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※バインダーにはさんでおいた介護のメモ書きや、新聞記事で見つけた介護記事、また、ただ今介護に奔走してらっしゃる鬼さんなどのメールなどを紹介しています。介護するほうも、介護されるほうも笑顔で向き合えるとよいですよね(渡辺京子)。

2008.11.26 大分前の記事ですが(2008.9.28)、すっかり取り上げるのが遅くなってました。
少々重いテーマです。でも、今、男性で2人に1人、女性で3人に1人がガンになる時代となり、最も必要とされる内容かな、と思い、紹介することにしました。

ガンの診療もいろいろと変化してきています。
今までは治療することに重点が置かれ、肝心の患者の方たちの体や心の痛みへのケアが立ち遅れていたように思います。

「痛み和らげて」の思いを形に」で取り上げられている前川さんは、幼い長男をガンでなくし、自らも3度のガンの手術を経験されています。

前川さんの長男「ター君」が白血病になったのは4歳のとき。
血液の細胞を調べるために背中に刺す針は太くて、「おかあさん」と泣き叫ぶター君の声が廊下まで響いたそうです。ター君は2年後、病で命を落としますが、常に「痛み」と「恐怖」と「不安」に耐えた闘病生活と、容態が悪化する中、最後に叫んだ言葉は「もう、いや!」の声は前川さんに、ガン患者の過酷な日々を考えさせることになります。

前川さんはター君が亡くなった時、涙も出ず、ただ「これ以上、ター君が病に苦しむことはない」と思い、「やっと終わったね」と声をかけたそうです。

その後、前川さん自身、胃、甲状腺のガン手術を3度受けます。
同室となった女性患者は、痛みで横になることもできず、ベッドの上で上体を起こしたまま、周囲に迷惑をかけないよう、声もださずに痛みに耐えていたそうです。

人格をも、崩壊させてしまうという「痛み」、この「痛み」をコントロールし、安らかな気持ちで残された時間を家族とともに大切に過ごすことができないだろうか」、4歳の長男をなくし、自らガンと戦い、同じ病いの人を見て、前川さんはガン患者のための、新たな目標に向かって模索が始まりました。

「治療」よりも、「痛みを取り除きながら、心のケアを行う緩和ケアの建設の実現」へと、前川さんの活動は具体的な運動となって、広がっていきました。

普通の主婦だった前川さんが、病棟を開設するのは、到底、普通では考えられないこと。でも2万5千人もの署名を集め、県の許可が下り、今、山口県に「緩和ケア病棟(ホスピス)」の工事が今急ピッチで進んでいるそうです。

前川さんが目標とする「痛みを和らげる」緩和ケアの病棟。
「そこは死を待つ場所ではなく、ガン患者の人たちが自分らしく生き生きとした時間を過ごす空間であり、そこで最後を迎えることで、残された家族にも思い出のひとつとなる場所」なのだそうです。

少しずつ日本でも緩和ケアの病棟も増えています。
現在約78のホスピスがあるとネットの情報に書いてありました。

「介護日記」の2008.9.19の記事にも載せましたが、小金井の聖ヨハネ会桜町病院でホスピス科の部長をされていた山崎先生が、2005年より、小平市で、賃貸住宅に医療とケアを組み込んだケアタウン小平を開設され、地域の人々と一緒に患者さんたちが暮らせる理想の緩和ケア病棟が既に営まれています。

それにしても、きっともっとたくさんの緩和ケア病棟が必要なんでしょうね。
ひとつづつ緩和ケア病棟が増えていくことを心から待ち望んでいます。

ちなみに、ホスピスとは、「ラテン語のホスト(主人)とゲスト(客)の組み合わせで、客を暖かくもてなす」の意味があるそうです。

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