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名所編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所)
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名所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
みいのばんしょう
三井晩鐘
「近江八景狂歌 三井晩鐘 三井寺の鐘引あげし弁慶が力もいまは寂滅為楽」六々集
万紫千紅
②232
①281
文化12年
1815/03/
みかわしま
三河島
「三河島といふ処にて 舟つなぐ松も昔の海づらにいくたび小田やすきかへしけん」をみなへし②18天明
「花時、遍く諸園に游ぶ 其の六欲踏青郊到墾田 窮途隔樹歩難前 汪々野日陂千頃 歴々風帆水一川」「野道とおくしてやう/\荒川のほとりにいたる。莚の帆かけたる舟のゆきかふさま、風景いはんかたなし」南畝集16
漢詩番号3149
一話一言28
⑤94
⑭56
文化5年
1808/03/16
みしま
三島 (駿河)
「十一月望、三島駅に宿す 還自崎陽万里天 駅亭蟾兎両回円 九洲前月豊城下 三島今宵古廟前
【十月望夜、豊後州小倉駅に宿す。故に云ふ】」
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2836
⑨100
④430
文化2年
1805/11/15
みせき
三石 (備前)
「早に、三石駅を発す
 暗水聴無尽 東方看未明 連天山突兀 当路石崢嶸 漸去黄微国 遥投白鷺城 鄱陽曾熱地 不費問前程」
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2803
⑨91
④421
文化2年
1805/10/27
みちのく
陸奥
「陸奥田植の画に 社鼓与村笛 謳歌楽太平 先進士君子 紛々軽薄情
 みちのくの十符の田植の七符とは君にさゝげてわれ三符とらん」
六々集②227文化12年
1815/02/
「みちのくの風俗をかきたる巻物 みちのくの十符のすがごも一巻にかきつくしたる壷のいし文」七々集②269文化12年
1815/10/
みつけ
見付 (遠江)
「見付のすくに阿仏尼のたれか来てmつけのさとゝいひしむかしを思ふ
 むまやぢの行かひしげし誰か来て見付の里と聞しむかしも
 見付の宿にやどる床に梅花あり 霜月の十日あまりに一枝の梅を見つけの里といはまし」
〈見付の宿の主は三川屋甚三郎。⑨78〉
小春紀行附録⑨99文化2年
1805/11/12
みつまた
三叉
 三叉 (中洲)(別資料)
みなみしろ
南代 (六郷)
「南代といふところに梅の咲出たるを見て抜笧(シガラミ)抜出しの名によそへて
 霜雪の笧に冬をせきかねて南代より梅の抜出し」
玉川余波②110文化5年
1808/12/17
みぬめのうら
敏馬の浦 (灘)
「敏馬の浦を過ぐ (詩なし)」 〈『革令紀行』⑧410参照〉南畝集14
漢詩番号2501
④328文化1年
1804/08/18
みねむら
峯村
「峯村作 決口行春塞玉河 河堤使者日経過 出夫急欲移官担 早起籬辺吹法螺
「峯村 峯村万木傍丘陵 独愛山茶笑自仍 朝日閑看鼯鼠走 深慙五枝一無能」
玉川余波②119文化6年
1809/01/15
「三月十七日宿嶺村 万緑参天一嶺村 居無隣並巷無門 春宵忽有還家夢 々裏分明見女孫
 又 未発晩梅初結子 纔残躑躅已亡羊 厭看一個山茶樹 花落花開日月長
〈峰村の宿は名主の長久保蔵之助〉
玉川余波②146文化6年
1809/03/17
みほのまつばら
三保の松原(駿河)
「三穂の松原 古松原上一魚磯 神女翩躚掛羽衣 謫在人間何所洛 紫煙深処去無帰」改元紀行附録
南畝集12
漢詩番号1936
⑧136
④157
享和1年
1801/03/01
みやうち
宮内村 (橘樹郡)
「宮内村といふ所に梅花さけり みやの内のわらやもおなじ梅花の春の光のはてしなければ」玉川余波②122文化6年
1809/01/25
みょうがだに
茗荷谷
「初冬、山士訓・川伯温・熊仲弼と同じく郊行す 晩出蘘荷谷 人煙冷野坰 前村酒旗色 先入眼中青」南畝集5
漢詩番号1037
杏園詩集二
③355
⑥64
天明1年
1781/10/
みょうけんのまつ
妙見の松 (本所)
「本庄六詠 妙見松 大微宮裏物 北斗廟前松 風捲飛涛起 雲含偃蓋重」南畝集9
漢詩番号1770
④99寛政3年
1791/10/
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