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   人物編Ⅰ  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
  (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【ふ】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
ふくとみ
ごようしゃ
五揚舎 福富
「ことし紅毛の国より来れるもの、駱駝をひきて長崎に来れるかたをうつして、狂歌のすり物となせるよし、五揚舎福富のもとよりいひおこしければ 老ては狂歌もよまぬが駱駄(駝)と書つかはしけるもおかし」あやめ草②91文政4年
1821/09/
ふき (芸者)「ふきといへるうたひめによみてをくる
 ふきといふ草の名なればことぶきのふき自在なる身こそやすけれ」
七々集②181文化12年
1815/08/
ふさ
総 (芸者)
「西来庵にて酒のみけるに、ふさといへるうたひめによみてつかはしける
 さみせんの川をへだてゝきくもよしむさしとしもつふさの一曲」
放歌集②181文化9年
1812/03/
ふじえだ げき
藤枝 外記(旗本)
「天明五のとし七月十四日比、御旗本藤枝外記といへる人、新吉原大びしやあや衣といへる遊女と、田圃にすめる餌まきの家にて心中せしに、藤枝氏五千石(傍注「四千石也」)を領する家なれば、その此吉原にての歌に
 君とねやるか五千石とるかなんの五千石君とねよう
 といへるを、三味線にあはせてうたひ興じけり、予たはふれに古楽府のからうたにうつす
 羽林衛藤枝氏、北里菱家倡綾衣と狎る、親戚之を諫め、将に藤枝氏を一室に幽へんとす、藤枝氏菱家に至り、妓を携へ識る所の農家に入て共に死す、里人之を哀みて斯の歌を作す
 寧ろ君と寝を同せんや 将た五千石を守らんや 徒だに見る五千石 一歓の夕に如かず」
俗耳鼓吹⑩32天明5年
1785/07/14
ふじかわ ともよし
藤川 友吉
「市川市蔵・藤川友吉といへるわざおぎみて あづまぢにきかぬ藤川市の川美濃と播磨の新下り米」あやめ草②65文化7年
1810/02/
ふくはら しげ
福原 しげ(芸者)
「福原おしげといへるうたひめによみてつかはしける
 春風のふく原ならむ松のはのおしげりなさる人おほからん」
蜀山集⑥100文政6年
1823/01/
ふさ
お総 (芸者)
「新橋の酒肆に浅草門前の歌妓阿総酒を佐く。駿街の阿勝至る
 磊落新橋一酒徒 屠門大嚼黄公壚 新歌妓見旧歌妓 宛若小巫逢大巫」
南畝集19
漢詩番号3954
⑤336文化12年
1815/01/
ふじわらのとめなり
藤原 留成
「(浅草寺に籠細工のみせものあり。浪花より来るといふ)二十間茶屋藤わらの留成のもとより駕籠にて大川はしの舟までゆくとて
 これも又篭細工也浪花からあづまばしまで二十軒茶屋」
紅梅集②372文政2年
1819/07/
ふしわらのなかぬき
節藁 中貫
「小川町住・沢辺帆足・ふしわらの中貫・酒呑親文などゝ墨田川に逍遙し侍りて
 酒をのみ肴をくへばすみ田川たとひ狂歌はありやなしやと」
巴人集②407天明3年
1783/05/
ふじわら まさしげ
藤原 正繁
「手柄山人藤正繁 鋳る所の刀、相州の剣工正宗の造る所を模すと云ふ。本阿弥幸作携へ来たつて示さる 手柄山人寄一刀 凜然霜刃可吹毛 似錘万壑播陽秀 更淬千尋相海濤【手柄山豆州に在り】」南畝集16
漢詩番号2967
⑤41文化3年
1806/10/
ふでしま
筆島 (芸者)
「春雨、城東の酒楼に集飲す
 城東酒館号東林 一夕歓呼会賞心 藍水溝辺春雨細 白銀坊底暮煙深
 妖童妙舞翻斉扇 少婦繁絃搊阮琴 大嚼屠門人尽酔 不知風雪促寒陰」

「白銀町東林が楼に酒のみ物くふ(中略)本町芸妓筆島【筆太夫弟子】来て、三線を弄す。義太夫はもとより、長歌・豊後節・河東節ともに兼学べり。瀬川浜次郎もまた来り舞うふ〉
筆島といふをとめが、紙治とかいへる浄るり語るほどに、瀬川浜次郎まいりければ
 しろがねのちまたに心ありま筆島田にゆひてねるはたが子ぞ」
「去年の夏、筆島が三線の撥の嚢にかきつけしうた
 生酔の酔ては舌もまはらねど筆しまはらばわれ筆とらん」
「紙治小春の浄るりをきゝて かゝる時何か命のをしからん筆島の糸あみ島の春」
〈妖童が瀬川浜次郎・少婦が筆島〉
南畝集13
漢詩番号2227
細推物理
④246
⑧347
享和3年
1803/01/29
ふるぎのできよし
古着の出来よし
「古着の出来よしのもとにて湯豆腐をたうべて
 此礼を水にはなさじ湯豆腐のあつき馳走に酒も出来よし」
巴人集②411天明3年
1783/06/
ふるのいとみち
布留 糸道
(原夏若)
「観流斎原富は近代三絃の名だゝる人也。その子夏若子たはれ歌の名をこひ侍りければ、布留糸道と名づけ侍るとて」
 いく千代もふるの糸道跡たへぬ君がちすぢをたれかさみせん
巴人集②400天明3年
1783/04/
「長月廿日、吉田蘭香のもとにてはじめて市村家橘にあひて
 よい風が葺屋町から来る客は今宵の月をめでて太夫元」
「けふなん中興全枝半太夫が三回の忌日なりとて、原夏若の三味線にて家橘半太夫をかたりければ
 半太夫もとをわすれぬ一ふしもけふきく月のはつかにぞしる」
「をなじく夏若の三味線にて誌仲の源平兵揃蓮生道行の段をかたりけるに、とりあへず太夫元の舞出ければ
 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはものぞろへ
 返し 市村家橘 はじめての連中様へ蓮生の道行かゝりさてもめいわく」

「東牛斎にて布留糸道のさみせんにあはせて誌仲といへる翁、源平つはもの揃蓮生道行の段をかたりけるに、橘大夫舞ければ
 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはもの揃」(徳和歌後万載集)
〈画家吉田蘭香(東牛斎)の許にて、全枝半太夫(三代目江戸半太夫・天明元年没)の三回忌。原夏若(布留糸道)の三味線で、誌仲「源平兵揃蓮生道行の段」を語り、市村家橘(九代目羽左衛門・橘太夫元家)が舞う。濱田義一郎著「『蜀山人判取帖』補正」に「千年/\三千年/\是は目出度き寿命糖八十四翁誌仲」とあり、天明三年当時八十四歳。赤良の注は「八百屋隠居」とする〉
巴人集
徳和歌後万載
②418
①33
天明3年
1783/09/20
「大草屋しきの袖すりの松見のもとにて、吉田蘭香・布留糸道・橘太夫元家など酒のみけるに、あるじの庭ちかき一本の松の大きなるを袖すり松といへるよしをきゝて、かの太夫はいかいのほく、肌寒さ袖すり松にわすれけり、といふをきゝて
 橘のかほりをそへて袖すりの松も太夫の昔わすれじ」
〈大草屋敷は大久保の尾張藩外山屋敷。袖摺松と云う一本松が知られる〉
巴人集②420天明3年
1783/10/
ぶんぶんしゃ 
かにこまる
文々舎 蟹子丸
「葛飾蟹子丸大のしやにてはたれ歌人をつどふまヽ、一筆かいて君奈斎の求めいなみがたく、右に筆をとり左に盃をとりて、諸白のすみだ川にうかばんとなり
 みさかなに大のしあはび蟹よけんかつ鹿早稲のにゐしぼり酒」
をみなへし②36文化5年
1808/10/
ぶんぽう
文鳳
「雲林庵に玉梅文鳳二女史を見る。玉梅画を善し、文鳳詩及び書を善す【三月初吉】
 文鳳如舟月 玉梅似玉山 昨夜十軒店 見此二人顔
 〔欄外。白金瑞祥寺内に雲林庵有り、臥雲禅師の営む所なり〕」
巴人集拾遺②492文化11年
1814/03/
「文鳳女史過りて旧作を示さる。韻を次ぐ、近日、墨河の約有り
 米花坊底一佳人 来訪緇帷林下身 何日墨河芦荻裏 扁舟乗去避囂塵」
南畝集18
漢詩番号3925
⑤324文化11年
1814/09/
「夏日、桐隠君・臥雲師と同じく山口侯の池亭に宴る。文鳳・玉梅二女史、坐に在り
 一路長松外 経過此水亭 竹深篭鳥雀 萍聚点蜻蛉 永日誌難就 薫風酒未醒
 坐中書与画 須属二娉婷」
南畝集19
漢詩番号4276
⑤423文化14年
1817/04/
ぶんぽうてい
文宝亭
 亀屋文宝 (別資料)