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     人事編【か】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人事編〕  大田南畝関係
  【顔見世】(かおみせ)
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「辛丑の顔見世を記す 中村座  〈外題「四天王宿直着綿」〉
 花顔見世四天王 宿直着綿路孝娘 秀鶴三升互譲坐 吉治万菊共凝粧 中村里近門之助 尾上松高宗十郎
 乙女姿随晩風去 板東一藝満金箱」

「森田座  〈外題「荘雪三吉野」〉
 雪飛芳野吹廻春 二蓋笠蓑何処民 独古遥鳴谷十町 中車引出坂三津 山科無恙四郎拾 尾上兼看一両人
 木挽市紅初日暁 夜嵐声入此松新」
檀那山人
藝舎集
①454天明1年
1781/11/
「霜月ついたち芝居のかおみせの比、過し神無月廿八日のあした火ごとありて、二丁目とも灰燼となりし事を思ひ出て やけ原の霜月とこそなりにけれ面目灰にまぶす顔見世」巴人集②421天明3年
1783/11/01
「顔見世 積物積て山の如し 挑灯挑(カカゲ)て暁に至る 矢倉太鼓の声 金落ること知んぬ多少ぞ」壇那山人
藝舎集
①458天明4年刊
1784
「春日亀楼詠初芝居狂歌序  大塊われにとふていはく、われ汝に形をかす事久し(以下略)
 顔みせが周の春なら正月は初芝居かの時をおこなへ」
四方のあか①159天明8年刊
1788/01/
「卅日 けふは戯場顔見せの前夜なり。堺町中戸楼につどはんとて、柳長・柳枝・医生某とゝもに飲む(中略)戯に大尽舞の歌にならひて、つくれるうた
 そも/\芝居のはじまりは、庭舞せうだい新舞(天照大神)歌舞しやく(癇癪)にて、あま能移はとに入給ひ、とこやみの世となりし時、かの当知歌楽を(手力雄)の暫にて、切まくさつとあけわたる、翁わたしの三番叟、かぐらの拍子はおもしろや
 ホヽ大尽柱を見さいな、その次のはしらには、そもかほみせのはんじやうは、ちとせもさかへさかい町、けふ春風のふきや町、又御ひいきのこびき町、梅さく花の大名題、一番太鼓のひびきにや
 ホヽ大尽ばしらを見さいな」
細推物理⑧396享和3年
1803/10/30
「(葺屋町顔見世)市川のながれ絶ずして、成田の玉苗生ひ出しは、反古庵の孫、いづみやの子、暫の弁、懸河のごとし
 母の名のすみからすみまで御ひゐきをたのみますますみます顔みせ」
細推物理⑧398享和3年
1803/11/24
「(文化九年、顔見世狂言の詠)  〈石塚豊芥子編『街談文々集要』所収〉
 四天王随市川のしばらくは篠塚伊賀のかみ方になし  暫といふ一ト声大地震なまず坊主や驚ぬらん
 第一番大詰、成田山不動尊霊像、市川団十郎 近くよつて拝せんものはさし出しの蝋に成田屋不動明王
 同脇立、勢多迦童子、岩井半四郎 我先とせきに勢多迦木挽町ひゝやひゐきの人の大和屋
 同脇立、矜迦羅童子、松本幸四郎 誰も見にこんがら童子松本のにしきの升にはかる大入
 大薩摩源太夫に贈る せり出しの上るり太夫 大ざつま其源の太夫どの水戸より来る江戸の貌見勢」
追補二
(狂歌等)
別p102文化9年
1812/11/
「ことしの顔見せ堺町は立形多ければ男湯とよび、木挽町は若女形多ければ女湯といふ。葺屋町は嵐三五郎ふあたりにてしまひしのちは顔みせなし。故にあざみて薬湯ともいひ、又は水ぎれにて休ともいふ
 女湯も男湯もある世中に足の病はいかゞくすり湯」
七々集②273文化12年
1815/11/
「玉川彦十郎座の顔みせ狂言の名題、四天王産湯玉川ときゝて
 狂言もあら玉川の初湯とて朝からはいる周の代の春」
「ことしの新芝居、玉川座にて市川流の暫をやつして第二番目にせしもうとましくて
〈二番目「白猿十三回忌追善」「暫」〉
 いにしへの津内治兵衛が狂言の峠のしみづぬるむしばらく
 今のしばゐのものども峠の清水といふ事をしるやしらずや」
紅梅集②356文政1年
1818/11/01
「霜月朔日によめる 三しばゐ顔見せ芝翫なしとてもかまは猿若玉河原崎」紅梅集②378文政2年
1819/11/01/
「ことしの顔みせの番付をみれば、松本幸四郎の名、京四条と河原崎と市村座にあるもおかしくて
 顔みせの名は三韓の高麗屋京の四条と江戸両芝居」
「顔みせは三軒とはじめたれど一向に評判なし
 顔みせは三軒ともにはじめてもあら計にて見どころはなし
 大江戸になにはのあしのみだれ入市川流もたへてしばらく」
あやめ草②92文政4年
1821/11/