Top      浮世絵文献資料館 名物編
 
   名物編 【よ】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名物編〕大田南畝関係
  【吉原細見】(よしわらさいけん)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「吉原細見序
 にゐよし原の里は、大江戸の北にあり。巷は五ッにわかれ、堤は八町にきづく。花は千本を根ごぎにして、中の町の鉢植にし、月は最中の煎餅にして、きの字やの松陰にみる。雪はもとより豊年の、貢物より居つづけの、馴染の茶屋のおくり物、旨いかな/\。京大坂も支那(カラ)天竺も、みなぬか星のかすくらひ、この北辰にむかはざらめや   天あきらき七つのとし丁未初春」
巴人集②452天明7年
1787/01/
「【三谷伝来】吉原細見説
 此里ここにうつてより以来、延宝に吉原恋の道草ありて、浅草橋より大門口迄、軽尻駄ちんのあたへをしるせり。三人づれにて馬一疋は、塵劫記のりかへなど、土手ぶしにうたひしもおかし。元禄の吉原草摺引、宝永の吉原大黒舞、享保のはじめの丸鑑、これらは其名をしるすのみにあらず、其姿心ばへまであからさまに品定して、今みるがごとし。源氏の雨夜の物語、暁傘をかはせたる頃なるべし。其外にも両巴巵言は大人先生の筆をふるひ、洞房語園は庄司の家になれり。抑吉原細見は、はじめ横本なりしが、享保のなかばより唐紙表紙となり。明和の頃よりぞ小冊とはなれりける。(中略)御覧の通油町、五十間からはえぬきの、大木のかげ立よりて、からまる蔦や重三郎、田圃にあらぬ耕書堂、一子相伝秘伝中の秘説、とつくと細見あられませう」
四方の留粕①216天明7年
1787/