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   画賛編【ふ】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕大田南畝関係
  【富嶽】(ふがく)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「画に題す 落日臥西窓 嶽色何奇絶 不見金芙蓉 唯見一片雪南畝集3
漢詩番号0383
③135安永4年
1775/07/
「扇の画に狂歌かきて河東におくれる中に、富士の画に
 三味線のてうしも富士の高根にて名におふむつの花の江戸節」
巴人集②415天明3年
1783/08/
「富士山絵賛
 そも/\この山、孝霊のむかし生れ出しより、若白髪の雪つもり/\て、千とせの末はもかけずくずれず、廿一代の千言万句も、赤人の田子の浦にうちけされ、五山の僧の抹香くさき詩も、丈山が白扇にあふぎふせられぬ。されど泰山のちりひぢをゆづらず、河海は化粧水をいとはず、ふじのしら雪朝日でとけてとうたへば、三国一のあまざけのかんばんにも、をしげなく書ちらすは、また勿体なき事ならずや。むかしより此山をめでし人いくばくぞや。在五はまだらに雪舟はしろし、その中にまつ黒々の墨衣、西行といへばふじを思ひ、ふじといへば西行と気のつくは、此山此人古今一対なるべし。嗚呼さくや姫また出るとも、わが言をかへじかし
 生国は駿河の者 本国は近江の湖 三国一山の外 出鄽(ミセ)出店無し
 うかがへばふじほどくろきものはなし管もて天をたつた一日」
四方のあか②152天明8年刊
1788/01/
「駿州竜華寺の富嶽を望むの図に題す
 東海芙蓉玉一団 光輝四照白雲端 与清薩埵山頭望 寧向竜華会上看」
南畝集18
漢詩番号3514
⑤208文化8年
1811/05/
「富士のすそに紅葉のゑに 白むくのふじのすそ野にぬぎすてしきぬや紅葉の錦なるらん」放歌集②176文化8年
1811/12/
「富士に雪ふる画 ふりつゝの手尓葉をみせてさくや姫白粉こぼす雪の曙」六々集
万紫千紅
②211
①275
文化11年
1814/10/
「武野望嶽図に題す 二千余歳東方鎮 先闢乾坤置此峰 武野秋風八百里 芦芒花外玉芙蓉」南畝集18
漢詩番号3931
⑤325文化11年
1814/10/
「夏月富山図 太嶽千秋雪 炎天六月望 玉妃真面目 不必仮濃粧」南畝集18
漢詩番号3937
⑤327文化11年
1814/11/
「ふじに桜のゑに もろこしの人にみせばや日のもとの桜とふじの雪のさかりを」六々集②234文化12年
1815/03/
「富士のふもとに鳫わたる画に みよし野ゝたのむのかりも木の花のさくや姫さま参る玉章」放歌集②237文化12年
1815/04/
「八王子邑の浦宿に嶽を望むの図
 玉河西畔入桑郡 突兀芙蓉白雪孤 一瞬看過七裘褐 重披山駅浦村図」
南畝集19
漢詩番号4099
⑤374文化12年
1815/10/
「ふじの山に鶴をゑがきて戯子芝翫のうたよめと人のいひければ
 吾妻なるふじをみすてゝなには江のあしべをさしてかへりつるかも 鶴は芝翫のかへ紋なり」
七々集②301文化13年
1816/02/
「富士に郭公の絵に 一富士のゆめにもにたる郭公きくやするがの初茄子の山」紅梅集②310文化14年
1817/09/
「夏の富士のゑに 太白の雪もけぬれば黒たえのふじの地がねをみな月のもち」紅梅集②339文化15年
1818/04/
「甲斐国よりみるふじの画に 白妙のふじの高ねを黒こまのかひの国よりみれば格別」紅梅集②352文政1年
1818/08/
「ふじのふもとに桜さかりなる画に しら雪にまけじとさくやさくら花これも三国一ふじの山」紅梅集②370文政2年
1819/07/