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名前 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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まゆずみ 眉墨 | 「京町大文字屋に生立侍りしおさんといへるが、きさらぎ初午よりまゆずみと名を改めて、つき出しの君とめで侍りしかば | 巴人集 | ②393 | 天明3年 1783/02/09 |
たがそで 誰袖 | 「文字楼のうかれめたが袖、むつきのきぬの模様何よけんといひければ、万歳のゑぼし、つゞみ、あふぎに松葉ちらしたるかたよからんといひしに、はたしてその色目にさだめ侍りしときゝて | 巴人集 | ②423 | 天明3年 1783/12/ |
ちゅうさん 昼三 | 「昼三の古意(コイ) 衣裳錦(イシヤウキン) 昼三の座鋪二間(フタマ)に連なる 衣桁箪笥七宝の環 蒼妓(ヲイラン)縦横茶亭(チヤヤ)に過(ヨ)ぎり 雛妓(シンゾウ)絡繹として中町に向かふ 仏斗帳(トチヤウ)を開いて朝日を承(ウ)け 神鳥居を越して正一と称す 両側の茶屋争ふて簾を張り 一群の遊女共に櫛を挿す 遊女禿児(カブロ)大門の側(カタハラ) 象牙瑇瑁(タイマイ)万種の色 連子の窓の中(ウチ)合歓を作(ナ)す 袿衣(ウチカケ)松の上鳳翼を垂る 天水桶の棟天中に起り 水道尻の櫓雲外に直し 素見(スケン)相望みて相知らず 初会相逢ふて詎(ナン)ぞ相識らん 借問す烟を吹いて床柱に倚(ヨ)る 曾経(カツテ)年を切つて辛苦を度(ワタ)ると 色客と成るを得(ヱ)ば何ぞ貧を辞せん 金持と成らんことを願ふ瞽(メクラ)を羨まず 色客金持真(シン)に羨むべし 横去り代(ダイ)来りて君見へず 生憎(アナニク)や枕元箪笥を鳴らす 芸者壁を隔てゝ三線(サミセン)を調す 三線三下(サンサガ)り口舌(クゼツ)の如し 河東(カトウ)長歌(ナガウタ)豊後節 片々たる草履廊下を過ぎ 鎮々たる鉄棒(カナボウ)深夜に入る 深夜顔白うして閨中より出づ 文を書き客に頼みて情一(イツ)にあらず 通人の脂(ヤニ)下り鉄煙管(エンクハン) 遣手(ヤリテ)の笑顔金百匹(ハクヒツ) 浅茅が原の中(ウチ)から烏夜啼き 大音寺前雀栖(ス)まんと欲す 隠々たる朱門六郷の邸(ヤシキ) 遙々たる土手八町の堤 声を発し駕を飛ばす東叡の北 舟を借り堀に入る聖天の西 倶(トモ)に邀(ムカ)ふ船宿提灯の火 倶に往く簑輪金杉の蹊(ミチ) 簑輪の芋売地廻(ヂマハリ)の群(グン) 鼻歌一たび転じて口紛々 田町夜夜(ヤヤ)人穂の如く 段畝(タンボ)朝々(テウ/\)駕雲に似たり 段畝田町山の宿(シユク)に連なり 五十間道山谷を控(ヒ)く 衣紋坂の裾地を払ふて垂れ 夜見世の灯(トモシビ)天に映じて煜(カガヤ)く 全盛の大尽(ダイジン)三度来(キタ)る 牽頭(タイコ)の頓作若い者の盃 内証の痛事君が為に献じ 座鋪の揔花(ソウバナ)君が為に開く 別に屋形の浅黄と称するあり 裏を約し日を極めて相忘れず 湿深(シツブカ)由来麹室(カウジムロ)を欺き 夜中決して女郎を寐せず 千金満々是豪傑 居続(ヰツヅケ)悠々坐(ヰ)ながら湯に入る 自ら言ふ二度明月を諾(シマ)ふと 自ら謂ふ識初(シキゾメ)衣裳を遣ると 節句物日相待たず 花見灯籠俄頃(ニハカニ)改まる 昔時(ソノカミ)紀文(キブン)奈良茂(ナラモ) 只今惟(タダ)見る高名の在ることを 寂々寥々たり宗匠の居(キヨ) 年々歳々歳旦(サイタン)の書 独り連中評物(ヘウモノ)の開き有りて 巻去り巻来たりて人の儲(タクハ)へを待つ」 | 通詩選 | ①435 | 天明4年刊 1784 |
ゆうじょ 遊女 | 「遊女賛 まことはうその皮、うそはまことのほね。まよへばうそもまこととなり、さとればまこともうそとなる。うそのまことの中の町、まよふもよし原、さとるもよし原 | 四方のあか | ②110 | 天明8年刊 1788/ |
かすがの 春日野 みやと 宮戸 | 「火炎玉屋といふ青楼にて 「春日野といへるうかれめ 「宮戸といふうかれめ | あやめ草 | ②78 | 文化7年 1810/07/ |
遊女 | 「逢恋 | 放歌集 | ②190 | 文化9年 1812/05/ |
ちょうたゆう 長太夫 | 「岡本楼の遊女長太夫が部屋の額に | 六々集 | ②216 | 文化11年 1814/11/ |
がのじ 我の字 | 「松前のうかれめを名づけて我の字といふ | 七々集 | ②294 | 文化13年 1816/01/ |
かつま 花妻 おおい 大井 | 「遊女花妻が竹の画に 「遊女大井がかける山水に | 七々集 万紫千紅 | ②259 ①290 | 文化12年 1815/09/ |
たゆう 太夫 つじぎみ辻君 | 「大夫に辻君 | 巴人集拾遺 | ②497 | 文政2年 1819/ |