安全センター情報2009年3月号掲載
ナノ物質の安全管理の
現状と問題点の概要


安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

情報源:全国労働安全衛生センター連絡協議会のご好意により、
安全センター情報2009年3月号に掲載の当研究会寄稿記事を転載させていただきました。

掲載日:2009年2月28日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/japan/joshrc_2009-3_nano.html

1.はじめに

 新たな技術として前世紀後半に登場したナノテクノロジーはあらゆる分野の基盤技術として今世紀に入りますます発展を遂げている。幅広い分野で社会的に大きな便益をもたらすことが期待されている一方で、ナノ物質は、そのサイズが極めて小さいため新たな有害性を持つことが懸念されており、実際にそのことを報告する研究が増大している。
 本稿ではナノ物質の安全管理に関する世界と日本の現状と問題点を概観し、日本のナノ物質安全管理のあるべき姿についての当研究会の意見の概要を紹介する。

2.ナノ物質の概要

2.1 ナノの定義

 ナノテクノロジーやナノマテリアル(物質)の"ナノ"は10億分の1を意味する。長さの単位である1ナノメートルは10億分の1メートルである。
 ナノ物質の公式な定義はまだないが、少なくとも1次元が100ナノメートル以下の物質であるというのが世界的な合意である。ちなみにヒトの髪の毛の太さは約80,000ナノメートルであると言われている。

2.2 ナノ物質の新たな特性
 ナノサイズの物質の特徴は、そのサイズが非常に小さく、質量当りの表面積が非常に大きいことであり、物質がこのようなナノサイズになると最早物理学の一般法則は適用されず、表面活性度が高くなる、化学的、電気的、磁気的、光学的特性等が著しく変化するなど、全く新たな特性を帯びると言われている。
 このような従来の物質にはない新たな性質が新たな材料として期待され、既に化粧品、食品、抗菌剤、スポーツ用品、繊維製品、電子機器、エネルギー、農業、医療、環境改善など極めて広い範囲で使われ始めている。

2.3 ナノ物質の新たな危険性

 しかし、この新たな特性は人の健康と環境に重大な有害影響をもたらす可能性が指摘されている。実際に様々なタイプや材質のナノ物質について、それらが健康と環境に及ぼす影響に関する研究が世界中で行われ始めており、例えばナノチューブやフラーレン、さらには酸化亜鉛、二酸化チタン、銅、銀などのナノ物質が生物や生態系に及ぼす有害影響が次々に発表されている。
 例えば、▼フラーレンが幼魚の脳とエラに酸化ストレスを引き起こす▼TiO2 ナノ粒子は脳細胞にダメージを与える▼銅ナノ粒子はゼブラフィッシュに害を与える▼カーボン・ナノチューブは血管系にダメージを与える▼ナノチューブは微生物を突き通し、環境中にDNAを撒き散らす▼酸化銅ナノ粒子は細胞毒性とDNA損傷力が強力▼ナノ銀の毒性はイオンとナノ粒子の両方▼ナノ・アルミナとナノ・カーボンは、脳内血管内面を覆う細胞の細胞死を増大し、ミトコンドリアの機能を阻害▼ナノ・アルミナは、細胞の外観を損ね、細胞の酸化ストレスを増大し、タイト結合蛋白の発現を阻害する▼カーボン・ナノチューブとフラーレンがラットのDNAを損傷する−など、ナノの有害性を示唆する多数の研究が発表されており、当研究会のウェブサイトで日本語化して紹介している。
 http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/nano_master.html
 特に昨年は形状がアスベストに似ている多層カーボン・ナノチューブがマウスに中皮腫を起こす可能性を示唆する研究が日本とイギリスでそれぞれ発表されて、世界中に大きな衝撃を与えた。

 本年1月27日に環境省が開催した「第4回ナノ材料環境影響基礎調査検討会」で配布された資料1『工業用ナノ材料に関する環境影響防止ガイドライン(仮称)(素案)』の(参考3)『ナノ材料がヒトの健康、動植物への影響をもたらす可能性』で、ヒトへの毒性と生態毒性の研究報告事例がそれぞれ数例示されている。その中で、多層カーボン・ナノチューブについてはマウスの腹腔内投与(単回)で25週間後に、クロシドライト(青石綿)での発症率を上回る中皮腫の形成が確認されたとしている。
 しかしこれらの研究は急速に膨張している巨大なナノの世界のほんの一部を垣間見ているに過ぎない。

3.ナノ物質の規制

3.1 安全基準がない

 世界中で次々と新しい材料としてのナノ物質が開発され、それらを利用したナノ製品もまた次々に市場に出されている。
 しかし、現在までのところ、ナノサイズであるという理由で"ナノ物質"を規制している国は世界中どこにもない。同様にナノ製品もまた規制の対象ではない。ナノ物質/ナノ製品の安全基準を持つ国は世界中のどこにもなく、従って安全性が確認されることもなく、またナノ製品の表示義務もなく、市場に出ている。
 ナノ物質を扱う職場の労働安全衛生については安全基準ではないが指針のようなものを出している国はある。日本では「4.ナノ取扱現場の労働安全衛生」で述べるとおり、昨年2月に厚生労働省は『ナノマテリアル製造・取扱い作業現場における当面のばく露防止のための予防的対応について』とする通知を都道府県労働局長宛及び関連団体宛に発出したが、これも安全基準ではない。

3.2 ナノ物質規制の論点

 世界中でナノ物質の規制のあり方が議論されているが、その中で最も重要な論点は次の二点である。
▼既存の法制度/規制はナノ物質の規制に対して適切か?
▼ナノ物質は新規化学物質か?既存化学物質か?

 以下の3.3項及び3.4項で、これらの論点についての米欧日の現状を紹介する。

3.3 既存の規制はナノ物質規制に対し適切か?

■米EPAは、有害物質規正法(TSCA)の枠組みの中でナノ物質を規制するとしている。サイズによって物質を区別しないとしているので、ナノ物質でも一般の化学物質と同じ扱いになる。

■欧州委員会は、化学物質の登録、評価、認可及び制限に関する規則(REACH)で基本的には対応できるとしている。しかしREACHの対象となる事業者当たりの年間製造・輸入量1トンという閾値などは、ナノに合わせた修正が必要かもしれないとして、検討を開始している。

■日本は昨年末に厚労・経産・環境3省の合同検討委員会から『化審法見直し報告書』が発表された。ナノ物質については、"今後の科学的な知見の蓄積や国際的な動向を踏まえ、対応策について引き続き検討していくことが必要である"と述べ、現状ではナノ物質規制のための新たな措置をとるつもりはないことを明らかにした。

3.4 ナノ物質は新規化学物質か既存化学物質か

 ナノ物質を規制する法律の下で、あるナノ物質が新規化学物質なのか既存化学物質なのかは、その物質の安全性評価を新たに行うのか行わないのかに関わる重大事である。

■アメリカはTSCAの下では、ある物質がすでにTSCAインベントリーにリストされている物質と"分子的同一性"()が同じなら既存化学物質、同でないなら新規化学物質であるとみなされる。物質のサイズは"分子的同一性の属性ではないので、サイズによって新規/既存の区別をすることはない。
 従って、例えばカーボン・ナノチューブやフラーレンは既存のカーボン物質と分子構造が異なるので新規化学物質となりえるが、酸化亜鉛、二酸化チタン、銀などのナノ物質は既存のバルクサイズの物質にはない新たな有害性が指摘されているにもかかわらず、既存のバルク物質と分子的同一性が同じなので既存化学物質であるとされ、新たな規制の対象とはならない。
 従って、ナノサイズの"既存化学物質"は、原則的には上市前の新たなテストが求められないので、ヒトと環境への影響が顕在化するまで、その有害性が問題にされない可能性がある。これは大きな問題である。

■EUではEC報告書が、すでに市場にあるナノサイズではない既存化学物質を新たにナノサイズの物質として市場に出す場合には、ナノの特性を示すための登録書類の更新が必要であるとの見解を示している。その場合、ナノ形態の分類、表示及びリスク管理方法といった情報を含む追加情報を登録しなければならないとしている。 これは、ナノ物質はREACHの下では実質的には"新規化学物質"として扱われ、既存の化学物質と同一組成でもナノ物質は事業者の年間製造・輸入量がある閾値(現在は1トン)以上なら、上市前に新たなテストが求められることになると考えられ、現在閾値の修正が検討されていると言われている。

■日本は2006年7月20日 経産省化学物質政策基本問題小委員会第3回及び2008年5月29日 第3回化審法見直し3省合同WGで、"化審法ではナノ物質は新たな化学物質と見なさないのか?"とのNGO側委員の質問に事務局は、"粒子径が小さいことをもって新たな物質と見なしていない"と答えた。
 したがって、化審法には米EPAの"分子的同一性"のような規定もないと思われるので、化学的組成がすでに化審法に登録されているバルクサイズの化学物質と同一なら、ナノサイズの物質は新規化学物質とはみなされず、新たな登録を求められないことになる。化審法の下でのナノ物質の管理は、米TSCAの下での管理よりさらに問題があると考えられる。

4.ナノ取扱現場の労働安全衛生

4.1 世界の動き

 ナノ物質/ナノ製品については全てのライフサイクル(研究開発、製造・使用・廃棄)において、人の健康と環境への悪影響を最小にしなくてはならないが、特にナノ取扱現場の労働者が最もナノ物質の暴露を受け易いことに留意する必要がある。
 職場のナノ物質規制・管理については、米・国立労働安全衛生研究所(NIOSH)、独・労働安全衛生研究所(Baua)、英・安全衛生庁(HSE)などの検討が世界をリードしている。

4.2日本政府の取り組み

 日本においても、昨年2月7日に厚生労働省労働基準局長発 都道府県労働局長宛『ナノマテリアル製造・取扱い作業現場における当面のばく露防止のための予防的対応について(基発第0207004号)』が発出された。
 http://www.jaish.gr.jp/anzen/hor/hombun/hor1-49/hor1-49-4-1-0.htm
 これは同年2月に国立医薬品食品衛生研究所 菅野純 毒性部長らが発表した『マウスにおける多層カーボン・ナノチューブ腹腔内投与による中皮腫の発生』の研究報告が大きく影響していると思われる。
 また昨年3月から厚生労働省労働基準局による「ヒトに対する有害性が明らかでない化学物質に対する 労働者ばく露の予防的対策に関する検討会 」が9回、開催され、11月に「報告書」が発表された。(10頁に「報告書のポイント」を紹介)。
 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/11/dl/s1126-6a.pdf

5.ナノ物質データ収集

 一般化学物質について、市場に出ている数万と言われるほとんどの化学物質はデータがなく安全性が確認されずに市場に出ていることが世界中で問題となり、各国はその対策として新たな法の制定(例えばEUのREACH)や既存の法の見直し(例えば日本の化審法)が行われている。
 ナノ物質についても、一般化学物質の教訓が生かされずに、データなしに市場に出すという誤りが繰り返されている。
 ナノ物質のデータを製造者に"自主的に"提出させるというプログラムがイギリスとアメリカで立ち上げられたが、どちらもうまくいかなかった。事業者による自主的なデータ提出ではうまく機能しないことは、一般化学物質についてもJapan チャレンジプログラムや米HPV チャレンジプログラムで実証されている。法的拘束力のあるデータ提出の仕組みが必要である。

■米環境保護庁(EPA)は2008年1月に自主的な"ナノスケール物質スチュアードシップ・プログラム(NMSP)"を立ち上げたが、応募は基本プログラム/詳細プログラムでそれぞれ29社/4社だけと予想より大幅に少なく、米EPAは改めて有害物質規正法(TSCA)の下に強制力をもってデータを提出させることを検討し始めた。

■英環境食糧地域省(DEFRA)は2006年9月に"工業的ナノスケール物質の自主的報告計画(VRS)"を立ち上げたが、2008年9月の2年間のパイロット期間にわずか11社の応募しかなく、DEFRAはその失敗を認めた。英国王立環境汚染委員会は、データ提出は法的拘束力のあるものとすべきと勧告した。

■カナダでは、エンバイロンメンタル・カナダが2008年中にあるナノ物質を1Kg以上製造又は輸入した事業者と研究所に対してナノ物質の使用に関する詳細を1年以内に法的拘束力をもって提出させる"1回限りの要求"を検討中であると伝えられている。これは継続的に情報を提出することを求める規制ではなく、規制の枠組みの開発のために利用されると言われている。

■米カリフォルニア州は2009年1月22日付けで同州の製造者/輸入者にカーボン・ナノチューブに関するデータ提供を呼びかけた。同州の健康安全コードに基づく提出要求であり、法的拘束力がある。

■豪ニューサウスウェールズ州は、オーストラリア議会に、ナノ物質は新規化学物質であること、国の報告義務制度を確立すること、食品や化粧品中のナノ表示を義務付けることなどを勧告した。

■日本には、事業者にナノ物質のデータ提出を求めるという動きは全く見られない。

6.主要機関、労組の勧告

 世界の主要機関、労組、NGOsなどからナノ規制に関する様々な勧告がなされているが、代表的なもの二つを下記に紹介する。

6.1 英国王立協会・王立工学アカデミー勧告

 2004年7月に発表された英国王立協会・王立工学アカデミーの報告『ナノ科学、ナノ技術:機会と不確実性』(以後、英王立協会報告書)は、ナノ科学/ナノ技術の安全、規制、倫理の領域での新たな課題を提起し、英政府に21項目(R1〜R21)からなる勧告を行った。この勧告はイギリスだけでなく、全世界に大きな影響を与えた。勧告のいくつかを下記に紹介する。

R1:一連のライフサイクル評価が実施されるよう勧告する。公衆に対する信頼性を確保するために、これらの調査は独立機関によって実施又は検証される必要がある。

R4:ナノ粒子及びナノチューブの環境への影響についてもっと多くの知識が得られるまで、人工ナノ粒子及びナノチューブの環境への放出は可能な限り避けるよう勧告する 。

R8:全ての関連する規制機関は、危険から人と環境を守るために既存の規制が適切であるかどうか検討し、どのように対処していくのかについての詳細を発表するよう勧告する。

R10:ナノ粒子又はナノチューブ形状の化学物質はREACH の下に、新たな物質として扱われるよう勧告する。

R11:職場 (安全衛生庁(HSE)への勧告)
(1)ナノ粒子への曝露の規制の適切性を見直し、人工ナノ粒子への職業曝露レベルをより低く設定することを検討するよう勧告する。
(2)職場の内外における事故時の放出に関する現在の手順を見直すよう勧告する。
(3)現在の手法が、ナノチューブやその他のナノ繊維が空気中に浮遊する試験所や職場における個人の曝露を評価し管理するために適切であるかどうかを検討するよう勧告する。

R12:消費者製品
(1) ナノ粒子形状の成分は、製品中での使用が認可される前に、関連する科学諮問機関による完全な安全評価を受けるよう勧告する。
(2) 製造者は、ナノ粒子の特性がより大きな形状のものと異なるかもしれないということをいかに考慮したかを示す、ナノ粒子を含む製品の安全性を評価するために使用された手法の詳細を公開するよう勧告する。

6.2 欧州労連執行委員会決議

 欧州労連は2008年6月25日にナノ技術とナノ物質に関する決議を発表した。その概要は次の通りである。

▼労働者は、研究室、製造、輸送、販売、清掃、保守、廃棄物管理にいたるまで製造チェーンの全てを通じて、これらの新たな物質に暴露する。
▼"奇跡"と喧伝された技術と物質がもたらした過去の過ちを繰り返さないために、不確実性がある場合には予防的な措置がとられなくてはならない。
▼ナノ技術開発のための公的研究予算の少なくとも15%は健康と環境の研究に割り当てられるべきである。
▼予防的アプローチがとられず、労働者に対して透明性がなく、人の健康と環境に与える影響が未知のまま、製品が製造され上市されるということは受け入れられない。
▼REACH の"ノーデータ、ノーマーケット"原則に完全に従うことを要求する。
▼労働における健康と安全がどのようなナノ物質監視システムにおいても優先されなくてはならないことを要求する。
▼消費者もまた製品中に何が含まれているのかを知る権利がある(表示義務) 。
▼新たな技術に関する現在の議論への真の市民参加を確実にするために、十分な資金を約束することを欧州委員会と加盟国政府に要求する。

7.ナノ安全管理−日本では何が問題か?

 日本においてはナノ技術/ナノ物質/ナノ製品の安全管理に関する国の展望は何も示されておらず、特に下記の点が問題である。

■総合的ナノ安全管理の展望がない
 ナノ安全管理に対する国の公開の検討会などの開始が欧米に比べてきわめて遅く、やっと昨年(2008年)になって厚労、環境、経産の各省がそれぞれバラバラに検討会を立ち上げた。
 しかしその検討会は各省庁の従来の守備範囲におけるナノ物質の当面のガイドラインを作成することを目的とする場であり、省庁を超えて国としてのナノの総合的安全管理のあり方を全てのステークホールダー参加の下に検討するという展望は全く見ることが出ない。

■ナノ安全管理行政が縦割り
 ナノの安全管理行政は、「8.厚労・環境・経産の各省による対応」で紹介するように、昨年から開催されている厚労・環境・経産の各省による検討会などから、▼労働者暴露は厚労省労働基準局▼医薬品、食品、家庭用品などは厚労省医薬食品局▼ナノ物質の環境放出については環境省環境保健部▼環境中の微小粒子状物質については環境省大気環境局▼ナノ製造事業者における安全対策は経済産業省製造産業局と、既存の法体系そのままの縦割り行政であることがわかった。
 新たに出現したナノ技術はあらゆる分野の基盤技術であり、行政の管理能力を超えるスピードで走り始めている。この巨大なナノ技術がもたらす潜在的な安全性の問題は、厚労省、環境省、経産省だけでなく、農水省、国交省、文科省などが所管する分野にも当然及ぶので、省庁を超えた一元的管理ができる体制の準備をしておかないと、近い将来、個別省庁だけでは対応できなくなる事態が生ずる懸念がある。

■安全規準なしにナノ製品が市場に出ている
 ナノ物質に関する国の安全基準、職場の安全基準、そして製品へのナノ表示義務もなく、ナノ物質/ナノ物質関連製品が製造され、市場に出ている。
 有害性を懸念するに足る合理的な証拠があるのに、安全基準がなく、安全性が確認されていないナノ物質/ナノ製品を表示義務もなしに市場に出して、人の健康と環境を危険にさらすことが許される根拠は何か? 国、産業界、研究者の説明責任が問われている!

■ナノ物質の安全性と安全政策の情報がない
 国は、ナノ物質の安全管理をどのようにしようとしているのか、国民に説明することがほとんどない。ナノ安全管理に関するパブリックコメントはほとんど行われていない。
 ナノ技術への巨額な国家予算とその用途、特に健康・環境・安全のための研究への資金投入について市民はほとんど説明されていない。
 国は、原子力や遺伝子組み換え問題における市民の反応を教訓として、国策としてナノを推進する上で、市民がナノの安全性に疑問を持つことは都合が悪いと考えているように見える。市民への透明性ある情報提供と市民のナノ安全管理政策への参加なくして、ナノの健全な発展はない。

■メディアもナノ安全情報を報道しない
 メディアもまた、人の健康と環境を保護するためのナノ安全政策の問題や、ナノ物質の安全性に関する情報をほとんど取り上げない。
 例えば、「ナノチューブがマウスに中皮腫」の記事は世界中の主要メディアで報道されたが、日本で報道した主要紙は、日本の研究については毎日新聞(2008年3月7日)、イギリスの研究については日本経済新聞(2008年5月22日)だけであった。市民に不安を煽り、国策としてのナノ推進に支障をきたさないようにとの国と産業界の意向を暗黙に受けて、メディアが自主規制しているように見える。市民は"安心"がほしいのではなく、"事実"が知りたいのである。

■ナノ安全性に関する研究費が少ない
 ナノ安全政策に関心を持つ欧米の著名な機関や研究者らは、欧米における健康・環境・安全のための研究への投資はナノ推進のための投資に比べて少なすぎると批判している。
 日本においてはナノテクへの巨額な国家予算とその用途、特に健康・環境・安全のための研究への投資について日本の市民はほとんど説明されていない。しかし、日本の著名なナノ研究者は最近の講演会で、もっと多くの研究費が必要であると訴えた。
 日本政府は、ナノにかかわる全ての予算を分かりやすく市民に説明するとともに、その配分において、ナノ推進のための安全性研究だけでなく、真にヒトの健康と環境を守るための安全研究に十分な予算を配分すべきである。

■政策決定への市民参加がない
 ナノ安全管理のための政策立案・策定プロセスに市民、労働者、消費者の参加がほとんどない。昨年から開始された厚労省、環境省、経産省の検討会で市民の立場を代表していると思われる委員は厚労省の検討会に1名(消費者の立場)いるだけである。

8.厚労・環境・経産の各省による対応

 欧米に比べて立ち上がりが遅れていた日本の行政も、昨年2月の"カーボン・ナノチューブのマウス中皮腫"の研究発表の後、急遽、厚生労働・環境・経済産業の各省がナノ安全管理への対応を始めた。しかし、それらは従来の縦割り行政の下での対応であり、国としての一元的な総合的ナノ管理政策を視野にいれたものではない。以下に最近の国の対応を列挙する。

■厚生労働省労働基準局  2008年2月7日発出通知
 ナノマテリアル製造・取扱い作業現場における当面のばく露防止のための予防的対応について

■厚生労働省労働基準局
 2008年3月〜10月(全9回、終了)
 ヒトに対する有害性が明らかでない化学物質に対する労働者ばく露の予防的対策に関する検討会
 2008年11月 検討会報告書発表

■厚生労働省医薬食品局
 2008年3月〜2009年2月現在(6回、継続中)
 ナノマテリアルの安全対策に関する検討会
 検討会報告書(案)審議中

■環境省環境保健部
 2008年6月〜2009年1月現在(4回、継続中)
 ナノ材料環境影響基礎調査検討会
 工業用ナノ材料に関するガイドライン(仮称)(素案)審議中

■経済産業省製造産業局
 2008年11月〜12月現在(2回、継続中)
 ナノマテリアル製造事業者等における安全対策のあり方研究会

9.化審法見直し合同委員会報告書(案)

9.1 ナノに関する記述

 昨年末に厚労・経産・環境3省の合同検討委員会から『化審法見直し報告書』が発表され、パブリックコメントにかけられた。内容のほとんどは従来の化学物質を対象とするものであるが、ナノに関する記述もある。そこではナノ物質の有害性を報告する研究が次々に発表されているにもかかわらず、"現状では不明であり"、"対応策について引き続き検討していくことが必要"−とだけ述べ、ナノの有害性に目を向け、総合的なナノ安全政策を確立しようとする姿勢は見えない。
 ナノに関わる記述の概要は次の通りである。
▼ナノテクノロジーは、幅広い分野で社会的に大きな便益をもたらすことが期待されている。
▼人の健康や環境に対するナノマテリアルの影響については、現状では不明であり、従来のハザード評価手法では十分に対応できない可能性が指摘されている。
▼人の体内や環境中でのナノマテリアルの物理化学的性状や挙動についても、現状では明らかではない。
▼関係省庁、研究機関がナノマテリアルの安全対策、環境中への放出の可能性等について検討を行っている。
▼今後の科学的な知見の蓄積や国際的な動向を踏まえ、対応策について引き続き検討していくことが必要である。

9.2 当研究会意見(パブリックコメント)

 当研究会はこの報告書に対する意見を提出したが、そのうちナノに関連する意見を要約すると下記のようになる。

■ナノ物質管理/規制の暫定的な措置(緊急)
(1) ナノ物質は全て新規物質とみなす。
(2) 製造・輸入者に試験データを含む所定データの提出を義務付ける。
(3) 国は提出されたデータ及び既知のデータに基づき、暫定的に安全性を評価し、暫定的管理グレード(許可、制限、禁止)を決定する。
(4) 新たに市場に出すナノ物質については、国の暫定管理グレードが決定するまで市場に出すことはできない。
(5) ナノ物質を含む製品にはナノに関する表示を義務付ける。
(6) ナノ物質の管理に関わる政策の検討及び策定に市民を参加させる。

■総合的な「ナノ物質管理の枠組み」の構築
 上記の暫定的措置とは別に、下記の管理機能を持つ総合的な「ナノ物質管理の枠組み」を早急に構築すべきである。
(1) ナノ技術標準化管理
(2) ナノ物質管理(主にハザード管理)
(3) ナノ製品管理 (主にリスク管理)
(4) ナノ物質影響監視管理

(以上)

注:分子的同一性
 EPAの定義する分子的同一性とは、分子中の原子のタイプと数、化学結合のタイプと数、分子中の原子の結合、分子内の原子の空間的配置のような構造的及び組成的特徴に基づくものとし、これらの特徴のいずれかが異なる化学物質は異なる分子的同一性を持つ、すなわちTSCAにおいて異なる化学物質であるとみなされる。
 したがってカーボン・ナノチューブやフラーレンは既存の(TSCAインベントリーにリストされている)カーボン物質と分子構造が異なるので新規化学物質となりえるが、酸化亜鉛、二酸化チタン、銀などのナノ物質は既存のバルクサイズの物質と同一の"分子的同一性"持つので、既存化学物質である。



化学物質問題市民研究会
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