ピコ通信/第174号
発行日2013年2月25日
発行化学物質問題市民研究会
e-mailsyasuma@tc4.so-net.ne.jp
URLhttp://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

目次

  1. 欠陥だらけの"水俣条約" どこが問題なのか?
  2. 2013年10月水銀条約外交会議 あなたが立っているその下に、エコパーク水俣で隠蔽された150万m3もの水銀ヘドロがある
  3. 12・22 終焉に向かう原子力第15回 (2) 原子力を"即刻"終わらせたい (下) 小出裕章さん
  4. 欧州環境庁2013年1月 レイト・レッスンズ II 早期警告からの遅ればせの教訓 科学、予防、革新
  5. 神奈川県立保土ヶ谷高校 シックスクール事故の顛末記T
  6. 調べてみよう家庭用品(59)トピックス (9)
  7. 編集後記


欠陥だらけの"水俣条約" どこが問題なのか?

 水銀条約の内容と条約名が、1月にジュネーブで開催された政府間交渉会議最終会合(INC5)で決定したことは、ピコ通信1月号(第173号)で、紹介しました。最終的に決まった水銀条約は、義務的な要素と自主的な要素が混在しており、世界の水銀汚染削減に役立つ義務的な要素もありますが、水銀供給源と貿易、小規模水銀採鉱(ASGM)、水銀の排出・放出、汚染サイトなど、最も重要な条項は自主的な内容で、骨抜きの弱い条項となりました。
 今号では、水銀条約の問題点を条項毎に具体的に示し、今後これらの問題に日本を含む世界の政府がどのように対応するのかを監視するための資料を提供します。また最後に、水銀条約の中で評価できる数少ない2点を紹介します。

■自主的条項
(問題点)
◆水銀条約の条項/要素には、義務的なものと自主的なものが混在している。
◆条約の資金メカニズムは、義務的な措置に対して優先的に適用されるので、自主的な措置の実施に適用される可能性は非常に低い。
◆従って、これら資金の裏付けのない自主的な措置が実施されることは、特に発展途上国ではほとんど期待できない。
◆完全に自主的な条項の例
−第14条(汚染サイト)
−第20条(研究・開発・監視)
−第20条bis(健康面)
−第21条(実施計画)

■第3条 水銀供給源と貿易
(問題点)
◆締約国にとっての条約発効前に実施されていなかった一次採鉱(新規)は禁止されるが、 発効を遅らせれば、新規ではなくなり禁止対象とならない。
◆既存の一次採鉱は、締約国にとっての条約発効後15年間許されるが、発効を遅らせれば、それだけ一次採鉱禁止の開始を遅らせることができる。
◆水銀貿易は禁止されない。

(解説)
−締約国にとっての条約発効前に実施されていなかった一次採鉱(新規)は禁止される。
−条約発効日にその領土内で実施されていた一次採鉱(既存)は、発効後15年間は許される。
−書面による同意を与えられた輸出締約国には、条約の下に許容される製品(第6条)及びプロセス(第7条)の用途のため、又は第12条に規定されている環境的に適切な暫定的な保管のためには、一次採鉱の水銀の輸出が許される。
−”一次採鉱”以外からの水銀は、ASGMを含んで条約で許容される用途のための貿易が許される。(例えば、日本が行なっている非鉄金属精錬廃棄物や水銀含有製品廃棄物からの回収水銀の輸出は許される)。
−年間10トンを超える在庫を生成する水銀供給源、及び、50トンを超える水銀又は水銀化合物の個別の在庫を特定するよう努力しなくてはならない(義務ではない)。

■第6条 水銀添加製品
(問題点)
◆禁止製品だけがリストされるポジティブリスト・アプローチである。
◆既存ストック品の販売は規制されないので、大量に製造しておくことが可能。
◆国民保護(定義不明)と軍事用途とチメロサールは対象外。
◆歯科アマルガムは禁止されない(期限のない段階的な廃止)。

(解説)
−除外製品:国民保護(定義不明)及び軍事用途にとって必須の製品は条約規制の対象外。保存剤としてチメロサールを含むワクチンは途上国の冷蔵庫保管事情のため規制対象外となった。

▼パートT
−製品の製造、輸入、輸出が許されない期日として2020年が設定されている。
−在庫品の販売は規制されない。
−バッテリー、スイッチとリレー、コンパクト蛍光ランプ、直管蛍光ランプ、高圧水銀ランプ。 冷陰極蛍光管及び電子表示用の外部電極蛍光管中の水銀。 化粧品。殺虫剤、殺生物材、及び局所消毒薬。気圧計、湿度計、圧力計、温度計、血圧計。
▼パートU
−廃止期日が示されていない段階的な廃止対象となる製品で、現時点では歯科アマルガムだけがリストされている。対処措置して定められた9項目の中から2項目を選ぶ。

■第7条 水銀使用の製造プロセス
(問題点)
◆塩素アルカリプロセスの廃止は2025年と長いが、さらに第8条の免除延長要求により最高2035年まで延長可能。
◆塩ビモノマーは禁止されない。

(解説)
▼パートT
−塩素アルカリ製造プロセスでの水銀の使用を2025年までに禁止。
−アセトアルデヒド製造プロセスでの水銀の使用を2018年までに禁止。
▼パートU
−塩化ビニルモノマー、ポリウレタンなどの製造プロセスでの水銀の使用は削減するための措置を求めるだけで、使用は禁止されていない。

■第8条 要求に基づく免除
(問題点)
◆水銀添加製品及びプロセスの禁止開始期限を最高10年延ばせる。

(解説)
−付属書C又はDにリストされている当該廃止期日後5年で全ての免除は失効しなくてはならない。 (最高5年の免除が許されるということ。)
−締約国からの報告を正当に検討して、さらに5年間免除を延長することを決定してもよい(前項と合わせて最大10年の免除が許される。)

■第9条 人力小規模金採鉱(ASGM)
(問題点)
◆水銀使用と貿易は禁止されていない。(締約国自身が決める。)
◆あるASGMが規制対象となるかどうかは締約国が決める。

(解説)
−ASGMを持つ締約国は、水銀と水銀化合物の使用、及び環境への放出を削減し、実行可能なら廃絶するための措置をとらなくてはならないとする自主的な要求であり、ASGMでの水銀の使用を禁止していない。
−締約国は、自国のASGMが些細かどうかを検討し、些細でないと決定したら事務局に通知し、規制対象とする。
−ASGMで使用する国内外の供給源からの水銀の貿易と流用防止の管理のための戦略を国家行動計画に含める。(ASGMは許容される用途であり、貿易は禁止されない。)
−ASGM関連の貿易条項は不必要であるとして、それを削除。

■第10条 大気への排出
(問題点)
◆新規排出源:自主管理であり排出量規制はない。 BAT及びBEP の使用だけが求められている。
◆既存排出源:条約発効後1年以内の建設着工なら既存排出源とみなされ、BAT及びBEPの適用が義務づけられない。
◆既にタジキスタンでは既存排出源とするために、多くの火力発電所のかけ込み建設が行なわれていると言われている。
◆施設毎の排出削減目標であり、総排出削減目標ではない。(施設が増えれば、排出量も増える)
◆石油・ガス製造施設を除外

(解説)
▼新規排出源
−締約国は排出を管理し、実行可能なら削減するために、できる限り早急に、しかし各締約国にとっての発効後5年以内に、BAT及びBEPを使用すること。
▼既存排出源
−締約国は国家の事情、経済的及び技術的実行可能性、及び措置の実行可能性を考慮しつつ、できる限り早急に、しかし各締約国にとっての発効後10年以内に、与えられた5項目の排出削減措置のひとつ又はそれ以上を国家計画の中にも含め、そして実施すること。

(注)BAT(利用可能な最良の技術)、BEP(環境のための最良の慣行)

■第11条 水/陸への放出
(問題点)
◆自身で削減対象を特定し、国家計画を策定するという自主的で弱い管理である。
◆国家実施計画の策定はオプションであり、義務ではない。

(解説)
−"関連ある放出源":締約国により特定される人間活動に由来する著しい放出の点源であり、この条約の他の条項で対応されていないもの。
−締約国は発効後3年以内に、それ以後は定期的に関連ある削減対象施設を特定する。
−新規、既存施設とも、放出管理措置と目的、目標、及び結果を示し、下記のひとつ又はそれ以上を適宜含んで、発効後4年以内に提出されるべき国家計画を策定してもよい。
 ・放出源からの放出を管理し、実行可能なら削減するための放出制限値。
 ・放出源からの放出を管理するため にBAT と BEP の使用。
 ・水銀放出の管理のために共通の利益をもたらすであろう多種汚染管理戦略。
 ・放出源からの放出を削減するための代替措置。

■第14条 汚染サイト
(問題点)
▼汚染責任、被害者補償義務、汚染の修復義務が全く求められていない。
▼汚染サイトに対応するための資金・技術援助の規定を排除した。

(解説)
−汚染責任、被害者補償義務、汚染の修復義務が全く求められていない。
−日本は、ブラジル、イラン、モロッコに反対されたが、カッコ付の[汚染サイトを特定し、評価し、優先付け、管理し、適切な場合には修復するための、資金的及び技術的援助の規定を求める]というテキストを削除することを求め、最終日に削除された。
−このことは日本が汚染サイトに資金に裏付けられた義務的な措置をとることを主張せずに、水俣の汚染修復についてこっそり水俣の人々を裏切っただけでなく、世界の発展途上国や移行経済国の汚染サイトに対する措置に資金調達する可能性を積極的に排除したことを意味する。
−IPENは、締約国が汚染サイトを特定し浄化することについて、またそのことに関する資金援助について、義務的な文言とすることを求めた。
−水銀汚染されたサイトを特定し、評価するための適切な戦略を開発するよう努力するという、非常に弱い自主的な要求である。
−そのようなサイトにより引き起こされるリスクを低減するためのどのような行動も、適切な場合には、サイトが含む水銀からの人の健康と環境へのリスクの評価を反映しつつ、環境的に適切な方法で行なう。
−日本政府は"序文"に汚染者負担の原則を入れるよう主張したが、受け入れられなかったとしているが、第14条に「汚染責任」を入れなかったことの言い訳にはならない。たとえ序文に入れたとしても、それは実効性のない単なる精神論だからである。

■水銀条約で評価できる点
 水銀条約交渉の過程で、注目すべき評価できる点が何かないかと探しましたが、なかなか見当たりません。強いてあげれば、下記2点がありますが、これとて本来あるべき姿に戻った原則論であり、"人間の活動に由来する水銀及び水銀化合物の放出から人の健康と環境を守る"という、水銀条約の目的に直接対処するものではなく、5回にわたる水銀条約交渉の過程で、実りある収穫がほとんどなかったことは残念です。

▼第1条bis 他の国際協定との関係
 この条項は、交渉中は他の環境関連国際条約でしばしば問題となっている"世界貿易機関(WTO)の優位性"を認める可能性がありましたが、幸いなことに最終的にはこの条項は削除され、水銀条約の独立性が保たれました。
▼第18条 情報伝達
 "人と環境の健康と安全に関する情報は秘密情報であるとみなされてはならない"ことが確認されました。これは当初あった各国の国内法を条件とするという但し書きが削除されたためです。
(安間 武)



2013年10月水銀条約外交会議
あなたが立っているその下に、エコパーク水俣で
隠蔽された150万m3もの水銀ヘドロがある

■汚染サイトでの署名式


エコパーク水俣親水公園が巨大な水銀汚染を隠蔽
▼日本政府は、水俣問題がまだ解決されていない状況で、将来の水俣の悲劇を防ぐことができないとNGOが指摘するこの弱い水銀条約に、「水俣条約」と命名することに成功しました。
▼大量の水銀で汚染されたヘドロが、未処理のまま、寿命が50年とも言われる鋼矢板セルで仕切られて、既に30年以上、水俣湾に暫定的に埋め立てられています。そしてこの巨大な汚染は、人の目に触れることなく、"エコパーク水俣"により隠蔽されています。
▼さらにもうひとつの汚染サイト、八幡残渣プールからは、水銀だけでなく、様々な有害物質が、カーバイド残渣と一緒に埋め立てられ、何の対策も取られず、廃水等が海や川に流れ込んでいます。
▼このような"環境モデル都市"水俣で、各国代表者が 「水俣条約」 に署名するということは、皮肉であり、また滑稽なことでもあます。水銀条約の汚染サイトの条項に修復義務がないために、このようなことが臆面もなくできるのでしょう。
▼日本政府は、これらの汚染サイトを暫定的ではなく、永久に人の健康と環境に被害をもたらさない方法で浄化することが求められます。

■世界の人々/後世の人々に対する責任

▼水俣に関わってきた人々/関心を寄せてきた人々には、程度の差はあれ、水銀汚染をなくそうとする世界の人々や後世の人々に対して、二度と水俣の悲劇を繰り返さない実体のある強い水銀条約にする努力責任があったのではないでしょうか?
▼水俣の悲劇がいまだに解決していない状況で、汚染者責任、補償責任、修復責任が全く記述されておらず、水銀の排出・放出、貿易の規制が全く弱く、従って、水俣の悲劇の再発を防止できそうにない、このような欠陥だらけの水銀条約の署名式を水俣で行い、"水俣条約"と命名することを歓迎する被害者/支援者もいるとのことです。
▼行政とチッソにより、50年以上、社会的な不正義が行なわれたという事実、現在も被害者等の裁判が行なわれてるという事実、いまだに救済されていない6万人以上もの新たな申請者があったという事実、水銀ヘドロ埋立地や八幡残渣プールの汚染が隠蔽されたままであるという事実、被害者の家族は、被害者の介護に疲弊しきっているという事実こそ、現在も解決していない水俣の教訓として、世界に発信される必要があるのではないでしょうか?
▼逆説的に言えば、日本政府は、水銀条約が将来の水俣の悲劇を防げそうになく、日本の行政とチッソが50年以上にわたり水俣の被害者を苦しめ、反社会的、反道徳的行為をしてきたことを未来永劫、世界中の人々に思い起させるのに役立つ水俣という条約名を選択したということです。
(安間 武)


欧州環境庁2013年1月 レイト・レッスンズ II
早期警告からの遅ればせの教訓
科学、予防、革新


 欧州環境庁(EEA)は2013年1月に、 『レイト・レッスンズ II 早期警告からの遅ればせの教訓 科学、予防、革新』を発表しました。これは、2001年に同庁が発表した報告書の第2弾と位置づけられるものです。
 本稿では2013年版の各章のタイトルを紹介します。当会は各章の概要(Summary)のほとんどを日本語化し、当会ウェブサイトの予防原則のページで、レイト・レッスンズU 概要として紹介しています。

 2013年版の各章の全文(Full text)は20頁を超え、各章全文の合計は700頁を超える大作ですが、少し時間をかけて、その内のいくつかの章を日本語で紹介する予定です。

 2001年版の完全日本語版は、七つ森書館から2005年に発行されています。
『レイト・レッスンズ14の事例から学ぶ予防原則』 松崎早苗 監訳 水野玲子・安間武・山室真澄 訳


■2013年版各章タイトル

  1. はじめに

    パートA. 健康に及ぼす有害性からの教訓
  2. 予防原則と誤った警報−教訓
  3. ガソリン中の鉛は"精神障害をもたらす"
  4. 飲むには多すぎる:水道本管中のパークロルエチレン(PCE)汚染
  5. 水俣病:民主主義と正義のための挑戦
  6. ベリリウムの"広報問題"
  7. タバコ産業の研究操作
  8. 塩化ビニル:秘密の出来事
  9. 農薬DBCPと男性の不妊
  10. ビスフェノールA:異議が唱えられる科学、異なる安全性評価
  11. DDT:沈黙の春から50年

    パートB. 生態系から新たに出現している教訓
  12. 増強殺生物防汚剤:歴史は繰り返しているのか?
  13. 水環境中のエチニルエストラジオール(低用量ピル)
  14. 気候変動:科学と予防原則
  15. 洪水:早期警告システムについての教訓
  16. 種子処理浸透殺虫剤とミツバチ
  17. 生態系と回復力管理

    パートC. 新たに出現している問題
  18. チェルノブイリからの遅すぎた教訓、フクシマからの早期の警告
  19. 革新への渇望:遺伝子組み換え作物から農業生態学まで
  20. 侵入外来種:増大しているが無視されている脅威?
  21. 携帯電話と脳腫瘍リスク:早期の警告、早期の行動?
  22. ナノテクノロジー 早期の警告からの早期の教訓

    パートD. コスト、正義、革新
  23. 行動しないことのコストの理解と説明
  24. 早期の警告者と遅れた被害者の保護
  25. なぜビジネスは早期警告への予防に反応しなかったのか?

    パートE. 科学と統制の意味合い
  26. 予防的意思決定のための科学
  27. 予防はもっと多くか少なくか?
  28. 結論
(紹介:安間武)


神奈川県立保土ヶ谷高校
シックスクール事故の顛末記T

H.Y.(元保土ヶ谷高校教諭・保土ヶ谷高校シックスクール裁判原告)

■シックスクール事故後をどう生きるか

 子ども(人)を育てることは、人間が文化を豊かにしてきた歴史の中で最大の課題であり続けています。ギリシャの時代から、また孔子の生きた大昔から、人々が背負ってきたものです。人が人であり続ける限り、一人一人が今後も、先人の教えを噛みしめながら、未来の子どもたちとともに自分自身を磨くことを続けなければならないと思います。
 2004年の保土ヶ谷高校の有機溶剤汚染事故は、高校という教育現場で起きてしまいました。大阪の高校生の体罰に起因した自死の事件などを通じて、教育の現場に内在している深いブラックボックスを多くの方が認識したと思います。保土ヶ谷高校のシックスクール事故を通じて、私は以下のことを再認識いたしました。国、県、市の行政や教育委員会、学校の管理職など組織のなかで権限をもっている立場の方々が、責任の重大性を認識できなかったこと。組織上の弱者にたいして、思いやりと常識の欠如があったこと。事故が生じた際に、関係者が共に手をつないで、組織上の権限を超えて共に考え、子どもたちを守ろうとする意識が足りなかった方々が多かったことに、残念ながら思いあたりました。
 先日、「保土ヶ谷高校30周年記念誌」を情報公開によって手に入れました。熟読いたしましたが、有機溶剤汚染事故に関する記事はほとんどなく、校長などが数行でふれただけでした。職員の座談会でも、汚染事故に関しては、全くふれられていませんでした。国会や神奈川県議会で議論され、神奈川県は「室内化学物質対策マニュアル」を2006年3月に作成し、テレビや新聞で報道され、学校が休校になったり、窮屈な仮設の教室で1年以上も授業が行われ、生徒・教職員に健康被害が多数出たにもかかわらず、保土ヶ谷高校の学校史から、ほとんど消し去られてしまったように思います。
 私は、シックスクール事故を経験した高等学校として、日本一の環境教育を実践する高校になって欲しかったのですが、保土ヶ谷高校の選択は、汚染事故の事実を消し去ることであったのは、誠に残念でなりません。ドイツ連邦共和国第6代大統領ヴァイツゼッカー氏の演説を思い出します。「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目になります。」(岩波ブックレットNO. 55「荒れ野の40年」より)
 教育の課題は、政治家たちが考えているように簡単には解決しない問題です。法律を変えれば解決する問題でもなく、人間社会、そして一人一人の永遠の課題です。私は裁判の原告として、シックスクール事故を多角的な視点から見つめ続けていきたいと思います。現在の日本の教育現場が抱えている問題のひとつとして、保土ヶ谷高校シックスクール事故と向き合いたいと思います。
 保土ヶ谷高校の多数の生徒が健康被害を受け、全員が不便な教育環境を我慢しながら、立派に学習活動を成し遂げました。学校の職員として事故当時在籍された生徒の皆さんの立派な態度に、敬意と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
 生徒諸君の健康被害が最大の心配事です。個人情報法の運用によって、連絡先もわかりませんし、現在の健康状態も把握することができません。私自身の健康状態から推測すると、いまだに一人で苦しんでいる方がいるのではないかと、心から危惧いたしております。裁判を通じて、少しずつシックハウス症候群・化学物質過敏症に関する情報を提供できればと願っています。

■大量・多種類の有害な揮発性機溶剤による健康被害をもたらした防水工事の概要

 2004年9月、10月に雨漏り防水工事が行われ、使用された多種類・大量の有害な揮発性有機溶剤によって生徒・職員が健康被害を受けました。生徒・職員の命と健康を守るために関係職員と頑張り続け、私にとってあっという間の10年でした。小学校1年生が高校1年生となる程の、長い年月が経過しました。事故に関する資料は、積み重ねると3mの高さになります。汚染事故関係資料を共有化し、今後のシックスクール対策に生かしていきたいと思います。
 私は、2003年4月から2007年3月の4年間、神奈川県立保土ヶ谷高等学校に勤務しました。転勤して2年目の2004年4月27日に、北棟3階=音楽室、5月10日に西棟=部活倉庫前廊下で大量の雨漏りが発生しました。雨漏り発見後の翌日に、事務担当者が神奈川県教育施設課技術班に修理工事の依頼票を送付しました。4月30日、5月12日の両日に教育施設課担当者の現地調査によって、周辺部も雨漏り箇所同様に劣化しているため、該当教室屋上全面のウレタン防水工事が、7月8日の工事決定会議で確認されました。

2004年9月13日 北棟=音楽室・書道室の防水工事を開始。9月下旬から教室にシンナー臭が充満。

9月28日 担当教諭が管理職Cに、異常な臭気について苦情を申し入れ。

10月1日 工事業者と管理職Cが音楽室で臭気を確認し、「窓から臭気が浸入している。窓開け換気をしなさい」と担当教諭に指示。文部科学省の学校環境衛生の基準によれば、日常点検中に臭気があれば、臨時検査を実施することになっている。また、窓から臭気が浸入しているのであれば、窓を閉めるように指示すべきで、納得のできない説明であった。工事を担当した社団法人神奈川県土地建物保全協会(以下 保全協会)の総則でも、製品安全データシートの常備と工事に起因する苦情があった場合には、書面にて監督員に提出することになっている。
 9月28日において検査を実施し、使用材料のVOCの危険性の説明と教室使用の禁止措置がとられるべきであった。しかし、管理職Aと施工業者は、有機溶剤の危険情報を提供せずに、同日から西棟=部活倉庫・同教室前廊下の雨漏り防水工事を開始してしまった。何度も苦情を申し入れたにもかかわらず、検査は11月17日まで行われず、多量の有害有機溶剤(約500kg/発がん性物質を含む)が、授業中の屋上防水工事で使用された。その結果、有害有機溶剤が屋上のコンクリートスラブ(鉄筋コンクリート造の床板)のクラック(割れ目)から教室・廊下部分のコンクリートスラブに浸入し、木毛セメント板(注)を汚染した後、天井から教室・廊下等を長期にわたって有害有機溶剤ガスで汚染した事故であった。
注:木材を薄くひも状に削り、セメントを混ぜ、板状に圧縮成型した準不燃材
 2箇所の工事現場のコンクリートスラブには、合計250mに及ぶ大きなクラック(北棟200m・西棟53.3m)があったにもかかわらず、Uカットなどのクラック処理(防水工事の基本的な処理)を怠り、コンクリートスラブのクラックやジャンカ(注)を通じて多量の有機溶剤がコンクリートを貫通して教室を汚染するという、驚くべき杜撰な工事だった。防水工事前に職員に対して使用材料の危険性の連絡もせず、苦情を申し入れても、使用した危険有害物質の品目や、危険性の情報を全く報告せず、教室退避の指示もなかった。
注:打設されたコンクリートの一部に粗骨材が多く集まってできた空隙の多い構造物の不良部分。

10月18日 管理職Aは、シンナー臭の苦情が、何度も出されていたにもかかわらず、VOC検査などの安全確認を怠り、工事引き渡しを完了した。このような無責任な態度は、社会的にも許されないはずである。

11月8日 私を含む芸術科教員3人で、緊急対応を管理職Aに直接要請した。Aは「シンナー臭の苦情等を全く知らなかった」と発言。別の管理職Cは報告したと発言。

11月10日 保全協会はVOC検査実施予定日に、換気扇を音楽室2基、書道室1基設置。教育施設課は、窓への換気扇ではなく、天井からのダクト工事を指示していた。検査実施前だったが、天井から有機溶剤が発生していることを認識していたと思われる。退避指示はなかった。

11月17日 保全協会はTVOC(総揮発性有機化合物)検査実施。新コスモス社製XP-339V
 音楽室中心部測定値 113=トルエン換算 約0.95ppm 約3,500μg/m3
 音楽室天井内部測定値 176=トルエン換算 約1.8ppm 約6,500μg/m3
 "防水工事材料中のトルエン・キシレンが原因と考えられる"としながらも、教室からの退避を指示しなかった。工事業者は、このTVOC検査結果を見ても、窓から浸入していると主張していた。天井内部の濃度の方が高い数値であるので、コンクリートスラブからの汚染であることは明瞭であり、危険性の大きさは計り知れないものであった。(注:国の室内濃度指針値のTVOC暫定目標値は、400μg/m3)

12月1日 学校薬剤師が検知管による検査を実施。
 音楽室:トルエン 1,200μg/ m3
 音楽室天井内部:トルエン1,500μg/ m3
(注:国の室内濃度指針値 トルエン:260μg/ m3)  この検査結果について学校薬剤師は、正規の検査法である検査前の30分の換気を行わなかったことを理由に、「検査結果はあくまで参考値である」として、保土ヶ谷高校に対して教室からの退避の指示をしなかった。しかし、前日の午後に授業が行われていたので、換気の要件は満たされていた。管理職Bに、高濃度の検査記録を教職員全員へ報告するように要望したが、「数値が一人歩きするので、職員には報告できない」と回答。キシレンの危険性と健康への影響の可能性を伝えなかった。

12月6日 教育施設課工事担当者D、工事開始から初めて来校。工事現場確認。「工事関係資料はない。業者は記録をとるのが下手。写真はない」と発言。

12月9日 神奈川県学校薬剤師会がVOC検査。12月16日に検査結果報告される。12月1日の検査に比べ、異常に低い数値だった。キシレン230μg/ m3 トルエン<26μg/ m3 (12月27日 教育施設課、検査に不備があったことを認める。)
 私が専門家に相談したところ、30分換気、その後5時間窓を閉めてから、8時間から24時間、検体を教室につるすという事を確認できた。薬剤師会の検査は、5時間の窓閉めの時間をとっていなかった。また、文部科学省の検査基準では検体はホルムアルデヒド用とVOC用の2検体を使うこととされているが、トルエン・キシレン・パラジクロロベンゼンの検査結果しか報告されておらず、検体にも疑問がある。

12月21日 教育施設課が、12月26日からベークアウト工事を実施すると全職員に説明。謝罪もしていない施工業者がベークアウトを行うというのだ。ピアノ等の移動計画は無し。教材移動計画もなく、事前のVOC検査も行わずに強行しようとし、職員から反対された。この工事は、12月25日に中止となった(教育局幹部の指示によりとの情報あり)。

2005年1月27日 今回の防水工事の教育施設課担当者が、使用材料の一覧表を提出した。工事開始から137日経過。有機溶剤の危険性の説明はなかった。

2月21日 松沢知事に請願書を渡し、汚染事故の緊急の対応を要望した。知事への情報提供は、合計3回行ったにもかかわらず、対策は何も講じられなかった。

3月3日 神奈川県議会文教委員会=山本裕子県議の質問に対しての、教育施設課課長の答弁は、「記録によりますと11月15日に連絡があったというふうになっております」と。この答弁以前の11月8日に校長から改善依頼。天井内空気換気用のダクトの設置を保全協会に指示。と県の事故報告書に記載されている。大きな疑問が残る

4月23日 北棟3Fの4教室が閉鎖された。当日、音楽室、書道室を見学した保護者が、書道教室内の異常なシンナー臭の存在を確認して激怒したからである。芸術科教員3名は、異常事態を2004年9月より訴え続けてきたが、事態を隠蔽しようとした管理職たちの態度に、保護者の怒りが爆発した。

4月27日 気温上昇にともなって、西棟5階トイレ付近で有機溶剤のシンナー臭が大量発生。生徒308名が体調不調を訴え、このうち26名が、国立相模原病院にて受診。2名がシックハウス症候群、2名が経過観察を必要とするとの診断を受けた。1名が専門病院にて同様の診断を受けた。新聞・TV等で社会的な大事件として30回以上報道され、過去に培ってきた保土ヶ谷高校の社会的信用を失墜させた。同日、近所の住宅の塗装工事の臭気が校舎内に進入し、生徒がパニックを起こす。

5月7日 第1回汚染事故保護者説明会を開催する。約300名の参加者。議論は8時間にも及んだ。元管理職Aは、保護者の要請にもかかわらず欠席し、事実を説明せず。

5月18日 衆議院決算行政監視委員会で議論される。国会で取り上げられたが、被害を受けた生徒・芸術科の職員への謝罪と事情聴取も行われていない。被害実態をしっかり調査しない態度は、文部科学省の無責任を露呈している。国会で議論されれば、問題は解決したのではないかと、だれもが思うだろう。情報公開請求しても、文部科学省による具体的な指示文書は全く出て来なかった。(つづく)

※第16回裁判は、3月7日(木)13時10分開廷予定。横浜地方裁判所5階502号法廷。神奈川県横浜市中区日本大通9(みなとみらい線日本大通り駅から徒歩1分,JR京浜東北線関内駅・横浜市営地下鉄線関内駅から徒歩約10分)。裁判そのものは5分〜10分ぐらいで終了しますが、弁護士会館あるいは横浜合同弁護士事務所で報告集会を開催。弁護団から現在の進捗状況の説明があります。傍聴よろしくお願いします。



化学物質問題市民研究会
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