Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ くにさだ うたがわ 歌川 国貞 三代浮世絵師名一覧
〔嘉永1年(1848) ~ 大正9年(1920)10月26日・73歳〕
(梅堂国政四代・豊斎・栄久参照)
   ☆ 明治二十二年(1889)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十二年刊)    国貞画    『敵討裏見葛葉』口絵 未詳・挿絵 月耕・表紙 香蝶楼国貞 曲亭馬琴 日吉堂(3月)   ◯『東京大画家派分一覧表』東京(児玉友三郎編輯・出版 明治二十二年十二月刊)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝歌川派     橋本周延 天神丁三  / 一松斎芳宗 日吉丁  / 勝川椿年 木挽町一     安藤広近 根岸金杉  / 村田良和  馬道八  / 梅堂国貞 薬研ボリ丁     正木芳盛 下谷坂丁  / 泰近清   飯倉片丁 / 落合芳幾 京バシ滝山丁     豊原国周 東京    / 応斎年方  紺屋丁  / 歌川国久 カメ井戸     安藤広重 下平右ヱ門 / 鍋田玉英  西鳥越丁 / 河守芳豊 ◎◎◎丁     柴田延子 佐クマ丁三  / 梶田半湖  下谷徒丁〟    〈明治22年、梅堂国政四代は国貞三代を襲名〉  ☆ 明治二十三年(1890)  ◯『東京名勝独案内』東京 豊栄堂 明治二十三年四月(1890)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   「書画之部」23/29 コマ   〝豊原国周  三筋町  柴田是真 石切河岸  鮮斎永濯 銀座    香朝楼国貞 両国   後藤芳景 日本橋   大蘇芳年 浅草〟  ☆ 没後資料    ◯『浮世絵師伝』p50(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国貞 三代    【生】嘉永元年(1848)    【歿】大正九年(1920)十月廿六日-七十三    【画系】三代豊国及四代豊国門人【作画期】慶応~明治    歌川を称す、竹内氏、名は栄久、幼名朝太郎、同胞四人のうち彼は長男なり、其が生地は日本橋なるが、    生後間もなく一家は深川富川町に移れり、彼十一歳即ち安政五年に三代豊国の門に入り、豊国歿後は二    代国貞(後ちに四代豊国)に学ぶ所あり(大正十五年三月号『新小説』所載、樋口二葉氏の文に拠る)、    初め四代国政を名乘り梅堂と号せしが、明治廿二年三代国貞を襲名し、香朝楼と号す、又別号を梅堂豊    斎(芳斎とも)と云へり、画く所俳優似顏絵最も多く。就中、市川左団次(先代)を写すに得意なりし    が如し。居所蠣殻町二丁目後ち淺草田町に移る〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
   「歌川系図」〝国政(二世)(二世国貞、四世豊国)門人 国貞(三世)〟    〈国政(二世)は三世の誤りであろうか〉    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p87(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝国貞 三代(くにさだ)    歌川を称す。竹内栄久。幼名朝太郎、幼時より三代豊国の門に入り、彼の歿後は二代国貞(後の四代豊    国)に学ぶ。初め四代国政を名乗り、梅堂と号したが、明治二十二年、三代国貞を襲名し、香朝楼と号    した。別号を梅堂豊斎、芳斎ともいつた。明治十、二十年代の国政時代に作画が最も多く、俳優の似顔    を写すと共に、博覧会、開化事物などを題材としたものがある。嘉永元年生れ、大正九年、七十三才歿    した〟