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   人物編Ⅰ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
 (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【よ】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
よくさんんじん
慾山人
「豊島屋のあるじがうたに、(屋号=カギジフ)の家内の外は世の人の下戸ならぬこそをのこはよけれ、とかきて慾山人とたはれ名書けるに
 しろざけのうれる間は世の人の下戸ならぬこそをのこはあしけれ」
万紫千紅①275文化11年
1814/
よしぎく
よし菊
「よし菊といへるもの雄竜雌竜の身ぶりをするをみて
 脇の下から火のもゆる竜の顔お竜め竜は何の雲なし」〈身振り師か〉
放歌集②186文化9年
1812/03/29
よしざわ あやめ
吉沢 菖蒲
「芳沢菖蒲をあやめの真久良とよび侍るとて
 かきながす筆のあやめのまくらがみゆかしきこえによし沢の水」
巴人集②412天明3年
1783/07/
よしだ らんこう
吉田 蘭香
「長月廿日、吉田蘭香のもとにてはじめて市村家橘にあひて
 よい風が葺屋町から来る客は今宵の月をめでて太夫元」
「けふなん中興全枝半太夫が三回の忌日なりとて、原夏若の三味線にて家橘半太夫をかたりければ
 半太夫もとをわすれぬ一ふしもけふきく月のはつかにぞしる」
「をなじく夏若の三味線にて誌仲の源平兵揃蓮生道行の段をかたりけるに、とりあへず太夫元の舞出ければ
 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはものぞろへ
 返し 市村家橘 はじめての連中様へ蓮生の道行かゝりさてもめいわく」
「東牛斎にて布留糸道のさみせんにあはせて誌仲といへる翁、源平つはもの揃蓮生道行の段をかたりけるに、橘大夫舞ければ
 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはもの揃」 (徳和歌後万載集)
〈画家吉田蘭香(東牛斎)の許にて、全枝半太夫(三代目江戸半太夫・天明元年没)の三回忌。原夏若(布留糸道)の三味線で、誌仲「源平兵揃蓮生道行の段」を語り、市村家橘(九代目羽左衛門・橘太夫元家)が舞う。濱田義一郎著「『蜀山人判取帖』補正」に「千年/\三千年/\是は目出度き寿命糖八十四翁誌仲」とあり、天明三年当時八十四歳。赤良の注は「八百屋隠居」とする〉
巴人集
徳和歌後万載集
②418
①33
天明3年
1783/09/20
「大草屋しきの袖すりの松見のもとにて、吉田蘭香・布留糸道・橘太夫元家など酒のみけるに、あるじの庭ちかき一本の松の大きなるを袖すり松といへるよしをきゝて、かの太夫はいかいのほく、肌寒さ袖すり松にわすれけり、といふをきゝて
 橘のかほりをそへて袖すりの松も太夫の昔わすれじ」
巴人集②420天明3年
1783/09/21
よしだ りえん
吉田 李園
「吉田李園翁を祝することば おほよそ忠臣は孝子の門にもとむとかいへれど、忠孝ふたつながらまたくする事かたしとなん。(中略)ことし天明六とせ、ふたゝび錦をきさらぎの比、もとのごとくめしかへされ給ひしは、まことに忠をかね孝をそなへて、二なきものの鑑なるべし。やつがれすでに先生をしり、また其子をしれり。其子よくその道えおつたへて、かたはらざれ歌をこのむ。よりていさゝか、たゝへごとをのべてその子にしめす。猶おやのおやのふみわけ給ひし道筋をたがへず、子の子の末をみちびきける先達にたち給へかしといふ事しかり
 たちかへり李の園の花みればもゝの禄まで其中にあり」
〈新古典大系84『四方のあか』の注は節藁中貫の父とする〉
四方のあか①168天明8年刊
1788/01/
よものうたがき
四方歌垣
 狂歌堂 (別資料) (鹿津部真顔・狂歌堂・北川嘉兵衛)