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名所編 【う】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
【上野】(うえの)※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「叡麓八景
 鶴吉の晴嵐 山下行人北又南 暫く鶴吉を看て興将に酣(タケナハ)
          豆と徳利と銭雨の如し 颯々として散して比叡嵐(ヒヘヲロシ)と為る
 茶舗の夕照 客を留む茶釜蔓自(オノズカ)ら長し 一盃汲んで出す煮花の香(カ)
         夕陽斜めに下る葦簾(ヨシズ)の外 遍く照す近辺名代の娘
 土弓の落雁 衣袈裟を掛く何れの処の坊ぞ 娘を彀(ネラ)つて先づ土弓場に入る
         羽飛んで矢落つ七間半 自ら雁金の行を乱れざるに似たり
 機関の帰帆 機関一たび覗く直(アタ)ひ三銭 万里の紅毛(オランダ)目前に在り
         相見て先んの方代ることを知らず 漫々たる海上の掛帆(ホカケ)船
 蹴転の秋月 秋風吹き送る淫哇(ソソリ)歌 階子(ハシゴ)攀(ヨ)じ升(ノボ)る蹴転橋(ケコロバシ)
         名月千金人二百 暫時(ザンジ)の一刻今宵(コヨヒ)を惜む
 仏店の晩鐘 煮肴(ニサカナ)売り切れ札空く明なり 客去り二階手鳴らず
         忽ち晩鐘仏店に聞ふる有り 誰が家の親父か看経の声
 餅屋の暮雪 下戸倉を建つ白壁の扉 肩を酒屋に比(ナラ)べて夕陽輝く
         寒ん餅引き切(チギ)る一文取り 雪の如く総て新粉に随て飛ぶ
 溝店の夜雨 泥水推し流す溝店の隅(ホトリ) 夜中の風雨路開き難し
         懸け声忽ち肩輿(ヨツデ)を舁き去る 両掛け独り蕎麦を沽り来る」
壇那山人藝舎集①459天明4年刊
1784/
「上野花 一面の花は碁盤の上野山黒門まへにかゝるしら雲」
〈『甲子夜話』東洋文庫③329、文政7年7月26日記事に、この狂歌が「洲崎の路店の屛風に」あり「蜀山人」の署名のある由を記す。朱楽菅江編『狂言鶯蛙集』(天明5年刊)所収。
『蜀山百首』(文化15年刊①307)『清好帖』(文政7年刊⑳355)所収〉
巴人集②464
②445
天明4年
1784/03/
「清明、束叡山に遊んで花を看る 東山春色彩雲辺 瓊樹瑶林各自妍 更遇清明時節好 風光不負養花天」南畝集8
漢詩番号1596
④37寛政2年
1790/02/22
「むつき三日上野にて夷曲 まいれどもなま物じりのかなしさはなき有がたき大師大黒」
〈元三大師〉
をみなへし②19文化4年?
1807/01/03
「花時、遍く諸園に游ぶ 其の八慈眼堂前雪満園 瑠璃殿北照黄昏 松間院々花間月 花月玲瓏夜閉門」南畝集16
漢詩番号3151
一話一言28
⑤94
⑭56
文化5年
1808/03/16
「上野山に紅葉をみて 鐘の音ひゞくかた枝に色そふやあづまのひえの山の紅葉々」をみなへし②35文化5年
1808/10/
「花 蚕きせ米をくはせて花までもみよと造化のいかい御造作」
「上野に笠ぬぎざくらといふあり。慈眼大師の植えさせ給ふといへり。むかし黒人の社中人の歌に、中堂のこなたにたてる一本は慈眼大師のおんさくら花、といへるを思ひいでゝ
 此花は慈眼大師の御さくらなみ笠ぬぎて拝あらせ給へ
 上野第一の古木にしてよしのゝ種なり。かこみは一丈にあまれる大木なり」

「日光山よりうつせし桜ありときヽて 根こじたる桜ひともとふたら山ふたをしつつも風やいとはん」
あやめ草②66文化7年
1810/03/
「上野の花をみて 鳥がなくあづまのひゑの山桜さくやゆたかに永き春の日
 鳥が鳴吾妻のひえの山ざくら咲や寛に永きはるの日」
放歌集
一簾春雨
②179
⑩504
文化9年
1812/02/21
「上野の花みんとゆくみちに鐘の音をきゝて 九ッは遅し八ッにはまだはやし雲の上野の花をもる鐘」放歌集②180文化9年
1812/03/
「上野山に紅葉をみて 秋の山紅葉ふみつゝわけいるも同じさくらの花の下の下道」六々集②214文化11年
1814/10/
「きのふけふ上野の花を見て この上の栄耀はあらじ両大師二日つゞけて花をみし哉」六々集②229文化12年
1815/03/
「上野の桜をみて 剃立の月代ひえの山ざくら花のさくべき面影もなし」七々集②295文化13年
1816/01/
「やよひ五日上野の花をみて
 山桜去年もけふこそみにきつれ又のやよひのいつかわすれん
 しら雲の上野の花はみよしのゝちもとの中のひともとゝきく」
七々集②303文化13年
1816/03/05
「(上野花見の日)清林堂といへる筆屋、花のもとに酒さかなもて来しかば
 山の花きよき林の下ふしはさゝえを筆の命毛にせん」
「帰路即事 彼岸桜開上野宮 乍逢筆屋酒盈筒 籃輿四百五十字 多少波銭振舞中」
紅梅集②329文化15年
1818/03/
「上野花 此春は八重に一重をこきまぜていやが上野の花ざかりかな」万紫千紅>①268文化年間
「東睿山に花を看る 一望東山万樹花 々如雲錦々為霞 三々五々諸年少 莫笑衰翁玩物華」南畝集20
漢詩番号4450
⑤478文政2年
1819/03/18
「弥生十八日上野の花をみて 七十のとしの上野の花を見てかへりは駕篭にのりをこえたり
 けふの花あすは雪とやふり袖も半元服の青葉なるらん」
紅梅集②362
「(紅葉)上野 この上野にしきやはあるはつもみぢたれに忍ぶか岡目八目
 滝の川弁天 松はしの弁天前におりたちてちよつと一枝おりたきの川
 高田八幡  もみぢばをくまなく見つゝ名に高田穴八幡のどこものこさず」
紅梅集②378文政2年
1819/10/
「病をつとめて法林堂とともに上野の花をみる 白雲の上野の花のさかりにはしばし心もはるゝうれしさ」
「扇に書たる詩に二句あり、今日の事に似たるもおかしくて
 入洞題松遍 天台の霞の洞に入ぬればからうた書ん松原のまつ>
 看花選石眠 ねごゝろのよろしきところえらびつゝ石の上にも三春の花」
あやめ草②99文政5年
1822/02/15
Top名所編名所編 【う】大田南畝関係