欧州環境庁(EEA)2013年1月 レイト・レッスンズ II
5. 水俣病:民主主義と正義への困難な道のり (概要編)
ョ藤貴志、津田敏秀、原田正純

情報源:European Environment Agency
EEA Report No 1/2013 Part A Summary
5 Minamata disease: a challenge for democracy and justice
Takashi Yorifuji, Toshihide Tsuda and Masazumi Harada
http://www.eea.europa.eu/publications/late-lessons-2/late-lessons-chapters/late-lessons-ii-chapter-5

紹介:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico
掲載日:2013年1月29日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/precautionary/LL_II/05_Minamata_disease_summary.html


 致命的な又はひどく衰弱させる精神的及び身体的な影響を引き起こす水俣病は、日本最大の化学会社チッソにより水俣湾に放出されたメチル水銀に汚染された廃水により引き起こされた。その結果、汚染された魚を知らずに食べた人々の中に被害が広がった。本章は、3つの段階の話で構成されている。

 この病気は1950年代に初めて注目を集めるようになった。1956年に公式に確認され、工場廃水が原因であるとされたが、政府は汚染をとめるための措置をとらず、魚を食べることも禁止しなかた。チッソはメチル水銀を放出していることを知っており、それが原因であることを知ることができたはずであたが、チッソは調査に協力しないことを選び、積極的に調査のじゃまをした。政府は公衆の健康よりも産業の成長を優先することにした。1968年、チッソはメチル水銀汚染を引き起こしたプロセスの使用を停止し、日本政府はそれからメチル水銀が水俣病の原因物質であることをしぶしぶ認めた。

 物語の第二段階は、メチル水銀が胎盤を通過して胎児の発達に影響を与え、その結果、重大な精神的及び身体的障害を後の人生にもたらすという発見を扱っている。専門家は、最初はこのことを見逃したが、それはそのような胎盤の通過はあり得ないとする当時の医学的常識のためであった。

 第三段階は保証のための戦いに焦点を合わせている。最初、チッソはわずかばかりの”見舞金”を非常に限られた基準の下に与えた。1971年に日本政府はもっと気前のよいアプローチを採用したが、請求件数と金額が増大したので1977年に、議論ある”専門家の意見”により正当化された制限的な認定基準が導入された。被害者の法的な勝利が、その後、政府がその立場を維持できないものにし、1995年−1996年にひとつの政治的解決に達した。2003年、”専門家の意見”は欠陥があることが示され、最高裁判所は2004年に認定基準は無効であると宣言した。

 2011年9月には、2,273人が公式に患者として認定されていた。 それでもやはり、どの地域や共同体が影響を受けたのかについての調査は行われることがなかったので、金銭的解決の地理的及び時間的範囲がいまだに適切に決定されていない。意思決定と情報共有の透明性に関する根深い問題と並んで、このことは、人災に対応するときに、日本はまだ基本的な民主主義の不十分さに直面していることを示している。

 本章の後に、3つの短い記事が掲載されている。水俣以来の水銀中毒の影響;水銀を経済活動から廃止するための2009年世界合意を含んでそれを含めようとする試み;及び、低レベル・メチル水銀曝露の想定される有害影響に対して魚の摂取の利益を釣り合わせる、情報に基いた選択を政策決定者ができるようにするために汚染物質への曝露についてのよりよい情報の必要性−に関する記事である。



化学物質問題市民研究会
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