(浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物) |
人名 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 | |
---|---|---|---|---|---|
ながはし とうげん 長橋 東原 | 「長橋東原書画の会に断申遣すとて 東原は神田紺屋町二丁目、牛王を出す家なり」 | 放歌集 | ②161 | 文化8年 1811/07/ | |
「東原子のもとにのろま狂言をみて【十月十七日】 | 七々集 | ②267 | 文化12年 1815/10/17 | ||
なかむらうたえもん 中村歌右衛門三世 | | ||||
なかむら かんざぶろう 中村 勘三郎 | 「霜月廿あまり四、とひくる人に 中村勘三郎、中村少長、紀州熊野の人、三線の師とともにきたれるなり」 | をみなへし | ②52 | 文政5年 1822/11/24 | |
なかむら さんこう 中村 三光 | 「中村三光難波より下るときヽて | をみなへし | ②52 | 文政5年 1822/11/ | |
なかむら じゅうすけ 中村 重助 | 「中村重助、表徳を故一といふ。いまだたいめせざるに、せうそこして、折もあらば相見ん事をねがふ事などいひおくれるに、そのゝちたづね侍りて 返し 中村故一 いちもつの鷹がござつた酒の君四方のあから門に入ふと 面白い事をはやらせ給ふかなわれらも狂歌よもの門人」 「中村故一、狂名を歌舞伎たくみとつき侍りければ 「歌舞伎のたくみが庭に二もとの竹あり。三木蔵といへる俳優のおくれるなりときゝて | 巴人集 | ②408 | 天明3年 1783/05/ | |
なかむらしょうちょう 中村 少長 | 「霜月廿あまり四、とひくる人に 中村勘三郎、中村少長、紀州熊野の人、三線の師とともにきたれるなり」 | をみなへし | ②52 | 文政5年 1822/11/24 | |
なかむら とうぞう 中村 東蔵 | 「中村東蔵によみておくる | 放歌集 | ②185 | 文化9年 1812/03/29 | |
「中東七月八日を以て死と聞くなり、之を追む | 巴人集拾遺 | ②491 | 文化13年 1816/07/08 | ||
なかむら なかぞう 中村 仲蔵 | 「中村仲蔵をかき根そと成と名づくるとて | 巴人集 | ②412 | 天明3年 1783/07/ | |
「秀鶴楼にして路考丈が楽屋に出るを送る 矢倉遠影碧空出づ 唯見る長桐評判の佳きこと 中二階は楽屋のうち女形のゐる所をいふ。桜花とは「辰年桐座番附」重重(ジュウニ)人重(ヒトエ)小町桜といふ名題なり。此顔見世新芝居大あたりなり」 | 通詩選諺解 | ①486 | 天明7年刊 1787/01/ | ||
なかむら まつえ 中村 松江 | 「中村松江の来れるに | 七々集 | ②287 | 文化12年 1815/12/ | |
なにわや おきた 浪華屋 お北 | 「浅草茶店の美人の図に題す【舗、浪華と号す】 | 南畝集9 漢詩番号1864 | ④130 | 寛政5年 1793/07/ | |
なます の もりかた 奈万須 盛方 | 「奈万須盛方におくる | 巴人集 | ②398 | 天明3年 1783/04/04 | |
なみき ごへい 並木 五瓶 | 「三又の江のほとりにて並木五瓶にあひて | をみなへし | ②23 | 文化4年? 1807/? | |
なみざき きそうじ 名見崎 喜惣次 | 「さつき四日、馬蘭亭にて名見崎子の深川の曲をきゝて【白藤源太深川の幕、新浄瑠璃をきゝて】蜀山 | 巴人集 | ②439 | 文化1年 1804/05/04 | |
なんだらほうし 何多良方士 | 「何多良方士のたづね来ませしかば | 巴人集 | ②398 | 天明3年 1783/03/ |