2008年11月 オーストラリア NICNAS/OCS 報告書案
多種化学物質過敏症(MCS)の科学的レビュー
主要な研究の必要性を特定する


情報源:Working Draft Report prepared by the National Industrial Chemicals Notification and Assessment Scheme (NICNAS) and the Office of Chemical Safety (OCS) November 2008
A Scientific Review of Multiple Chemical Sensitivity: Identifying Key Research Needs
http://www.nicnas.gov.au/Current_Issues/MCS/MCS_Report_PDF.pdf

Department of Health and Ageing
Multiple Chemical Sensitivity review draft report
http://www.health.gov.au/internet/main/publishing.nsf/Content/ocs-mcs.htm
National Industrial Chemicals Notification and Assessment Scheme - NICNAS
http://www.nicnas.gov.au/

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/index.html
掲載日:2008年12月10日
更新日:2009年 1月23日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/sick_school/cs_kaigai/mcs_Australia_2008.html

訳者注:この文書はオーストラリア保健高齢省の化学工業製品通知・評価計画(NICNAS)が化学物質安全室(OCS)と協力して作成したものであり、2008年10月30日に公聴会で議論された後、2009年1月30日までパブリックコメントで修正/追加/コメントが求められている。パブリックコメントを反映した最終報告書がいずれ発表されると思われるが、それまで、暫定的に可能な範囲で日本語訳して紹介する予定である。
情報提供のための手引き
 多種化学物質過敏症(MCS)に関するこの報告書案は、因果関係、診断、作用様態、及び現在の治療と管理に関する現状の理解のスナップショップである。この報告書からの強いメッセージは、MCSはすでに過去25年以上研究されレビューの対象になっているにもかかわらず、今後もさらにMCSに焦点を合わせた基礎的な研究が必要であるということである。この段階においてこの報告書案への読者の情報提供を求める主な目的は、この報告書がMCSに関する研究のための優先領域をよりよく特定するために、全ての入手可能な科学的文献と技術的情報を十分にカバーすることを確実にすることである。レビューによりカバーされる多くの領域おけるさらなる研究と入手可能な科学的論文があるかも知れない。たとえば、遺伝的傾向や生物化学モデルを詳述する研究のような提案されるMCSの原因の根底にあるものについての追加的研究の報告が完全な解明のために重要である。

 この報告書の発行をこれ以上遅れさせないために、我々は現在、この作業用草稿の特に作用様態、MCSの臨床的側面、及び関連する技術的/科学的情報の領域に関し、情報提供を求めていることをお伝えする。情報提供を容易にするために、この報告書は報告書の中のさまざまな点で求められる情報とコメントのための問いかけを行っている。この報告書を完成させるために、多種化学物質過敏症に関する事実に基づくコメントと追加的な科学的情報が今、NICNAS/OCSに提供されることが重要である。コメントと追加的情報はeメールにてMCS@nicnas.gov.auへ、又は郵送でMCS Report, NICNAS, GPO Box 58, Sydney NSW 2001へ送付いただきたい。


序 文
この研究は何か
 多種化学物質過敏症(MCS)は、根底にある病因/原因が不確かであり、よく定義されていない複雑な一連の症状を言い表すために用いられる用語のひとつである。MCS症状をもたらす根底にある生物学的出来事については不確実性がある。このことはMCSの人々の診断と治療のための臨床的基礎の発展を阻害する。
 このことは、MCSの人々は彼らの症状が理解されない又は誤診断され、しばしば最適ではない治療を受ける又は治療選択をさせられるという状況に直面することを意味する。MCSについての限られた理解のために、症状を引き起こす化学物質やその他の原因からの回避以外に治療のための意見の一致を見出していない。
 環境中の化学物質の存在に対する関係者の懸念とともに、我々のMCSの理解の中にあるこの不確実性とギャップは、化学物質安全室及びオーストラリア化学工業製品通知・評価計画 (NICNAS)を通じてオーストラリア 保健高齢省(DoHA)にMCSの科学的レビューを実施させることとなった。

研究の範囲
 このレビューの目的は、臨床及び科学的研究の世界に情報を提供し鼓舞するために、MCSに関する現在の理解と科学的研究を検証すること及び今後の調査研究のための優先領域を特定することである。
 したがってこの報告書は以下についての証拠を検証し、
  ・MCSにおける化学的作用の作用様態
  ・MCSの臨床的診断と治療へのアプローチ
  ・臨床的管理戦略
またオーストラリアにおけるMCSの診断、治療、及びよりよい臨床的管理の実施を強化する研究への取り組みと今後の活動を強調するものである。

研究の実施
 この研究には二つの重要な領域がある。第一に、この研究は、MCSの根底をなす原因を説明するために置かれる生物学的にそれらしい仮説を特定する入手可能な科学的文献をレビューすることである。MCSの生物学的根拠の説明は臨床的診断のための方向性を示し、MCSのための治療選択を改善するであろう。もし根底をなすMCSの生物学的メカニズムが解明されれば、症状に対するよりよい治療だけでなく、症状を著しく軽減する可能性がある。第二に、現在の診断及び治療実施と臨床研究及び医療教育におけるギャップを特定し、どちらがよりよくMCSの人々の診断と管理に役立つかに目を向けることが行われている。
 この研究の成果は、MCSに関するさらなる科学的及び臨床的研究における特定の優先度の高いものを示すことになる。
 MCSに関心のある多くの団体と個人の協力によ文献目録、個人の研究、国内及び国際的な報告書及びMCS被害の経験に関する情報の提供があれば大変ありがたい。


内 容

1 エグゼクティブ・サマリー
1.1 概要
1.2 得られた知見
1.2.1 MCS の原因についての研究
1.2.2 臨床学的研究の必要性

2 多種化学物質過敏症を理解する
2.1 多種化学物質過敏症(MCS)とは何か?
2.2 MCS の症状は何か?
2.3 MCS は他の症候群や疾病と関係あるか?
2.4 MCS の症状を引き起こすきっかけはなにか?
2.5 MCS は臨床的に定義できるか?
2.6 MCS には疾病分類があるか?
2.7 MCSの人々は共通の化学物質暴露を受けているか?

3 何がMCS の原因か?
3.1 可能性あるMCS作用様態の概要
3.1.1 免疫学的調節障害
3.1.2 呼吸器系障害/神経性炎症
3.1.3 大脳辺縁系燃え上がり(limbic kindling)/神経系過敏化
3.1.4 酸化窒素、パーオキシナイトライト、NMDA 受容体の高活性化
3.1.5 毒物誘因耐性喪失(TILT)
3.1.6 条件反応
3.1.7 精神障害
3.1.8 ”信念体系(belief system)”としてのMCS
3.1.9 臭いの認識
3.1.10 その他の提案されるメカニズム
3.2 作用様態の提案モデルに関する解説
3.3 MCSの潜在的原因メカニズムを特定するためのさらなる研究
3.3.1 免疫学的変数
3.3.2 呼吸器系障害/神経性炎症
3.3.3 大脳辺縁系燃え上がり(limbic kindling)/神経系過敏と精神的共同因
3.3.4 酸化窒素、パーオキシナイトライト、NMDA 受容体の高活性化

4 多種化学物質過敏症の診断、治療、及び管理 4.1 MCS の診断と有病率
4.1.1 オーストラリアにおけるMCSの有病率に関する研究
4.1.2 他の諸国におけるMCSの有病率に関する研究
4.2 MCS症例の定義と有病率データ
4.3 治療施設
4.4 MCSの治療
4.5 臨床研究の必要性
4.5.1 長期的研究
4.5.2 教育/訓練

5 付属1.オーストラリアの臨床医学者の多種化学物質過敏症に対するアプローチの研究
5.1 研究プロセス
5.1.1 利害関係者への接触
5.1.2 質問事項
5.1.3 インタビュー
5.1.4 ワークショップ
5.2 直面した問題点
5.3 共通点
5.3.1 最初の説明
5.3.2 診断
5.3.3 予後と治療
5.3.4 教育
5.4 治療/管理の意味合い
5.4.1 共通のMCS治療
5.4.2 MCS個人の認識と反応
5.4.3 MCSの管理の原則 5.5 臨床研究のための示唆

6 付属2.他の国の政府と専門組織の見解
6.1 アメリカの専門組織
6.1.1 米国環境医学アカデミー(AAEM
6.1.2 米国アレルギー・ぜん息・免疫学アカデミー(AAAAI)
6.1.3 米国内科学会(ACP)
6.1.4 米国職業環境医学会(ACOEM)
6.1.5 米国医師会(AMA)
6.1.6 カリフォルニア医師会(CMA)
6.1.7 その他の組織
6.2 アメリカ政府
6.2.1 米国有害物質疾病登録庁(ATSDR
6.2.2 国防省(DOD)
6.2.3 退役軍人省
6.2.4 国立環境衛生センター(NCEH)、疾病管理予防センタ
6.2.5 国立環境健康科学研究所(NIHES)、国立健康研究所
6.2.6 米環境保護庁I(USEPA)
6.2.7 社会保障庁及び住宅都市開発省
6.2.8 米国法廷におけるMCS
6.3 カナダ政府
6.4 ドイツ政府
6.5 イギリス専門家組織
6.5.1 王立内科医科大学と王立病理学大学
6.5.2 英国アレルギー・環境・栄養医学会(BSAENM)
6.5.3 エジンバラ職業医学研究所
6.6 ニュージーランド政府
6.7 デンマーク政府
6.8 国際化学物質安全性計画(WHO/ILO/UNEP)

REFERENCES(page 59-72)


略 語
AAAAI
AAAI
AAEM
ACP
ACTA
ADI
AESSRA
AIHW
AIRA
AMA
ASCEPT
ASCIA
ASEHA
ATSDR
BSAENM
CFMCS SG
CMA
CTMCS
DBPC
DOD
DOE
DoHA
DPMBUS

CSSG
GRCMCS&CI
IEI
IPCSa
MCS Australia
MCS
ME/CFS
NCEH
NICNAS
NIEHS
NIOSH
NTN
OCS
OGTR
PHD
RACP
RPAH
SATFMCS
TGA
TILT
USEPA
WHO
American Academy of Allergy, Asthma and Immunology
American Academy of Allergy and Immunology
American Academy of Environmental Medicine
American College of Physicians
Australian Chemical Trauma Alliance Inc.
Acceptable Daily Intake
Allergy and Environmental Sensitivity Support and Research Association Inc Australian Institute of Health and Welfare
Allergies and Intolerant Reactions Association
American Medical Association
Australian Society of Clinical and Experimental Pharmacology and Toxicology
Australasian Society of Clinical Immunology and Allergy
Allergy, Sensitivity & Environmental Health Association Qld Inc
Agency for Toxic Substances and Disease Registry, Atlanta, Georgia
British Society for Allergy and Environmental Medicine
Circle of Friends MCS Support Group WA
Californian Medical Association
Community Taskforce on Multiple Chemical Sensitivities- WA
Double-blind placebo control
Department of Defence, USA
Department of Energy, Washington, D.C. USA
Australian Government Department of Health and Ageing
Department of Preventive Medicine & Biometrics Uniformed Services University of the Health Sciences Bethesda, Maryland, USA
Fragrance and Chemical Sensitivity Support Group
Global Recognition Campaign for Multiple Chemical Sensitivity and Chemical Injury
Idiopathic environmental intolerance
International Programme on Chemical Safety
Multiple Chemical Sensitivity Australia
Multiple chemical sensitivity
ME/CFS Society (SA) Inc.;
National Centre for Environmental Health, Atlanta, Georgia, USA
National Industrial Chemicals Notification and Assessment Scheme
National Institute for Environmental Health Sciences
National Institute for Occupational Safety and Health, Cincinnati, Ohio
National Toxics Network
Office of Chemical Safety, DoHA, Australian Government
Office of the Gene Technology Regulator
Population Health Division, DoHA, Australian Government
Royal Australasian College of Physicians
Royal Prince Alfred Hospital
South Australian Task Force on Multiple Chemical Sensitivity
Therapeutic Goods Administration, Australian Government
Toxicant-induced loss of tolerance
U.S. Environmental Protection Agency Cincinnati, Ohio
World Health Organization

1 エグゼクティブ・サマリー
1.1 概要

 多種化学物質過敏症(MCS)は、根底にある病因/原因が不確かであり、よく定義されていない複雑な一連の症状を言い表すために用いられる用語のひとつである。

 MCSを広範な環境的作用因子(化学物質を含む)及びその他の因子に関連付ける報告書がある。個人により報告される共通の事項は、非常に低いレベルの化学物質に対し高い反応を示すことである。敏感な個人に見られるMCS症状に関連する作用因子の範囲は著しく広範で多様である。同様に個人が経験する症状は多様であり、報告される症状はある場合には体を全く衰弱させるものである。

 入手可能な報告書は、MCSの個人がきっかけとなる作用因子に暴露しても、典型的な用量−反応の関係を示さないことを示唆している。MCS症状を誘発するのは、薬理学的又は毒物学的特性自体ではなく、きっかけとなる作用因子の香り又は臭気であることを示唆するチャレンジ テストもある。

 MCSは定義が難しく、したがってこの障害の診断基準を確立するために、臨床的な治療やいくつかの試みがなされてきた。1999年に開発された”合意基準”(訳注)は、多種の相互関連のない化学物質に低レベルで暴露すると再現性のある症状が多臓器にわたりでる慢性的な疾患としてMCSを記述している。これらの基準は、オーストラリア国家健康調査を含む、研究目的及び地域のMCS有病率の調査のために限定された範囲で用いられてきた。

訳注):多種化学物質過敏症(MCS)1999年合意 (当研究会訳)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/sick_school/cs_kaigai/mcs_1999_consensus.html

 しかし、臨床現場でのMCSの症例を特定するための標準化された基準は存在しない。MCSの診断は現在は自己申告された症状に基づいている。MCSのための合意された症例定義と客観的な実験用指標(マーカー)の欠如は、患者の治療を著しく阻害しており、MCSについての更なる研究を難しくしている。

 MCSを定義するために多くの試みがなされてきたが、MCSの個人を、疲労、頭痛、めまい、集中力欠如、又は記憶喪失のような症状を経験し慢性疲労症候群というような診断を下される他の人々と区別する明白な疫学的証拠又は定量的又は定性的暴露データは存在しない。

 現在、MCSのための標準化された治療法は存在しない。現在の治療には、処方薬や行動セラピーとともに化学物質からの回避、食事療法、栄養補助剤、解毒施療、ホリスティック又はボディ・セラピーなどがある。

 MCSの根底にある原因と病因に関する合意の欠如とそれに続くMCSの使用できる定義に関する合意の欠如は、MCS患者の臨床的管理に影響を与え、MCSに関する科学的な分析/調査及び臨床的研究への取り組みの障害となっている。

 MCSについての臨床的及び実験的研究の両方が求められる。MCS対象を特定し、自己診断の欠点を克服するために客観的な臨床基準の必要性が重要となる。このことにより、有病率データを収集することが可能となり、MCSである個人と、香り又は臭気に対して一般的な嫌悪を持つ人々とを区別することが可能となる。原因となる要素をよりよく調査するために、再現性があり適切に管理された課題研究を通じて、更なる作業もまた必要となる。診断経験、臨床的過程、及び治療/管理戦略の影響を評価するために、MCSの自然なままの歴史を検証し、誘引要素/出来事を特定するための長期的な臨床研究もまた必要である。

1.2 得られた知見

 全体として、次の基本的研究の必要性は明らかである。
  • MCSの根底にある原因と引き金を特定すること
  • 臨床及び科学のグループに受け入れられる合意された診断基準を確立すること
  • 自己申告症例と医学的に診断された症例の両方についてMCSの有病率を決定すること
  • 適切に目隠しされたチャレンジ・テストを採用して、この障害の過程におけるトキシコダイナミック(toxicodynamic)及び、もしあれば、心因性メカニズムの相対的寄与の根拠を決定すること
  • 積極的な治療連合体や個人の自己管理に基づく効果的な治療/管理プロトコールを決定すること
 それぞれの領域の研究のための特定の所見は下記に示すとおりである。

1.2.1 MCSの原因に対する研究
 何がMCSの原因であるかに関し、多くの議論がある。文献は多くの潜在的な原因となる作用様態を記述しており、それらの多くは更なるテストの余地がある。科学的文献の分析は、MCSのもっとも信頼できる生理学的なメカニズムは大脳辺縁系燃え上がり(limbic kindling/neural)/神経系過敏であり、それは化学物質暴露の結果又はその文脈の中で、嗅覚系、大脳辺縁系、中脳辺縁系、及び関連する中枢神経系経路に生じるということを提案している。

 科学的な証拠の重みは現在、生理学的メカニズムはMCSにおける役割の一部を演じているかもしれないが、一方、病因論における心理的又は心因的要素もあるかもしれないと示唆している。医学界/科学界の意見は、MCSには生理学的、心理学的、及び社会的傾向に関わる多要素原因があることを示唆している。

所見1:提案される作用様態についての目標を定めた研究
 さらなる研究検討を妥当とする多くの提案されたメカニズムがあるが、生物学的妥当性、テスト可能性、及び既知の研究ギャップに基づき、下記に示す MCS 原因の科学的理論がさらなる科学的研究と調査のために優先事項として勧告される。

    • 免疫学的変数
    • 呼吸器系障害/神経性炎症
    • 大脳辺縁系燃え上がり(limbic kindling/neural)/神経系過敏、及び心理的共同因子
    • 酸化窒素、パーオキシナイトライト、NMDA 受容体の高活性化
1.2.2 臨床学的研究の必要性
 MCSの根底にある病理学的プロセス及び治療又は管理を特定しつつ、臨床的レビューは MCS 診断のための合意された基準に関わる困難さを明らかにしている。

 入手可能な報告書は、MCSの個人がきっかけとなる因子に暴露しても典型的な用量−反応関係を示さないことを示唆している。いくつかのチャレンジ・テストは MCS 症状を誘発するのは、薬理学的又は毒物学的特性自体ではなく、きっかけとなる作用因子の香り又は臭気であることを示唆している。

 全体として、多くの主要な臨床的研究の必要性は明らかである。
  • 臨床学会及び科学界のグループに受け入れられる合意された診断基準を確立すること
  • 自己申告症例と医学的に診断された症例の両方についてMCSの有病率を決定すること
  • 適切に目隠しされたチャレンジ・テストを採用して、この障害の過程におけるトキシコダイナミック(toxicodynamic)及び、もしあれば、心因性メカニズムの相対的寄与の根拠を決定すること
  • 積極的な治療連合や個人の自己管理に基づく効果的な治療/管理プロトコールを決定すること
所見2:長期的研究
 オーストラリアにおけるMCSの臨床的状況をよりよく理解するために、MCSの人々の自然なままの歴史をもっとよく見る必要がある。長期的臨床研究(すなわち、MCSがどのように時間ともに進展するか)がMCSの要素、及び今まで見過ごされてきたかもしれない領域を特定する上で役に立つはずである。

 そのような研究は、誘引因子/出来事、診断経験、臨床的過程、及び治療/管理戦略の影響を検証すべきである。そのような長期的研究に着手するために、そのような研究に関わることに準備ができているMCSの人々を特定する必要がある。付属1 知見は、この問題に目を向けた提案されているいくつかの実際的な措置を提供している。

所見3:教育/訓練
 臨床的教育プログラムの開発が調査されるべきである。そのようなプログラムは、現在オーストラリアにおける臨床研究から得られるあらゆる知見(長期的研究など)を利用し、最近のMCSの臨床的レビューへの参加者により合意されたMCS臨床管理へのアプローチに関する現実的な指針を検討して、現在入手可能な証拠に基づくべきである。

 最後に、MCSに関する懸念に目を向けるために、そして適切な支援と治療を求めるために影響を受けるかもしれない人々を支援するために、よりよい情報公開の必要性がある。臨床医、職場、及びコミュニティにMCSという言葉によて現在理解されていること、及びMCSによって影響を受けている人々を支援する実際的な方法について知らせることを目的として、情報提供は南オーストラリア政府MCSリファレンス・グループを含む、MCS支援及び運動グループにも求められるべきであるる。 。


2 多種化学物質過敏症を理解する

2.1 多種化学物質過敏症(MCS)とは何か?

 多種化学物質過敏症(MCS)は、広範な身体的、心理的、及び感情的症状によって特徴付けられる不調を述べるために一般的に用いられる用語であり、その原因は極めて低レベルの広範な環境化学物質に暴露することである。

 MCSの基礎となる初期の概念はアレルギー学者セロン G. ランドルフによって開発されたが、彼は1950年代に、広い範囲の患者は環境的、職業的、及び家庭内の物質に、ほとんどの人が影響を受けるレベルよりはるかに低いレベルでの暴露により病気になったと主張した。ランドルフと同僚らは、今日MCSとして最もしばしば言及されるものとよく似た症状を説明するために、アレルギー反応、マスキング、及び不適応の概念的枠組みを開発した。これらの考え方から議論の多い臨床環境医学という学問領域が進展したが、それは環境的要素を原因とする多種症状をもつ人々に適用される”環境病”の推測的診断に基づいている。

 MCSはこの病気を言い表す最も一般的な術語であるが、MCSとして記述される病気に関連する広範な症状を記述するために用いられている多くの他の術語がある。それらは以下のようなものである。
  • 突発性環境不耐症(IEI)
    (Idiopathic Environmental Intolerance)
  • 環境病
    (Environmental illness)
  • 化学的獲得性免疫不全症候群(化学的 AIDS)
    (Chemical acquired immune deficiency syndrome)
  • 20世紀病
    (20th Century disease)
  • 脳アレルギー
    (Cerebral Allergy)
  • 化学物質過敏症又は化学物質不耐症
    (Chemical sensitivity or intolerance)
  • 環境過敏症
    (Environmental hypersensitivity)
  • 毒性脳症
    (Toxic encephalopathy)
  • 毒物誘因耐性喪失(TILT)
    (Toxicant-induced loss of tolerance)
 ある場合には、これらの術語はMCS作用の根底にある原因と様態に関し個人又はグループの特定の見解を反映している。この理由のために、突発性環境不耐症(Idiopathic Environmental Intolerance / IEI)は、引き起こす原因に関する推論に影響を与えないので、世界保健機関(WHO)を含くむ多くによって賛同されている。このことはMCS症状のための合意された生物学的ベースの欠如を反映している。

 異なる名称でわかるように、ある人々はMCSをひとつの病気の実体としてではなく、環境暴露に関連する広範な症状を記述する集合的な術語として見ている(Alterkirch, 2000)。もしMCSという一般的ラベルの下に存在する多くの症状があるなら、単一の因果メカニズムと単一の治療体制を捜し求めることは有益ではないので、これは重要な考え方である。

 残念ながら、MCSの根底にある原因と病因論に関する合意の欠如、したがってその結果としてのMCSの使用できる定義に関する合意の欠如が、症状の科学的分析/調査及び臨床的認知に対する重大な障害となっている。

2.2 MCS の症状は何か?

 MCS対象者によって述べられる症状の範囲は広い。ラバージとマッカフレー(Labarge & McCaffrey (2000))によってレビューされた文献はMCSに関連する151の症状を特定した。最もよく報告される症状は表1にリストされており、一般的には3つのグループに分けられうる。すなわち、中枢神経系、呼吸器系、及び胃腸系に影響を与えるものである。

表1 MCSとして報告された症状の有病率 
症状有病率*
(%)
頭痛
疲労
混乱
うつ
呼吸困難
関節痛
筋肉痛
吐き気
めまい
記憶障害
胃腸障害
呼吸器系症状
55
51
31
30
29
26
25
20
18
14
14
14
*特定の症状を示すMCS患者のパーセント

 ラッカーら(Lacour et al (2005))による最近のレビューは、MCS患者の自己申告において、頭痛、疲労、及び認知障害のような非特定中枢神経(nonspecific CNS)症状の訴えが多いことに言及した。

 南オーストラリア州議会でのMCS審議の報告書は、2004年の南オーストラリア保健省の調査に言及しているが、その中での主要な症状は、頭痛、ぜん息又は他の呼吸障害、目、鼻、喉の痛みである。報告されているその他の症状は、集中力又は記憶障害、むかつき/胃痛、筋肉痛、めまい、発熱、疲労、うつ、湿疹であった。その審議でなされた他の証言はまた、症状の広い多様性を示した。同様な広範な症状は、2004年西オーストラリア州議会におけるウェイジラップのアルコア製油所からの排出によるとされる健康被害についての審議において口頭及び書簡で報告された(West Australian Legislative Council, 2004)。

2.3 MCS は他の症候群や疾病と関係あるか?

 MCSに関連する症状は、慢性疲労症候群(CFS)、線維筋痛症(FM)、心的外傷後ストレス障害(PTSD)との類似性がある((Aaron et al. 2001; Bornschein et al. 2001)。湾岸戦争に従軍した海軍軍人の医学的症状を調査したある研究は、他の海軍軍人に比べてCFS、PTSD、MCS及び過敏性腸症候群(IBS)の有病率が高いことを報告した(Gray et al. 2002)。これらの病気の多くのケースは短期間のストレス因子、最も一般的にはCFSにおける感染、FMにおける物理的な外傷(physical trauma)、PTSDにおける厳しい心理的ストレス、MCSにおけるある環境因子への暴露がきっかけとなるように見えるということが示唆された((Pall, 2003)。症状におけるこの重複は、ある研究者らにこれらの病気が同じ病因、又は病因の要素を共有していることを示唆させることとなった。

 他の症候群と病気は、MCSを引き起こすか又はMCSに罹りやすくすると報告されている。(下記 表2 を参照:Staudenmayer et al. 2000; 2003b)

表2 MCSと関連があるかもしれない症候群
症候群可能性ある因子
シック・ビルディング症候群(SBS)
Sick building syndrome
ビルの換気不良及び揮発性有機化合物
歯科アマルガム誘因水銀毒性
Dental amalgam-induced mercury toxicity
水銀暴露
電磁波過敏症
Electromagnetic fields sensitivity
電界又は磁界
湾岸戦争症候群
Gulf War syndrome
炭疽病ワクチン、生物又は化学兵器
反応性(上部)気道機能障害症候群(RADS/RUDS)
Reactive (upper) airways dysfunction syndrome
呼吸器刺激物
慢性毒性脳障害
Chronic toxic encephalopathy
感染病原体、代謝又はミトコンドリア機能不全、脳腫瘍、有毒物質への暴露
慢性疲労症候群(CFS)
Chronic fatigue syndrome
感染症
線維筋痛症(FM)
Fibromyalgia
物理的な外傷(Physical trauma)
心的外傷後ストレス障害(PTSD)
Post traumatic stress syndrome
激しい心理的ストレス
過敏性腸症候群(IBS)
Irritable bowel syndrome
食物不耐性とアレルギー、ストレス

 シック・ビルディング症候群(SBS)は、特定のビルで働くことに関連する症候群である(Burge, 2004)。SBSの人は、目、鼻、喉の痛み、頭痛、咳、呼吸困難、疲労、めまい、集中力欠如などの症状を経験する。SBSの原因は不明であるがビルの換気不良が建材、備品及びを機器含む汚染源からのベーパーの蓄積を引き起こすことの結果であるとしばしば考えられている。時には、SBS患者の中のある人々は後にMCSになると報告している(Hodgson, 2000)。

 水銀に過敏(歯科アマルガム誘因水銀毒性)、又は電磁場に過敏となったと報告する人の場合には、これらの特定の因子に対して明らかに高められた彼らの過敏性は、一般的にMCSと関連する他の環境因子にまで広がるかもしれない。

 これとは対照的に、慢性毒性脳障害、慢性疲労症候群(CFS)、反応性気道機能障害症候群(RADS)、 線維筋痛症(FM)、過敏性腸症候群(IBS)、湾岸戦争症候群などの他の症候群が周囲の化学的因子によって引き起こされる又は悪化されるという証拠はほとんどない(Staudenmayer et al. 2003b)。しかし、これらの疾患とMCSの間には症状に重複がある。ブチワルドとガリティ(Buchwald and Garrity (1994) )は、アメリカの成人でCFSの30人、FMの30人、MCSの30人について、これらの3つの疾患の間の類似性を評価するために比較を行った。 FMとMCSのグループの人の約80%は、米疾病管理予防センター(CDC)のCFS主要基準に合致し(Holmes et al. 1988)、また、両方のグループは、これらの疾患にとってマイナーな基準として分類されているCFSの症状をしばしば報告した(Interagency Workgroup, 1998))。

 ジェイソンら(ason et al. (2000) )は、MCSと診断された90人のうち、13人(14.4%)がCFSの基準に合致し、8人(8.9%)がFMの基準に合致したことを見出した。他の研究では、イギリスの軍人でMCSと定義された症例のうち同様な比率(15.2%)がCFSの基準に合致した(Reid et al. 2001)。戦争地域への配備がMCSのと多種疾患の有病率増加に関連していた(ray et al 2002; Thomas et al., 2006; Osterberg et al., 2007)。

2.4 MCS の症状を引き起こすきっかけはなにか?

 文献の中で述べられている感受性の高い人々のMCS症状に関連する因子の範囲は著しく広範で多様であり、それらは合成化学物質及び、電磁放射のような物理的、非化学的な因子を含む。これらの化学物質のあるものは下記に示される(Waddell, 1993)。

  • 石炭、石油、ガス及び燃料
  • 鉱物油、ワセリン、ワックス、アスファルト、タール、樹脂、染料、接着剤
  • 消毒液、消臭剤、洗剤
  • ゴム、プラスチック、合成繊維、上塗り
  • アルコール、グリコール、アルデヒド、エステル、誘導体

 南オーストラリア州保健省の記録は、同州のMCS患者が一般的に問題があるとして特定する広範な化学物質を示しているが、グリホサートのような農薬がしばしば引用されている。

 上記の化学物質や薬品に加えて、オーストラリア化学傷害連合(ACTA)は南オーストラリア州議会のMCS審議(SA Inquiry, Social Development Committee, 2005)に提出した書簡の中で、MCSの症状を引き起こす一般的な因子として下記をリストした。
  • 農薬
  • 香水、髭剃り後ローション、消臭剤のような香料
  • 塗料を含む実質的に全ての揮発性有機化合物
  • タバコの煙、クリーニング用品
  • 敷物類、印刷インク、軟質プラスチック、合成織物
  • 塩素化及びフッ素化された水
  • 医薬品、麻酔剤
  • コンピュータ、テレビ、携帯電話、有線電話、モター内臓機器、写真複写機、短波発信機、高圧電力線
 南オーストラリア州議会審議会はまた、MCSの因子として特定の化学物質を特定した労働者たちからの提出書類を受け取った。グルタルアルデヒドがヘルスケア・ワーカーにとって懸念ある化学物質として特定され、油圧液と潤滑油が飛行機の操縦士と客室スタッフにとって懸念ある化学物質であった(Social Development Committee, 2005)。

 オーストラリアでは、MCSに関連する健康問題はまた、例えば、ウェイジラップのアルコア製油所からの排出など、特定の産業からの環境排出に関連している(West Australian Legislative Council, 2004)。

 アッシュフォードとミラー(Ashford and Miller (1998) )はMCSの原因となる化学的因子と、状態がいったん確立された後に症状を引き起こす因子とを区別する必要があることを強調した。

 研究は、”原因となる(inducing)”化学物質は、その後に感受性の高い人に症状を”引き起こす(trigger)”化学物質と必ずしも同じではないことを示唆している。この区別はある化学物質の既知の毒性を、症状の理解と効果的な治療法の確立、このことが重要であるが、に関連付けることの困難さを説明しているかもしれない。

 報告されているMCSの症状を引き起こす化学的トリガー物質は多様でしばしば化学的には無関係である。研究報告は、MCSの病因には心因性要素があるらしいことを示唆している。
質問:MCSにおいて特定されている追加的トリガーがあるか?

2.5 MCS は臨床的に定義できるか?

 MCSを臨床的に定義することは困難であることがわかり、診断基準を確立するためのいくつの試みがなされた(Kreutzer, 2000)。”多種化学物質過敏症”という術語は、症例定義を提案したカレンによって1987年に造りだされた。次の記述(Cullen 1987)は、MCS文献の中でもっとも一般的に引用されている症例定義である。
 ”この障害は、なんらかの記述可能な環境暴露に関連して獲得される。症状はひとつ以上の器官に関係し、一般の人々に有害影響を引き起こすことが知られているよりもはるかに低い用量で、化学的には無関係な化合物によって引き起こされる。器官系機能のテストで症状を説明できるものはない。

 カレンの症例定義に対して、多くの異論が続出した。アッシュフォードとミラー(Ashford and Miller (1991))は、カレンの基準は臨床現場で使用するにはあまりにも狭すぎると主張した。彼らは、ジャーナル”Clinical Ecology”によって使用されたものに基づき、診断目的で使用できる記述を追加した定義を提案した。彼らの定義は、環境的因子(environmental incitants)に対する有害反応により引き起こされ、個人の感受性と特定の適応性によって変わる”MCSは慢性的多重システム障害で、通常は、多重症状である”。

 診断のために、アッシュフォードとミラー(Ashford and Miller (1991))は、患者は注意深く管理された二重盲検条件の下でMCSであることが示されるべきこと、作用因子を除去すると彼らの症状はなくなり、特定の因子で再度刺激すると症状がまた出るということを追加的に提案した。

 全米研究協議会(NRC)と環境労働診療所協会は1992年にカレンの基準のうち記述可能な暴露という必要条件を除く全ての要素を統合した。一方、スパークスら(Sparks et al. (1994))は、カレンの基準の主要な実際的な限界は暴露−症状関係が主観的で非特定的であることであり、二重盲検プラセボ対照法試験の使用を確立する方がよいと主張した。

 他の研究者らは、器官機能不全の確認をすることのできる客観的な測定又は身体的所見が存在せず、その障害が患者の定義による、すなわち医師は診断時に患者の症状と暴露報告に依存するという理由でこれらの症例定義を拒絶した(Gots et al. 1993; Waddell, 1993; American Academy of Allergy and Immunology, 1999)。

 1996年に開催された世界保健機関のMCSに関するワークショップは、大部分の人には耐えることができ、既知の医学的又は精神的/心理的障害によっては説明できない多様な環境要素に関連して複数の再発症状を持つ獲得された障害であるとして、その状態を述べた。そのワークショップはまた、何がMCSを引き起こすかについてのいくつかの定義の存在に言及しつつ、MCSという術語は因果関係に関して実証されていない判断をすることがあるので、その使用は廃止すべきであると結論付けた(IPCS, 1996)。

 MCSについて広範な経験を持つが、その病因に関して異なる見解を持つ、89人の臨床医と研究者による1989年の調査から、MCSを次のように定義しつつ、5つの診断基準が確立された、

 ”MCSは慢性的な病気で、(1) 再現性をもって再発性し、(3) 多種の無関係な化学物質に、(2) 低レベル暴露で反応し、(4) 原因物質が除去されると改善又は解決する”(Nethercott et al. 1993)。その後、追加的な基準がバルサら(Bartha et al. (1999))によって含められた。すなわち、(5) 単一器官系障害、例えばこれら5つの基準に合致するかもしれない偏頭痛と区別するために”症状は多臓器系で出るべきこと”。

 バルサら(Bartha et al. (1999)のこれら6つの基準は、’1999年合意基準’として参照され、一般的に研究定義中に含まれている。


多種化学物質過敏症(MCS)1999年合意
(Bartha et al 1999)

  • 慢性的疾患である
  • 暴露の繰り返しで症状は再現する
  • 低レベル暴露で反応する
  • 関連のない多種化学物質に反応する
  • 原因が除かれると症状は改善する
  • 症状は多臓器系で起こる


 2002年に実施されたニューサウスウェールズ(NSW)州保健省成人健康調査には化学物質過敏症に関する質問が含まれており、これらの合意基準が使用された(NSW Department of Health 2002)。

 重要なことは、MCSのためのこれらの6つの定義基準を特定することはもちろん、バルサら(Bartha et al. (1999))はまた、もし、別の唯一の多臓器系障害が、ある化学物質への暴露の結果である兆候及び症状の全てに帰因するといえるなら、MCSの診断は除外することができるということに言及した。

 多くのMCSレビューで、他の単一の特定された障害プロセスへの帰因がないことを求めるこの追加の7番目の基準は、1999年合意基準の一部として含まれる(eg. Read 2002; Social Development Committee 2005)。  異なるMCS定義の判別有効性についてのその後の調査で、マッケオンエイセンら(McKeown-Eyssen et al. (2001))は、一般、アレルギー、職業病、及び環境病に関連する診療を行っている4126人のカナダ人医師を調査した。ネザーコットら( Nethercott et al. (1993))の症例定義、及び’1999年合意’の症例定義は、最もMCSであるらしい患者と一般診療患者とを区別するために最も有効であること示した。

 残念ながら、臨床現場ではMCS診断のための標準化された基準が欠如しているように見える。多くの環境医師は発表され症例定義は診断目的には制限があることを見つけており、また、ひとつの化学物質に反応する人々や、たとえば気管支発作(bronchospasm)のようにある程度の変化が生じる人々をMCS診断に含めている(Eaton et al. 2000)。

 その他の症例定義も提案されているが、しっかりしたテストは実施されておらず、広く認知されていない(Simon et al. 1990; Kipen & Fiedler, 2000)。英国アレルギー・環境・栄養医学会(BSAENM)は、全ての他の潜在的原因の消去に依存するいわゆる毒物誘因耐性喪失(TILT)のためのミラー(Miller (2000) )により提案された基準に賛同した(Eaton et al. 2000; Miller, 2000)。ラッカーら(Lacour et al (2005))による最近のレビューは、MCS患者の自己申告において、非特定中枢神経(nonspecific CNS)症状の訴えが多いことに言及し、そのようなCNS症状の存在は、少なくとも6ヶ月間の重要なライフスタイルの悪化又は機能の悪化とともに、診断基準の必須項目とすべきであることを示唆した。

 MCSの症例定義は普遍的には合意されていないが、MCSの研究定義においては1999年合意基準が一般的に使用されており、これらの基準はオーストラリアの調査においても使用されている。

2.6 MCS には疾病分類があるか?
 MCSは世界中のどこの国においても分類された疾病として認められていない。

 ドイツでは、MCSはドイツ医学文書情報研究所(DIMDI)によって刊行されたドイツ語版『疾病及び関連健康問題の国際統計分類(ICD-10-SGB-V)』のアルファベット順インデックスに含まれている。しかし、このインデックスが何人かのドイツ臨床医によって用いられた句(phrase)又は診断の収集であり、ドイツにより”公式に認められた”リストではない((M. Schopen, DIMDI, Personal Communication, 2004)。

 オーストラリアでは、オーストラリア版の2003年国際統計分類(ICD-10-AM [Australian modification])にMCSを含めるためにMCSは公募の対象であった。疾病分類は病気の実体を確立された基準に従って割り当てる分類システムである。健康分類は健康介護サービスに記述されている通り、疾病、傷害、及び干渉のためのコードの階層的システムからなる。現在、オーストラリアでは、診断と手続きはCD-10-AMを用いて一連の数値及び/又はアルファベット・コードで割り当てられている。これは、収集された疾病データの比較、分析、及び解釈を可能とする。

 公募は国立健康分類センター(NCCH)によってレビューされ、その後、NCCH 専門家諮問グループを通じて関連臨床専門家により調査され議論された。MCSの場合には、免疫学臨床分類コーディング・グループ、王立オーストラリア医学校、ガセミックス臨床委員会オーストラリア、及びオーストラリア臨床免疫アレルギー学会が全て助言を求められた。

 2003年のこの提案の検討に関与した専門家らは、重要な臨床問題を示す一連の症状があることについて同意したが、ICD-10-AMの中にMCSのための専用のコードを設ける提案は下記の根拠により拒絶された(J Rust, NCCH, Personal Communication, 2004)。
  • 過去20年間以上にわたり多くの試みがなされてきたにもかかわらず、この記述的ラベルを獲得した患者における根底にある病理学的プロセスの臨床的又は研究室での証拠は存在しない。
  • 一般集団において匂い及び煙霧からの不耐性/刺激に広い範囲があり、提案された分類のカテゴリーに入る患者の範囲を定めるための明確な境界線を引くことは不可能である。
  • 世界的に受け入れられている診断基準も有効性が検証された診断テストも存在しない。
  • MCSのカテゴリーのために提案された臨床的特徴が CFS や FM のように重複しているように見える多くの症候群がある。これらの実体とMCS症候群との間の関係は現状では不明確であり、このことが診断分類の困難さを作り出している。
 臨床実体としてのMCSの認知の欠如及び、その結果としての保健制度の中での分類の欠如が疾病データの収集と分析を著しく制限している。

    2.7 MCSの人々は共通の化学物質暴露を受けているか?

     現在、MCS対象者又はMCSになりやすいかもしれない人々と、特定の化学物質暴露又はライフスタイルとを結びつける疫学的データは存在しない。発表されれいる文献では、MCS対象者は一般的に女性、30〜50歳台、平均的社会階層より上位であると記述されている(Black et al. 1990; Asford & Miller, 1991; Cullen et al. 1992; Sparks et al. 1994; Lax and Henneberger, 1995; Miller & Mitzel, 1995; Fielder & Kipen, 1997; Levy, 1997)。

     アッシュフォードとミラー(Ashford and Miller (1998))は、アメリカにおける次のグループの人々は化学物質への低レベル暴露への感受性が高いと主張した。

    • 日々の活動の一部として化学物質に職業的に暴露している産業労働者
    • 密閉性のビルで働いている事務所作業者
    • 汚染地域(汚染現場又は既知の汚染源の近く)にいる個人
    • 化学物質に思いがけなく暴露する個人
    また もっと最近のカナダの調査はMCS対象者の中における女性バイアスを報告しており、またMCSは(他の医学的に説明できない身体的症状とともに)低所得層に多いことを報告している(Park and Knudson 2007)。

     職業的化学物質暴露の役割とMCSに関して、アメリカの報告書はMCS対象者の役27%だけが、建設業や製造業のような産業で化学物質に職業的に暴露していると報告した(Cullen et al. 1992)。ラックスとヘネバ−ガー(Lax and Henneberger (1995))は、1989〜1991年に労働衛生診療で605人の新たな患者の中にカレン(Cullen (1987))によって提案されたものと類似の症例定義に合致する35人を特定した。この調査の中で、産業で働いていた非MCS患者の54%は、他の労働環境よりも潜在的に危険な化学物質暴露を受ける可能性があった。それとは対照的に、MCS患者の26%だけが危険な産業に雇用されていた。

     オーストラリアにおいて職業的に病気になりやすいということが存在するかどうかを決定するために入手できる情報がほとんどない。2005年南オーストラリア議会でのMSC審議会は、看護師らから、彼らのMCSのきっかけとなった化学物質としてクリーニング剤、グルタルアルデヒド、ホルムアルデヒドなどを特定したいくつかの提出書類を受け取った。グルタルアルデヒド影響支援者−被害看護師グループ(GASPing)は、看護師にとって特に懸念ある化学物質としてグルタルアルデヒドを特定した。同様に、パイロットと客出乗務員は潤滑油と油圧液がMCSの原因であると特定した。一般的に、審議会では、ウェイジラップのアルコアにおける看護師、航空産業、農民、機械工、アルミニウム工など異なる職業グループにおける広範な人々がMCSの症状を供述した(Social Development Committee, 2005)。この議会審議への提出書は、疫学的データの裏づけのある調査が欠如しているが、オーストラリアにおける職業的暴露と化学物質及びMCSとの間の強い関係を示唆した。

     全体として、化学物質暴露のタイプ及び程度に基づくMCS発症のリスクにさらされている個人を特定するためには、現状で入手可能なデータでは不適切である。2007年に開発された新たなオーストラリア全国職業病システムが言及される。オーストラリア安全補償協議会(ASCC)はオーストラリア有害性評価データベース(AHEAD)を開発したが、それは労働者の自己申告暴露と実際の暴露の測定の調査から得られたデータを含んでいる。このデータベースはまた、化学物質暴露をカバーするであろう。初期調査データからの最も重要な発見はASCCによって2008年中旬までに発表されることが期待される。


    3 何がMCS の原因か?

     MCSの原因に関連する文献は、常にMCSの根底にある主原因に関する見解の相違、すなわち心因性なのかトキシコダイナミック(toxicodynamic)(訳注:化学物質の標的臓器への到達後の様々な反応)なのかについて光を当てる。MCSの症状は、知覚された化学物質の毒性への心因的反応なのか、又は化学物質と器官系との生理学的/病理学的な反応なのかについて多くの議論がある。ある医師らはMCSは純粋に心理的障害であると信じており、その他の医師らは、あまり理解されていないが、化学的暴露に対する生理学的反応であると考えている。また、生理学的及び心理学的要素の両方がMCSの病因における役割を部分的に果たしているということもできる(Bock and Birbaumer 1997; ヨsterberg et al 2005; Das-Munshi et al., 2007; Haustener et al., 2007)。

     それにもかかわらず、又はおそらく、この議論のために、根底にあるMCSの生物学的なベースと人によって異なる広範な症状が未解決のままとなっている。実際に、ウィンダー(Winder (2002) )によるレビューは、24をくだらない可能性ある原因メカニズムを特定した。

    作用様態
     有害な健康結果の生物学的ベースを検討する時に有用な枠組みは、作用様態(mode of action)の概念−作用連続体(action continuum)のメカニズムである。これは観察される影響の原因を調べるために異なる証拠の必要性の理解に役に立つ。この概念は化学物質のリスク評価に用いられ、動物モデルで観察される有害影響又は人に観察される症状に関連する規制を行うために必要な証拠のレベルを決定するのに役に立つ。

     作用様態は、観察される毒性学的影響(例えば有毒な実体への代謝、細胞死、再生・修復、及び腫瘍)に導く一連の主要な生物学的出来事として定義される。仮定される作用様態は実験的観察及び関連する機械論的なデータによって支援されるが、それは作用のメカニズムと対照的であり、それは影響の分子的ベースの十分な理解と一般的に関わりがある。作用の様式の概念は、リスク評価という文脈で毒性学的データを解釈したり、追加的な関連研究を勧告するに時に、重要になってきた。ひとつより多くの作用様態がMCSに関連する広範な症状を生み出すことに関わるかも知れない。

    3.1 可能性あるMCS作用様態の概要

     MCSの原因となる因子に関する規制的、臨床的、又はその他の行動を起こすのにふさわしいベンチマークとしての証拠の作用様態レベルを用いて、MCSの原因に関しどの報告書が生物学的に妥当で科学的に試験を実施できる仮説を反映して検討されているかを特定するために、入手可能な文献のレビューが行われた。この分析は臨床での更なる調査とテストを正当化する理論を特定する。

     MCSの原因として特定された仮説を下記に記す(順不同)。

    備考:MCSを特性化することには困難があるので、仮説についての議論は徹底的なものではなく、人によっては不完全であるとみなされることがあるかもしれない。さらに、特定の仮説の証拠の重みはここに示す概要より強いかもしれない。

     因果関係及び病因を説明する作用様態のためのこれらに関する又はその他の試験できる仮説のための追加の科学的情報が求められる。

    3.1.1 免疫学的調節障害

    仮説:免疫障害は、MCSが化学的に誘因される免疫系の障害によって引き起こされるということを提案している(Levin & Byers, 1987; 1992; Meggs, 1992, 1993)。この理論では、化学的感受性が高められるなどの免疫メカニズムと、古典的なアレルギー反応に関わるものとを区別する。

     古典的なアレルギー反応は、アレルギー抗原に対して生体を変え、生物化学的に測定することができる免疫学的パラメーター(血清IgE、IgG、補体レベル、又はリンパ球数の増加など)に変化をもたらす特定の細胞又は抗体反応に関するものである。

     アレルギー疾患の共通のマーカー(すなわち、血清IgEの増加)は、MCS対象者には見出されないということが言及されている(Labarge & McCaffrey, 2000; Bailer et al. 2005)。しかし、MCSの原因としての免疫障害を支持する病因論的メカニズムの詳細は提供されていない。

     あるMCS患者らは 末梢血リンパ球サブセットの変化、循環活性T細胞の比率の増大、又は組織抗原及び化学的蛋白結合に対する異常血清抗体の増大などのある免疫学的変数の変化を示すが(Rea et al. 1992; Thrasher et al. 1990; Heuser et al. 1992; Levin & Byers, 1992)、特定の免疫学的欠陥を示す一貫した異常のパターンは発見されていない(Simon et al. 1993; Graveling et al. 1999)。

     全体として、ある研究者らは、アレルギー反応又は免疫学的反応は、少なくともMCS患者の一部に寄与する要因となってることを認めているが(Selner & Staudenmayer, 1992; Albright & Goldstein 1992; Meggs, 1992; Interagency Workgroup, 1998)、標準化されたプロトコールの欠如、患者のテスト結果の幅広い変動、及び免疫系に影響を与える変数(例えばストレス、喫煙)の制御の欠如のために、発表されている報告書からMCSにおける免疫系の役割を評価することは難しい(Gad, 1999)。

    研究課題:免疫障害はMCSと関連するかどうかをさらに検証する作業が必要がある。そのような作業には、適切な品質管理、よく定義された臨床グループと特定の化学的課題をもった確認された免疫測定が含まれる(Mitchell et al. 2000)。

    3.1.2 呼吸器系障害/神経性炎症

    仮説:呼吸器系障害/神経性炎症は、MCSが化学的刺激物と感覚神経の相互作用によって引き起こされるかもしれないことを提案している。本質的には、この理論は吸入された化学物質が、神経抹消からの炎症伝達物質を局部的に放出する鼻粘膜中の感覚神経C-fibres上の受容体に結合し、呼吸器系の機能変更をもたらすことを示唆している。

     化学的刺激部における呼吸影響に加えて、MCSで見られる多臓器影響は、離れた組織で中枢神経系が放出する炎症物質を通じて引き起こされる逆方向感覚神経インパルスのメカニズムを切り替える神経性炎症を通じて起きると考えられている。リウマトイド因子関節炎、偏頭痛、線維筋痛症(Fibromyalgia/FM) のような障害における神経性といわれるメカニズムと類似している(Bascom, 1992; Meggs, 1995, 1999; Meggs et al., 1996; Read, 2002)。

     メグスとクリーブランド(Meggs and Cleveland (1993))は、10人のMCS患者に鼻と喉のrhinolaryngoscopic 検査を実施し、全ての対象者に慢性炎症変化があることを報告した。ある化学物質に単回高用量暴露した後に鼻炎になった患者たちは低用量の化学物質及び/又は関連する匂いに慢性的に不耐性になるかもしれないということをある研究グループは示唆した(Meggs, 1995, 1999)。バスコム(Bascom(1992))は、鼻粘膜の慢性的炎症から起きる神経性炎症は、MCS患者の低い感受性の閾値を説明できることを示唆した。

     化学感覚(chemosensory)の感受性と特殊性がMCS患者の暴露試験でテストされた。スタウデンマイヤーら(Staudenmayer et al. (1993))による嗅覚マスキング剤を用いたプラセボ対照二重盲検試験(DBPC)で、MCS患者(20人)は、活性因子とプラセボ(嗅覚マスカーを含んだ清浄空気)について信頼性ある識別をすることはできなかった。参加者毎との感受性、特殊性、及び効率のレーティングは一連のテストを通じて信頼性のある反応パターンを示さなかった(Staudenmayer et al. 1993)。他のDBPC試験で、18人のMCS患者を年齢と性別が対応するコントロールと比較した結果、フェニルエチルアルコール又はメチルケトンの嗅覚閾値に有意な変化は見られなかった。

     しかし、この調査では、MCS患者はコントロールに比べて有意に高いtotal nasal resistancesと高い呼吸数を示した(Doty, 1994)。ハンメルらは、室内空気又2-プロパノールに暴露させた23人のMCS患者(カレンの基準に従い診断)のDBPC試験で嗅覚閾値に変化はないことを見つけた。しかし、2-プロパノールでのテストでは室内空気に比べて匂い識別性能が増大したが、これは揮発性の化学物質に対する感受性が増大していることを示唆している。また約20%のMCS患者は暴露対象に関係なく症状を示したが、これは非特定の実験操作へのMCS患者の感受性を示唆している(Hummel et al. 1996)。

     上記作業の拡張を含むレビューで、ダルトンとハンメル(Dalton and Hummel (2000))は、23人のMCS患者と年齢性別対応のコントロールに対して嗅覚閾値をテストしたが有意な相違はないことを見出した。またこのテストで、コントロールに比べて2倍多いMCS患者が暴露のタイプに関係なく症状を報告し、非特定実験条件へのMCS患者のより高い感受性を示唆している。これらの著者らは、環境中の匂いの経鼻暴露への反応に関するMCS患者とコントロールの相違は、認識知覚プロセスの違い、すなわち、感受性や化学的感覚プロセスの違いではなく、どのように匂いが認識されるかの違いを反映しているように見えると結論付けた(see Section 2.2.4 Odour Perception)。

    研究課題:入手可能なデータは、少なくともあるMCS患者の鼻又は上部気道に何らかの影響があることを示唆している。しかし、nasal resistance の増加のような鼻の粘膜やその他の呼吸器系の変化だけではMCSで報告される多臓器系病理学を説明することはできない。さらに、多臓器系病理学を説明するための神経切り替えメカニズムの関与(Meggs & Cleveland 1993; Meggs 1995; 1999))はMCS患者ではまだ実証されていない(raveling et al., 1999)。

    3.1.3 大脳辺縁系燃え上がり(limbic kindling)/神経系過敏化

    仮説:大脳辺縁系は、嗅覚、感情、学習、記憶に関連する脳内部の構造のグループである。大脳辺縁系は多くの認識、内分泌、及び免疫機能の制御に関与し、ある刺激に長い間繰り返し暴露すると反応が高まる過敏化プロセスに特に脆弱である(Gravelling et al. 1999; Sparks, 2000b)。ベルらは、嗅覚−大脳辺縁系機能不全は、MCS患者らが経験するような多臓器多症候的症状(polysymptomatic conditions)をもたらすことがあると仮定した(Bell et al. 1992; 1997; 1998)。

     行動学研究の文脈において過敏化は、ストレスやドラッグの濫用への繰り返し暴露の後の行動的又は神経化学的反応の漸進的増加に一般的に関連する。燃え上がり(kindling)は過敏化のひとつの形であり、以前には反応を引き起こすことはなかったが、後には発作を引き起こすこような、繰り返される間歇的、電気的又は化学的刺激の能力として定義される。動物研究は、電気的又は化学的刺激への反応として脳生理学及び行動の様々な急性及び慢性変化を示している(Antelman, 1994; Gilbert, 1995; Sorg et al. 1998; Sorg, 1999; Labarage & McCaffrey, 2000)。

     MCSの文脈で、何人かの研究者らは、大脳辺縁系燃え上がりは時間依存の過敏化であり、それにより刺激の弱い化学的ストレス因子(薬理学的又は環境的)は時間経過とともに増幅される生理学的影響を引き起こすことが可能となること(Antelman, 1994))、及び大脳辺縁系燃え上がりはMCSの病因にある役割を果たすかもしれないこと(Bell et al. 1992; Miller, 1992)を提案している。

     MCSの嗅覚−大脳辺縁系神経過敏化モデルは、環境物質への反応における個々の相違が、嗅覚、大脳辺縁系、中脳辺縁系、及び中枢神経系(CNS)の関連経路の過敏化に対する感受性の神経生物学に基づく相違に由来するということを提案している(Bell et al. 1992; 1997; 1998)。このモデルは、MCSに現われる広い範囲の様々な症状の説明として、中枢神経内の神経系、免疫系、及び内分泌系の間の相互反応におけるこの点を特筆している。神経過敏化モデルは、大脳辺縁系神経ネットワークの興奮しやすさが低レベル化学物質暴露への反応性を増加させるかもしれないと主張している。

     初期の研究はMCS患者の脳内の電気的活動を描くことを試みた。残念ながら、実験技術の乏しさと適切なコントロール群の欠如のために、これら対象の電気的異常の決定的な証拠を示すことはできなかった(Mayberg, 1994))。ブラウンデガグンとマックグロン(Brown-DeGagne & McGlone (1999))による後の神経心理学的研究は、ベルの嗅覚−大脳辺縁系モデル内でMCS対象者の認識プロファイルを検証した。対応するグループの比較は、MCS対象はコントロール対象とともに全ての認識タスクを果たした。しかし、認識反応への影響を決定するときに、薬物使用又は慢性的病気のような絡因子(confounding factor)は考慮されなかった。したがって、この研究からは嗅覚−大脳辺縁系モデルの有効性に関して決定的な結論は引き出すことができなかった。

     陽電子放出断層撮影(PET)は、ボルンチェインら( Bornschein et al (2002b))により12人のMCS患者の神経毒性学的又は神経免疫学的ダメージが検出できるかどうか調べるために用いられた。正常なコントロール対象に比べて軽度のブドウ糖代謝機能低下が一人の患者に見られたが、MCS患者らは神経毒性学的又は神経免疫学的な脳の機能的変化の有意性を示さなかった。

     臭気閾値と知覚の研究で、カッカポロら(Caccappolo et al. (2000))は、フェニルエチルアルコールと不快な臭いのするピリジンに対する臭気検出閾値を評価した。MCS対象者(33人)、慢性疲労症候群(CFS)対象者(13人)、コントロール(27人)、ぜん息患者(16人)にはなんら相違は見出されなかった。フェニルエチルアルコールの閾値上刺激(suprathreshold)濃度に暴露した時に、MCS対象者は有意に高い三叉神経症状とフェニルエチルアルコールに対する低い美的レーティング(aesthetic ratings)を報告したが、より低い臭気閾値感受性又は臭気を特定する高められた能力を示さなかった(Caccappolo et al. 2000)。この研究は、MCS対象者は健康な人に比べて高められた臭気感受性を持っておらず、認識、非知覚要素が臭気認識に役割を果たしているという考えを強化している(Dalton and Hummel, 2000)。

     MCS対象者における臭気処理についてのもっと最近の研究がPETを用いてヒルベルトら( Hillert et al. (2007))によって行われた。臭気暴露の後、不快感が報告され、心電図波形間隔の減少によって確認されたにもかかわらず、コントロール対象者らに比べて生理学的にMCS対象者らは正常な臭気処理を行う脳部位の活性が低いこと(局部的な大脳血流の変化により測定)を示した。さらにMCS対象者は、前帯状皮質及び楔部−楔前部(cuneus-precuneus)の活性の臭気関連増加を示したが、コントロールにはこの影響は見られなかった。著者らは、臭気回路中に一般的神経超感受性(supersensitivity)の証拠を報告しておらず、神経過敏化の兆候なしにMCS対象者は正常な人とは異なる臭気処理を行っていると結論付けた。予期、注意、調整、危害回避、知覚選択に関連する脳部位を通じての臭気反応の”トップダウン”調整が示唆されている。

    研究課題:大脳辺縁系の過敏化は心理社会的ストレス又は“生涯トラウマ(life trauma)”の出来事によって引き起こされ得る又は増大させられ得ることが提案されている。一度過敏化されると、大脳辺縁系は、化学物質、騒音、及び電磁放射を含む非常に多くの因子に反応する(Arnetz, 1999)。MCSにおける大脳辺縁系の過敏化のアルネッツ(Arnetz)モデルの支持は、フリードマンら( Friedman et al. (1996))によるマウスの実験で、ストレスが、周辺的に投与されたエバンのブルーアルブミン(Evan's blue-albumin)、プラスミドDNA、及びアセチルコリンエステラーゼ阻害物質 pyridostigmine に対する血液脳関門浸透性を著しく高めたことを示した動物研究から引き出されているかもしれない。これらの発見は、ストレスの存在下で投与された化学物質の周辺作用が脳に届き、中枢制御機能に影響を与えることができることを示唆している(riedman et al. 1996)。実際、ある研究者らはMCSの最も強い兆候のひとつは、MCS症状を発症する前の精神の病的状態であると報告している(Simon et al. 1990; Reid et al. 2001)。

     動物及び人による研究が、鼻腔の嗅覚部位から脳までの直接的な嗅覚神経経路を実証しているので、このモデルもまた人においても、鼻は、多くの分子のために鼻粘膜と嗅覚神経を通じて血液脳関門をバイパスする直接的な経路を提供することを前提にしている。しかし、嗅覚神経を通じての鼻から脳への経路は動物では実証されているが、人でのそのような経路のメカニズムの証拠はまだ不完全であり、議論の対象である(Illum, 2004)。

     燃え上がり(kindling)が起きるのに必要な暴露レベルに関しては、動物における化学物質の燃え上がり又は時間依存の過敏化は、人にMCSを起こすと疑われている低用量よりはむしろ、典型的には薬理学的に有効な化学物質の用量に対応して起きる。このことは、もし大脳辺縁系燃え上がりがMCSの病因の一部であったなら、例えば産業現場で化学物質に暴露している人々のように、もっと高いレベルの化学物質暴露を受けた人々の中にもっと高い有病率が予測されたはずであったが、そのような事実はない(Labrage & McCaffrey, 2000)。

    3.1.4 酸化窒素、パーオキシナイトライト、NMDA 受容体の高活性化

    仮説:パル(Pall (2002; 2003))は、MCS被害者らが経験すると言われている過敏症状(hypersensitivity)は、酸化窒素、oxidative product パーオキシナイトライトのストレス関連増加、及び中枢神経系(CNS)の 大脳辺縁系にあるN-methyl-D-aspartate (NMDA)受容体の増加に関わる相互に関連した相乗的に作用する生物化学的メカニズムによって説明することができる。

     この理論は、過敏症状は、酸化窒素及びパーオキシナイトライトのレベルを高めつつNMDA受容体を刺激するウイルス性又は細菌性感染、化学的暴露又は心理的ストレスのような短期的ストレス因子が関与する大脳辺縁系燃え上がり/神経過敏化プロセスを通じて過敏症状が生じるということを示唆している。

     これは、次のような相互に関連する作用のサイクルを伴う。
    a) NMDA 受容体の活性を高める、逆行性シグナル伝達物質(retrograde messenger)及び刺激神経伝達物質(グルタミン酸塩)の放出としての酸化窒素作用
    b) 環境化学物質の分解を低減する酸化窒素抑制シトクロム P450
    c) NMDA受容体の感受性を高めるパーオキシナイトライトを形成する超酸化物との酸化窒素作用
    d) 化学物質の中枢神経系へのアクセスを増大するパーオキシナイトライト介在血液脳浸透性の増加

     MCSの慢性特性は、これらのメカニズムの継続する伝播により起きるという前提に立っている。この理論のもっと最近の展開はまた、バニロイド受容体の活性増加をほのめかしている(Pall, 2004; 2007)。MCS の症状の相違はこれらの反応の組織分布の変動によって説明される。MCSのこの作用様態をさらに進めて、著者らは、MCSは酸化窒素パーオキシナイトライト生物化学を下方制御する因子によって最もよく治療されることを示唆している。

    研究課題:この理論はまだ論破されていないが、それを支える科学的証拠がはじめからない。例えば、この理論の中で酸化窒素、パーオキシナイトライト及びNMDA 受容体に中心的役割があったとしても、酸化窒素 scavenger、合成抑制物質、又は NMDA 拮抗物質のような、この生物化学をかく乱する因子の影響はMCSにおいては調査されていない。

     さらに、この理論は、発症因子として疎水性有機溶剤及び有機リン又はカルバメート系農薬を示唆するが、MCS症状の発症因子は多様であり、しばしばアルコール(すなわち香水)又はマラチオンなどの農薬のような親水性有機溶剤を含む。実際に、ある研究者らはアルコールは実際には刺激するよりむしろ NMDA 受容体を抑制することを示している(Peoples & Ren, 2002)。さらに、この仮説が多臓器症状を説明するために大脳辺縁系燃え上がり/神経過敏化理論を利用するなら、この仮説は、すでに示した通り、脳辺縁系燃え上がり/神経過敏化モデルと同じ批判を引き出すであろう。

    3.1.5 毒物誘因耐性喪失(TILT)

    仮説:ミラー(Miller (1997))は、MCS病因を説明するために、もうひとつの疾病理論、TILTを提案した。この理論は、急性又は慢性の化学的暴露は脆弱な人に以前は耐性のあった化学物質、薬剤、食品に対する耐性を失わせることがあり得るということを示唆している。一度過敏化すると、多くの物質への低レベル暴露が症状の引き金となるかもしれない。ミラーは、TILT が、細菌、免疫、及びがんの理論と同様な疾病原因の新たな理論であること証明するかもしれないと主張している。

     最初の耐性喪失、又は他の関連性のない化学物質への過敏性の明白な広がりを説明するメカニズムは何も提案されていない。MCSに関連する多様な症状は、まだその人に影響を与えている他の暴露に対する反応によりマスクされている特定の有毒物質に対する具体的反応をもつマスキングの概念を用いて説明される(Miller 1996, 1997; 2000; Miller et al. 1997; 1999a, b)。この理論によれば、過敏性の診断は、患者の”マスクを取り去り”、トリガー物質のバックグラウンドの影響を除去するために、環境医療ユニットを用いて実験条件を最適化することに依存する。

    研究課題:ミラーらによれば、研究は一般的に暴露テスト前に患者のマスクを取りさることに失敗している。

    3.1.6 条件反応

    仮説:ある研究者らは、MCSにおける化学的臭気に対する条件反応を提案している。その仮説では、強い臭気を発する化学的刺激は直接的で無条件に身体的又は精神生理学的な反応を引き起こす(Bolla-Wilson et al. 1988; Shusterman et al. 1988; Siegel 1999)。同じ刺激物に対するその後のもっと低い濃度での暴露は、同じ症状の条件反応を引き出す。条件付け関連の現象に関する報告されている事例には、薬理学的過敏、条件付けされた免疫変調、及び臭気/味覚嫌悪がある(Siegel and Kreutzer, 1997; Giardino and Lehrer, 2000)。

     有害な条件刺激は生理学的であるとともに心理学的であるかも知れない。ペンネンバカー(Pennebaker (1994))は、MCS対象者はしばしば、症状を報告する以前にトラウマ経験のあった人々である。戦地への配置はMCSの有病率の増加及び多症状疾患に関連している(homas et al., 2006; Osterberg et al., 2007; also see Section 2.3)。

     健常者の条件反応の実験で、バンデンバーグら( Van den Bergh et al (1999))は、無害であるが臭いのする化学物質に対して対象者らは、もしこれらの臭気が関係のない症状を誘因する生理学的暴露なら、身体的症状及び呼吸変化反応を獲得し、その後その反応を失うことができることを示した(CO2過多の空気への暴露による過度呼吸)。条件反応は派手ではないが再現性があり、少なくとも反応条件の一部としてMCSの見解を支持する。その後、刺激の一般化を通じて、他の臭気要因がその条件反応又は暴露の認識さえも引き出し始めるかも知れない(Bolla-Wilson et al., 1988; Devriese et al, 2000; Lehrer, 2000)。

    研究課題:しかし、条件反応はMCS被害者によって報告される多様な範囲の症状を直接的に説明しない。さらに、多くの場合、無条件刺激を構成するはずの実質的な初期暴露事象がない(Sparks, 2000b)。

    (続く)


    6 付属2.他の国の政府と専門組織の見解

    6.1 アメリカの専門組織

     いくつかのアメリカの組織はMCSについてMCS診断の短所を指摘する公式声明を発表している。診断手順のあるものの信頼性のなさとその誤用、及び、これら特定の患者における環境化学物質の毒性影響であると言われるものについての科学的支持と臨床学的証拠の欠如である。

    6.1.1 米国環境医学アカデミー(AAEM)
     1965年、ランドルフは、主に臨床環境医学の原理を実践している内科医及び整骨療法医からなる米国環境医学アカデミーを設立した。AAEMは、その哲学を『An Overview of the Philosophy of the Academy of Environmental Medicine(環境医学アカデミーの哲学大要)』(AAEM, 1992)に発表した。この声明は、多くの異なる器官から生じる広範な症状は、感受性の高い人々に環境的刺激によって引き起こされる生物学的機能不全の結果かもしれないと示唆している(nteragency Workshop, 1998)。

    6.1.2 米国アレルギー・ぜん息・免疫学アカデミー(AAAAI)
     米国アレルギー・ぜん息・免疫学アカデミー(AAAAI)は、アレルー専門家、ぜん息専門家、臨床免疫専門家、その他の健康関連専門家を代表するアメリカ最大の医学専門組織である。AAAAIは、見解声明を1986年に初めて発表し1999年に更新した。AAAAIは、MCSにおける病因論と生成及び、MCS対象における免疫学的及び神経学的異常に関する特定のメカニズムについての科学的証拠が不在であることに言及した。環境化学物質、食品、及び/又は薬品とMCS症状の因果関係は推論の状態が続いている。

    6.1.3 米国内科学会(ACP)
     米国内科学会(ACP)は、1989年に見解声明を発表したが、それは、米国職業環境医学会(ACOEM)も1991年に自身の見解を発表するまでそれを採用した。それは、臨床環境医学の考えと実施を支持するのは不適切であると結論付けた。臨床環境医学の理論で表わされるような環境病の存在は、臨床的定義が欠如しているので疑問がある。診断と治療は、効能が証明されていない手順を含んでいる(American College of Physicians, 1989)。

    6.1.4 米国職業環境医学会(ACOEM)
     ACOEMは1991年に見解声明を初めて発表し、その後1993年と1999年に更新した。それは、MCSを明確な実体として定義するための証拠はまだ存在せず単一症例定義はないが、ある暫定的な結論を支持するデータは入手可能である。その声明は次のように述べている。
    • 免疫学的根拠に反する証拠がある。
    • 例えば線維筋痛症(FM)や慢性疲労症候群(CFS)のような他の非特定状態とオーバーラップする。
    • 調査データは、におい関連症状は一般集団で共通であるが、関連する障害の程度と有病率は明確ではないことを示唆している。
    • 既存及び同時発生の精神障害の有病率はいまだに議論がある。
    • MCSと環境汚染物質への暴露との関連は証明されていない。
    • MCSの発症又は厳しさを最小にすることを目標として環境の調査、規制、又は管理を行うための科学的根拠は現在、存在しない(American College of Occupational and Environmental Medicine, 1999)。
     ACOEMはまた、人の健康に影響を与えることがあり得る何らかの室内空気質があることを認め、したがって室内空気質を改善するための規制的取り組みを支持している。

    6.1.5 米国医師会(AMA)
     1992年、AMAは、正確で、再現性があり、よく管理された研究成果が入手可能となるまで、MCSは認定された臨床的症候群としてみなされるべきではないと述べた(American Medical Association Council on Scientific Affairs, 1992)。AMAは現在、MCSに関して見解声明をしていない。

    6.1.6 カリフォルニア医師会(CMA)
     1986年、カリフォルニア医師会科学委員会臨床環境医学タスクフォースは広範囲わたる文献レビューを実施し、臨床環境医学が根拠とする仮説を支持する説得力のある証拠はないこと、臨床環境医学者は低レベルの環境誘因子によって引き起こされる特定の認識可能な疾病を特定していないこと、そしてそのような定義されていない状態を診断し治療するために用いられる手法は効果的に証明されていないと報告した(California Medical Association Scientific Board Task Force on Clinical Ecology, 1986)。

    6.1.7 その他の組織
     MCSに関する声明を出したその他の組織には、米科学健康協議会(Orme and Benedetti, 1994)及び米国健康基金がある。米健康基金の環境健康安全協議会によるMCSのメカニズムのレビューは次のように結論付けている。
    • 嗅覚メカニズムが過敏状態又は症状の引き金の誘因の根底にあるという説得力ある証拠は存在しない。
    • MCSが大脳辺縁系燃え上がり(limbic kindling)又は時間依存の過敏化を伴うという仮説は、大脳辺縁系燃え上がり自身がメカニズムとして理解されておらず、時間依存の過敏化はメカニズムではないパターンを記述しているので、そのメカニズムを説明することができない(Ross et al, 1999)。

    6.2 アメリカ政府
     アメリカでは、MCSに関心を持つ連邦政府及び州政府が1979年にまでさかのぼる比較的長い歴史を持っている。この問題は、州政府、連邦機関、米科学アカデミー、その他の専門家組織によるワークショップや会議を通じて議論され検証されてきた(Read, 2002)。このような関心にもかかわらず、この分野の科学的研究は限定されている。

    6.2.1 米国有害物質疾病登録庁(ATSDR)
     ATSDRは、低レベルの化学物質に対する過敏性を取り巻く問題に関する監視任務を有している。過去に追加的科学研究の必要性があったので、ATSDRはMCS病因論についてのよく設計された科学的研究に対するMCS会議に資金を提供をした。最初の会議は1991年3月に米科学アカデミー後援で開催され、二回目は1991年9月に労働環境診療所協会の後援で開催された。これらの取り組みを通じてATSDRは、MCSを取り巻く問題についての情報のパイプ役として機能している(Interagency Workgroup, 1998)。

    6.2.2 国防省(DOD)
     国防省(DOD)の職員が直面した作業環境のために、国防省は湾岸戦争病と、慢性疲労症候群(CFS)、多種化学物質過敏症(MCS)、線維筋痛症(FM)のような他の疾病との間の関係に焦点を当てつつ、慢性多症状病を調査するためのいくつかのプロジェクトを後援した。そのようなプロジェクトは、これら病気の根底にある可能性あるメカニズムとして通常の神経内分泌系ストレス反応の調節障害の調査を含む。他の研究は、治療を求める湾岸戦争退役軍人と湾岸戦争時代の非配置退役軍人のグループにおけるを神経心理機能を検査した。2003年、国防省歳出法案は、慢性多症状病に関するこの研究にさらに資金をつぎ込むために520万ドル(約5億2,000万円)を計上した(epartment of Defence Appropriations Act, 2003)。

    6.2.3 退役軍人省
     退役軍人省は、軍役に関連する環境健康と毒性学に関する研究を実施するために三か所の環境ハザード・センターに資金を出している。センターのいくつかはMCS研究を実施した。(カレンの基準に従った)MCSの診断の詳細研究は、精神状態、神経心理機能、症状報告、職業的及び経済的結果、肺機能、神経状態、可能性ある誘因子の評価を含む。これらの研究のあるものからの結果は発表されている(例えば、Black et al. 1999, Gray et al. 2002)。ブラックらは、湾岸線戦争軍人3,695人のうち4.6%がカレンのMCS基準に合致し、報道によれば彼らの多くは退役傷痍軍人又退役傷痍軍人年金受給者であったと言及した。

    6.2.4 国立環境衛生センター(NCEH)、疾病管理予防センター
     疾病管理予防センター、 国立環境衛生センターは、人と職場の外の環境との相互作用に関連した疾病、怪我、身体障害を防止し管理することにより健康と生活の質を促進するために設立された。そのプログラムの影響は、どの州にもある公衆健康局、及び多くの公的、私的、そして国際的組織との密接な連携を通じて増幅されている。その主要な活動は、環境暴露が起きるかもしれない場所での環境有害物質のバイオモニタリング、鉛汚染調査及び防止、出生障害調査と防止、緊急の公衆健康調査を含む。(Interagency Workgroup, 1998)

     NCEHはMCSに直接向けたプログラムは持っていないが、多くの活動がMCSを取り巻く問題に関連している。関連部門である環境健康科学試験場を通じてNCEH はヒトの生体サンプル中の200以上の有害物質を測定することについて主導的役割を果たしている。大規模集団から得たサンプルの分析研究は、米国民が揮発性有機化合物、農薬、ハロゲン化芳香族化合物(例えばPCB類)、有毒金属(例えば、鉛、カドミウム)、環境タバコ煙に暴露している程度を調査している。この情報は、有害物質への暴露とヒトの健康影響との関係を明確にするために役立つ(Interagency Workgroup, 1998)。

     NCEHによって実施された疫学的調査は化学物質過敏症の疑問と関連している。環境健康ハザードと健康影響部門の疫学者らは、トリプトファン摂取、排気ガスや大気汚染物質の吸入、胎児のアルコール暴露に関連した有害環境影響について調査している。ぜん息防止における地域ベースのプログラムは、重要性が増している罹患率と死亡率の原因についてのリスク要素と介入効果を調査している。NCEH 内にはMCS分野に関する資金や法的任務はない(Interagency Workgroup, 1998)。

    6.2.5 国立環境健康科学研究所(NIHES)、国立健康研究所
     NIHESは、MCS及びMCSの結果に関連する研究分野に関連する調査の研究支援をしており、MCSについてのよりよい理解のための新たな革新的な研究アイディアの開発においてNIEHSを支援するためのMCSに関する多くのワークショップや会議を支援してきた(Interagency Workgroup, 1998)。

    6.2.6 米環境保護庁(USEPA)
     米環境保護庁I(USEPA)は、米国有害物質疾病登録庁(ATSDR)と、疾病管理予防センターの国立環境衛生センター(NCEH)との共催によるMCSに関する連邦政府内機関作業部会を後援した。公衆衛生政策策定と研究計画立案に対する指針を与える意図を持った報告書案が1998年8月にパブリックコメント用に発表された。その報告書案はMCSの程度と特性の公衆衛生評価を行い、連邦政府機関が考慮すべき将来の行動を勧告した。

     作業部会は、MCSを取り巻く懸念に目を向けるために、症例定義、基礎疫学、課題調査の分野における研究の必要性があると結論付けた。これらの勧告は1990年以来開催されたいくつかの専門家ワークショップから得られた結果と一貫性がある(Interagency Workgroup, 1998)。その報告書は、MCS唱道者らから手続き上の問題と入手可能な全ての文献を含んでいないとして批判された(Donnay 1999)。

     国家環境正義諮問委員会は環境正義に関連する問題に関し米環境保護庁(USEPA)に独立の助言を与えるために1993年に設立された。2000年にこの委員会は、MCSは届出義務のある(notifiable)病気であるべきこと、MCSを引き起こし引き金となる化学物質からの保護を確実にするために既存の環境法は見直されるべきこと、基準を設定し規則を確立する時にはMCSが含まれるべきこと−を勧告した。

     これらの勧告に対応して、米環境保護庁(USEPA)は、MCSの定義、原因、治療に関する知識の状態は委員会によって要求される法的措置を正当化するためには十分に定義されていないと述べた(Read, 2002)。

     2002年1月、労働者補償制度の下でMCS被害者補償を認める米上院法案(SB 6302)が上院を通過した。MCS症候群の補償を求める労働者は、彼らの病気は職場環境がなければ発症しなかったことを証明しなくてはならない。もし労働者が、職場で化学物質関連疾病を発症する前にMCS症候群であると診断されていたなら、その労働者は職場環境がなければ発症しなかったことを証明する必要はない。その労働者は作業関連条件が既存のMCS症候群を悪化させたことを証明しなくてはならない。その労働者は、既存の病気の状態にではなく、職場環境の悪化の結果としての状態についてのみ、補償されることができる(Senate Committee on Labour, Commerce & Financial Institutions, 2002)。

    6.2.7 社会保障庁及び住宅都市開発省

     米社会保障庁は、米社会補償法の下に影響を受けた個人に保護を与えた(Donnay, 1999)。1992年、住宅都市開発省は、MCSは公正住居法の下における”ハンディキャップ”であり、MCSの人々は連邦住宅託差別法の下で保護又は合理的な宿泊設備を求めることができると述べた(Orme & Benedetti, 1994)。

     フロリダ州を含むいくつかのアメリカの州では、MCSの人々のために農薬通知登録(pesticide notification registry)を創設する法案を通過させた。典型的には、所有地周辺で農薬を散布する場合には登録された人々に対して事前に通知することを求めるものである。住民が登録するためには化学物質過敏症であることの医学的証明が通常求められる(Interagency Workgroup, 1998)。

     サンフランシスコ市、サンタクルツ市、ワシントン州などを含むいくつかの行政管区では、MCSがそれぞれの障害者アクセス法や勧告に含まれている。一般的にこれらの政策は、従来の建築手法に比べて換気がよく、有害な建材、家具、床材、備品の使用の少ない”ケミカルーフリー”な部屋を要求している。これらの政策は、”ケミカルーフリー”な治療施設の提供とともに、改修工事の影響を受ける地域又は農薬散布地域については実施前に公衆に通知すべきことを求めている。

    6.2.8 米国法廷におけるMCS
     アメリカでは、MCSをめぐる法的行為と結果は科学に勝るということが言及されている(Gots 1995)。いくつかの法廷ではMCSを補償されるべき疾病であるとして認めているが、その他の法廷では因果関係を軽視し、身体化(somatisation 訳注:精神的症状を身体的症状に転換する)障害又は心理的障害によって障害を受けたと考えられる原告に給付金を支給するとするところもある(Barrett, 2000a)。

     他の例では、化学物質過敏症の訴訟は却下されている。慣例では、反対側の専門家とどちらが信頼できるかを陪審員に見極めさせつつ、法廷に出された科学的証拠の有効性は”一般的許容”基準の下に評価される。現在、いくつかの法廷が、陪審員ではなく連邦裁判官に、その訴訟に対する方法論とその適用可能性の有効性を評価することを求めるドーバート対メレル・ダウ判決(訳注)で最高裁によって示さた1993年の判例を採用している。ドーバート判決は、専門家の証言の許容性にに関しては次の考察が関連する。
     1) 当該理論又は技術はテストすることができるかどうか
     2) それはピアレビューされて公表されてるか
     3) 理由の根拠又は方法論には既知の又は潜在的な誤りがあるか
     4) 関連する科学界で広く容認されているか
    (Supreme Court of the United States, 1993)

     いくつかの法廷は、MCSは科学的確証が欠如しこれらの基準を満たしていないことを根拠にMCS唱道者による証言を排除している。

    訳注:ドーバート対メレル・ダウ薬品会社

    6.3 カナダ政府
     カナダ政府は1985年に初めてMCSの問題を検証し、それ以来MCSを取り巻く複雑な問題の理解を助けるあめのいくつかのワークショップを後援してきた。

     カナダでは2000年に、慢性疲労症候群(CFS)、多種化学物質過敏症(MCS)、線維筋痛症(FM)などの環境病に特に関連するカナダ保健省法は、環境病の存在とそれらの関連する原因と影響を確立するための科学的研究を実施するための条項を規定するために修正された(Bill C-416)。この修正はまた、一般公衆に対してそのような病気の存在を知らせるための情報プログラムが確立されるべきことを求めた(The House of Commons of Canada, 2000)。

     さらに、連邦政府のカナダ住宅金融公社の障害者居住リハビリテーション・プログラムは、過敏症者の住宅改修のために10,000ドル(約100万円)の助成金とローンを提供する(Orme & Benedetti, 2004)。

     ハリファックスとトロントを含むカナダとアメリカ中の多くの自治体は、農薬の美観目的/非本質的使用を制限する条例及び/又は連邦法を採択した。その他の地域でも公共教育やソーシャルマーケッティング(訳注)のような自主的取り組みを通じて農薬の使用を制限している。ケベックでは、禁止されている成分を含む農薬と肥料の販売を禁じる州法によって条例が修正された((Kassirer et al. 2004)。

     いくつかのカナダの病院は、MCSの被害者であると自身が認識している患者たちのために、”ケミカル−フリー”の緊急室及び治療室を提供してMCS政策を導入している。ノバスコシア州の自治体は、化学物質過敏症であると自己認識している人々の治療とケアのために環境健康センターを設立した。

    訳注:ソーシャルマーケティングは企業の利益追求中心のマーケティングに対し、社会との関わりを重視するマーケティング

    6.4 ドイツ政府
     ドイツは、しばしば”公式にMCSを認めている”唯一の国であるといわれているが、それは、2000年11月にドイツ医学文書情報研究所(DIMDI)によって刊行されたドイツ語版『疾病及び関連健康問題の国際統計分類(ICD-10-SGB-V)』のアルファベット順インデックスにMCSが含まれているからである。

     MCSは、ICD-10-SGB-Vのアルファベット順インデックスに含まれている一方、重要なことは、このインデックスが何人かのドイツ臨床医によって用いられた診断の句(phrase)の収集であり、ドイツにより”公式に認められた”リストではないということである。臨床医により使用された又は認められた全ての句(phrase)というわけではない。

     MCSの症例に関し、句(phrase)は明確な疾病の実体を表していないので、いくつかの句(phrase)には唯一の疾病コードが割り当てられていない。ドイツ医学文書情報研究所(DIMDI)は、MCSが ICD-10-SGB-V アルファット順リストに含まれていても、このことはMCSが疾病として認められたことを示唆するものではないと述べている(M. Schopen, DIMDI, Personal Communication, 2004)。

    6.5 イギリス専門家組織
     イギリスでは、MCSが個別の臨床疾病として分類することに対する賛成者と反対者の双方から見解が表明されている。

    6.5.1 王立内科医科大学と王立病理学大学
     イギリスでは王立内科医科大学と王立病理学大学がMCSの非科学的根拠について詳述した報告書を発表している(The Royal College of Physicians and Royal College of Pathologists, 1995)。

    6.5.2 英国アレルギー・環境・栄養医学会(BSAENM)
     BSAENMの声明は他の医学団体の声明とは異なる。BSAENMは、多くの異なる器官から生じる広範な様々な症状は環境因子によって感受性の高い人々に引き起こされる生物学的機能不全の結果かもしれないと述べており、規制政策の変更を主張している。MCSはイギリスでは広く無視されているが、BSAENM はこのことは変わると信じている。その結論は下記を含む。
    • 一般集団の化学物質暴露を削減する努力がなされるべきである。
    • 因子の引き金となる環境暴露は、感受性の高い個人に過敏症を引き起こすことが”示される”レベルより低く維持すべきであ。提案される大気中の揮発性有機化合物のレベルは、アメリカのSBSにおいて症状を引き起こすと報告された未発表のデータに基づく約5ppb以下とすべきである。
    • 予防原則を適用すべきである。
    • 化学物質暴露はアレルギー疾患の有病率の増加に寄与しているかもしれないとする不確かな証拠があるという事実に基づき、相互反応、免疫増強作用、ホルモンかく乱の評価が化学物質安全性評価に含まれるべきである。
    • アレルギーのあるものは慢性的症状に多分寄与しているということを認めるべきである。(Read 2002)
    6.5.3 エジンバラ職業医学研究所
     エジンバラ職業医学研究所は、英国安全衛生庁のために1999年にMCS文献の包括的なレビューを実施した。このエビューの目的は、環境化学物質への低レベル暴露がある人々に臨床的反応をもたらすという説得力のある証拠があるかどうかを調査することであった。そのレビューは、広範な文献であったにもかかわらず、MCSのための明快な疫学的な証拠はなかったが、MCSは多分存在し、それは時には診断されていない疾患とごちゃまぜにされ、その結果、誇張された有病率となると結論付けた。同研究所はまた、提案された原因メカニズムの中で、大脳辺縁系燃え上がり(limbic kindling)が証拠として賛同できると結論付けた(Graveling et al. 1999)。

     このレビューは、化学物質の独立した科学的及び医学的レビューを実施し、保健省主席医官に助言する食品・消費者製品・環境中の化学物質の毒性に関する委員会に提出された。同委員会は現状の知見に基づき、MCSの潜在的なメカニズムに関してコメントする、あるいはこの分野におけるさらなる研究を勧告するためには証拠が不十分であるということに同意した(Read, 2002)。

    6.6 ニュージーランド政府
     MCSに関連する提案は、多くの政府の討議資料に応じて提出された。この問題はまた、1984年12月のリバービュー店の火災に出動した消防士の有害健康影響の全てを報告した帝国化学物質産業(Imperial Chemicals Industries)の化学物質火災調査の中で提起された。2002年、MCSはまた、環境大臣によって設置された農業化学物質侵害大臣諮問委員会によって述べられ、農薬リスク削減政策に関する討議資料中に結果が記された(Read, 2002)。

     ニュージーランド事故リハビリテーション補償保険会社への請求は成功したが、その数は不明である。1998年、事故補償控訴当局は職場と住居で化学物質に暴露した3人に補償を給付した。化学物質中毒のための他の訴えはMCS病因の証明が不十分であるとして却下された(Read, 2002)。

    6.7 デンマーク政府
     デンマーク環境大臣のためのMCSレビューはデンマークにおけるこの病気の状態を概観している(Silberschmidt, 2005)。

     デンマークでは、MCSの代わりに、匂い過敏症及び溶剤不耐症と一般的に呼ばれている。その状態は本来の病気とは認められず、登録されていない。レビューによれば、デンマークの医師の中でのMCSの知識レベルは低い。

     MCSに対する包括的なアプローチはデンマーク当局によってとられたことはない。そのようなアプローチを取るためには、デンマークにおける化学物質の使用と暴露、健康への影響、及びMCSの程度に関するさらなる研究が必要である。

     デンマークMCS団体は環境中の匂い(scents)の削減に関してデンマーク環境保護庁にアプローチしている。

    6.8 国際化学物質安全性計画(WHO/ILO/UNEP)
     1980年に設立された国際化学物質安全性計画(IPCS)は、3つの共同組織である国連環境計画(UNEP)、国際労働機関(ILO)、世界保健機関(WHO)が化学物質の安全性に関連する活動を実施している共同プログラムである。WHOは、IPCSの執行機関であり、その主な役割は、化学物質の安全な使用の科学的な根拠を確立し、化学物質の安全のための国家の能力と力量を強化することである。

     1996年2月、いくつかのドイツの連邦政府健康及び環境機関の協力の下にIPCSによって主催されたワークショップが多種化学物質過敏症を討議するためにベルリンで開催された。招待された参加者は、MCS及びその他の環境病の研究、調査、治療に関わる広範な領域を代表していた。招待された参加者の大部分はMCSを表現するために”突発性環境不耐症(idiopathic environmental intolerances" (IEI))”が使用されるべきであると示唆したが、その理由は、その健康状態の病因が不明確であり、化学物質への暴露と症状が証明されていないからということである。他の結論は次のようなことである。

    • IEIは臨床的に定義された疾病とは認められない。
    • 臨床的評価は特定の治療を要求する疾患を除外するよう設計されるべきである。
    • この疾患を診断するための特定のテストはない。
    • 効果的な治療は管理された臨床試験で確認されていない。
    • 助けになるケアと理解に基づくケアへのアプローチが必要である。
    • 領域間アプローチが診断と治療のために探し求められるべきである。
     ワークショップの勧告は、毒性起源と心因性起源を区別するための二重盲検法(DBPC)調査、及び関連症状の有病率及び人口統計と時間傾向などとの相関や慢性疲労症候群(CFS)とシックビルディング症候群のような他の疾病の症状との同時存在に向けられた疫学的研究を含む(IPCS, 1996) 。



    化学物質問題市民研究会
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