グロートが来た



 最初に、鹿島屋主人から聞いたのはこうだった。
「ベルリン・フィルのグロートの公開レッスンに出てくれんけ?」

 おそらく、97年の秋頃だったように記憶している。まだ山一や拓銀が倒産する前だったかもしれない。ITバブルもまだ始まっていなかった。このHPは影も形も存在していないし、旅館主人は、ただのIT原始人だった。

食堂から眺める まず思ったのは、どうして金沢の旅館主人がそんな大それたことを言い出すのか?ベルリン・フィルの首席奏者といえば、オケ・プレーヤにとっては雲の上のような存在。金沢の旅館の薄暗い食堂で聞くような話とはとても信じられなかった。「胡散臭さ」すら感じたため、仕事も立て込んでいたのを言い訳にして、ご辞退した。多分、出演依頼をされた他のOBも同じことを考えたのかもしれない。


 現役の公開レッスンの演奏があまり冴えなかった(失礼!)ので、後から考えるともったいないことをしたなと後悔もしたが、自分の先見の明のなさからのこと・・。この演奏会の開催のために、旅館主人は共催者「金沢トランペット愛好会」の代表として大変な御苦労をされたのである。
 地元の金大フィルOB達は偉そうな顔をしているが、ただの傍観者としてこのコンサートを迎え、現役連中は、ただ無謀・無知と度胸だけで出演した。

 正直なところ、旅館主人の成し遂げた偉業に畏敬の念すら憶えたのだ。
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