ピコ通信/第113号
発行日2008年1月31日
発行化学物質問題市民研究会
e-mailsyasuma@tc4.so-net.ne.jp
URLhttp://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

目次

  1. 化学物質問題市民研究会2008年活動計画
  2. 10周年記念連続講座U/有機リン問題を考える
    第1回有機リンの基礎-その毒性メカニズム-最新知見を含めて

  3. CS発症後、中米コスタリカに一時転地して回復
  4. 調べてみよう家庭用品(11)接着剤
  5. 化学物質問題の動き(07.12.25〜08.01.31)
  6. お知らせ・編集後記


化学物質問題市民研究会10周年記念連続講座U
有機リン問題を考える第1回
有機リンの基礎-その毒性メカニズム
最新知見を含めて

講師 石川 哲さん(北里大学医学部名誉教授)

12月15日(土)、化学会館ホールにおいて有機リン連続講座第1回を石川哲先生を講師に開催しました。講演のあらましを紹介します。(文責 化学物質問題市民研究会)

有機リン剤の歴史

  • 第2次大戦時代:毒ガス、神経ガスとして製造。サリン、ソマーン、タブーン、VX など。
  • 戦後:平和利用 独 シュラーダン、パラチオン、TEPP、殺虫剤等として製造、現在迄使用。
  • 1970年代:有機塩素剤規制・パラチオン、TEPP,シュラーダン、使用禁止。
  • 1980年代:1970年前後から東大眼科で有機リン殺虫剤による人体の神経毒性研究開始、3例報告。石川(眼科)、宇尾野公義(第3内科)、瀬川昌也(小児科) 浅間病院大戸らと有機リンの神経毒性(主にマラチオン)につき診断・治療開始、基準設定を行い国の援助で「佐久農薬眼症」の研究が開始される。
  • 1990年代:有機リン毒性研究の拡大、免疫系(過敏反応)、内分泌系、遺伝子分析への研究発展。米国でエチルクロルピリフォス中心に免疫異常、神経毒性、化学物質過敏症訴訟多発、シックビル症候群、第1次湾岸帰還兵士症候群(PGS)などが出現。
  • 1994年:米国NIH中毒研究者による佐久農薬眼症の追認が行われ認知、「Saku Disease」となる。各専門家による農薬眼症(眼症状が最も大切)認知 J Appl Toxicology 14:111-154
  • 2000年代:有機リン神経毒性研究さらなる進展・非コリンエステラーゼ(ChE)による作用。酵素FAAH阻害、遺伝子研究 Paraoxonase, Neurotoxic Target Esterase。
  • 2005年〜:可塑剤、難燃剤(electronics関係)リン酸トリエステルの毒性問題欧州で出現。
  • 2007年〜:REACH法案(2006-2007)欧州有機リン殺虫剤使用ほとんど不可となる。ヘリコプター空中散布の禁止法案などが盛り込まれた。
     日本は うやむや come to smoke
■はじめに
 有機リンは非常に古い問題である。環境中で使われている毒物の中では、人に与える影響ではトップのものと考えてよい。しかし、そのことを解説した研究があまりない。というのは、公に有機リンの毒性を言うといろいろと問題が起きてくるためである。
 長野県の佐久地方で発生したマラチオンなどの空中散布による子どもたちの慢性中毒が、私たちが有機リンの慢性中毒として1973年に、日本で初めて発表した症例である。その頃、東京大学医学部で有機リンの研究をやっていた私を含む3人が、佐久へ行って地元の先生方と研究を続けた研究成果である。
 その後、研究成果は"Saku Disease"としてNIH(National Institutes of Health 米国立衛生研究所)の有機リン研究者たちに伝わり、NIH中毒学者による追試論文として、1994年にJournal of Applied Toxicology14巻2号に掲載された。有機リンの慢性中毒の神経毒性(視覚毒性を含む)が、大きな特集として取り上げられた。論文発表以後20数年経って、やっと、世界で認められた。
 その後、微量の有機リンによる慢性毒性が次々と明らかになってきた。その一番問題なのが化学物質過敏症である。私は、化学物質過敏症の主要な原因は有機リンだと考えている。

■有機リン剤の歴史(前頁表参照)
 1990年代、クロスピリフォスの時代になる。クロスピリフォスはメチルよりもエチルのほうが毒性が強い。そして、米国でクロスピリフォスエチルに対する化学物質過敏症の訴訟問題が50例以上起こる。免疫系への影響、簡単に言えばぜん息的症状、アトピー的症状、眼に障害という3つの症状が起きるのである。その訴訟があまりに強く広がって、クロスピリフォスの規制が行われた。私はそれを日本に持ち帰って、クロルピリフォス規制実現のために、厚生省の委員会で努力をした。
 先に述べたように、私たちの研究は1994年にアメリカのジャーナルが取り上げてくれて認められたのだが、実はそれまでに一流ジャーナルにたくさんの論文を投稿していたのである。しかし、「ネーチャー」とか「サイエンス」などに内容は十分載るはずであったが、いろいろと難癖をつけて載せてくれなかった。後になって(Journal of Applied Toxicologyに掲載後)、ある人に会った時に、「1970年代のあなたたちの研究をどうして載せなかったか、今でも悔いている。化学工業会を中心として反対する意見があって、絶対に載せてはならないと圧力があった」と打ち明けてくれた。今でも日本ですばらしい研究はたくさんあるが、一流のジャーナルは掲載しない。外国の一流ジャーナルに投稿し、これを続けている人たちは、大変な苦労を重ねていることをみなさんに知っていてほしい。

■有機リン剤の毒性
 簡単に説明すると、例えば、手を動かせという命令が脳からきた時に、神経の末端からアセチルコリンという神経伝達物質が出る。アセチルコリンは受容体にくっついて手を動かし、その後で分解酵素コリンエステラーゼがアセチルコリンを分解することで元に戻す。有機リンは、このコリンエステラーゼの働きを抑えるのである。その結果、縮瞳、意識混濁、全身けいれん、肺水腫、呼吸困難などさまざまな症状を引き起こす。
 この酵素を可逆的に抑えるのがカルバメートで、不可逆的または非可逆的に抑えるのが有機リンである。我々の体は、頭のてっぺんから足のつま先まで、アセチルコリンとコリンエステラーゼが存在しているので、有機リンは様々な障害を起こす。
 それ以外にも、いろいろなことが分かってきた。一つは、ひじょうに特異性体質があることがわかってきたことである。有機リンに対して、白人が一番強く、次は黒人、その次は日本人である。弱いのはエスキモー、オーストラリアの先住民、アメリカの先住民の一部である。2つ目は女性が弱いこと。女性は卵巣やエストロジェンサイクルがあって、アセチルコリンに敏感でコリンエステラーゼの働きが弱い。また、小児は弱くて大人は強い。ニワトリの実験では、ヒナが一番弱くて、幼鳥は強い、思春期は弱い、大人は強い、老鳥は弱いというように波があることがわかった。 こういうことから、一番守らなくてはいけないのは子ども、次は女性、思春期の女性、老人。中年期は強いが老年期には弱くなる。
 これは遺伝子の環境的外傷等のほかに、もう一つは個体の側の、取り込んだ有機リンを外に出すという代謝系に問題があるためであることが分かってきた。
 また、有機リンは農薬だけではなく、可塑剤(プラスチックを柔らかくする)、難燃剤等いろいろな物に使われている。TCP(リン酸トリクレシル)は飛行機のエンジンオイルシールにも使われている。現在、農薬だけではなく、これらの毒性も問題になってきている。2007年にはEUのREACH規制が発効し、厳しい化学物質規制が始まろうとしている。これによると、欧州で有機リン殺虫剤はほとんど使えなくなるのではないかと予想される。

■有機リン農薬中毒の症例
 患者発見の動機:原因不明の3例の患者。
 神奈川県、山梨県、東京都下:すべて小児15歳以下、男児

 頭痛、手足のしびれ、下痢、運動機能低下、脳波異常、肝臓機能軽度異常、視覚・平衡機能障害、求心路障害、物が見えない、両親が眼鏡をかけていないのに近視性乱視、視野狭窄を指摘される。有機リン殺虫剤と強い接点が考えられ、アトロピン、PAM、スコポラミン剤長期投与で軽快した。
 私は宇尾野公善(第3内科)、瀬川昌也(小児科)先生達と報告した。神奈川県は養豚場、山梨県はブドウ畑、東京都下はモモ畑だった。結局、有機リン剤慢性中毒を疑った。
 その後、同一の症例が多数長野県佐久市を中心に存在することが浅間病院副院長大戸健先生から連絡があり、大規模な研究が開始された。1970年のことである。
 後に米国NIHグループにより、1994年 Saku Diseaseとして報告されるまでの歴史である。この辺の詳しい話は、『環境ホルモン』4巻(2004年 藤原書店)を読んでいただきたい。

■1970年の予測
 私は、1970年にこれからの世界で問題になることを予測した。
○環境汚染による疾患の発生:このまま有機リン殺虫剤が使われると、20〜30年後に大きな問題が出る。特に視覚・神経系を中心にした患者が出てくる。
 予測した内容を医学的な意味を含めて述べると
  • 近視性乱視が激増する(台湾、香港、シンガポール:98%以上が近視。日本では毎年報告されていた学童の視力の推移が、10年前に突然発表中止となった)
  • 小児を中心とする、神経・精神障害、跳び箱が飛べない、平衡を均等に保って丸太の棒を渡れない等が出る。
  • 小児の精神的機能が変化する。おとなしい、または自制心なく極端に暴れるなどの問題がおこる可能性がある。
  • 成人では網膜および視神経が障害される。とくに網膜変性が増加する可能性が強い(現在、米国では加齢性黄斑変性症が失明率のトップ、日本は2〜3位)
  • 「早いうちに毒性の強い有機リン剤を中止せよ」とした。
 これらの予言した事実は今、ひとつも間違いでなかったことがわかる。
 次に、全身的にどのような障害が出てくるかをみていこう。

■末梢神経障害
 1930〜40年頃、逆行性末梢神経障害(ニューロパチー)が明らかになる。手、足の先から上の方に上って麻痺が進行する。典型的な慢性中毒、末端のしびれ、そして麻痺。視神経網膜も末梢から障害、だから周辺視野狭窄となる。
 「前線の兵士が先にやられて、本部の兵士は生きている」。米国でオクラホマ市中心に亜急性の有機リン中毒が発生。2万人くらい発症し、そのうち約1/3が死亡。
 末梢神経麻痺、下痢、視覚系中心の障害とムスカリン症状(ムスカリン:毒キノコに含まれるアルカロイドの一種。発汗,流涎,流涙,腹痛,下痢,縮瞳)を中心とした自律神経失調
 後の研究で、Jamaican Ginger+有機リン殺虫剤の併用が重症と判明。
 その後、本症の研究は"come to smoke"つまりうやむやとなった。以後、慢性毒性に関する研究は米国ではご法度である。私がロチェスター大学の視覚毒性国際会議で特別講演を行った際、NIHの中毒学者から「君の研究は米国では違法である。身辺に注意するように」と言われ、怖い思いをした。
  • 写真:有機リンの散布をした後、手足がしびれ、一部麻痺、同時に強い皮膚炎が出た人を示す。ゴルフ場でゴルフをして、3日目に亡くなった人の例もあるが、脛と足の発疹を見ていただきたい。ズボンと長い靴下を履いていても散布したものは入り込んでくる。首もそうである。
     麻痺が進むとこのように足の先が垂れ下がってくる。階段を上がると引っ掛かって、ころぶ。

    ■視覚神経毒性
     昔は、毒物は血液脳関門でシャットアウトされて脳には入らないと考えられていた。それはほとんど間違いであるということがわかってきた。鼻の奥、小脳と延髄の間、眼、尾てい骨先端部から、関門が無くストレートに入ってくる毒物があることが分かってきた。

    参考文献
    1. 石川哲 有機リン剤の視覚毒性について 病理解剖例を含んで 日本眼科学会雑誌100:417-432 1996(99回日本眼科学会総会特別講演原著)
    2. Jaga,K and Dharmani,C Ocular toxicity from pesticide exposure (Mount Sinai School of Medicine) Environmental Health & Preventive Medicine 11:102-107,2006
      眼毒性の重要性を説く。微量神経毒性:眼を診ることから始める。神経障害予知が可能。
      米国でもようやく眼毒性の重要性が言われるようになってきた。
    • 有機リン患者のラグビーボールのようになっている瞳孔の写真。
      種々なる明るさによる瞳孔の大きさ。極端に明るい場で、有機リン患者の瞳孔は小さくならない写真。患者は暗いところから急に明るいところへ出た時に(逆も)、瞳孔がうまく調節できない。明暗のコントロールを失うと、階段を落ちるなどの事故にもつながる。
    • 患者(50歳で死亡)の左眼底写真:
      強い網膜変性(白くなっている)と視神経萎縮を認める。この時、視力はほとんどゼロ。有機リンは血管に強い動脈硬化を起こすことがわかってきた。農薬散布している人、ゴルフ場で農薬散布している人、ゴルフ場に頻繁に通う人には脳卒中、動脈硬化、高血圧の人が多い。網膜の、特に中心動脈に強い変性が起きている。
    みなさんも加齢性黄斑変性症予防のために、強い光のある所ではサングラスをかけていただきたい。あまり黒いものではなく、薄墨色。海岸や飛行機内で強い光線の時は特に必要だ。

    有機リンの臨床症状は次の通りである。
    症状が頭痛、めまい、吐き気、しびれ、筋痛、疲れ、集中力困難などで、風邪など他の疾患として処理される。この最大の理由は診察する医師が有機リン剤を知らない、考えようとしない、パラチオン急性中毒以外有機リンの教育がなされていない。したがって、有機リン中毒に関する現代の情報が医師に伝わっていない。この点が大きな理由である。
    今後は有機リンを散布する時には、地元の医師等にこれこれの農薬をこれだけ散布をするということを知らせる事が必要である。

    ※第1回講演記録DVDをお分けします。12頁参照。第2回は2月16日(土)開催です。



  • CS発症後、中米コスタリカに一時転地して回復
    大阪府在住 女性

    ■"風邪の咳が治らない"から始まった
     2002年冬に引いた風邪の咳が取れず、大阪では著名な耳鼻咽喉科で当初は急性蓄膿症の診断を受けました。職場のビルが改装直後であった上に、業務拡大に伴って新品のパソコンの導入が増え、5月には週4日通院するも、職場に戻るとすぐに鼻が痛くなり、呼吸が苦しくなる始末。最終的には仕事を続けるのが困難になり、退職に至りました。残念ながら私自身、当時は化学物質過敏症(以下CS)に対する知識は全くありませんでした。
     その後は、何軒も耳鼻咽喉科を廻りましたが、原因につながるような診断は全く受けられず。「西洋医学には頼れない」と中国医学を修めた薬剤師にお願いし、粘膜の乾燥と自律神経を整える処方をして戴き、3年通いましたが、根本的な解決には至りませんでした。
     やがて、大きな転機が訪れます。反応するものが増え、日常生活にも困難が生じ始め、情報が欲しい一心でネット検索しているとCS支援センター≠ノ辿り着きました。早速入会し、クリニックの紹介を受け、2004年8月にCSと診断されました。

    ■コスタリカ政府の知人から電話
     とにかく、身の回り品を徹底的に見直しました。家族にも協力を仰ぎましたが、見えないものに対する理解は得られにくく、一時は半狂乱になりながらも、理解を求めました。医師からは快方に向かう過程で必ず一度は症状が悪化すると聞いていましたが、11月には通院すら困難になり、酸素ボンベの利用が必要な程に症状が悪化しました。息をするのがツライ→生きるのが辛いと思う日々。そんな中、一本の電話が・・・。
     コスタリカ政府観光省の日本代表を務める知人が、中米・コスタリカでの転地療養を勧めて下さいました。幸い、スペイン語は読めたので、酸素ボンベに繋がれて一生を生きるよりもこれに賭けてみようと思いました。春になり、動けるようになったら決行すると決め、冬はほとんど寝たきりのままでチケットの手配と準備を始めました。

    ■30年前の日本に似ている
     5月中旬、訪コされる際に同行し、成田〜ダラス経由でコスタリカに。解毒剤は通常の3倍を飲み、ひたすら耐え続け、ダラスは乗り継ぎのみで18時間。乗り継ぎに半日以上かかると動けなくなっていたと思います。
     到着してすぐ、私の体調に合った場所を探して下さいました。コスタリカの住宅はコンクリートに水性塗料、床はタイルなので、反応するものが少ないのがとても魅力的です。飲食店でも蝿が飛んでいるくらい消毒されていないし、ちょうど昭和50年代前半の日本といったところでしょうか。
     国土の25%が国立公園なので、プランテーションの近く以外は農薬散布のリスクもほとんどないので安心です。後は私の体調に合った気候の場所を選ぶことが課題になり、日本人の少ない郊外の地方都市に身を置くことにしました。

    ■1週間もしないうちに身体が楽に
     日本語の堪能なコスタリカ人女性を紹介いただき、彼女の手配で部屋を借り、新品の使えない私のために知人所有の家具を運び込んで、半年の転地療養生活が始まりました。部屋探しの際には、JICAの安全基準をクリアしている物件を選びました。最初は全く様子がわからず、彼女を煩わせましたが、旺盛な好奇心が幸いし、電子辞書を片手にどんどん街に出ました。
     その街は高地なので、朝晩、深い霧が出て空気を浄化してくれ、雨期は毎日雨が降ります。たくさん歩いても息苦しくなることもなく、1週間もしないうちにみるみる身体が楽になるのがわかりました。有難いことに、ほとんど発症前に近い生活が出来るようになったのです。汗もよくかくようになりました。
     スペイン語で転地療養はCambiar de aires(空気を換える)。まさに身を持って痛感しました。この機会に徹底して不要なものは身体に入れないようにと買い物に行っても、成分表がすぐ読めるよう、まず食品添加物の名前を覚えました。コスタリカは観光が主産業の中進国ですが、国民の健康に関する取組みは目を見張るものがあります。添加物についても何を何%使ったかまで、記載があります。
     また、煙草がダメな私を気遣って、レストランでも見ず知らずの方が控えて下さいます。近くにオーガニック村があり、留学経験のあるホメオパシー療法医(ハーブ医学)が、帰国後、農薬のリスクを農家に説いて廻り、村として取り組んでいるので、無農薬の野菜・果物も入手が容易なのも大きなメリットでした。

    ■転地療養はひじょうに有効な手段
     翌年、カナリアの子供たち≠フDVDを持って再訪した際に、彼の診察を受けました。アメリカ以外でも、すでにメキシコやキューバの都市部でCS患者は多数存在していて、私たちが抱えているのと同様の問題があるようです。彼らの治療に使っていた処方を、私の体質などを考慮してレメディー(動・植物、鉱物から抽出したエキスを症状ごとに処方した液体状の漢方薬のようなもの;ドイツ・イギリス等では健康保険適用される)を処方し直してくれました。
     私の経験からもこの病気を治すには、やはり徹底した排毒、そして空気と水、食べ物を換える必要があると思います。その意味でも転地療養はひじょうに有効な手段です。
     発症したのは長年飲食関係の仕事に従事した結果、不規則な生活と食事が原因だと気づきました。今は、冬場は時々体調を崩しますが、ほとんど普通の生活が出来るようになりました。いいと思えることは、自分の責任でどんどん試してみることを心掛けています。
     3年前には誰も太平洋を渡って転地療養をしようとは思わなかったと思いますが、当時の私はそれ程までに追い詰められていました。今は、その時に私が試行錯誤して作ったネットワークと転地療養のノウハウがあります。転地療養を希望される方にはぜひ、お力になりたいと思います。
     国内、特に西日本は、CS患者の一時避難先にも事欠く事情は今も変わりません。私一人に出来ることは限られていますが、患者さんの社会復帰と健康回復に尽力出来ればと、まずは所有している建物の一室を私自身が建材をチェックし、シックハウス対応に改装することにしました。まだ夢の段階ですが、いずれは「関西にもオーガニック村を」と多方面にヒアリングを開始しました。

    ■自己治癒力を信じて
     これ以上発症者を増やさないために、先に発症した者の勤めとして発症者が取り組まないといけない課題はたくさんあります。環境破壊や食品偽装が問題化する中、少し過敏な私たちが安全な食や環境の大切さを訴えていく必要性を痛感しています。我が家ではお米と野菜を無農薬で作っていますが、分けてほしいと度々言われて、逆に私がCSであることが安全の証明になって支持されていることに気づきました。
     私もよくなる過程で、多くの方に助けていただきました。「見えない障害」ということもあり、周囲の無理解にも苦しめられましたが、中途失聴者の方の支援講座でCSの受容と社会復帰に必要な支援のあり方を教えていただく機会にも恵まれました。出来ないことは健常者にお願いし、出来ることでお返しするのも一手です。辛い時期があっても諦めないで、自己治癒力を信じて頑張って下さい。私の経験が少しでも役に立てばうれしく思います。



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