| | |
| | |
(浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物) |
人名 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 | |
---|---|---|---|---|---|
たいしょかんそれなり 大暑寒 其成(狂歌) | 「川崎のわたし場にすめる大暑寒其成 | 玉川余波 | ②143 | 文化6年 1809/03/13 | |
たかしまや おひさ 高島屋 お久 | 「高嶋久娘の図に題す | 南畝集9 漢詩番号1865 | ④130 | 寛政5年 1793/07/ | |
たがそで 誰袖 (遊女) | 「文字楼のうかれめたが袖、むつきのきぬの模様何よけんといひければ、万歳のゑぼし、つゞみ、あふぎに松葉ちらしたるかたよからんといひしに、はたしてその色目にさだめ侍りしときゝて | 巴人集 | ②423 | 天明3年 1783/12/ | |
たかはし かげやす 高橋 景保 | 「高橋氏を賀す | 南畝集18 漢詩番号3887 | ⑤312 | 文化11年 1814/03/ | |
たかはね の おどり 高羽子 雄鳥(狂歌) | 「はまべ黒人、車井長綱、高羽子おどりなど伴ひて、鼠山に茸狩にまかりて雨にあひて | 狂歌才蔵集 | ①42 | 天明7年刊 1787/01/ | |
たきみずのこめんど 滝水 米人(狂歌) | 「滝水米人ひさしく行脚してかへらざりしが、ことし長月十九日、さぬきのくに善通寺村より備中のくに玉島にわたらんとするに、心地あしくてつゐに善通寺村にて身まかれるよしをきゝて 蓮のみの酒やくむらんさかづきのこめんどうなる世をばいとひて 滝水の音はたえてもたかどのゝ名こそ四国に猶きこえけれ」 | 紅梅集 | ②356 | 文政1年 1818/09/19 | |
たくみのはしら 内匠 はしら(狂歌) | 「寄柱祝 【内匠はしら会】 「内匠はしらがもとにて柱によする祝といふ事を | 巴人集 徳和歌後万載集 | ②396 ①29 | 天明3年 1783/02/ | |
「土佐の麻衣報条 (前略) 源氏十二段といへる物語に、浄瑠璃御前の事をのべしよりこのかた、源氏をあらためて浄るりとよべるとぞ。むさしのゝひろきおほんめぐみしげく、角田川の水ひとがびすみしより、太平の代をうたひ物せし、江戸節の元祖を筑後といふ。其子虎之助受領して土佐少掾橘正勝といふ。これよりその流れ千すぢにわかれ、岷江の底なきがごとし。今其源にさかのぼれる内匠はしらふかくこの道にふけりて、受つぎし家の風をあまねく世にも吹きつたへんと、ふたつの国の橋ほとり、万代の亀屋のてふ高どのに、波のあやつりをりからの興をそへ、柳の糸道長き日のなぐさめとなさんとす。かゝれば花の江戸に有としある人、八百八ちまたにすむ人、あづまにしきゑいとう/\、朝はとうからつどはざらめや」 | 四方の留粕 | ①215 | 未詳 | ||
たけもとすみたゆう 竹本住太夫(浄瑠璃) | 「石町の竹本住太夫を訪ひて | をみなへし | ②18 | 天明2年? 1782/? | |
「竹本住太夫難波に帰へるなごりに、新うす雪物語刀鍛冶の段をかたるえおきゝてよみてつかはしける | 万載狂歌集 | ①10 | 天明3年刊 1783/01/ | ||
「竹本住太夫が浪華に還るを送る 今宵忽ち三重の別を作す 調子茲より逢ひ易らず」 | 壇那山人藝舎集 | ①462 | 天明4年刊 1784/03/ | ||
たけもとつなたゆう 竹本綱太夫 | 「(両国橋の舟がゝりにて)川風遠く吹はらへども(綱太夫)の声のあざやかにきこへる事、げに太夫は太夫なりけりと思ふ。あまりのうれしさに、歌よみ、短冊にかきて贈らんとするに、筆墨なし。おます(芸者)がふところにもてる紅筆して、かきをくれり おしいたゞきてよろこぶさまみゆ」 | 細推物理 | ⑧370 | 享和3年 1803/06/11 | |
たけもとはるたゆう 竹本春太夫(浄瑠璃) | 「さつきの末、堺町豊竹肥前掾座のあやつりみにまかりけるに、竹本春大夫一世一代の名ごりとて、ひらがな盛衰記むげんのかねの段をかたるをきゝ侍りて | 巴人集 | ②409 | 天明3年 1783/05/ | |
たけもと まさたゆう 竹本政太夫(浄瑠璃) | | ||||
たけもと やえたゆう 竹本 八重太夫(浄) | | ||||
ただ きえん 多田 季婉 | 「田氏の季婉に寄す。季婉、詩を善くす 靚粧応是嫌脂粉 錦字何妨織色糸 自識美人彤管 投来為我寄新詩」 「多田氏、名は順。字は季婉。佐野源内に嫁せる者。一子を生む。名は成之、字は子信。源内、越後黒川侯【柳沢氏】に仕へ、世子の傅と為る。~(安永五年秋没)成之、吾が友井伯秀に従つて遊ぶ。故に此の集を伯秀の所に得たり。安永戊戌仲夏」(『蜀山文稿』戊戌は安永七年⑥164) | 南畝集1 漢詩番号0110 | ③36 | 明和9年 1772/07/ | |
たちばなたゆう もといえ 橘太夫 元家(狂歌) | | ||||
たにかぜ 谷風 (相撲) | 「すまひ人谷風梶之助【与四郎】身のたけ(欠字)力つよくして、ひとたびもまくる事なし、浅草蔵前八幡の社内にて、すまひありし時、小野川久米蔵にはじめてまけたり。時に天明二年寅三月二十八日の日なり | 俗耳鼓吹 | ⑩22 | 天明2年 1782/03/28 | |
「すまひ人谷風梶之助によみてつかはしける | 万載狂歌集 | ①9 | 天明3年 1783/01/ | ||
「角觝夫谷風の図に題す | 南畝集6 漢詩番号1256 杏園詩集続 | ③432 ⑧82 | 天明5年 1785/03/ | ||
たに の おとみず 谷 音水(狂歌) | 「谷水音が新宅をことぶくことば 谷水音くれ竹のよつやのさとにやどりをうつし、もろ人のたはれうたをもとむ。やつがれおほけなくもかんつよのことばにならひ、そのむろほぎをなしていはく、ついたつるはしらは、これつちぬしのみこゝろのひろきなり。とりたつるみそか/\は、これ家ぬしのみこゝろのまに/\なり。とりあぐるたるきは、これ大きなる絵筆なり。とりまける腰張は、これいろどれる絵具なり。とりしく畳は、これあるじのへりくだれるかたちなり。とりふくやねは、これあるじの思ひあがれる芸なり。四谷は竹町なり。くれ竹のよつやの里に、大三輪のながれをくめる絵師たち、花のお江戸に木の根草はもよく物いふ戯れともだち、かくほぎをはりて、ひたのみにのみ、ただうたひにうたふ。そのはなうたのはしつかたに、いさゝかほうかぶりし侍るはや 「四谷竹町の新宅の祝ふとて | 四方のあか 巴人集拾遺 | ①151 ②473 | 天明5年 1785/ | |
たに しちざえもん 谷 七左衛門 | 「谷氏に朝顔の花みしに、さつまといへるたねの花ことにうるはしければ | 南畝集 二十 | ⑤459 | 文政1年 1818/07/ | |
たに ぶんいち 谷 文一 (画家) | 「弥生九日、人の来て、よべ谷文一身まかりしといふ。その夜の暁のゆめにその人をみて | 紅梅集 | ②330 | 文化15年 1818/03/09 | |
たに ぶんちょう 谷 文晁 (画家) | 「暮春廿日、谷文晃諸友に約して古画を南泉寺に展観す | 南畝集14 漢詩番号2439 | ④310 | 文化1年 1804/03/20 | |
「写山楼の祝に | 巴人集拾遺 | ②491 | 文化13年 1816/ | ||
たまだれ の みすじ 玉簾 三筋 (狂歌) | 「玉だれのみすぢのがりまかりしに、草いとたかうしげりければ | 巴人集 | ②421 | 天明3年 1783/10/ | |
たまみず の すだれ 玉水 簾 (狂歌) | 「音羽町玉水簾のもとに養老の滝の白玉扇をひらきて | 放歌集 | ②201 | 文化9年 1812/08/ | |
たる よざえもん 樽 与左衛門 | 「巨猾某氏自尽すと聞く【甲戌除夕の前】 「又 | 南畝集19 漢詩番号3948-9 | ⑤334 | 文化12年 1815/01/ |