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     人事編【し】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人事編〕  大田南畝関係
  【酒色財】(しゅしょくざい)
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「酒色財
 一休は児を若俗とよび、ある人役者を男傾城と名づけて老年の楽とせり。むべも日月江海のでんぼうに風雷鼓板のしやぎりとは、天地一大劇場の中に、乾隆の座元の名言なるべし。又あし引の炬燵に伽羅をくゆらせ大夫とふたりかもねんとは、油烟斎言因のうたにしえ、小傾城ゆきてなぶらんとは、晋子が師走の廿日比よりみせを引たる内証の遊びならん。すべて劇場青楼の楽は、老少となく雅俗となく此上やあるべき。されど難波の西鶴が、野郎翫びはちりかゝる花の前に狼のねてゐるごとし、傾城になじむは入かゝる月の前に挑灯のない心ぞかし、と好色一代男に書しもことわりなり。さて又儀狄とやらんがはじめてつくれる狂水といふものこそおかしきものなれ。上戸はおかしく罪ゆるさるゝものなりと、双が岡の色法師もいひ、盃ははかりなし乱酒は御無用と、親父もの給ひ、五戒の中でも遮戒とやらと、すこしことばの濁りしより、その糟をくらひそのしるをすゝるものすくなからず。されど此酒色のふたつも財といふものなくてはその楽を得がたし。思ふ事ふたつのけたる其あとは花のみやこも田舎なり、と芭蕉の翁も申され、三不惑と口ぎれいなる唐人の寐言も心もとなし。その財を生ずるに大道あり。食ひものは小勢でくひ、仕事は大勢でせよ。これを用るもの舒(シヅカ)なる時は財つねに不足なしと大学にみえ、民生は勤るにあり、かせぐに追ひつく貧乏なしと左伝にのせしもこゝらあたりなるべし。ながはくは金の番人守銭奴とならで、酒色のふたつもほどよく楽まば、五十年も百年にむかひ、百年も千代よろづ代の心地なるべし
 千早振神代のむかしおもしろいことをはじめしわざおぎの道
 全盛のきみあればこそ此さとのはなもよし原つきもよし原
 世中はいつも月夜に米のめしさて又まうしかねのほしさよ」
千紅万紫①248文化8年
1811/11/