Top浮世絵文献資料館日本編
日本編 【は】大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
【林 道栄】 (はやし どうえい)※◯は欠字、◎は表示不能文字
分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
書・額字(長崎清水寺の護摩堂) 「福寿海 道栄書」扁額文化2年
1805/03/
長崎 清水寺
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧539

七言絶句
一幅丹青掛碧霄 従教摩詰興飄々 金颻時落大円鏡 直明洞庭万里遥  道栄書
右扇面書藤瀬氏所蔵」
〈この藤瀬氏、南畝の書き留めには藤瀬又兵衛とある。当時、本古川町の乙名(町役人)に藤瀬長兵衛という人がいるが、その一族と思われる。同日、この人は「送外甥藤瀬新蔵返郷」という題の七言絶句(署名「◎(扌+為)謙野継善草」)も持参している。署名の人は不明。また文化三年の正月、江戸の南畝に年始状を送っている(「書簡番号131」中村李囿宛 文化3年3月23日付 ⑲193)〉
扇面文化2年
1805/04/05
長崎 観音寺
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧563

禅語
「道栄禅語の末に
 時寛文歳乙巳姑洗晦前  崎陽不知有漢子道栄手書于一黙一審中」
〈寛文乙巳は同五年、三月晦日前になったという「道栄禅語」は未詳〉
不明文化2年
1805/06/
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦又綴⑧608
「九月九日、十一日、諏訪神事を一覧せしに、かさ鉾の上にかける町名のうち、よりあひ町は雪山人、ふくろ町は林道栄の書のよし。此外町によりて、諸名家の書ありと云」
〈「長崎くんち」で使われる傘鉾の町名、寄合町が雪山、袋町が道栄の書という〉
不明文化2年
1805/09/09
長崎諏訪神社
〈南畝実見〉
瓊浦又綴⑧622
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