欧州環境庁(EEA)2013年1月 レイト・レッスンズ II
11. DDT:沈黙の春から50年 (概要編)
Henk Bouwman, Riana Bornman, Henk van den Berg and Henrik Kyli
情報源:European Environment Agency
EEA Report No 1/2013 Part A Summary
11 DDT: fifty years since Silent Spring
Henk Bouwman, Riana Bornman, Henk van den Berg and Henrik Kyli
http://www.eea.europa.eu/publications/late-lessons-2/l
ate-lessons-chapters/late-lessons-ii-chapter-11

(クリックで pdf ファイル 自動ダウンロード)

紹介:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico
掲載日:2013年2月24日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/precautionary/LL_II/11_DDT_Silent_Spring_summary.html


 ”自然は、沈黙した。薄気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。・・・野原、森、沼地−みな黙りこくっている”(青樹簗一 訳 新潮文庫)。

 レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は主に化学物質(特にDDTとして知られるジクロロジフェニルトリクロロエタン)の環境と人の健康への影響について記述している。実際に、人と鳥との密接な関係は全くその通りである。地球上の生物種の中で二種類の温血動物、哺乳類と鳥類だけが、同じ環境と脅威を共有している。

 産業が支配的な時代、すなわち、どんなに犠牲があっても、金をもうける権利が疑われることは、ほとんどなかった時代に生きたとカーソンの主張は、世界中で社会が直面する問題に現在でも通じるところが強くある。”負担は耐えねばならぬ(The obligation to endure)”と題するひとつの章は、フランスの生物学者であり哲学者である Jean Rostand の有名な言葉、”耐えねばならぬ負担は、私たちに知る権利をもたらす(the obligation to endure gives us the right to know)”に由来していた。

 米大統領ジョン F・ケネディは、カーソンによって投げかけられた課題に対して、DDTを調査し、アメリカにおいてそれを完全に禁止することで応えた。この禁止の後、アメリカやその他の諸国において、知識と保護を求める公衆の要求に駆られて、環境問題に関係する広範な制度と規制が見直された。

 DDTは、1950年代と60年代に世界のマラリア撲滅プログラムで使用された主要なツールであった。この殺虫剤は、家屋内部の壁や天井に散布されている。マラリアは多くの地域で廃絶に成功したが、まだ世界の多くの場所に風土病として残っている。DDTは現在、世界保健機関(WHO)によって勧告されている12種の殺虫剤のひとつであり、唯一の有機塩素系化合物である。残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約の下に、諸国はDDTを使用し続けてもよい。媒介昆虫駆除のための世界のDDTの年間使用量は、5,000トンを超えると推定されている。

 50年前にレイチェル・カーソンにより喚起された社会的良心は、ゆっくりとではあるが確実に、多様なレベルに浸透している行動と介入の高まりに弾みをつけたということは明らかである。彼女の本の第17章 ”べつの道(The other road)”は、もっと早くに把握されるべきであったということを読者に気づかせる。現在、世界の鳥類の10%以上がなんらかの形で脅かされており、私たちが早期の警告に気がつかなかった、あるいはそれらに対して行動しなかったということは明らかである。私たちは、”べつの道”への明確な手がかりを見落とし続けるのであろうか? 私たちの耐えねばならぬ負担は、私たちの知る権利を満たしたであろうか? カーソンが50年前に述べたように、”結局、選択は私たちがしなければならない”。



化学物質問題市民研究会
トップページに戻る