Top浮世絵文献資料館名所編
名所編 【か】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
【川崎】(かわさき)※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「十八日のあした、小杉村までゆかんとせしが雪の後また雨ふればとどまる
 はればたちはれねばとまる雨雪のふるもふらぬもまゝの川崎」 〈宿舎は朝田屋武右衛門宅〉
玉川余波②111文化5年
1808/12/17
「重ねて砂子駅に宿し、戯れに客舎の壁に題す
 春前三日此留連 雪後泥途向玉川 官担重来砂子駅 主人無是悪因縁」 〈宿舎は朝田屋武右衛門宅〉
玉川余波②113文化5年
1808/12/26
「三たび砂子駅に次(ヤド)る
 冬春奉使治河堤 官担三来六合西 庭上牡丹芽已出 田間雉麦緑将斉
 記号衣正行人列 喝道塵追駅馬蹄 早晩桃花流水去 還郷拾聴子規啼」
 〈宿舎は朝田屋武右衛門宅〉
玉川余波②123文化6年
1809/01/26
「川崎聯句 鶴見橋蒸十字餅 亀齢館勧万年盃 又 万年喜酒亀無算 十字香風鶴有料」玉川余波②124文化6年
1809/01/29
「四たび砂子駅に次(ヤド)る。庭に牡丹の芽有り、之を主人に問へば則ち白牡丹なり
 東去西来玉水干 沙村風物幾回看 已過堤上黄金柳 恐及庭前白牡丹」
玉川余波②128文化6年
1809/02/08