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名所編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所)
【あ】※◯は欠字、◎は表示不能文字
名所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
あかぎ
赤城
「東豊山十五景 赤城霞色 朝夕の霞の色も赤城山そなたのかたにむかでしらるる」万紫千紅
六々集
①286
②212
享和2年
1802/09/19
あかさか
赤坂(江戸)
「赤坂霞 しやちほこのたてるやいづこ赤坂のみつけの前に霞青山」巴人集②428天明4年
1784/01/
あかさか
赤坂(三河)
「赤坂のすくにて大江定基が事など思ひいでゝ 家を出てもろこしまでもゆく人の心をとめし赤坂のやど」改元紀録附録⑧137享和1年
1801/03/04
あかしのうら
明石の浦
「あかしの浦にて 月かげのあかしの浦の名にもにず霧たちこむる岡のやの暮」小春紀行附録⑨92文化2年
1805/10/30
あかつたや
赤つたや
「赤つたやといへる茶屋によみてつかはしける 青すだれ赤つたかづらくる客はおりかさなれる錦とやみん
〈『通詩選諺解』「青簾とは中の町茶屋のすだれをいふ」①487〉
巴人集②414天明3年
1783/07/15
あきたふき
秋田屋
「日光道中、上間久里村秋田屋の鰻名物也。長月廿八日森田屋より贈りけるに
 日光の旅うなぎにも江戸前もはだしになりてかみまく里村」
紅梅集②375文政2年
1819/09/28
あきばやま
秋葉山 (長崎)
「人日、鎮北の諸山に遊ぶ 其の三
 石磴苔蹊不可攀 提壺遥指酔霞山 何時澗水浮秋葉 更向天涯故国還」
 【秋葉山。山、一に酔霞山と名づく。予、今秋瓜期。故に云ふ】
南畝集15
漢詩番号2625
④368文化2年
1805/01/07
あさくさふじ
浅草富士
「六月朔日遊浅草上小芙蓉 麦稭結作竜 香客若雲従 正逢徂暑至 斉上小芙蓉」南畝集18
漢詩番号3786
⑤287文化10年
1813/06/01
あさじがはら
浅茅が原
「菱川氏江戸名所の色紙のうた鯉洗居よりもとむるにまかせて 浅茅が原
 はぎ高く裳すそからげて浅茅とはきけども原の露の玉姫」
紅梅集②380文政2年
1819/12/
あさひやま
朝日山 (筑後)
「朝日山を望む 朝日山頭帯夕陰 夕陰猶自隠松林 今宵投宿田城駅 明発回頭旅客心」小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2766
⑨82
④411
文化2年
1805/10/13
あさまやま
浅間山
「天明三ッのとし信濃なる浅間山焼し時
 浅間さんなぜそのやうにやけなんすいわふ/\がつもり/\て」
巴人集
拾遺
②473天明3年
1783/07/06
「(大田南畝、大坂銅座勤務を終え、江戸へ帰還する途中の詠。帰路は木曾街道)
 ふじのねの烟はたゝずなりぬるをあさまの山ぞとことはにみゆ」
壬戌紀行
附録
⑧333享和2年
1802/04/03
「高崎城を出て浅間山を望む
 大麓逶迤似可攀 両行松桧駅亭間 遥看絶頂烟光白 遠近誰無識此山」
壬戌紀行
附録
⑧333享和2年
1802/04/04
あざぶ 
麻布 一本松
「麻布一本松 気のしれぬ麻布のさとを尋来てまづ指おらん一本のまつ」都下十八松
狂詠
⑱654未詳
あしかががっこう
足利学校
「人の足利旧院に赴いて書を読むを送る
 共識風流野相公 曾開郷校下毛東 径荒誰訪千秋跡 地僻猶余一畝宮
 孔壁蔵書生緑字 子矜遺佩映青叢 到来◯◯探奇異 不但名山石室中」
南畝集3
漢詩番号0471
③163安永5年
1776/02/
あじがわ
安治川
「舟、安治河を下る
 一鑿安河衢壌間 松風吹落大江湾 蒹葭日長三津水 彩翠晴開六甲山
 侵岸人家随曲折 浴流童豎下潺湲 匹夫功業侔神禹 万里帆檣往又還」
南畝集12
漢詩番号1996
蘆の若葉
④172
⑧206
享和1年
1801/05/23
あじはらいけ
味原池
「七夕郊行 味原池 行入桃林下 桃林結子多 池辺飲牛去 牧笛和樵歌」南畝集12
漢詩番号2025
蘆の若葉
④181
⑧250
享和1年
1801/07/07
あしのゆ
蘆の湯 (箱根)
「碑面 てる月の鏡をぬいて樽まくら雪もこん/\花もさけ/\
 碑陰 遊仙窟主人藏余天明年間所蔵戯歌、乃与蘆丘・蘆嶺二子戮力、介桃李園請刻諸石、
     余踰三函嶺未浴温湯、他日脱塵垢雲遊斯地、有如斯石
     文化戊辰冬十月南畝覃記時歳六十」 蘆渓 蘆丘 蘆嶺 立 〈戊辰は文化五年〉
〈遊仙窟主人は蘆渓。建立を仲介した桃李園は日本橋本町の呉服屋主管(支配人)伊豆蔵甚兵衛、狂歌名・紀軽人。碑が完成したとしてその石摺を持参したのが文化六年の四月三日〉
調布日記⑨272文化6年
1801/04/03
あすかやま
飛鳥山
 飛鳥山 (別資料)
あずさわ
小豆沢(板橋蓮沼)
「五月初八、児俶と北郊に遊びて異竹を看る
 行過版橋湾 更尋蓮沼陲 村名小豆沢 側径入茅茨 庭有一叢竹 指点皆称奇 孤根生六茎 三茎分二岐
 八个森列立 緑籜脱離披 造物妙如此 何人能格知 玉版豈可参 声聞与辟文 相此無窮理 顧告従遊児」
南畝集16
漢詩番号2898
⑤20文化3年
1806/05/08
あずまばし
吾妻橋
「東橋新成
 飛虹欲飲大江流 結構新分古総州 元凱建橋通万里 相如題柱幾千秋
 彩雲斜落金竜影 白鳥空浮墨水洲 昔日扁舟争渡処 憑欄却憶王孫遊」
南畝集2
漢詩番号0315
杏園詩集
③108
⑥35
明和4年
1767/08/
あたごやま
愛宕山
 愛宕山(別資料)
あたごやま
愛宕山(長崎)
「愛宕山に花を看て風雨に値ふ 欲尋芳樹叩巌ケイ 雨足随風昼杳冥 半腹応回俗士駕 移文已勒宕霊
 又ざれごという
 雨風は花のあたごの山桜木葉天狗とちらせ給ふな
 大風の吹ゆく麦は青畳千帖敷の雨のあし音」
〈長崎の愛宕山〉
南畝集15
漢詩番号2645
瓊浦雑綴 中巻
④374
⑧528
文化2年
1805/02/24
あだちがはら
安達ヶ原
「駒込の追分に榎の木あり。江戸砂子にみへし黒塚なるべし
 駒込の安達が原の黒塚に鬼ころしありと聞はまことか」
六々集②250文化12年
1815/03/07
あやせ
綾瀬
「初秋、十千亭主人と同じく舟を墨水に泛べて綾瀬に至るの作
 綾瀬清如練 乗潮遡墨田 玄蝉鳴岸樹 白鷺破村煙 暑退新秋気 風生浅水辺 芦中人不見 停棹酔将眠」
南畝集9
漢詩番号1740
④91寛政3年
1791/07/
あらいぜき
新居関 (遠江)
「新井関に富士山を望む 新井関頭挂席斜 遠江灘上浪淘沙 西来初見芙蓉頂 忽憶芙蓉雪外家」小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2829
⑨99
④428
文化2年
1805/11/12
あわづ
粟津
「粟津の眺望 枯葦蕭々隔太湖 回看皓壁遶城郛 玄雲黯澹横台嶽 六曲屏風狩氏図」小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2816
⑨95
④424
文化2年
1805/11/05
あぶらぼり
油堀 
「深川なる土師掻安のもとにて百物語のたはぶれせんとて、舟にのりて油堀といふ所にいるとて、そのわたりに椀ぐらといへる所あれば
 舟もいりつく皿の油ぼり鬼ひとくちに椀蔵のかた」
狂歌才蔵集①48天明7年刊
1787/01/
あらしやま
嵐山
「嵐山 西望嵐山紫翠遥 入京便道訪漁樵 煙霞不隔臨川寺 秋水依然渡月橋」南畝集14
漢詩番号2498
④327文化1年
1804/08/
あわづのせいらん
粟津晴嵐
「近江八景狂歌 粟津晴嵐 いそとせの夢も粟津の粟のめしかしぐ間もなくはるゝ夜嵐」六々集
万紫千紅
②232
①281
文化12年
1815/03/
Top浮世絵師総覧名所編大田南畝関係