米国立健康環境科学研究所ジャーナル
EHP 118(8) 2010年8月
メチル水銀の有害影響:環境健康研究の示唆
Philippe Grandjean、佐藤洋、村田勝敬、衞藤光明

情報源:EHP_118(8)_Aug_2010
Adverse Effects of Methylmercury: Environmental Health Research Implications

Philippe Grandjean 1,2, Hiroshi Satoh 3, Katsuyuki Murata 4, Komyo Eto 5
1 Department of Environmental Medicine, University of Southern Denmark, Odense, Denmark, 2 Department of Environmental Health, Harvard School of Public Health, Boston, Massachusetts, USA, 3 Department of Environmental Health Sciences, Tohoku University Graduate School of Medicine, Sendai, Japan, 4 Division of Environmental Health Sciences, Akita University, Akita, Japan, 5 National Institute for Minamata Disease, Minamata, Japan
http://ehp03.niehs.nih.gov/article/fetchArticle.action?articleURI=
info%3Adoi%2F10.1289%2Fehp.0901757


訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2010年8月7日
更新日:2010年9月29日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/mercury/research/
EHP_Aug_2010_Methylmercury_Lessons_Learned.html


内容
アブストラクト
編集者のサマリー
ヒト毒性の早期の証拠
予期しない曝露経路
診断の困難さ
発達期の感受性
実験による証拠
野生生物の中毒
環境中での水銀メチル化
規制の決定
毒性リスクの拡大
不確実性の解釈
専門家らはさらなる研究を勧告
環境健康研究から学ぶこと
参照
アブストラクト

背景:メチル水銀曝露による健康リスクの科学的な発見は、1865年に、深刻なメチル水銀中毒の症状として運動失調症、 構音障害(訳注)、視野狭窄、難聴、感覚障害を記述することから始まった。
訳注
ウィキペディア:構音障害


目的:メチル水銀毒性に関する知識と合意が、研究における広範な懸念の問題を特定するために、どのように形成されてきたかを検証することである。

情報源と抽出:ヒトへのメチル水銀毒性についての新たな見識を反映している主要な出版物をたどった。この証拠から、環境健康研究のための潜在的に重要性な警告を一般的に特定した。

Synthesis:最初、メチル水銀研究は、狭い症例定義と不確実な化学形態別分析(chemical speciation)に対する不適切な配慮によって、損なわれた。また、生態毒性とヒト毒性との関連が無視された。その結果、日本の水俣における深刻なヒト中毒の原因としてのメチル水銀の認識に深刻な遅れをもたらした。発達神経毒性は1952年に初めて報告されたが、証拠が増大するにも関わらず、発達神経系の脆弱性は、約50年後まで国際的にリスク評価で考慮されなかった。曝露評価の不正確性と他の形態の不確実性がメチル水銀毒性の過小評価の原因となりがちで、防止よりもっと多くの研究要求を繰り返す結果となった。

結論:防止と補償を検討する前に説得力のある証拠資料を要求する法的及び政治的硬直性が加わって、環境研究では一般的な様々な不確実性が科学的合意を遅らせ、是正措置の遅延の言い訳として利用された。視野狭窄、健忘症、四肢失調のようなメチル水銀毒性の症状はまた、環境健康研究とその解釈に影響を与えるように見えた。

編集者のサマリー

 メチル水銀への曝露に関連する健康影響は1世紀以上前から知られている。しかし、水俣病として知られる深刻な神経障害の場合には、公衆衛生当局と環境科学者は神経学的兆候の発現とメチル水銀への環境的曝露とを関連付けるのに時間がかった。Grandjeanら(p. 1137)は、この遅れに関連する様々な政治的、法的、及び科学的な力学を顧みている。著者らは、メチル水銀が引き起こす健康影響の理解が狭い症例定義と不確実な化学形態別分析に依存したために損なわれたことに言及し、メチル水銀は発達神経毒素になることが1952年には知られていたにも関わらず、研究者らが発達中の神経系はメチル水銀などの重金属に脆弱であることを理解しなかったと指摘する。彼らは、様々な政治的及び経済的配慮とともに科学的不確実性が、将来の曝露の緩和と防止のための戦略の展開よりもむしろ、もっと多くの研究の要求をもたらしたことに言及する。著者らは、メチル水銀の症例と水俣病は環境健康に関わる社会と公衆衛生当局が現在と将来の環境的危機に対応する際の寓話であると結論付けている。

 メチル水銀の毒性及び環境的疫学が最近、概説されているが[Clarkson and Magos 2006; Grandjean et al. 2005; United Nations Environmental Programme (UNEP) 2002]、一連の科学的的発見と合意形成が、環境健康研究に広範な関連性を持つ重要な警告と問題を明らかにしている。

 金属水銀とその無機塩は古代から知られているが、金属イオンと有機ラディカルの共有結合を有する有機水銀化合物は19世紀に初めて記述された。その有毒作用は実験室での事故で容易に明らかになり、臨床的病状の記述は、”独特の症状で、どのような既知の疾病によって引き起こされる症状にも似ていない”と記していた(Edwards 1865)。臨床的状況は下腿、ひじ下腕、及び顔面の感覚障害;視野狭窄;難聴;運動失調;構音障害を含んでいた。この影響力のある出版物は最初はよく知られたが、後には忘れ去られた。その後のメチル水銀の環境的歴史における主要な出来事がテーブル1にリストされている。

Table 1.

メチル水銀(MeHg) 毒性についての重要な早期警告と認識

 日本の水俣におけるメチル水銀中毒への対応の遅れに関する論評の中で Jun Ui(宇井純)は、[D'Itri and D'Itri(1978)] の引用によれば、次のように書いている。
 それは偶然の一致かもしれないが、奇妙な平行関係が水俣病の実際の症状とこれらの公的組織の反応との間に観察された。視野狭窄は全ての組織の中で共通であった。体の様々な部位の協調障害である運動失調(ataxia)については、政府の様々な機関によってとられた措置にしばしば矛盾が示された。被害者が訴える感覚障害は無視され、全体像を把握するための努力はほとんどなされなかった。多くの組織はまた問題に直面すると痙攣を引き起こした。これは精神遅滞や健忘症として処理された。
 本研究でのレビューで、我々はそのような兆候が、環境的メチル水銀研究の実施、報告、及び認識に及ぼす影響の程度を考察する。

ヒト毒性の早期の証拠

 Edwardsの致命的なメチル水銀中毒に関する警告的報告書(Edwards 1865)が出たにも関わらず、この物質は梅毒治療研究に用いられた。驚くべきことではないが、この実験的治療は深刻な副作用を患者にもたらした(Hepp 1887)。したがって、このアプローチはその後、取られることはなかった。しかし、メチル水銀の微生物毒性が殺菌剤として使用され、1914年には重要な商業用途としてスタートした。初期に有害影響の記録がわずかに出版された(Franke and Lundgren 1956; Hunter and Russell 1954)。メチル水銀のこの用途は”緑の革命”の一部として開発途上国で広く使用されたが、水銀の環境中への拡散や観念する有害影響についての監視は何も行なわれなかった。

 報告される臨床的症例が増えるとともに、兆候と症状の独自な組み合わせが、完全なメチル水銀中毒の診断への鍵(キー)として確立されるようになった。ある死亡した労働者の死体解剖は、患者の神経学的兆候に対応する大脳や大脳皮質の損傷を示していた(Hunter and Russell 1954)。

 水銀殺菌剤の使用拡大と不適切な表示のために、いくつかな諸国で食糧飢饉の間に殺菌処理された穀物種子が誤ってパンの製造に使用され、一連の食品中毒事故への道を開いた。最初の症例は1955-1956 年と 1959-1960 年にイラクで(Jalili and Abbasi 1961)、1961年にパキスタンで (Haq 1963)、1965年にガテマラで(Ordonez et al. 1966)、そして再び1970-1971年にイラクで(Bakir et al. 1973)報告された。メチル水銀と関連するエチル水銀の化合物は種子の化学的処理に用いられている。多くの中毒と死亡事故が起きたが、食糧飢饉中の緊急事態なので、データー収集は困難であり、曝露の程度を記録する機会は限定された。

 イラクにおける成人93人の中毒に関する最も詳細な研究が、中毒初期の臨床的兆候として、明確に曝露用量に依存する顔面感覚異常症を特定した(Bakir et al. 1973)。公式記録は、6,500人の患者と459人の死亡を認めた(Bakir et al. 1973)が、使用された処理穀物の量(100,000 トン)は、もっと多くの人々が中毒したはずであることを示唆しているが、当時の状況では対象の代表的なグループをフォローすることはできなかった。1973年の科学的報告書(Bakir et al. 1973)の筆頭著者、Farhan Bakirは後にサダム・フセインの侍医として認められたが、現在は、少なくとも他の一人のイラク人共著者とともに国外亡命中である(Giles 2003; Hightower 2009)。今に至っては研究報告書の中の誤謬や偏向を調べることは困難であるが、メチル水銀毒性が誇張されているようには見えないと言うことが推測できる。

 Bakir らの用量−反応データ(1973)は、世界保健機関と国連食糧農業機構の下に食品添加物に関する合同専門家委員会によって決定されたように(JECFA 1978)、メチル水銀の以前のリスク評価を確認したように見える。これらの結論は、その後の25年間のリスク評価のための基礎を形成した(JECFA 2003)。

予期しない曝露経路

 1956年5月1日、Hajime Hosokawa(細川一)とKaneki Noda(野田兼喜)は、不思議な未知の同一症状である神経系疾病の4人の患者につて水俣保健所に報告した(Social Scientific Study Group on Minamata Disease 1999)。数週間後に、医学専門家委員会はさらに30人の患者を水俣湾沿いで発見し、その中で最初の患者たちは少なくとも1953年には発症していた。

 この病気の遺伝的要因は、関連性のない患者の中で起きているので、すぐに除外された(Nagano et al. 1957)。しかし疾病発症のパターンが伝染病に似ていた。最も厳しい例では、家族11人中8人が発症して苦しみ、残りの3人もその後、認定を求めて訴えた。患者のほとんどは海岸の近くに住む漁師とその家族であった(Social Scientific Study Group on Minamata Disease 1999)。専門家らは有害金属が魚介類を汚染したのではないかと疑った。1956年11月4日、この報告書が発表された翌日に、(熊本)県当局は水俣湾の魚介類を食べることに対して懸命にも警告を発した。しかし、水俣湾の魚介類の摂取禁止は、一般的にこの病気への魚介類の関与に関する不確実性を理由に東京の厚生省によって承認されなかった(Harada 2004; Social Scientific Study Group on Minamata Disease 1999)。

 その後2年間、いくつかの研究がこの魚介類が関連する病気の正確な原因を突き止めることに失敗し、そこでの情報がいくつか混乱を引き起こした。例えば、日本化学工業協会は、この病気は第二次世界大戦中に廃棄された爆発物からの漏れによるものであると主張した(Mishima 1992)。一方でマンガンが疑われ、セリウム、タリウム、銅なども疑われた。これらの所見の概要が、個人的な観察とともに、Lancetに発表された(McAlpine and Araki 1958)。これらの著者らは金属中毒が疑わしく、メチル水銀も他の神経毒素とともに簡単にレビューされた(引用 the report by Hunter and Russell 1954) 。これらの著者らは金属中毒が疑わしく、メチル水銀も他の神経毒素とともに簡単にレビューされたと述べた(引用 the report by Hunter and Russell 1954) 。水俣病の原因らしいとしてメチル水銀に関する最初の国際的な報告書は、その後すぐに出版された(Kurland et al. 1960)。メチル水銀の源は後に、チッソが所有するアセトアルデヒ工場であることが分かったが、そこでは水銀が触媒として使用されていた。

 後知恵であるが、 Edwards (1865)Hunter et al. (1940)による独自の臨床的特徴の記述があったのだから、メチル水銀が水俣病の最もそれらしい原因としてすぐに認められなかったということは奇妙に見える。死亡した患者の死体解剖からの病理学的発見として (Matsumoto 1961; Takeuchi et al. 1959, 1960)、臨床的症状の類似性に実際に気づいていた(Tokuomi et al. 1960)。しかし、メチル水銀の薄層クロマトグラフによるメチル水銀の特定は、それがアセトアルデヒド・プラントからのスラッジと排水溝の堆積物から特定された1962年まで成功しなかった(Irukayama et al. 1962)。その後、魚介類中及び死亡した患者の体内から高濃度メチル水銀が報告された。この物質が水俣湾や周囲の水系の魚介類の汚染を引き起こしたとはとても見えなかった。高価な水銀殺菌剤が中毒の原因となり得るであろうか?メチル水銀は最終的には政府当局によって1968年に水俣病の原因として認められた(Social Scientific Study Group on Minamata Disease 1999)。

 一方、水俣病の新たな発症が1965年に日本の本州、新潟で発見された(Tsubaki et al. 1969, 1977)。触媒として水銀を使用していた同じ製造プロセスからメチル水銀が排出されていた。今回は、研究者らはよく準備ができており、環境サンプル、組織、毛髪へ適用するための分析手法も容易に利用することができた。一般的に新潟の症例は穏やかであったために、研究は水俣病の知名度の低い症例への有用な見識を提供した。 1970年代と80年代のさらなる研究が、メチル水銀イ曝露した人々の遅れて発現する様々な症状を特定し(Kinjo et al. 1993)、メチル水銀汚染の有害影響が不知火海周辺の多くの地域で、そしてそれらのあるものは水俣から著しく離れた地域で報告された (Ninomiya et al. 1995; Yorifuji et al. 2008)。

 数十年前に、メチル水銀はアセトアルデヒド製造で使用される無機水銀から自然に形成されることが発見されており(Vogt and Nieuwland 1921; Zangger 1930)、実際メチル水銀中毒症例がドイツのアセトアルデヒド製造労働者の間で起きていた (Koelsch 1937)。水俣と新潟のふたつの工場はドイツの製造プロセスのコピーであったが、その毒性報告は50年に以上顧みられなかった(Ishihara 2002)。

診断の困難さ

 深刻なメチル水銀中毒の特性にも関わらず、原因となる曝露は、曝露から臨床学的症状が出るまでの数週間から数ヶ月にわたる潜伏期間があるために複雑となる(Edwards 1865; Franke and Lundgren 1956)。さらに、農民や工場労働者に見られるように、初期の症状は認識するのが難しい。Ahlmark (1948)は、”そのような[メチル水銀中毒の]症状は、有毒リスクに曝露していると思っても、一般的に神経衰弱(neurasthenics)に見られる症状とほとんど変わらない”と述べている。実際、一人の労働者は、メチル水銀中毒であると診断される前は、ヒステリー症を患っていると見られ、電気ショック治療を受けたが役に立たなかった(Herner 1945)。

 日本では1977年に環境庁(当時)が患者認定に関する通知を出し、水俣病診断の基準が多くの議論と訴訟の対象となった(Harada 2004)。水俣病の真の症状を特定し、この診断をそのような曝露とは無関係な他の異常と切り分けるための法的要求はかなりの医学的配慮とリソースを必要とした。一方、一部には汚染の継続と環境的意識の普及のために、被害者らしい人の発見が増大した。2004年の裁判所の判断は、多くの新たな水俣病患者(その時までにその多くはすでに死亡していた)に対する認定と補償を与えた(Ushijima et al 2010)。しかし、既存の症状基準に基づく補償を正当化するものではなく、数千人の人々が影響を受けたと考えられた。2009年になってはじめて、被害者の残りのグループのほとんどの人々に補償を与えるた(provide compensation )めの法律が制定された(Martin 2009)(訳注)。
(訳注):2010年7月に制定された水俣病特措法(水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法)のこと。チッソの分社化による責任の消滅のほか、認定基準の見直しを行なわない、包括的な住民の健康調査の実施を求めていない、1969年11月より後に生まれた人は救済対象にならない、3年以内を目途として救済措置の対象者を確定するという条文がある−などの問題が水俣病被害者/支援者団体などから指摘されている。

 このように遅れた理由のひとつはおそらく、法的及び政治的硬直性とともに、原因についての以前の誤った結論を取り下げなくてはならないことによって引き起こされるきまり悪さによるものである。チッソの抵抗と協力不足もまた重要な要素である。チッソにとって最も面目ない毒性実験がチッソの医師 Hajime Hosokawa(細川一)により1950年代後半に実施された。普通のネコの餌に、水銀が触媒として使用されていたアセトアルデヒド・プラントからの排水を混ぜた餌が10匹のネコに与えられた(Eto et al. 2001)。当時、研究者らは排水にメチル水銀が含まれていることを知らなかった。曝露したネコは、水俣湾の魚を食べたネコに見られた症状と同様の症状を示した。1969年になって Hosokawa はこのような研究結果が存在していること、及び彼の雇用者(チッソ)により公表を差し止められたことを明らかにしている。詳細な科学的評価は40年の遅れの後に最終的に発表された(Eto et al. 2001)。

 1971年のインタビューにおいてすら、チッソの代理人Keiji Higashidaira(東平圭司)は水俣病は腐った魚を食べたためであり、工場からの水銀汚染のためではないと、まだ主張した(Mishima 1992)。このようにして、チッソは長年、無実であり証拠がないと主張し続けた。その後の裁判に敗れて初めてチッソは公式に被害者に補償を払うことに合意した。

 同様な問題があちらこちらで発生した。最もよく報告されている事例は、カナダのオンタリオ州ケノラ地域の深刻な水銀汚染である。1962年の初めに、塩素アルカリ・プラントが水銀廃棄物を地域の湖に排出された。またヘドロ防止にフェニル水銀が使用された近くの製紙製造プラントからパルプ廃棄物が排出された。淡水魚の汚染がオジブウェー族の人々と魚釣りの人々の生活と健康に影響を与えた。しかし、検死(解剖)は、曝露したオジブウェー族に対して行なわれず、彼らの血中水銀濃度は秘密にされていたので、”水銀中毒で死んだ人がいれば示してみろ”という挑戦は撞着語法(どうちゃくごほう: oxymoron)(訳注)になった(D'Itri and D'Itri 1978; Wheatley et al. 1979)。
(訳注):撞着語法とは、修辞技法のひとつ。「賢明な愚者」「黒い光」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指す(ウィキペディア)。

 アメリカでは、Korns (1972)が、ダイエットで体重を減少させようと毎日メカジキを食べていた主婦の症例が報告されている。彼女には、 かすみ目、疲労、運動失調、頭痛の症状が出た。彼女は、メチル水銀毒性が認められるまで、心因性疾病として精神病治療を受けた。ダイエットをする人々の中からもっと多くの患者が出現し(Genuis 2009)、寿司愛好家の中で影響を受けた一連の患者がカリフォルニアの開業医によって特定された(Hightower 2009)。

発達期の感受性

 メチル水銀毒性学の新たな時代が1952年に先天性メチル水銀中毒の最初の記述によって告げられた。(Engleson and Herner 1952). スウェーデンの家族が、メチル水銀処理された種子穀物から作られた小麦粉を誤って使用した。ひとりの幼児が9ヶ月の離乳以来、この小麦粉で作られたオートミールを食べていた。この子の妊娠中の母親もまたこのオートミールを食べていたが、彼女自身はどのような有害影響も被らなかった。第二子を出産した後、二人の子どもは、精神的な遅れと重度の運動機能発達障害があることが分かった。彼らの状態は事実上、2年後も変わらなかった。母親及び彼女の二人子どもが受けた用量は不明であるが(Engleson and Herner 1952)、この症例報告は、神経系は胎児時期を含んで早期の発達期間にメチル水銀の毒性に特に脆弱であることを示唆した。

 水俣では、母親の胎内で続いて曝露した子どもたちが熊本大学の最初の調査チームによって記録された(Kitamura et al. 1957)。研究者らはまた、1955年以降に生まれた多くの子どもたちが広範性の脳機能不全を示唆する発達障害を持っていることを記した(Harada 2004)。9歳以下の子どもたちは患者の中で特に数が多かった。多くの場合、お腹の赤ちゃんは先天性水銀中毒を被っても、妊婦は完全に健康であるように見えた(Takeuchi et al. 1964)。

 痙性麻痺症候群(spastic paresis syndrome)は成人の中毒患者の臨床写真よりも判別しにくいので、これらの子どもたちのほとんどはすぐには診断されない。先天性中毒の初期兆候(すなわち、精神発達遅延、運動機能障害、発作、原始反射、言語障害)は、特に穏やかな症状の場合には他の疾病と間違えたり、見過ごされたりする。

 日本では、両親がへその緒を幸運の形見としてしばしば伝統的に保存する。1960年代の間に資料がMasazumi Harada(原田正純)によって収集されたが、彼は先天性水俣病と認めらる子どもたちは保存されていたへその緒中のメチル水銀の濃度が最高であることを示し、一方、”通常の”智遅れの子どもたちの水銀濃度は中毒対象者とコントロールの間のレベルであることを示した(Akagi et al. 1998; Harada et al. 1977; Nishigaki and Harada 1975)。

 詳細な検死の後に組織学的、組織化学的、及び化学的検証が行なわれたので、神経病理データもまた整理された。成人の疾病は、周辺感覚神経線維の病変とともに、脳領域((e.g., the calcarine, postcentral, precentral, and temporal transverse cortices and deep structures of the cerebellar hemispheres of the brain))の大脳にできる局所的病変と関係していた(Takeuchi and Eto 1999)。

 子どものメチル水銀中毒は脳にもっと広範に拡散した損傷を示した。しかし、母親の食事を通じて胎児期に曝露していた胎児や子どもは、正常な構造をかく乱する拡散パターンの損傷を示した(Takeuchi 1968; Takeuchi and Eto 1999)。

 これらの発見は、早期発達曝露は、成人として曝露した人より、子どもの方がはるかに深刻な疾病を引き起こすとする見解を強く支持した。 Harada (1977)により述べられたように、胎児の脳は、未完成でまだ発達中なので、より脆弱で有毒物質に敏感であることが推測される。明らかに、水俣病の予防、特に先天性疾病は最優先事項であり、胎児は高い感受性を持っているので、妊婦は最大の保護がなされなくてはならない。

 1970-1971年におけるイラクでの主要な中毒事故の後、小児科医 Laman Amin-Zakiは49人の子どもたちのメチル水銀曝露の影響を調査するためにアメリカからの仲間とともに調査チームを結成した。曝露した子どもたちは様々な年齢で基本的な神経学的テストによる検証が行なわれたが、胎児期に曝露した子どもたちには言葉と運動機能の発達の遅れが発見された(Amin-Zaki et al. 1978)。後の報告書でMarsh et al. (1987) らは、研究者らが妊娠の全期間のメチル水銀曝露の時系列記録を得ることができるよう、毛髪中の水銀濃度の状況を調べるための先進的分析技術を利用したことを記述している。これらの用量測定は、発達中の神経系のより大きな脆弱性のために、成人において有害影響が引き起こされる用量の5分の1で有害影響が起きることを示唆している。

 ”胎児期の汚染(prenatal intoxication)もまた、注意を要する”という考えは、1972年に科学的な合意になった(JECFA 1972)。その後、 JECFA(訳注:FAO/WHO合同食品添加物専門家委員会)もまた、”日本からの臨床データが胎児は母親よりも感受性が高いことを示している”ことを認めたが、どのような特別な保護措置をも勧告しなかった(JECFA 1978)。したがってリスク評価は成人における毒性に基づいており、その後の25年間、その方法のままであった

実験による証拠

 1900年代初めに、無機化学は、メチル水銀と無機水銀との非常に異なる特性を説明する枠組みを提供したが (Grimm 1925; Jensen 1937)、ずっと後になるまで毒性学者には評価されなかった。ヒトにおけるメチル水銀中毒の最初の致死的症例は、ラット、イヌ、ネコ、ウサギ、一匹のサルでその毒性影響を検証する実験的研究を触発した。共通の特徴は、動物の運動障害、震え、視力障害、難聴、短気を伴う全身麻痺の増悪であった(Hepp 1887; Hunter and Russell 1954)。これらの結果はヒト中毒症状の臨床的所見と非常によく一致していた。Hunter and Russell (1954)もまた、臨床的兆候のありえる基礎として関連する脳細胞と周辺の病変を示した。重要な観察は、メチル水銀及び関連する有機水銀化合物を投与されたネコが水俣湾の魚介類を食べて死んだネコと同じ症状を示したということである(Eto et al. 2001; Sebe et al. 1961; Takeuchi et al. 1960)。水銀蒸気や無機水銀化合物により引き起こされる症状とは全く異なるが、脆弱性についての生物種の相違が評価を複雑にし、やっと最近になってマーモセット(キヌザル)がヒトのメチル水銀神経毒性の実験室モデルとして最良であることが分かった(Eto et al. 2002)。

 1972年に発達神経毒性の遅延影響が動物実験で報告されて、新たな重要な洞察が出現した。主要な発見は、早期の発達期に曝露したラットが最初はなかったが、後に成熟してから気の狂ったような行動が発現したという有害影響を示したことである(Spyker et al. 1972)。これらの実験結果は、20年前のスウェーデンの報告書(Engleson and Herner 1952)及び水俣の証拠に合致して、発達中に脳の感受性が増大することを初めて確認したものである。しかし、米連邦裁判所の公聴会で、Spyker et al. (1972)らの研究の第一著者が証言し、胎児期に曝露した子どもが、最初は完全に正常であったのに、後に異常な行動を示した映画を発表した。判事は、マウスの障害がどれもヒトにも現れたことに驚いて、その異常が水銀を規制するための理由とみなされるかどうか質問した(Cranmer J, personal communication)。

 もっと最近では、毒性学的研究は、毒性メカニズム、特に脳の発達における脆弱な期間(ウインドウ)を特定することを目的にした(Clarkson and Magos 2006)。1980年以来、”メチル水銀化合物(methylmercury compounds)”という用語が医学的主題に導入され、米国医学図書館はこの主題の実験的毒性に関する出版物を1,000以上リストした。現在、メチル水銀は最も広範な毒性学文書を有する環境汚染物質のひとつである。

野生生物の中毒

 水俣では、タコやスズキのような海洋生物が1950年代の初めに海岸の近くで浮いているのが発見され、死んだ魚は手ですくうことができた。その地域ではカラスが病気になり、死ぬようになった。1953年までに、”猫踊り病”と呼ばれる症状の痙攣を起こしてしばしば死んだ。Kitamura et al. (1957) は、水俣病患者の家庭で飼われていた61匹のネコのうち50匹が1953年〜1956年の間に死亡したと報告したが、海洋生物への毒性影響についての報告は、近隣の海岸集落に拡大し始めた。

 日本の漁村でメチル水銀中毒が発生した当時、同じ物質がスウェーデンやその他の諸国で広く種子処理に使われていた。製紙産業や塩素アルカリ・プラントによる汚染とともに、これらのプロセスは食物連鎖中にメチル水銀の環境的蓄積を引き起こした。

 捕食性及び種子を食べる鳥類が明らかな中毒症状を示し始め、鳥類学者らは警告を発した(Landell 1968)。問題の原因が最終的に分かったときには、オジロワシやその他の鳥類の個体数が環境中の広範な水銀汚染によって深刻な脅威に曝されていた。農業関係者らは、水銀による種子処理の中止は重大な金銭的損失なしには行なうことができなず、水銀が環境中に広がっている程度と鳥類の死亡に及ぼす影響について報告する詳細な研究が必要であると主張した(Landell 1968)。

 1960年代の初めに、水銀毒性についての懸念は、中性子放射化分析による食物と環境中のサンプル中の水銀濃度を調査する、いくつかの取り組みを触発した。水銀の特性化が可能となった時に、水生食物連鎖中で濃度が増大するメチル水銀の生物濃縮が報告された。最も高い濃度は捕食性魚類と魚を食べる鳥類に見られたが、それはまた、多くの中毒症状と生殖障害を示した(Borg 1969)。

 議論の転機が起きたのは、1964年にスウェーデンで、メチル水銀で処理された穀物種子が鶏の飼料に使われた時である(Tejning and Vesterberg 1964)。二羽の雌鶏とそれらの雌鶏が生んだ合計6個の卵に関する小さな研究で、5 mg/kg w という高い濃度の水銀がひとつの卵から検出された。この報告は、いくつかの諸国でのスウェーデン産の鶏卵の輸入禁止に拍車をかけた。食物連鎖中へのメチル水銀の伝達の問題は、突然、ヒト健康と商業の両方に強く関連し始め、したがって規制当局の関心を呼び起こした。

環境中での水銀メチル化

 スウェーデンの研究者らによって実施された簡単な実験で実証されたように(Jensen and Jernelov 1967)、メチル水銀が環境中の無機塩から形成され得るということは大きな驚きをもたらした。研究者らは、無機水銀が家庭用幼魚槽からの沈殿物中でメチル水銀に変換されることを示した。この沈殿物を圧力釜で煮沸した後にはメチル水銀は全く形成されず、このことは微生物がメチル水銀形成の役割を果たしていることを示唆している(Jensen and Jernelov 1967)。多くの研究が揮発性ジメチル水銀とともに濃度依存性を報告し(Jensen and Jernelov 1969)、他の研究はメチルコバラミンビタミン(vitamin B12)(訳注)がメチル水銀グループを非酵素的に水銀イオン変換することを示した(Wood et al. 1968)。これらのメチル化プロセスは水俣や新潟ではほとんど意味を持たず、そこではメチル水銀はアセトアルデヒド・プラント中で触媒反応の一部として生成した。しかし、あらゆるソースからの水銀のメチル化は、メチル水銀による淡水魚と海産物の世界的な汚染を引き起こしている。
訳注:ビタミンB12解説 - 「健康食品」の安全性・有効性情報

 種子処理のためのメチル水銀の広範な使用は、製紙産業で使用されている殺菌剤のような他の水銀源とともに、水路や沿岸部の海水を汚染している。多くの川や湖が水銀で非常に汚染されたので、スポーツ・フィシングの魚の摂取に対する勧告が、特にカナダ、スウェーデン、アメリカなどの国でなされた[U.S. Environmental Protection Agency (EPA) 2009]。北アメリカでの研究は、生物濃縮は特に製紙工場や塩素アルカリ・プラントの近くで起こり、食物連鎖中の上位肉食動物で濃度が最も高いことを示した (Fimreite 1974)。魚のメチル水銀汚染は日本の地域の問題であると考えられたが、今では深刻な生態影響と危険なヒト曝露をともなって世界中で起きているように見える。

 水生環境への水銀の放出は大気汚染からも、もたらされる。例えば、自治体ゴミ焼却炉や火力発電所における水銀を含む石炭の燃焼である。大気からの水銀の堆積作用はメチル化及び魚の取り込みについて急速に入手可能になっていることが知られている(Harris et al. 2007)。

 今日、世界中の数千の湖や河川がメチル水銀でひどく汚染されている。その問題の範囲はアメリカの魚摂取に関する勧告によって描かれている。米EPAは、魚汚染に関する警告の登録を保持しているが、それらは地域の魚を摂取することの安全性についてなされた勧告である。(U.S. EPA 2009)。水銀についての勧告の総数は増加しており、2008年までに4,000を超えた。全ての勧告の80%以上は少なくとも部分的に発せられたものである。それは水銀が1600万平方メートル以上の湖面と130万マイル以上の河川長に影響を与えているからである。

 水銀は生物圏における天然の成分であると考えられてきたが、北極指標生物の体組織からの水銀分析によれば、水銀濃度は産業革命以前に比べて約10倍増加している(Dietz et al. 2009)。

規制の決定

 スウェーデンで農業用水銀殺菌剤の使用が1966年に禁止された後に、水銀処理された穀物がニューメキシコの1人の農民によって豚の餌として使用され、その農場からの汚染された豚肉が市場に出たことを報じたメディア報道によって拍車がかかり、同様な禁止が1970年にアメリカでも行なわれた(Davis et al. 1994 ;D'Itri and D'Itri 1978)。

 魚のメチル水銀の最初の安全性評価は1968年にスウェーデンで実施されたが、それは日本のデータに基づいていた(Landell 1968)。日本の海産物は平均的に濃度50μg/g のメチル水銀(measured as mercury)を含んでいると考えられた。国立健康研究所のスウェーデンの専門家は、安全係数として10をとり、さらにもうひとつの安全係数として5をとり、その結果、全ての海産物について1μg/g を安全水銀制限値とした(Landell 1968)。しかし、ある混乱が生じた。それはスウェーデンの監視データは湿重量濃度を用いたが、オリジナルの日本のデータは乾重量濃度であることが判明したためである。乾重量濃度は湿重量濃度より5倍まで高く、それが湿重量に適用されるなら80%減らさなくてはならない。この間違いは英語版報告書が脚注を見逃したことによる(Landell 1968)。その後、改善が行なわれ、詳細なリスク評価が発表された (Swedish National Institute of Public Health 1971)。これらの専門家らは摂取曝露の安全基準を1日あたり 0.4 μg/kg体重を勧告したが、これは 6 μg/g の毛髪水銀濃度に対応する。このレベルでは、70kgの成人は水銀濃度 1 μg/gの魚を1週間に200g食べることができる。

 第1回国際メチル水銀毒性評価(JECFA 1972)は、暫定的な1週間当たりの摂取量として200 μg (3.3 μg/kg body weight)を勧告したが、これは 実際にはスウェーデンで提案された基準と同じである。その後のレビューで、化学的安全性に関する国際プログラム(International Programme on Chemical Safety 1990)は、イラクの主事故からの発達神経毒性に関するデータに基づいて、胎児神経毒性は、母親の毛髪水銀濃度が10〜20μg/gを超えると起こると結論付けた。

 日本では魚の水銀分析は1960年代にすでに始まっていたが、体系的な調査が実施できるようになったのは1973年になってからであった。ヒトの摂取が意図された魚に対し、暫定的規制値 0.4 μg/g (総水銀であり、メチル水銀は0.3 μg/g)が日本の厚生省により定められた(Endo et al. 2005)。この規制値は現在でも有効であるが、マグロ、メカジキ、及び淡水魚には適用されない。

 アメリカでは、制限値 0.5 μg/gがすでに1970年に使用されていたが、缶詰マグロの分析がこの制限値を超えていることを明らかにした(Mazur 2004)。この発見は、政府によるマグロ及びメカジキの回収をもたらした。1985年、海洋食物連鎖におけるメチル水銀蓄積の難問が、関連魚種の許容制限値を1 μg/g に上げることにより解決した。したがって、かつて行なわれた水銀汚染魚の回収は”誤った警告”として批判された (Mazur 2004)。

 欧州連合では、1993年以来、共通の制限値 0.5 μg/gが一般的な魚に適用されていたが、マグロやメカジキのようないくつかの魚種は1 μg/gまで含有することが許された。この規制は、加盟国が他の多くの魚種について制限値0.5 μg/gを超える水銀濃度を報告したので、問題があることが判明した。したがって2001年に欧州委員会は、制限値 1 μg/gに従うべきリストにこれらの魚種の全てを加えた(European Commission 2001)。この決定は、水銀はある魚種の組織には他の魚種に比べてより容易に蓄積しやすいという”生理学的理由”を考慮する一方で、透明性の必要と水銀レベルを合理的に可能な限り低く抑えることの必要を示した。しかし、この場合、関連する健康リスクの評価は行なわれておらず、公衆に対してどのような勧告もなされなかった。

毒性リスクの拡大

 発達神経毒性の分野における研究は、環境中の鉛曝露の用量依存影響の観察により非常に触発された(Needleman et al. 1979)。メチル水銀の有害影響もまた、”用量が高ければ病気もより重い”とする連続体として起きるようにみえた。最も高い曝露を受けた人々のうちのあるものは先住民の集団である。カナダでは、234人のクリー族の子どもたちの研究が、妊娠中の曝露を示す母親の毛髪の水銀濃度に関連する異常な腱反射を示した(McKeown-Eyssen et al. 1983)。これらの発見は、魚によるメチル水銀への曝露の増大がわずかでも、無機鉛への曝露と同じように、神経系発達への有害影響をもたらすことができることを示唆した。

 ニュージーランドで実施された海産物によるメチル水銀に曝露した子どもたちのコホートに基づくケース・コントロース研究で、 Kjellstrom et al. (1986, 1989)は、母親の妊娠中の毛髪水銀を測定し、次に様々な年齢の子どもたちを検査した。毛髪水銀濃度が 6 μg/g以上の母親から生まれた子どもたちには脳発達の遅れがあることが報告された。その結果は、スウェーデン環境保護庁によるピアレビューの後に発表されたが、その発見は最初、形式上の理由で他の規制当局により無視された。同報告書がピアレビューされた科学誌上に発表されていなかったということが理由であったが、最終的には、統計分析を実施して追加した後に、ある科学誌に発表された(Crump et al. 1998)。

 ふたつの大きな前向き調査(prospective study)が1980年代中頃に実施された。ひとつはフェロー諸島(訳注:スコットランドのシェトランド諸島およびノルウェー西海岸とアイスランドの間にある北大西洋の諸島。デンマークの自治領)の1,000人も子どもたちの調査であり、胎内での発達中の低レベルのメチル水銀曝露が、就学年齢時の子どもたちのいくつかの脳機能の欠陥と関連があり、母親の毛髪水銀濃度が10 μg/g以下でも強い関連性があったと結論付けた (Grandjean et al. 1997)。

 これとは対照的に、セーシェル(訳注:インド洋西部の島群から成る共和国)における同様な研究の子どもたちには、大部分は顕著な発見はないと初めのうちは報告された(Myers et al. 2003)。統計学的分析は、広い確実性限界(wide confidence limits )のために、このふたつの研究には相互の不一致はないということを示したが (Keiding et al. 2003)、明らかな不一致が議論として知覚され、不確実性に関する議論に火をつけた (Grandjean 1999)。後に、フェロー諸島の結論を支持する追加的な長期データが日本、ポーランド、アメリカから出た(Jedrychowski et al. 2006; Lederman et al. 2008; Murata et al. 2006; Oken et al. 2008)。重要性は低いが、いくつかの横断的研究もまた低レベル曝露神経毒性の存在を支持した(Grandjean et al. 2005)。

 セーシェルにおける研究に明らかな水銀影響がない理由は、魚の栄養有益性が水銀毒性を消し去るまたは緩和するかもしれないということかもしれない(Clarkson and Strain 2003)。セーシェルの最近の研究で、Strain et al. (2008) は、母親の魚の摂取又はメチル水銀曝露をそれぞれ個別に検討した結果、子どもたちの認識力発達は、そのどちらとも関係がないということを報告した。もし、母親の魚摂取と水銀が同時に統計学的分析に含まれていれば、魚摂取は明らかに有益であるが、水銀は有害影響をもつ。 また、フェロー諸島では、妊娠中の母親の魚の摂取有益影響を調整した後、水銀毒性はもっと目立つようになった(Budtz-Jorgensen et al. 2007)。

不確実性の解釈

 ふたつの主要な研究と水銀の公衆健康への影響の間に明らかな不一致があるので、1998年に米国ホワイトハウスは30人の専門家を招聘する国際的ワークショップの開催を求めた。専門家らは科学的証拠を厳しく検証することを求められた。これらの専門家らは様々な可能性ある不確実性を強調し、”現時点では意味のある結論を引き出すためにデータが不適切である”と結論付けた(National Toxicology Program 1998)。 無症状毒性は容易に見逃され、過小評価される可能性があったにもかかわらず、ワークショップの専門家らは極めて楽観的であった。

 誤分類の可能性があるので、測定誤差は影響の推定レベルと影響が検出される曝露レベルに関する決定の両方に著しく影響を及ぼし得る。しかしワークショップに提出されたデータは毛髪中のメチル水銀又は臍帯血の測定精度は非常によいことを示唆している(National Toxicology Program 1998)。

専門家らはさらなる研究を勧告

 米国議会の要求の下に、妊娠中の母親のメチル水銀曝露による子どもへの有害影響に関するイラクのデータに基づき米EPAにより提案された1日当たり 0.1μg/kg体重の曝露制限が適切であるかどうかを決定するために、新たな専門家委員会が全米研究評議会(NRC) によって召集された(NRC 2000)。委員会は米EPAの制限を支持したが、その制限はフェロー諸島の研究データに基づくべきであると勧告した。さらに、3つの全ての研究(フェロー、ニュージランド、セーシェル)からのデータを統合した用量−反応データ、はフェローでの発見と一致していた。

 数年後に、 合同食品添加物専門家会議(JECFA 2003) は1972年の評価を再検討した。専門家らはニュージランドのデータを検討対象から外すことを決定し、1週間当たりの摂取制限を1.6 μg/kg体重に設定した。この結論に至るに当たり、消費者が水銀汚染のために魚を食べることを恐れることがないようにする必要性とともに、海産物摂取による健康利益が強調された。

 したがってJECFA専門家らは(JECFA 2003)、NRC 委員会(NRC 2000)よりも小さな不確実性係数を選択した。欧州食品安全機関(European Food Safety Authority 2004)は、主要な研究と安全係数に関する議論に加担することを望まず、両方の曝露制限を認め、この食品汚染物質への暴露は、”最小限にすべきこと”と結論付けた。アメリカでは連邦機関は現在、商業的に取引されている魚、有害廃棄物で汚染されている魚、スポーツ釣りで捕獲された魚からのヒト安全メチル水銀曝露を扱うときに、異なる曝露制限を使用している(Grandjean 1999)。それぞれの制限は、実質的には同じ証拠に依存するリスク評価によって支持されている。

 海産物には有益な栄養素が含まれているので、様々な食事の一部として1週間に2回の海産物ディナーが一般的に推奨されている。2回の海産物ディナーを含む海産物の1週間の総摂取量は約500gであろう。米EPAの制限は、成人(体重70kg)の水銀摂取は[0.1μg × 7日 × 70 kg体重]、すなわち、約50μg を超えないことである(U.S. EPA 2001)。したがって海産物の平均水銀濃度は0.1 μg/gであるべきということになる。しかし、アメリカ及び欧州連合の現在の規制はその10倍まで許容している。

 もっと正確なリスク計算を行なうためには、脳の発達を促進する重要な栄養素の隠された効果を考慮する必要があった(Budtz-Jorgensen et al. 2007)。さらに、上述のリスク評価は曝露評価における不正確さの結果及び誤分類の影響を考慮していなかった(Budtz-Jorgensen et al. 2003, 2004)。標準的統計分析は曝露バイオマーカーは誤差なく測定されることを前提にしているが、それらは脳への真の用量の単なる代用指標であるのだからそれは不可能である。統計的にはどのような任意の誤差も真の影響の過小評価を引き起こす。しかし、臍帯血分析の総合的な不正確さは、ラボ品質管理によって示唆されているものよりはるかに大きく、毛髪水銀分析はもっと不正確である(Budtz-Jorgensen et al. 2004)。毛髪水銀濃度に基づく用量−反応関係は、したがって真の水銀影響を著しく過小評価している。したがって、不正確な曝露データを調整した後に、ベンチマーク用量レベルは約50%下がった(Budtz-Jorgensen et al. 2004)。したがって、米EPA及び合同食品添加物専門家会議(JECFA)によって推定された曝露制限は半減する必要があるであろう。他の要因によって影響を受ける非特定な結果変数を用いることにより、さらなる不正確さが生じるかもしれない。

 脳における電気的な伝達の遅れの神経生理学的な検出のように複雑な技術が、非常に低レベルの水銀曝露での有害影響を示してきた(Figure 1) (Murata et al. 2004)。脳内のわずかな電気信号の遅れによる正確な認知影響は現時点では不明確であるが、データは、メチル水銀の有毒性には実質的な閾値は存在しないかも知れないことを示している。

Figure 1.
 14歳のフェロー諸島の子どもの聴覚脳幹誘発電位(BAEP)潜在(interpeak III-IV at 20 Hz)とメチル水銀への摂食曝露(毛髪水銀濃度による)との関連。データは14歳の878人を対象とするフェロー諸島の集団の検査から得られたものである。各垂直線は一人の対象者を、点線は95%信頼限界を、矢印は3つのメチル水銀曝露制限を示す。ムラタら(Murata et al. 2004)のデータを修正。


 この統合された証拠は、国連環境計画(UNEP)の世界水銀アセスメント・プロジェクトの立ち上げをもたらし、水銀汚染削減に関する国際的な合意が2009年に加盟国によって承認された(UNEP 2009)。欧州連合とアメリカはすでに水銀輸出禁止を決定しており、水銀は温度計や科学的計器での使用が廃止されつつある(European Union 2007)。Table 1 の時間尺度は、これらの予防的措置の全てが、環境的健康問題の発見の後、著しく遅れて実施されており、その原因の一部は不確実性の影響についての意見の不一致のためであることを示唆している。

環境健康研究から学ぶこと

 150年近く前に最初に観察されたメチル水銀中毒事件は、不注意な実験の実施により生じ、その後の多くの労働者の中毒は、製造工程で非意図的に生成されたメチルス水銀によるものであった。しかし、メチル水銀の毒性のこれら初期の発見と化学製造工程での生成はその後忘れ去られ、あるいは無視され、それによって知見の集積と予防に遅れをもたらした。

 成人の深刻なメチル水銀中毒特有の臨床的特徴についての認識不足が水俣病の病因の特定を、そして発生の全体像の認識を遅らせた。メチル水銀がこの病気の化学的原因として確立された時でさえ、厳格な診断要求と症状定義はこの病気が全か無かの現象であると想定し、したがって症状が目立たない症例を除外し、用量影響関係を覆い隠すこととなった。

 発達メチル水銀中毒らしい最初の症例は1952年に記述され(Engleson and Herner 1952)、その後水俣から報告された(Harada 2004; Social Scientific Study Group on Minamata Disease 1999)。動物実験での再現は1972年に発表された(Spyker et al. 1972)。ヒトにおける汚染海産物に起因する胎児性メチル水銀毒性の最初の前向き住民調査は1986年に発表された(Kjellstrom et al. 1986)。しかし、胎児の脆弱性に関する科学的合意は証拠の不確実性に固執することにより妨げられ、胎児期曝露の保護の必要性に関する国際的な合意は2003年になってやっと得られた。

 水銀の環境的運命の体系的な調査は実施されておらず、初期の調査は総水銀濃度にだけ焦点を当てていたので、堆積物中での水銀の環境的メチル化は偶然に発見された。したがって、メチル水銀の食物連鎖と環境的生物蓄積の認識は遅れた。

 工場の汚染排水を与えられた猫が特徴的な病気になったとことを示すひとつの重要な実験は、資金提供者である会社によって発表を禁止され、詳細な結果が発表されたのは40年後のことであった(Eto et al. 2001)。

 産業側は、それとは異なる説明を展開し、法的議論において初期の多様な科学的意見を利用し、その毒性は産業側の責任ではなく、そのことを予測することもできなかったので、改善、補償、予防に関して大きな遅れをもたらしたと主張した。

 メチル水銀への低レベル曝露の有害影響に関する新たなデータの発表されると、規制当局は科学的な精査を要求した。専門委員会は、入手可能なデータ中の不確実性と弱点を強調した。研究方法と可能性について何が分かっているのか、そして低用量メチル水銀における発達神経毒性を無視することができるのか−という疑問にはほとんど注意が払われなかった。

 報告書はまた一般的に、測定の不正確さが真の影響を過小評価する結果に非常になりやすいということを無視した。そしてもっと多くの研究をすることが勧告された。汚染者と規制当局によって推進された強固な証拠を求める主張は、この分野での科学的活動を拡大したいとする研究者らの共感を得た。しかし、もっと完全な証明を得たいという願望は、是正措置の遅れという不都合な影響をもたらした。
 このレビューの導入部で、日本の規制当局自身がメチル水銀中毒の兆候に悩まされていると言及する宇井純の批判(D'Itri and D'Itri 1978)を示したが、我々はここで環境健康研究もまた、視野狭窄、健忘症、調整機能欠如、その他の中毒症を被っているということを示唆する。メチル水銀中毒自身と同じく、そのような異常は予防的措置を講じる価値がある。

参照
原文の References にリンク


訳注:関連情報

訳注:関連情報
EHP 119(7) 2011年7月 メチル水銀の環境健康研究の示唆/津田敏秀、ョ藤貴志、原田正純



化学物質問題市民研究会
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