Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
名所編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所)
【よ】※◯は欠字、◎は表示不能文字
名所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
よしの
吉野
「芳野懐古
 日月双懸建武年 南山宮闕入雲煙 旌旗色掃千章樹 環佩声流百丈泉
 時去魯陽戈未見 運移周国鼎空遷 如何玉食真天子 不及尋常将相権
 一自南巡出九重 百寮投袂且相従 空聞千里○天馬 無復孤忠継蜀竜
 歳月偏流芳野水 風雲長散葛城峰 遺蹤只有香台在 寂々山中何処鐘 其の二」
南畝集4
漢詩番号0623
③216安永7年
1778/12/
「吉野山桜木の枝折に もろこしの吉野の花も万巻の文の枝折や一目千本」放歌集②197文化9年
1812/05/
よしはま
吉浜 (伊豆)
「小田原桃李園軽人のもとより、よし浜の湯一桶を贈りけるに
 打ち身にはよし浜の湯の一桶をまはせる舟のあしの軽人」
紅梅集
巴人集拾遺
②340
②495
文政1年
1818/05/
よしわら
吉原
 吉原(別資料)
よっかいち
四日市 (伊勢)
「四日市を過ぐ(詩なし)南畝集14
漢詩番号2494
④327文化1年
1804/08/
よつや
四谷
「西駅の春艶【西駅とは四谷をいふ】
 西楼夜静かにして菖蒲香ばし 桃園に入らんと欲して道路長し
 斜めに蒲団を抱いて時に礼を見る 朧朧たる月色三光に院たり
 春の詩にあやめさくとは露しらぬとかや。桃園は中野の西二里にあり。時礼は夜九時七時六時あり。さそひあはせて下にゆく。八時ばかりはなし。三光院、四谷にあり。新日ぐらしといふ稲荷神社あり。初午にぎやかなり。雲楽の別荘より近し。たぬき、熊などのすむ所なり」
「西駅秋艶
 御封も美人の張るに不及(シカズ) 止(シイ)動(ドウ)風来つて牧草(マグサ)香ばし
  却つて恨む銭を投げて堀内を祈ることを 空しく四谷を懸けて天王を待つ
 御封、堀内より出るはり御封の事をいふ。柱にはりおき七日め/\に上にあげてはる。三七二十一日にいたりてその病いゆるといふ。そのあいだ薬等を禁ず。止動【風来山人天狗髑髏縁起】しいとどうとの文字はあふても馬めが合点いたさねばと、下略。ほりの内ゑしきのうちくる/\といひて、その幕のたのみをいとひてきれたる客、また夏あたり立かへりて六月四谷天王のまつりのころくれども、又盆前は心もととなき七夕客をいふ」
通詩選諺解①489天明7年刊
1787/01/
よつや
四ッ谷村(北多摩)
「けふ四ッ谷村のほとりにて すきかへす小田の畦にはくはもあり
 と監使のきこえさせ給ひければ 家は一軒両毛作かも
 とつけヽれば監使わらはせたまふ」
〈監使は南畝の上司、勘定吟味役金沢瀬兵衛千秋〉
玉川余波②116文化6年
1809/01/02
よどがわ
淀川 (摂津)
「春夜、舟に乗りて淀河を下る 伏水春流下淀川 朧々月色対愁眠 八間楼下天将暁 一夢宛如五十年」改元紀行附録
南畝集12
漢詩番号1954
⑧140
④162
享和1年
1801/03/10
「淀河舟中
 百丈牽舟遡淀河 神碕江口雨中過 蒹葭出水通津濶 唯見長風起白波
 前山如笑逼船牕 遠近分明黛色双 碧瓦凌雲知宝寺 烟和密箐隠長江 
其の二
 岸上青松縈紫藤 帰舟空繋暮雲層 打頭風起無辺雨 咫尺雄山不可登
 其の三
 ますらをはよどの川辺をいくかへりひくてふ舟のつなでくるしも」
壬戌紀行附録⑧328享和2年
1802/03/21
「淀河舟中万点寒鴉散水村 扁舟朝上澱河源 漸知宝寺鳩峰近 両岸煙雲黛色繁
 朝霧のはるゝかたより日の見えて淀の川瀬に舟さしのぼる
 冬の日のみじかきものを綱手縄ひとすぢそへて長き川舟

 空くもりければざれごとうた
 男山神も一番たて引にこの浮雲をはらひ給へや」
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2813
⑨94
④423
文化2年
1805/11/04
よどばし
淀橋
「秋日郊行。七首
 碓輪伝響澱橋西 黄落秋風送馬蹄 新剥村園罅発栗 野翁炒火止児啼」
南畝集16
漢詩番号3200
一話一言巻28
⑤110
⑭71
文化5年
1808/08/21