Top浮世絵文献資料館名所編
 
名所編 【ふ】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
【深川】(ふががわ)※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「深川詞
 土橋櫓下(ヤグラシタ)仲町の通り  大鳥居は高し永代の東し  侠客(キヤン)の浴衣は親和染  女房の櫛巻は本多風
 予め知る一日山の開く処ろ  正に是れ二軒金の落る中  三十三間堂未だ建たず  儼然たり弓矢八幡宮」
壇那山人藝舎集①452天明4年刊
1784
「深川歳旦 春の夜の一刻価千金をけふつきそめし富が岡かな」巴人集②427天明4年
1784/01/01
「深川霞 年の矢ははやく三十三間の堂より先にたつ霞かな」巴人集②428天明4年
1784/01/
「秋日、深川に舟を泛ぶ
 深川一冨陵東 舟自仙台岸上通 洲渚縈回竜女廟 蒹葭隠見馮夷宮 金刀剖玉鯉為膾 白雪調絃酒満筒
 酔対芙蓉臨大海 暮潮平処秀晴空」
 〈洲崎弁天へ舟行。護寺院隆光の碑を見る〉
南畝集16
漢詩番号2919
一話一言巻23
⑤26
⑬373
文化3年
1806/07/27
「深川に舟を泛ぶ 海門叢泊珂峨頭 仙侶軽舟自在浮 色即是空空即色 野鴛鴦与一沙鴎」
「其の二 富陵春酒々家胡 時様如花当酒壚 自有素封遊子弟 笑他粗俗霍家奴」
「其の三 宛転歌喉不拘腔 水東詞曲竹枝風 残樽未尽余肴核 枕藉帰舟一葉中」
南畝集17
漢詩番号3313-5
⑤146文化7年
1810/01/
「舟にのりて深川へ行とて 宝船のり初もよし千金の富ヶ岡辺の春の一時病起」あやめ草
千紅万紫
②59
①229
「秋日、舟を泛べて深川の荘に到る。席上妓楽有り 仙台岸入半江陽 霜浅魚楓引野航 山水音添糸与竹 謝安遊賞未能忘」南畝集19
漢詩番号4082
⑤370文化12年
1815/09/
「四月三日、諸酒伴と同じく舟を深川に泛べ富岡に到る 第二橋東過第三 薫風鼓枻扇橋南 水村門巷誰家墅 満架藤花落石潭」
「其の二 富岡苔石度滄池 永代精籃鎮古祠 戯蝶深穿籬落去 尋芳猶繞牡丹枝」
「其の三 園池魚躍浪花円 径草氈平野蕨拳 欲買二軒亭上酔 双鬟打坐弄三絃」
「永代時の後園の牡丹
 春夏清和始啓門 名花争発給孤園 得窺千百重羅網 不似尋常老瓦 風暖錦窠臨水際 日長裙屐破苔痕
 殷紅一本慈恩寺 敢許移花転本根」
南畝集20
漢詩番号4360-3
⑤450文化15年
1818/04/03
「卯月三日、もろ人にいざなはれて舟にのりて深川のほとりにゆく
 千金の富が岡べの春すぎて夏の日あしも永き代のてら」
「牡丹をみて 先月の廿日草より山びらき牡丹は花の富が岡かも」
紅梅集②338文化15年
1818/04/03
「五日、舟を深川に泛ぶ 蒲節蘭舟競渡辰 閑心率意伴家人 病余非采三年艾 酔裏聊臨二水浜」
〈『孟子』離婁章句上「七年の病に三年の艾を求む」〉
南畝集20
漢詩番号4542
⑤502文政3年
1820/05/05
「三月廿三日、舟を泛べて富岡の後園に遊び、牡丹を看る
 海寺園庭倚竹欄 緑陰揺動小池瀾 姚黄魏紫先零落 残雪猶余白牡丹」
〈姚黄・魏紫ともに牡丹の名。欧陽脩「洛陽牡丹記」〉
南畝集20
漢詩番号4596
⑤518文政4年
1821/03/23