| 浮世絵文献資料館 | |
| 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 |
「柳太夫豊前と称す会歌【柳太夫は柳橋の太夫なり】 陳珍 女子預め桜草を開いて待つ 秖(タダ)今誰か大夫が功に並ばん 富本流の浄瑠璃の一流なり。斎宮は太夫の名なり。桜草は豊前太夫のかへ紋、いてう、鶴、さくら草みな人のしる所なり。富本豊前太夫門弟、富本豊の字をおかす娘、八百八町の出公子にみち/\たり。くはしうは「柳橋桜草」にみへたり。さて講釈なかばにちよと御ことはり申上まする。富本流の板本は江戸通油町耕書堂でござります。御用の節はおもとめなされませと、なんのいはずともよいことをいふぞ」 | 通詩選諺解 | ①490 | 天明7年刊 1787/01/ |
「富本豊前太夫が庭に若楓多く桜の花さけるに | 六々集 | ②231 | 文化12年 1815/03/ |
「ことしの御用祭は通旅籠町より出て、豊年の稲刈のわざに亀の引物、富本豊前太夫が弟子あまたきやり歌うたひて車を引をみて | 七々集 | ②256 | 文化12年 1815/09/14 |
「富本豊前大夫受領して富本豊前藤原敬政と称したるを祝して | 紅梅集 | ②324 | 文化15年 1818/02/0? |
「二月十六日富本豊前掾会に、さくら草の鉢植のつくり物をおくるとて | 紅梅集 | ②324 | 文化15年 1818/02/16 |
「富本豊前掾受領してはじめての浄るりに三升・路考がわざおぎなりければ | 紅梅集 | ②353 | 文政1年 1818/09/ |