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   人物編Ⅱ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅱ〕   大田南畝関係
      (神話・伝説・故事・歴史上の人物)
  【さ】◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
さいぎょう
西行
 西行 (別資料)
さいとう さねもり
斎藤 実盛
「斎藤実盛の墓【武蔵州豊島郡橋場邑法源字に在り】
 落落長松百丈高 清風日夜捲飛涛 断碑唯有青苔色 不似当年錦繍袍」
南畝集5
漢詩番号0962
③330天明1年
1781/閏5
さいゆう
蔡邕
「蔡伯喈、郭有道の碑本を観る
 蔡邕無慙有道碑 先生明哲有誰知 何唯百世伝芳烈 浩々汪々不可期」
〈後漢・蔡邕曰く、碑銘を多作したが「郭泰碑」だけは「恥じるところなし」と〉
南畝集20
漢詩番号4512
⑤494文政2年
1819/11/
さかのうえのこれのり
坂上 是則
「坂上是則 是則がまだめのさめぬ朝ぼけに在明の月とみたるしら雪
 本歌 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れるしら雪」
狂歌百人一首①330天保14年刊
1843/08/
さがみ
相模
「相模 うらみ佗ほさぬ袖だにあるものを此四五日は雨の日ぐらし
 本歌 うらみわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそをしけれ
狂歌百人一首①335天保14年刊
1843/08/
さきのだいそうじょう
ぎょうそん
前大僧正行尊
「前大僧正行尊 眼と口と耳と眉毛のなかりせばはなより外にしる人もなし
 本歌 もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし
狂歌百人一首①335天保14年刊
1843/08/
さきのだいそうじょう
じえん
前大僧正慈円
「前大僧正慈円 この広い浮世の民におほふとはいかい大きな墨染の袖」
 本歌 おほけなくうき世の民におほふかなわが立つ杣にすみぞめの袖
狂歌百人一首①338天保14年刊
1843/08/
さきのちゅうなごん
まさふさ
前中納言匡房
「前中納言匡房 高砂の尾上のさくら咲きにけりこゝからなりとみつゝのまばや
 本歌 高砂の尾の上の桜咲きにけり外山のかすみたたずもあらなむ
狂歌百人一首①336天保14年刊
1843/08/
さきょうのだいぶ
あきすけ
左京大夫顕輔
「左京大夫顕輔 顕輔がうつゝぬかして雲まよりもれいづる月の影に仰むく
 本歌 秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月のかげのさやけき
狂歌百人一首①336天保14年刊
1843/08/
さきょうのだいぶ
みちまさ
左京大夫道雅
「左京大夫道雅 今はたゞ思ひ絶なんとばかりを人伝ならでどをぞいひたい」
 本歌 いまはただお思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな
狂歌百人一首①334天保14年
1843/08/
さの げんざえもん
佐野源左衛門
「雪 目出たさの源左衛門はうづもれずいでその時の鉢の木の雪」めでた百首夷歌①79天明3年刊
1783/01/
さるまる の たいふ
猿丸 大夫
「猿丸太夫 なく鹿の声聞たびに涙ぐみさる丸太夫いかい愁たん
 本歌 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」
狂歌百人一首①327天保14年刊
1843/08/
「徳本和尚遷化ときく【十月七日といへども実は九月廿二日となん。九日の葬礼人多くつどへり】
 念仏の徳本和尚かきのこす南無阿弥陀仏一行の院
 名蓮社号誉上人、称阿弥陀仏徳本行者。遷化十月七日といへども実は九月廿二日となん。九日の葬礼人おほくつどへり」
一簾春雨⑩487文政1年
1818/09/22
さんぎたまむら
参議篁
「参議篁 ここまでは漕出けれどことづてを一寸たのみたい海士の釣舟
 本歌 わたの原八十島かけて漕げ出でぬと人には告げよあまの釣舟」
狂歌百人一首①328天保14年刊
1843/08/
さんぎひとし
参議等
「参議等 徳利はよこにこけしに豆腐汁あまりてなどかさけのこひしき」
 本歌 浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
狂歌百人一首①331天保14年刊
1843/08/
さんぎまさつね
参議雅経
「参議雅経 衣うつ音にびつくりめをさましところで一首つゞる雅経
 本歌 み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり
狂歌百人一首①338天保14年刊
1843/08/
さんじょういん
三条院
「三条院 友もなく酒をもなしにながめなばいやになるべき夜はの月かな」
 本歌 心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべ夜半の月かな
狂歌百人一首①335天保14年刊
1843/08/
さんじょうの
うだいじん
三条 右大臣
(藤原定方)
「三条右大臣 三条の右大臣なら前にゐる河原の左大臣はなじみか
 本歌 名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよくもがな」
狂歌百人一首①330天保14年刊
1843/08/