欧州議会
科学技術選択評価委員会(STOA) 2009年5月 人間強化研究 エグゼクティブサマリー/はじめに 情報源:EUROPEAN PARLIAMENT Science and Technology Options Assessment Human Enhencement Study, May 2009 http://www.europarl.europa.eu/stoa/publications/studies/stoa2007-13_en.pdf 訳:安間 武(化学物質問題市民研究会) http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/ 掲載日:2009年11月10日 更新日:2009年12月10日 このページへのリンク: http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/eu/STOA_May_2009_Human_Enhancement.html 内容
エグゼクティブ・サマリー
包括的な用語である”人間強化”は、薬学製品:視力やその他の人工的感覚に取替える神経埋め込み、脳の力を強化する薬剤、ヒト生殖細胞系の操作と既存の生殖技術、栄養サプリメント、苦痛を和らげ気分をコントロールするための新たな脳刺激技術、スポーツにおける遺伝子ドーピング、美容整形、低身長児のための成長ホルモン、抗加齢医療、特別の知覚入力又は機械的出力を提供するかもしれない複雑な義肢技術を含む、広範な既存の、新興の、そして空想的な技術を指す。 これらの技術の全ては元気を回復させる医療とそのような医療を超えた改善をもたらすことを目的とする措置との間の境界をあいまいなものにする。それらのほとんどは医学の領域から生じるので、非病理学的症状を治療するための使用が増大しており、医学的方法を適用する社会の傾向が促進されている。 今回の研究で、我々は一般に普及した概念的な”医療”と”強化”の区別に頼ることはせず、その代わり、いくつかの医療手段とともに非医療を含む人間強化の考えを採用している、この問題に関する最近の政策表明に沿っている。 人間強化を定義するときに、試行錯誤的にそして政治的に実際的な理由のために、”個人の人間能力を改善することを目的とし、科学ベース又は技術ベースの人体内における措置によってもたらされる改造 ”として、我々は次の3点を区別する。 (i) 病気を治す又は予防的な非強化措置(preventive, non-enhancing interventions) (ii) 医療的強化(therapeutic enhancements) (iii) 非医療的強化(non-therapeutic enhancements) 我々は人間強化をまず、科学、技術、医学、及び社会における開発に関する特定の展望を提供するものとして考える。人間強化技術(HET)の効果は、長期的又は(遺伝子強化のように)永久的、又は(薬剤によってもたらされる集中力の向上のような)一時的なものがある。その目的は、(例えば我々を強くする又は幸福にすることによって)我々の自然の能力を改善すること、又は、暗闇での視覚又は特別の感覚等、かつて人類が持ったことのない特性又は能力を与えることである。 人間強化の現象はヤヌスの面(二面性)を示す。すなわち、一方で、広範な技術科学(technoscientific)の進歩及び、倫理的又は政治的観点から、それら自身が高度に関連のあるようにしばしば見え、また”強化社会”に向かう傾向になるということができる仕方で相互作用する、社会及び個人の要求と願望がある。 一方、技術と人間強化の関連する未来像の収斂が、科学、技術、及び研究政策の分野における多くの社会的組織とネットワークの中の数人の主要な人々によって積極的に推進されている。 人間強化に関する議論の極めて空想的で非常にイデオロギー的な特性に直面すると、関連する未来像と規範的な立場の批判的な分析を通じて論理的な議論を推進することと、人間強化技術(HET)とそれらの実際の社会的、技術的、及び政治的重要性をよく見ることとのバランスをとる努力をしなくてはならない。 今回の研究は、一方で未来像とそれらの文化的及びイデオロギー的側面、他方で当該の技術科学開発とそれらの社会的な側面と影響、との間のギャップに橋を架ける組織的な試みである。人間強化という話題のこれらふたつの側面の間の緊張は研究を通じて維持された。それは、その不確かな特徴のために多くの当該技術と共にこの問題を放棄するという考えによるものではなく、また論理的な議論を妨げ、政策策定者と公衆を誤解させるような方法で幻想と現実の又は新たな開発のビジョンを混合することはしない。 したがって、非医療人間強化のための既存又は新興の技術の利用の例は、誇張及びかけ離れた未来像を実際の先端技術と現実的な期待から切り離すことを目標にして、ある程度詳細に示され議論されている。一般的に、人間強化に関する論争で議論される人間強化技術(HET)のほとんど大部分は、まだ医療上のものであり、使用者に”非強化”人間についての重要な長所をそれらの使用者に提示していない。実際、改善のレベルはしばしば通常の機能のレベルよりも十分に低い。しかし、非医療強化のもっと効果的な方法が近い将来に開発され、いくつかの既存の研究開発ラインはすでに、人の肉体と認識を著しく変更する能力を持っていることを示している。 人間強化の未来像は、例えば、超人能力又はspeciesuntypicalな能力は研究開発では現実の根拠をまだ持っていないが、当該技術は予知できる将来に人間と機械の相互関係を基本的に変えてしまう能力を示している。さらに、特にもしそれらを認知機能を改善又は維持する従来のものと現代的な非医療的・非薬学的方法と比較すれば、効果的で非医療的認知の薬学的強化剤の存在を証明する証拠はまだほとんどない。その上、不十分な関連研究の結果はある程度矛盾している。病気を治療するために開発され、睡眠不足のやストレス症状の時に使用される薬剤を見れば、健康な個人の能力強化の何らかの証拠を我々は確かに見つけることになる。 しかし、これらの体調の低下は、健康な状態よりも病気にもっと似ており、これらの場合の薬学的認知強化は欠陥を引き起こす不健康な行動の影響に対処するために主に使用される。さらに、これらの薬剤使用の証拠は改善だけを示すわけではなく、改善のあるものは非常に短寿命でマイナーである。一方、多くの専門家と研究はもっと効果的で安全な薬学的認知強化剤が近い将来開発される可能性が高いことに同意している。もし認知能力を改善するための健康な人のための医療化の開発が許されるなら、もっと的を絞った研究が恐らくこの傾向を増幅するであろう。いずれにしても、加齢に関係する神経退行疾病のための薬剤の急速な研究開発の副作用は若い健康な人の能力強化のために用いることができる新たな多くの薬剤をもたらすであろうということである。 もし、人間強化に関する論文のある一部(例えば遺伝子ドーピング、デザイナー・ベビー、認知強化のための薬剤使用、脳埋め込みによる気分向上)、及び関連する技術をよく見れば、これらの多様なケースの全てはある特性を共有しているということが明らかになる。 それらは全て、例えば医学的及び科学的研究のの境界を押し戻す考えに関係する。これらの技術が基づく全ての研究は科学的分野の既知の限界を引き伸ばす。さらに、新たな技術の新規な応用は、その技術がもともと設計されたものではなくて、むしろ派生的な目的のために開発されることがある。さらに、多くの人間強化技術(HET)は、現在では不法な実施の発生を増大させ、全てが、現在又は将来、分配の公正(distributive justice)の疑念を提起する可能性がある。それらはしばしば、基本的な文化的価値についての疑問を投げかけ、人であることは何を意味するのかという我々の見解に挑戦する傾向がある。もっと緊急なことは当該技術、意図しない副作用、先行する社会的変化の望ましさ、そして、高度な専門医療又は強化ツーリズムから恩恵を受ける医療ツーリズムの受容のコストに関する懸念である。 この研究は、ヨーロッパにおいて人間強化と人間強化技術(HET)の問題を、全面的禁止及び不適切な放任主義を拒絶し、EUの実現可能な選択肢として、熟慮した強化支持アプローチ、熟慮した制限アプローチ、及び組織的なケースバイケース・アプローチを特定しつつ、どのように扱うかの可能性ある一般的な戦略を概説し議論する。しかし、我々が協議した全ての専門家らのように、人間強化の必要性の話題に関しては、どのような場合でも現在はまだ存在しない規範的枠組みに基づくべきとするEUの戦略的立場をとる。 そのような枠組みの開発は、”人間性(human nature)”(議論ある主題)ではなく、我々の自尊心とお互いの協力にとって必須であるとみなされる傾向のある、人間としての存在(the human condition)の局面を考慮すべきである。 この研究で示されているように、人間強化の問題は単に学究的であるだけではない。関係する技術と傾向は、いくつかの種類の政治的分野に有利と不利の両方の影響を持ち、個人と社会に機会を提供し、新たなリスクを引き起こし新たな必要と社会的要求を生み出し、重要な文化的観念、人間としての存在の社会的概念と見解 に挑戦することができる。 しかし現在、EUは人間強化の問題を監視し議論するための場を持っていない。規範的論点を政治的に討議し、広範な公衆の必要と懸念と開業医及び専門家の間のギャップを埋めるための舞台が欠如している。我々はそのような場は人間強化の現象の重要なビジョンに基づき作られるべきであると信じる。 EUはどのようにして人間強化に関する広範な討議を立ち上げ組織することができるのか? EUはどのような形態を人間強化の論点にとることができるのか? 我々の提案の本質は、この分野でEU政策の形成を導く人間強化のための規範的な開発のためのヨーロッパの組織を立ち上げることである。そのような組織確立のために、我々はふたつの機関の選択肢を見る。その両方ともに過去に、ヒト遺伝子と遺伝子テストのためのものである。欧州議会は暫定的な委員会を設立することを決定することができた。あるいは欧州委員会は欧州議会のメンバーが参加する作業部会をを立ち上げることを決定することができた。どちらの場合も、そのような組織の中での欧州議会の関与は、組織の役割を強化するために非常に望ましいことであった。 この話題をさらに探求し、 EUにおける健康、研究、経済などの政治的分野に影響を与える人間強化の問題の可能性あるされなる規制のための基礎を作ることがそのような組織の仕事であろう。 本研究で指摘されているように、財政的資源はそのような組織の仕事のために利用可能であろう。それらのあるものはEUの資金の付いたプロジェクトから拠出できる。組織の主要な仕事は、上述した人間としての存在の局面に関する評価基準に基づくべき人間強化のための規範的枠組みを開発することであろう。 規範的枠組みは以下のことに役立つであろう。
これらの目標を達成すために、組織は人間強化技術(HET)における現状と新たな展開を適切に監視しなくてはならないであろう。これをなすことにより、組織は規範的及び規制的側面に関する議論のための確固とした根拠をその活動の主題を注意深く定義することにより確立しなくてはならないであろう。 組織の仕事は、現在、”強化”という言葉で誘発されている実現不可能又は観念的な考えや熱望によって過重になることがないようにしなくてはならない。しかし、組織は、ヨーロッパやその他どこでももっと過激な人間強化のビジョンが推進される場合の活動を監視すべきである。可能性ある将来の社会的変化を無視することなく、この組織の最も重要な仕事のひとつは、新興技術に基づく人間強化と毎日の生活の中に強化技術の利用の増大をもたらすかもしれない社会の傾向に関する論争に焦点を合わせることであろう。 はじめに 科学と技術は、人の体の精神的及び肉体的機能に影響を及ぼす方法をますます提供し続けている。そのような”人間強化”の様態、特に”人間強化技術”((HET)は利用され又は開発されており、又は障害者のための支援技術、薬理学、軍事研究、生殖医学、スポーツなど多様ないくつかの応用分野で期待されている。人間強化はこのように一見非常に異なるように見える広範な技術に関連する現象である。また人間強化に関する政治的、社会的、倫理的な議論が現在、行われている。そのような議論はある仲間内での当世風な話題になっているだけでなく、それに関する文献は倫理的研究の主要な話題としてみなされるのにふさわしい”必要量”に達している(Selgelid 2009)。医療と人間強化の区別は、通常、人の肉体又は精神への技術的介在を許すことに賛成又は反対する議論の中で論じられている。医療はしばしばある状況を修復する(例えば正常、正気、健康)ための試みとして定義されるが、一方、人間強化はこれらの境界を越えるものとみなされる。これらの問題は、ドーピング、薬剤の非医療的使用、及び美容整形に関連して主に生物学的倫理の観点から、しばらくの間議論されていた(cf. Parens 1998b)。 しかし最近、新たに出現している神経技術、情報通信技術(ICT)及びその他の研究開発(R&D)の分野に基づいた先進的で空想的な人間強化技術(HET)が、社会的、政治的、学問的に注目を強く浴びている。いわゆる”第二段階”の強化技術の出現(Khushf 2005; see Sect. 1.1.3)及び関連する未来像をもって、我々は”世界のバイオエシックスの新時代”((Cole-Turner 2006, 1)に入ったと主張する者もいる。いずれにしても、人間強化に関する国際的な議論は、アメリカの国立科学財団と商務省によるナノテクノロジー、バイオテクノロジー、インフォメーションテクノロジー及び認識科学(NBIC)に関する半公式な報告書『人間の能力改善のための収斂技術(Converging Technologies for Improving Human Performance)(2002)(Roco/Bainbridge 2002)』から強い影響を受けた。ナノテクノロジーと収斂技術(CT)に関するこの議論で、人間能力の強化は、特に実際の及び将来を見通した、人の肉体的機能及び認知機能を根本的に変更するかもしれない第二段階の強化(例えば情報通信技術(ICT)の脳への埋め込みによる)に関して、研究のひとつの目的として推進された(see for this debate: Andler et al. 2008; Coenen 2009; TAB 2008)。 ここで我々は、個人の技術的強化に関する焦点と、どのように社会と文化の舵を取るかについての幾分専門技術者的な考えとの組み合わせに直面する。 人間強化技術(HET) いくつかの技術科学的(technoscientific)発展とそれらの社会的関連性を少しと見るだけで、人間強化技術(HET)は、我々の社会を変えるかも知れず、また我々が確立したシステムと政策意思決定に挑戦するかも知れないという印象を受ける。 第一に、懸念されることは、学生、科学者、労働者、その他の集中力を改善しようとする人々によるリタリンの不正な使用である。注意欠陥多動障害(ADHD)の治療のために処方された薬剤リタリン(訳注5)は、ADHD患者にもそれ以外の人々にも集中力を促進することが出来ることがわかっている。ラベルには”汎用能力強化剤”と記されているが、それは集中力の強化はどのような認知作業にも役に立つからである。 またリタリン以外にも覚醒促進効果があるように見える多くの薬剤、例えばナルコレプシー(訳注6)の治療のために開発されたモダフィニル(訳注7)がある。それらは通常より長く勉強し、働き、”楽しみ”、より生産的になることが出来る。 第二に、多くの人々は気分を改善するために様々な抗うつ剤を使用する。北米では毎年、男性で3〜5%、女性で8〜10%がうつ病であると診断されており(Kessler et al. 2000; Murphy et al. 2005)、アメリカ成人の8人に1人は、長期間の深刻なうつ病に苦しんでいるかどうかに関係なく、向精神剤(PCB, 240)を服用している。この傾向のどのくらいががうつ病の発症の増加に起因するのか、そして人々がこの薬物治療を容易に行えるようになったことにどのくらい起因するのか、明確ではない。将来は、気分改善をはかるために、錠剤を服用することだけでなく、装置の助けを借りて行うことが可能になるかもしれない。脳深部刺激療法(deep brain stimulation)(訳注8)と呼ばれる脳埋め込み技術は既にパーキンソン病の症状治療のために使用されつつあり、重いうつ病の軽減のために実験的に使用されている。それは恐らく健康な人々の気分も同様に改善することが出来るであろうし、既にマスメディアにより”押しボタン式幸福(push-button happiness)”として華々しく紹介されている。うつ病やその他の精神医学的疾患のための治療として現在研究されている経頭蓋磁気刺激法(訳注9)のような他の非侵襲的な装置もまた、患者ではない人の気分にも効果がある。 脳を目標にした他の新たな技術は、脳・コンピュータ・インターフェース(BCI)の分野で見つけることが出来る。BCI装置は様々な応用分野でテストされており、それらには対麻痺患者(訳注10)がコンピュータを管理することを可能にするよう意図されたものなどがある。他のBCI技術はコンピュータ・ゲームでの使用の試みが行われており、この技術は”仮想”環境と相互作用する強化された人間能力をもたらすかもしれない。アメリカにおけるこの分野の開発は、パイロットが”by thought alone”でマシンを制御する映像に及んでいる。新たに出現している多くの異なるBCIは”仮想の世界”と”現実の生活”をそれほど遠くない将来に合体する現実的な約束を提供しているように見える。これらやその他の潜在的な人間強化技術(HET)は、しばしば、軍事的脈絡において研究又は空想されている。 遺伝子技術は遺伝的強化をもたらすことができる。科学者らは既に遺伝子操作された、他のマウスよりはるかに強い超能力マウスを作り出すことに成功している。他の事例は、美容プラスチック整形、アンチ・エージングを謳う措置、スポーツにおける能力強化剤の不正な使用(口語的にはドーピング)がある。 最後に、既に開発中の人工補綴(ほてつ)や強化外骨格(パワードスーツ)は、人間という種の典型的な能力を超える機能改善を提供している。我々の筋肉を改善したり強化外骨格を使用すれば、重いものを持ち上げることはもっと容易になる。 いくつかの人工補綴は、広いクレバスをまたぐために足を伸ばすというような通常の体の人間には不可能な能力を使用者に達成させている(例えば登山)。そして、2008年オリンピックで二足の下肢人工義足の認定を求めた南アフリカの短距離走者オスカー・ピストリウスによって使用されたような新たなスポーツ用人工補綴とともに、日常での人工補綴の使用はますます精緻化してきている。 人間強化−論争 人間強化の現象は非常に議論のある問題である。一方では論争の参加者らは、人間強化技術(HET)の将来性とそのような技術の実際の研究開発の状態を非常に異なった評価をする。他方で人間強化の受容性と望ましさに関する見解は広く分かれている。 人間強化技術(HET)とそれらの影響の未来像に関するこれらの論争は、我々の社会の将来とともに、人間の状態と肉体の見方に関する根本的な疑問を提起するものである。さらに、現在実施されているいくつかの研究開発プロセスは、自然のもの(the grown)と人工のもの(the made)との境界に立ちはだかる。そして医療化と商業化への傾向のような医療と健康システムの社会的役割に関する広範な変化は、明らかに人間強化の傾向を促進する。 恐らく最も熱心な人間強化(HET)の支持者は、推進力及び前衛的であるという点でこの10年間、倫理的及び政治的議論に関する学問的論争に著しい影響を及ぼした”トランスヒューマニズム(訳注11)運動”である。人間強化の論争はいまだに極端な立場から強い影響を受けており、それらは時にはバイオコンサーバティズム(訳注12)に対するトランスヒューマニズムとして位置づけられる。これらの論争の道筋の大部分及び関連する議論は、少なくとも20世紀の前半にまでさかのぼるということを認識することが重要である。我々がここで扱うことはしばしば見逃されるが、大きな影響を及ぼす一貫した極端な進歩のイデオロギーであり、将来についてのその考えは、宇宙空間におけるポストヒューマニスト(訳注12)文明の未来像の中で頂点に達し、したがって人間生物学(human biology)の抜本的な変換が必要という考えを促進する(cf. e.g. Andler 2008, Appendix C, p. 14ff)。このイデオロギーはこれもまた20世紀の前半以来、宗教的及び世俗の保守主義者及び科学主義の左翼批判家及び我々の技術的文明のある一部による強い反作用をもたらす引き金となった。収斂技術(CT)に関する STOAプロジェクトは、我々の全く正当な見解として、この論争に多くの規範的な問題が議論され得ると結論付けた。しかし、これらの遠大な未来像に関する研究のための基金と公衆の対話が知的及び物質的リソースを結びつけるということを考慮しなくてはならない。したがって、これらの未来像の厳しい分析を通した正当な議論の推進と、後者の更なる大衆化との間にバランスが見出されなくてはならない(Grunwald 2007; Nordmann 2007a, 2007b; Paschen et al.2004)。 人間強化の話題性を高めるものに二つのプロセスがある。ひとつには、自分達の能力、幸福、美しさ、その他の技術科学によって成し遂げられる側面を改善したいと望む多くの人々がいるように見えることである。これらの欲求及び希望は、個人の選択を人間強化の方向に形成する広範な社会的傾向及び社会の構造的特徴にしばしば関連している。しかし、これらの傾向の範囲はまだ不明確であり、それらはある専門家や特定の集団の中でのみ広がるのかもしれない。他方、ロビーイングのネットワークを形成することが出来る多数の人間強化促進者がいる。 トランスヒューマニスト団体への加入を制限するどころか、これらの促進者らは、特にアメリカや(cf. Coenen 2009)一般的にアングロサクソン世界において、研究や技術政策の既存集団のメンバーや主要な主体を加入させた。彼らはしばしば、上述した極端な進歩のイデオロギーに固執する。このイデオロギーの展開と現在行使している影響力は学問的興味だけでなく、ヨーロッパの価値体系と我々の社会的及び技術的将来に関する希望と恐れの間の相互関係に関連している。 報告書の焦点と範囲 空想的及びイデオロギー的観念が高いので、人間強化の議論は簡単ではないことは明らかである。世界観の対立を超えて、それは概念的な拡散と区別の欠如によって特徴付けられる。たとえば、療法の実践に関して人間強化と医療の区別が政策目的に対して十分に合理的であるかどうかが疑問となる。医療と強化の境界は決して明確にされていない。議論の枠組みを再構築する必要があるのか? 人間強化技術(HET)における研究開発の最先端の評価における相違のあるものは、人間強化の多様な定義によって説明することができる。もし概念的な問題があるなら、人間強化の実践的な観念と、関連する人間強化技術(HET)を特定するための発見的教授法(heuristic)を開発するために相当な努力が必要であるが、政策という脈絡において、その両方とも、この問題と現在行われている開発を扱うことについて実現可能でなくてはならない。 我々は、個人の人間能力を改善することを目的とし、科学又は技術に基づく介在により、人間の体にもたらされるどのような改造をも”人間強化”と定義し、下記の区別を行う。(@)回復のための又は予防的な非強化的介在、(A)医療的強化、(B)非医療的強化。したがって我々は、人間強化は主として科学、技術、医学、社会における開発に関する特定の展望であると考える。人間強化技術(HET)の影響は長期的又は永久(遺伝子強化の場合)、又は一時的(薬剤の使用によってもたらされる改善された集中力など)のどちらかである。その目的は、我々の自然の能力を(例えば、我々をより強く又はより幸福にすることにより)改善すること、あるいは暗闇での可視又は飛ぶことのような人間がかつて持つことのなかった特性又は能力を我々に与えることかもしれない。 議論の多くが、人間強化技術(HET)に関する対話を明らかに形成し、科学、技術、そして将来に関する社会の見方を変えるような非常に空想的な考えを中心議題にする。しかし、むしろ短期間的な発展もあり、ある人間強化技術(HET)は既に存在し、そこここにある。 それらが我々の報告書のそして、我々が議論する政策選択の焦点の中にある。我々は、人間強化技術(HET)によって提起される人間強化、機会、課題(個人、医学、文化、政治、等)に関連するいくつかの研究開発の分野における様々な展開について、及び、人間強化に関し現在行われている対話が人間の肉体、(無)能力、医療化への傾向、及び個人的及び社会的完全性の新旧の展望に関する見方がどのように変わるかについて、議論する。 本研究は、人間強化技術(HET)の概要と詳細の両方、及び関連する政治的、学問的、及び社会的議論を提供する。主要な疑問は政策決定において扱われるべきことで何があれば十分に適切なのかということである。本研究は人間強化技術(HET)に関連する問題点と倫理的に合理的な政治的取り扱いを涵養するための勧告と政治的選択肢を開発し、人間強化の話題に関する広範な社会的及び学問的対話を刺激するための戦略を作り出すことに貢献する。 欧州議会にとって、当然のこととして、ヨーロッパ・レベルで人間強化の問題に目を向けるための理由と選択肢について学ぶことは非常に重要なことである。ヨーロッパの研究開発政策についてのいくつかの人間強化の果たす役割についての個々の戦略的議論はまさに始まったばかりである。この話題の倫理的、社会的、技術的、革新的側面は、加盟国を含んで全てのレベルで重要性が増している。 本報告書の構造は、人間強化と人間強化技術(HET)の様々な切り口の体系的な概観である。 我々は人間強化と関連する概念(Sect. 1.1)の定義と、我々の理解を説明することによって第1章を始めるが、特に政策の脈絡において意味あるやり方でこの問題を議論することになるときには、概念的な疑問が最も重要であることを承知している。 次に我々は、認識及び肉体の強化のための非医療的使用に焦点を合わせ(Sect. 1.2)、また誇大なそして分散した見方を実際の先端技術及び現実的な期待から切り離すという目標をもって、人間強化のための既存及び新たに出現している技術の事例を示して議論する。 第2章では、我々はいくつかの技術科学的発展に戻り、もっと詳細にそして実際の社会的、政治的、文化的意味に対するひとつの見解をもって、それらを議論する(see Sects.2.4 2.7)。さらに、我々は: (@)非常に深刻な側面を含んで人間強化に関する理由付けのいくつかの主要な道筋を示し分析する(Sect. 2.1) (A)人間強化に関する議論の脈絡を提供する様々な広範な社会的傾向と問題を簡単に議論する(Sect. 2.2) (B)人間強化を推進している影響力のあるネットワークの存在を示すいくつかの証拠を与え(Sect. 2.8)、また人間強化に関する対話がヨーロッパの文化と価値体系に及ぼすという課題の適切な理解に関連するように見える彼らのイデオロギー的な背景の特徴を示す。これらのそしてその他の問題はまた、この章の結論(Sect. 2.9)に提起されているが、そこでは我々はこれらの課題いくつかを議論し、それらを”強化社会”に向かう他の傾向に関連付ける。 第3章では、我々は最初にEUレベルにおける人間強化についての議論の主要な道筋を概観する(Sect. 3.1)。ここでの焦点はむしろ高レベルEU声明及びEU基金による、特にナノテクノロジーと収斂技術に関する活動と研究プロジェクトに注がれる。それはまた、科学と新規技術における倫理に関するヨーロッパ・グループの関連する意見を含む。人間強化技術(HET)に関する科学的研究をを実施するEU基金によるプロジェクトに関する部分で(Sect. 3.2)、我々は研究と技術的開発のための枠組みプログラム(FP)の中でファンドの付いたプロジェクトに注力する。それに続く部分(Sect. 3.3)は、人間強化によって提起される社会的、(無)能力的、医学的、倫理的枠組みに対する多様な課題に焦点を当てつつ、この研究のために実施された最初の専門家会議の結果を示す。人間強化の特定の法的及び規制的側面はsection 3.4で別に議論される。この議論の目的は、最も関連する法的側面のいくつかを指摘し、ヨーロッパで人間強化技術(HET)を規制するための可能性ある多くの出発点を特定することである。この章の最後で、我々は人間強化のガバナンスに向けていくつかの可能性ある最初のステップを議論する(Sect. 3.5)。この議論は、この研究のために開催された二回目の専門家会議の結果に基づいている。 我々は本報告の最終章を、どの政治的及び社会的分野が強化社会に向かう傾向によって最も強く影響を受けているように見えるかを議論することから始める(Sect.4.1)。その後、我々は、ヨーロッパという脈絡の中で、人間強化の話題と人間強化技術(HET)をどのように扱うかの可能性ある一般的な戦略を概観し議論する(Sect. 4.2)。最後に、我々は人間強化技術を監視するためのヨーロッパの組織を確立するための提案を示して説明し、ヨーロッパ議会はそのような組織の確立に中心的な役割を果たすべきであることを主張する(Sect. 4.3)。 我々は専門家会議に参加しこのプロジェクトに対して非常に貴重な貢献をした下記の専門家に感謝したいと思う。 訳注1:デザイナーベビー 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 デザイナーベビー(designer baby)とは、受精卵の段階で遺伝子操作を行なうことによって、親が望む外見や体力・知力等を持たせた子供の総称 訳注2:PGD:Preimplantation Genetic Diagnosis: 着床前診断 出典:着床前診断とは? 着床前診断は遺伝的疾患を患った子供を出生する可能性を減らす新しいアプローチ 訳注3:DBS:Deep Brain Stimulation:脳深部刺激療法 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 何らかの病変により、脳の一部が機能不全を起こしている患者の脳に適切な電気的または磁気的刺激を継続的に送りこむことによって、症状の改善を図る治療法 訳注4:トランスヒューマニスト 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の状況を前例の無い形で向上させようという思想の人々 訳注5:リタリン メチルフェニデート:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 訳注6:ナルコレプシー 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 訳注7:モダフィニル 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 訳注8:脳深部刺激療法 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 訳注9:経頭蓋磁気刺激法 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 訳注10:対麻痺 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 訳注11:トランスヒューマニズム 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 訳注12:Bioconservatism Bioconservatism - Definition from WordIQ 訳注:人間強化関連情報
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