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   人事編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人事編〕    大田南畝関係
     (世相・流行・生業・見せ物・飲食等)
  【は】
事項詞書・詩歌出典巻・頁年月日
はかまぎ
袴着の祝
「袴着の祝に はかまぎの紐ながながと上下の朝の中なる蓬ともなれ」六々集②218文化11年
1814/11/
ばくち
博奕
「春日博奕 白魚のひとちよぼ一のあい手さへはるの物とてよきめうどなり」巴人集②395天明3年
1783/03/
ばくろう
博労
「高田の馬場にて博労どもの馬にのりて人に馬めせとすゝむるもおかしくて
 うま人の王孫公子銭なくてばくらうばかりかけや追ふらん」
紅梅集②315文化14年
1817/10/
はしか
麻疹流行
「戯れに時事を紀す 万家痧疹庸医忙 共説神符与秘方 唯有荊防敗毒散 升麻加減葛根湯」
〈『武江年表』四~六月麻疹流行。荊防敗毒散・升麻・葛根湯は漢方薬〉
南畝集13
漢詩番号2284
④262享和3年
1803/05/
はしため
端女
「放屁百首歌の中に おはしたの竜田が尻をもみぢ葉のうすくこくへにさらす赤はぢ」
〈『蜀山百首』①310『清好帖』⑳366〉
万載狂歌集①7天明3年
1783/01/
はちのき
鉢の木
「雪 目出たさの源左衛門はうづもれずいでその時の鉢の木の雪」めでた百首夷歌①79天明3年刊
1783/01/
はなあわせ
花合せ
「赤松連の狂士、ぞうしがやにて狂花合せし時【是雑司谷会式花合のはじめ也】
 遙見千家花便入、不論源氏与池坊とかきて
 なげ入の水際だって見へたるは花をいけずきむだをする墨」
〈雑司谷真乗院にて「狂歌投やり花合」あり“于時天明三年癸卯十月会式中也」(『栗花集』)〉
巴人集②420天明3年
1783/10/16
はなみ
花見
 花見 (別資料)
はなうり
花売り
「路に担を下す者を見る。一叢の水仙、束薪の如く然り。房州勝山より来たると云ふ。蓋し花戸に売与する者なり。因つて賦す 銀台簇々黄金盞 道是房州出勝山 桂代束薪玉投鵲 凌波仙子謫人間」南畝集13
漢詩番号2362
④284享和3年
1803/10/
はなもみじ
花楓(歌曲)
「花楓曲を訳す
 春花与秋葉 瓢散各有時 縦然□瓢散 不必厭風吹 雨打莫減色 鳥踏莫動枝
 芬芳如可歇 浄尽以為期」

「華紅葉曲 花ももみぢも散しほる、あるととてもちるなら、風にまかせてちれかしな、雨にしをれ サラヘ考ニ 枝にくちたは色もなや、鳥のふみしくなほつらや、露も花ににほひもさらりとしたがよいわいな」
南畝集12
漢詩番号1987
蘆の若葉
④169
⑧150
享和1年
1801/03/26
はねつき
羽根突き
「小むすめのはねつくを見て はこの子のひとこにふたこ見わたせばよめ御にいつかならん娘子」万載狂歌集①7天明3年
1783/01/
はやりうた
流行歌
(享和三年)
「此ころなにはより来れる新曲あり。その調にならひて、あづまにてもつくれるうたども、おますがうたへるをきゝて、こころみに新曲をつくりておくる
 七月はたなばた祭やくわんおんゑん日ぼん/\たひこ(太鼓)でけふあすばかりとはやします
 ことしの夏は浅草開帳誉田のよしみつあぶつてたゝれぬ人の山  杏花園
 又 此頃のはしかはくろまめあづきにいんげん葛の子をその外なんでもくはぬがよいといふ」
細推物理⑧367享和3年
1803/06/01
「此ころ白拍子のうたひものせるうたを三十一文字にかいつけ侍る
  おきせんを女房にもつてだんなへ今日はどちへお出なさりますといはせて見てへ
 わがせこはいづこへゆくといらつめをもとつめにしていはせてしがな
  正月は三河の万歳さつてもめでたう候ひけるとちやらりやぽんといはひます
 むつきには三河の千秋まざいどもあなめでたやとつゞみうつなり
  ふれ/\やれ宿入下馬先玄関前とのさまお馬でハイ/\さきのけわきよりやれハフイホウ
 うま人のみうまやいりぞやいつこもやいつこの手をふれやふれ/\
  かねをぐはん/\ちやん/\たゝいて仏になるならば神田鍛冶町のこらずほとけになるであろ
 かねうちて仏にならず千早振神田のゐもじみな仏かも
  こちのうらこは桐の木が卸座るさぞや鳳凰が来るであろイヽヤ下駄やのおやぢどの尤々
 わがやどの桐に来なくは唐鳥かいなくつて鳥たばらんと鳴
  たれ駕籠にくゝりつけたる挑ちんの紋はたしかにヽヽじやないかいな
 ともし火のかたまのあやもおぼつかなあをだの軒にくゝりつけたる
  へりふんだりへりふま(な)んだりへりふみへりふまず
 世中をへりふみ見たりへりふまずへりふみふまずあゆみぐるしき
 此外猶あまたあるべし。足引の山の手に老かゞまれるかたひ翁がうとき耳には、よくも聞わきがたし。浅みどり柳のはしのもと、春秋に富が岡べにすむ人ならでは」
細推物理⑧378享和3年
1803/07/
「(八月)十七日 此頃の新曲とてかたりしは
 こんの前垂松ばのもやうまつにこんとはわしや気にかゝる
  尤道理じや至極じやといふて下んすかわしやうれしヲゝとうなりとへ
 梅を兄とは桜がそしる花をちらすは嵐のとがよ雨は涙のかへ言葉
 此曲を新翻して 菊がわらへば紅葉がにらむ虫の鳴ねは霜夜のとがよ時雨はかよふ神無月」
細推物理⑧388享和3年
1803/08/17
ばんたろう
番太郎
「越中の番子
 越中犢鼻尻を破ること頻りなり 番士家に還りて総身を掻く
 木虱花の如く縫目に満つ 只今惟だ懐中紐有り

 「史記」司馬相如越中ふんどし一ッにて酒屋のみせさきにはたらくと云々。按帆かけ舟の如きふどしをいふ。長サ尺と云々。番士は番太郎の事。木虱「本草縫目」虱の条下ニ云、花見虱むづかゆく味香し、毒有り、貧士好んでこれを喰ふと。懐中紐は東都芝金杉より出る鍋屋の何某の秘方なり。詩の心はあきらかなり」
「番夜の作  高(カウ)直(チヨク)
 薬鑵の寒天独り氷らず 中番何事ぞ是相応 小僧今夜町内を廻る 酒代明朝又一升
 自身番のていをつくれり。くはしくは大屋裏住「年中行事」にみへたり。町入用の多きをなげく詩也。くはしくは白子屋をたづぬべし。シラアン」
通詩選諺解①488
①494
天明7年刊
1787/01/
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