(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所) |
名所 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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こいがくぼ 恋ヶ窪村(多摩) | 「清明後一日、鯉窪村を尋ぬ。是れ大田氏の出る所【鯉窪一つは恋窪に作る】 遙々華冑後 名姓有誰存 むさしのゝ末もはるけき遠つおやのみかげを恋る窪にこそにいれ」 | 玉川余波 | ②134 | 文化6年 1809/02/22 |
小石川御薬園 | | |||
こうがいばし 鉤匙橋 | 「鉤匙橋は長者が丸の流れにかゝる。そのみなもとや六孫王経基のおほきみ、東夷征伐のかへるさ、むさし野を過給ひ、帰雁のつらをみだるを見て、雁々三つ口、跡なが先へいたら、かうがひとらしらしよとの給ひて、御はかせのかうがひをなげ給へば、化して一の橋となる。名づけて鉤匙橋といふと云々。(以下略) | 四方のあか | ①123 | 天明8年刊 1788/01/ |
こうしんあん 庚申庵(高田) | 「夏日、山士訓・山道甫・春菶仲と同じく庚申庵に集ふ。八庚の韻を得たり【庵、高田に在り】 | 南畝集4 漢詩番号0663 | ③250 | 安永8年 1779/06/ |
こうそん 江村 | 「春日江村。談字を得たり | 南畝集7 漢詩番号1406 | ③486 | 天明8年 1788/01/28 |
こうのだい 国府台(下総市川) | 「勝鹿六詠 国府台 | 三餐余興 | ⑧5 | 明和4年 1767/09/30 |
「鴻台観楓 国破荒墟麋鹿臥 天寒古寺老僧帰 更看葉葉秋風起 猶似当年赤羽飛」 | 南畝集3 漢詩番号0438 | ③152 | 安永4年 1775/10/ | |
「鴻台懐古。寒韻を得たり 径埋折戟莓苔緑 霜落荒墟木葉丹 聞設山中余石槨 千年白日有誰看」 | 南畝集4 漢詩番号0621 | ③216 | 安永7年 1778/12/ | |
こうばいざか 紅梅阪 (駿河台) | 「紅梅坂を過りて感有り | 南畝集18 漢詩番号3604 | ⑤234 | 文化9年 1812/02/ |
こうやまち 紺屋町 (神田) | 「詠五色狂歌 青 | 七々集 万紫千紅 | ②284 ①296 | 文化12年 1815/12/? |
紅葉名所 | | |||
こうらさん 髙良山 (筑後) | 「髙良山を望む | 小春紀行附録 南畝集15 漢詩番号2758 | ⑨82 ④409 | 文化2年 1805/10/10 |
こがねい 小金井 | 「小金井の花みんと思ひしが道遠ければゆかず | をみなへし | ②31 | 文化5年 1808/03/ |
「府中駅に瓶花を見る。小金堰の花と云ふ 「小金堰に花を看る 命ありて千もとの花もけふはみつあすは山風ふきちらばちれ 「戯れに支考が仮名の詩にならふ ゐせきの水も木末の花も とめてとまらぬものとしりきや 「小金井村の花をみて | 玉川余波 | ②136 | 文化6年 1809/02/29・30 | |
こくら 小倉 (豊前) | 「小倉駅に月に対す 寿永戦争哀世乱 太平時節覚心閑 去年病客今年健 恰是瓜期得代還 小倉駅に風に阻まる 【黄花浜、此れ菊高浜を云ふ】 | 小春紀行附録 南畝集15 漢詩番号2776 2777 | ⑨86 ④414 | 文化2年 1805/10/16/ |
ごじいんがはら 護持院原 | 「護持院原 | 南畝集18 漢詩番号3615 | ⑤236 | 文化9年 1812/03/ |
「護持院原の懐古 | 南畝集20 漢詩番号4394 | ⑤460 | 文政1年 1818/07/ | |
ごすぎむら 小杉村 (橘樹郡) | 「上平間村をありきて中丸子村・上丸子村を駕籠にてすぎ小杉村に宿す 「小杉村のやど家大きなれどひなびたり。門口に葭簀をはりて風呂をたく。湯殿はあれど くづれたりと云 「杉山顛木【杉山在小杉村】 | 玉川余波 | ②111 | 文化5年 1808/12/19 同12/20 |
こせんじょう 古戦場 | 「古戦揚 解道折衝千里外 還兵袵席是元戎」 | 南畝集13 漢詩番号2160 | ④225 | 享和2年 1802/07/ |
ごづくえむら 小机村 (橘樹郡) | 「小机村のやどりにて 小机村浅田氏がやどに入てみれば朱漆にてぬれる器多し 「小机村観造索餅 「小机荘 又 | 玉川余波 | ②125 | 文化6年 1809/01/29 同01/30 |
「小机村にゆくみちにてよめる 「重ねて小机村に宿す 「小机村の諸器物すべて朱漆もてぬれる多し。道にて折し藤の花をいけて | 玉川余波 | ②142 | 文化6年 1809/03/11 | |
ごてんやま 御殿山 | | |||
こてんろう 壺天楼 | 「牛門の秋夕【壺天楼の席上】 堤上松筠宿鳥鳴 橋東秋水野航横 牛門市入壷天濶 一樹丹楓蔭甕城」 | 南畝集17 漢詩番号3396 | ⑤171 | 文化7年 1810/08/ |
こひなた 小日向 | 「小陽溝【小陽、此れ小日向を云ふ。陽溝有り】 | 南畝集14 漢詩番号2456 | ④317 | 文化1年 1804/05/ |
ごへいぢゃや 五平茶屋 (長崎) | 「稲佐山下の五平茶亭 | 南畝集15 漢詩番号2667 瓊浦雑綴 | ④380 ⑧570 | 文化2年 1805/04/26 |
こまがはら 駒が原 | 「駒が原のしだれ桃を見にまかりて | をみなへし | ②23 | 文化4年 1807/03/15 |
「春日、駒原を過ぐ | 南畝集16 漢詩番号3049 | ⑤65 | ||
こまぎの 駒木野関(八王寺) | 「高尾山ちかく見わたさるれど、関ありてゆく事あたはず | 玉川余波 | ②131 | 文化6年 1809/02/15 |
こまごめ 駒込 | 「駒込の追分に榎の木あり。江戸砂子にみへし黒塚なるべし | 六々集 | ②250 | 文化12年 1815/03/07 |
こまごめふじ 駒込富士 | 「駒込の富士 | 放歌集 | ②197 | 文化9年 1812/06/ |
ごゆ 御油 (三河) | 「御油赤坂のすくを過るにざれごとうた | 小春紀行附録 | ⑨98 | 文化2年 1805/11/11 |
こゆるぎ (相模) | 「小余綾磯を過ぐ きのふけふはやこゆるぎの磯の波たちかへるべき時をこそまて」 | 改元紀行附録 南畝集12 漢詩番号1930 | ⑧134 ④154 | 享和1年 1801/02/28 |
これまさむら 是政村(多摩川) | 「元日、是政村に寓す 送却玄夷滄水使 疑為太古葛天民 忽逢盤上椒花開発 眷恋児孫憶所親」 「元日 | 玉川余波 | ②115 | 文化6年 1809/01/01 |
「三月念五、是政村舎に次(ヤド)る。庭に枕流亭有り ながき日に親のいさめのうたゝねも老らくの身のさもあらばあれ」 | 玉川余波 | ②148 | 文化6年 1809/03/25 | |
「暮春、是政村に次(ヤド)る 久旅忘家夏禹功 宣房塞結漢臣風 玉川如帯岡如鏡 千歳無令府庫空 老杉双立擁叢祠 独上孤亭欲暮時 林外川光分片玉 一竿垂鈎坐多時」 | 調布日記 玉川余波 | ⑨273 ②107 | 文化6年 1809/03/25 | |
こんごうざか 金剛坂 | 「金剛坂 | 南畝集14 漢詩番号2457 | ④317 | 文化1年 1804/05/ |
こんのうびょう 金王廟 (渋谷) | 「秋日、菊池博甫の児阿定と同じく郊行す | 南畝集9 漢詩番号1869 | ④132 | 寛政5年 1793/09/ |