グロートが来た

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楽屋にてグロート氏と鹿島屋主人
トランペットのケースにはサイン入りラッパが

 御主人によれば、まさにグロート教授は片田舎の金沢在住のラッパ吹きにとっては、維新ともいえる「大事件」だったのこと。
 曰く、「我々の世代はアンドレによって本当のトランペットの音色を聞かされ、故フィリップジョーンズによって金管アンサンブルに目覚めさせられ、そして生のグロート氏の演奏は驚異的なものでした。まさに1853年に浦賀に響いた大砲の音と同じものでありました。」

 グロート教授と御主人は、3つ違い。御主人が立教大学で奥様とラッパを吹いていた時代、教授はまだ学生であったが既にベルリンフィルの第3トランペット奏者だった。言葉は十分に通じなくとも、心で相通ずるものがあったという。


 グロート氏も宴会での様子からすると、英語が上手ではないこともあるが、饒舌な方ではないらしい。一番印象に残っている録音セッションは何か?と聞いてみても、はっきりとは答えてくれなかったように思う。

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