・◯秋実・劉錦雲・程赤城・呂宏昭
(「坤」所収の日本人)高暘谷・楢林公極・武田明美・真野元驎・寂興・藤本伯華・大村利衷・村岡君章・松岡恕庵・玄常・古葊宗抽・順常・大融

(庚申は十二年(1800)。西勝寺は白竜道人の寓居。南畝二帖書写〉
折本文化1年
1804/12/14
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧491
書・詩「瑶(ママ)山題詠巻序
瓊山ノ主随応老師、嘗テ木庵禅師華客ニ曁ビテ作ル所ノ瓊山ノ詩、其ノ意ヲ後世ニ伝ヘント欲シ、余ニ就キテ之ヲ謀ル、且ツ余ニ属シテ、是ノ名家ノ它邦遊人ノ吟詠ヲ求メシム、往々之ヲ得テ、都テ二巻ト成ル。乃チ巻ヲ展ジテ閲覧ス、錦篇繍句、徽々トシテ目ニ溢レ、将ニ瓊山ノ光ヲ益サントスルモノカ。土誌ニ云フ、瓊杵山一ツニ崇嶽ト曰ヒ、昔推古帝ノ時ニ在リ、百済琳准王子此山ニ来タリ、香ヲ焚キ北辰ヲ拝ス。北辰斯ニ降リ、特ニ兆瑞有リ、所謂奠香巌、星降渓、其ノ跡尚存ス、万治中、木庵禅師石ヲ勒シ無凡山ト為ス、蓋シ山形ノ秀朗塵風ノ気無キヲ以テナリ、其ノ他故事詳悉ニ遑アラズ、粗々一二ヲ挙ゲテ以テ此巻ヲ読ムニ於ケル便トスルノミ、老師余ニ請ヒテ序セシム、因リテ陋拙を顧ミズ、敢ヘテ数言ヲ綴ル
    寛政庚申ノ春 瓊浦白竜道人寿撰
 〔欄外。白竜道人西勝寺也、浄土真宗ヲ奉ズ〕」
(原漢文)
〈瓊山は無凡山の旧名。以前は瓊杵山とも崇嶽とも呼ばれていたが、木庵禅師が山容の美しさに感銘を受けて無凡山と命名したとされる。木庵はその無凡山の詩をいくつか残していたが、それを随応老師が所持していた。随応は、木庵にとどまらず他郷の風流人士にも詩を作ってもらい、それらを一つにしてはどうかと、白竜道人に働きかけた。そしてなったのがこの「瓊山題詠」ということらしい。寛政庚申は同十二年(1800)。南畝がこれを書写したのが文化二年(1805)正月十五日、丁度五年前のことである。乾坤二帖、清人の詩と日本人の詩に分けて収録している。
   詩の署名以下の通り

 乾の巻
  紫雲 木庵瑫  苕渓 費晴湖  武林 劉雲台
  銭塘 (一次欠)秋実  慶堂 劉錦雲  呉趨 程赤城  呂宏昭
 坤の巻
  瓊浦暘(賜)谷高彜(彝)君乗(秉)  楢林建公極  武田孟文明美
  真野騏元驎  光寿院主寂興  肥後藤木譛伯華  大村滕利衷
  瓊浦村岡重文君章  松岡恕庵  白竜道人竜寿  五島僧玄常
  尾州古葊宗抽  常州道人順常  瓊浦東林大融
折本文化2年
1805/01/15
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧504
はせがわ とうはく
長谷川 等伯
(雪舟五代)
画・山水(旧杉本茂十郎宅を修復した料理茶屋「恵比須庵」の所蔵品)
「七福神の間 真山水 長谷川雪舟」
不明文政2年
1819/10/
恵比須庵
半日閑話 次5⑱204
はせべ うんこく
長谷部 雲谷
画・馬図「(日野本郷、名主佐藤彦右衛門)書画を好みて、長谷部雲谷の馬の画などを見せしなり」掛幅文化6年
1809/02/17
日野本郷名主
佐藤彦右衛門

〈南畝実見〉
調布日記⑨187
はやし どうえい
林 道栄
 林道栄 (別資料)
はやし ほうこう
林 鳳岡 (春常)

七言絶句
「護国寺什宝  元禄三年庚午十一月十八日、従台駕詣雑司谷観音堂
 妙麗端厳面目真 高堂竦立彩楹新 祇今天下車同軌 上寿祝君如意輪  弘文院林春常
 元禄◯申六月四日、遊護国教寺、賦即景奉祝大君
 護国祝君聖代仁 法堂夏気密雲匀 千年梅李本根固 今日風光綠樹新 大学頭林整宇」
掛幅?文化8年?
1811/?
護国寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言 巻49⑮327
ばわたり こううん
馬渡 高雲

芦葉達磨
「馬渡(バワタリ)高雲の画る芦葉達磨を得たり
 揚子江頭、踏芦絶流、不逢段臂、取笑閑遊
寂泰の賛あり。石崎融思にみせしに、是は高雲の達磨にて、人のもてはやすものなりといへり。京師の人なる歟。書画一覧等にみえず。右、牙人〈仲買人〉持来、書は草篆なるべし」
〈石崎融思は画人で唐絵目利職。中山高陽著『画譚鶏肋』(安永六年刊・1775)も専門画家として「高雲の達摩」をあげている。これは収得とあるが、「南畝文庫蔵書目」に記載はない〉
不明文化2年
1805/05/23
長崎
〈南畝入手〉
瓊浦雑綴⑧585
Top浮世絵師総覧日本編大田南畝関係