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   人物編Ⅰ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
 (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【し】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
じおうぼうたるつぐ
地黄坊 樽次
「題地黄坊樽次墓石摺 大師河原戦 年代識慶安 池上底如泯 六位大酒官」紅梅集②342文政1年
1818/06/
しかつべ の まがお
鹿津部 真顔
 鹿津部真顔 (狂歌堂)(別資料)
しきてい さんば
式亭 三馬
「式亭三馬、閏正月六日身まかりしときヽて
 ゆくものはかくのごときか江戸の水流れて三馬駟馬も及ばず
 本町二丁目にて江戸の水といふものをひさげばなり」
あやめ草②98文政5年
1822閏01/06
じぐち の ありたけ
地口 有武
「冬日、万年君・文竿子・祝阿弥と同く三百坂に宴す。河東を聞く
 河東の一曲弦歌に合す 文句文竿祝阿を感ぜしむ
 賓主の礼儀三百坂 万年の歓楽此中多」

〈『蜀山人判取帖』山手白人の注に「布施弥二郎住三百坂」とあり。これは山手白人の主催の宴。通称布施弥二郎、幕府勘定留役。万年は「留役方」万年市十郎か(『よしの冊子』天明九年一月記事参照)文竿は地口有武、『蜀山人判取帖』に「星野瀬兵衛号文竿駿河台ぬひ女同人妻」。祝阿弥は洲崎料亭望汰蘭の主人升屋惣助)この日のことは『俗耳鼓吹』⑩52に見える〉
壇那山人藝舎集①472天明1年
1781/10/17
「山手白人・あけらかん江・地口有武などゝ同じくすみ田川に舟逍遙し侍りし時、おちよ・おとせといへる二人のしら拍子の今様うたふをきくに、 野辺の若草むすぼんことを、いなか風とて花染ちらし、梅のかほりのつんとして、姫御前の身のつまからげ、ほんに気まゝなうき世わたりは、うれしからふじやないかいな、といふをきゝてよめる
 此比のいなか風とてもはやす狂歌に心のべの若草
 けふの舟うれしからふじやないかいな隅田川原のうき世わたりは」

〈『蜀山人判取帖』にも「卯月廿二日山手白人のあそのすみだ川へ舟逍遥し給日」とあり〉
巴人集②402天明3年
1783/04/22
「酒上不埒・地口有武などゝ、むかふ島むさしやのもとにてさゝげをよめる
 初物をささげし膳にむかふ島是も十六むさしやが見せ」
巴人集②410天明3年
1783/06/
しちゅう
誌仲
「長月廿日、吉田蘭香のもとにてはじめて市村家橘にあひて
 よい風が葺屋町から来る客は今宵の月をめでて太夫元」
「けふなん中興全枝半太夫が三回の忌日なりとて、原夏若の三味線にて家橘半太夫をかたりければ
 半太夫もとをわすれぬ一ふしもけふきく月のはつかにぞしる」
「をなじむしろにて、誌仲千年/\の一ふしをかたりける。年は八十あまり四つとかや
 めづらしい事にせんねんせんねんをさみせん年のためしにぞひく」
「をなじく夏若の三味線にて誌仲の源平兵揃蓮生道行の段をかたりけるに、とりあへず太夫元の舞出ければ
 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはものぞろへ
 返し 市村家橘 はじめての連中様へ蓮生の道行かゝりさてもめいわく」

「東牛斎にて布留糸道のさみせんにあはせて誌仲といへる翁、源平つはもの揃蓮生道行の段をかたりけるに、橘大夫舞ければ
 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはもの揃」 (徳和歌後万載集)
〈画家吉田蘭香(東牛斎)の許にて、全枝半太夫(三代目江戸半太夫・天明元年没)の三回忌。原夏若(布留糸道)の三味線で、誌仲「源平兵揃蓮生道行の段」を語り、市村家橘(九代目羽左衛門・橘太夫元家)が舞う。濱田義一郎著「『蜀山人判取帖』補正」に「千年/\三千年/\是は目出度き寿命糖八十四翁誌仲」とあり、天明三年当時八十四歳。赤良の注は「八百屋隠居」とする〉
巴人集
徳和歌後万載集
②418
①33
天明3年
1783/09/20
しゃらくさい
洒落斎
「洒落斎がかひの国にまかるときゝて 酒折のつゞらおりなる山道をゆくや躑躅もひともしの頃」
〈酒折(サカオリ)は山梨の地名〉
巴人集甲辰②435天明4年
1784/02/
しゅうげつ
舟月
「舟月玉山が雛のうた むさし野の原舟月にすべらぎのみやこどりかも玉山の雛」六々集②228文化12年
1810/02/
しゅくあみ
祝阿弥
「食厨喰日  祝阿弥
 三月四日望汰台 少年多興客を迎る盃
 人情共に酔中の旬を願ふ 乞ふ何卒午の時より来れ
 升亭に至る
 四日遠方赤良を求む 今春三度高堂に会す
 独り憐む京国の人難義せられて 鴻の池の水髻(ハケ)の長きに似ず
 祝阿弥唐詩選七絶第一章に擬へて贈らる、予第二章に擬へて以て和韵に代ふ」

〈祝阿弥は洲崎の料亭「望汰蘭」の主人。この日のことは『三春行楽記』⑧36に記事あり〉
壇那山人藝舎集①458天明2年
1782/03/04
しゅんしょう
春章(勝川)
「悦喜(ゑつき)
 襟碧りにして顔逾(イヨイヨ)白く 袖長(ナガ)うして裾蹈(フ)まんと欲す
 春章看(ミスミス)又画す      何れの子が是れ目好(メズキ)
 春章 つぼやの人也。但あは雪とは同名異物なり。一説、いづれの子とは、
 どこのおひめ様という事。然らばいろ事ではねへじやァねへじやァねへか」
通詩選笑知①418天明3年刊
1783
じょうるりたゆう
浄瑠璃大夫
「浄るり太夫 よくきけば不忠不孝の相対死しかつべらしくかたるますらを」放歌集②190文化9年
1812/05/
しょうしょうけん
小松軒
「小松軒が大草のかくれ家を訪ひて 山中にひきこもりたる小松やと思ひの外に大草の庵」
〈小松百亀『判取帳裏書』に「小松屋三右衛門。飯田町中坂薬舗住。大草屋舗」〉
巴人集②399天明3年
1783/04/
しょくさんじん
蜀山人
「蜀山人/\とにせ筆の多ければ 書ちらす筆は蜀山兀として阿房の出るにた山師ども」七々集②294文化13年
1816/01/
しらたま
白玉 (遊女)
「此比二丁目五丁目の風説をきゝて、例の江戸わらんべの落書に
 玉に熊白と黒との色事もつもれば恋の山口巴
〔欄外。遊女白玉と藝者おくま山口巴屋より喧嘩の沙汰あり〕」〈蜀山人の落書にあらず〉
紅梅集②375文政2年
1819/09/