Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ほうさい ばいどう 梅堂 豊斎浮世絵師名一覧
〔嘉永元年(1848) ~ 大正9年(1920)10月26日・73歳〕
(歌川国政四代・国貞三代参照)
 ☆ 明治三十七年(1904)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(国文学研究資料館・明治三十七年刊)    豊斎画    『戦勝笑話』骨皮道人「ばいどう 豊斎」牧金之助 ③     「ロシヤ負け煙草の降状」(3月)「露艦の大病」(3月)     「マンヂユール号の兵降」(3月)「退将の人相」(3月)     「露艦の浮溺」(5月)  ☆ 明治四十二年(1909)  ◯『滑稽百話』加藤教栄著 文学同志会 明治四十二年十一月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ※全角(よみ)は原文の読み、※半角(よみ)は本HPの補注   ◇歌川豊斎(90/123コマ)   〝『釈迦八相倭文庫』にて其の名高き万亭応賀、之れも俳優絵にて有名なる歌川豊斎と共に、或る初冬修    善寺より熱海へ行きしことありしが、途々(みちみち)馬鹿話をしながら、一里程来て路傍の水茶屋へ    腰打ちかけ、江戸の子の気風を見せる積りにて、茶代拾銭おきしを、こんなに沢山戴いてはと、お世辞    タラ/\大喜びの姿、背戸に枝折れたる美しき柿一枝を折りて与へたれば、二人も喜びて夫(れ)を担ぎ、    談笑しながら五六丁行く内、俄に起りし竹螺(ちくら)の音ブー、ブー、ブブー、二人は之れを聞いて    「サテは猪でも出たと見える、怪我でもしては詰らねへ」と、相戒めつつキヨロ/\眼にて進む所へ、    手々に鋤鍬を持つてバラ/\と駈け来り、四五人の土百姓「此奴等は好い間の振をしやがつて、柿を盗    みくさつたナ、其の柿が何よりの証拠、サア棒縛にするからさう思へ」と。突然左右より二人の手を捕    へたれば、応賀と豊斎は吃驚仰天、「之はとんでもない、此の柿は後の水茶屋で貰ふたもの、さう言へ    ば今しがた、柿の枝を担いだ二人連れの男が急ぎ足で」など、言訳しても百姓中々承知せず「盗人たけ    /\しいおてゃ此奴等がこと、そんな手に乗る乃公(おれ)達では無い」と、遂に荒縄にて縛りあげた    れば、豊斎此処ぞと度胸を据へ「斯うしたら乃公達が逃げも隠れも出来ぬから、安心して後の水茶屋ま    で連れて行け」と怒鳴りたてしかば、百姓等も事によつたら人違ひかも知れぬと疑惑を起して、一人去    り二人去りて遂には縛られたまゝ二人残りぬ、縛られてゐてはどうする事も出来ず、縄附のまま十丁ば    かり引かへして前の茶屋に行き、姿に縄を解いて貰ふたとは滑稽の極(み)〟  ☆ 明治四十三年(1910)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十三年刊)    豊斎画『女荒神』口絵・装幀 豊斎「梅堂」 渡辺黙禅 上条勝太郎(後編 7月)〈2ページ大折込口絵 前編未見〉  ◯『浮世絵と板画の研究』(樋口二葉著・昭和六年七月~七年四月(1931~32))   ◇第二部「浮世絵師」「役者似顔絵の流行」p105   〝三世豊国即ち国貞が晩年の弟子で歿後四世に随従した豊斎翁〟    ◯『明治世相百話』(山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊   ◇「絵双紙屋の繁昌記 今あってもうれしかろうもの」p128   〝〈明治初期〉両国の大平、人形町の具足屋、室町の秋山、横山町の辻文などその頃のおもなる版元、も    っばら役者絵に人気を集め、団菊左以下新狂言の似顔三枚続きの板下ろしが現われると店頭は人の山。    一鴬斎国周を筆頭に、香蝶楼豊斎、揚洲周延、歌川国重あたり。武者絵や歴史物は例の大蘇芳年、一流    の達筆は新板ごとにあっといわせ、つづいて一門の年英、年恒。風俗は月耕、年方、永洗、永興といっ    た顔触れ。新年用の福笑い、双六、十六むさしまで店一杯にかけ並ぺた風景は、なんといっても東京自    慢の一名物。国周、芳年の没後そろそろ下火、今は滅法珍重される清親の風景画も当時は西洋臭いとて    一向さわがれず、僅かに日清戦争の際物で気を吐いたが、その後は月耕、年方等一門が踏み止まって相    当多教の作品をだした。それも上品過ぎて却って一般には向かずじまい。日露戦争時代には俗悪な石版    画が幅を利かせて、錦絵は全く型なし〟     ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p91(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝豊斎(ほうさい)    梅堂豊斎、四代国政、三代国貞の別号。その項参照〟