EHP Focus 2016年7月
一時的器官の永続影響
胎児プログラミングにおける胎盤の役割

リンゼイ・コンケル

情報源:Environmental Health Perspectives, Focus, July 2016
Lasting Impact of an Ephemeral Organ: The Role of the Placenta in Fetal Programming
By Lindsey Konkel
http://ehp.niehs.nih.gov/124-A124/
2017年4月3日 内分泌学会の科学・医学ジャーナリズム優秀賞受賞記事

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2016年7月9日
更新日:2017年8月31日 new_3.gif(121 byte)
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/kodomo/ehp/
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序論 (訳注:序論という見出しは便宜上訳者がつけたもので、オリジナルにはない

内容 (訳注:内容という見出しは便宜上訳者がつけたもので、オリジナルにはない
 1944年から1945年の冬の間、厳しい寒波と第二次世界大戦のドイツ軍の占領により、オランダ中で食料輸送が滞った。オランダは、深刻な食料不足に陥り、ある地域の成人の食料配給は1日当たり400カロリーにまで低下した。このオランダの”飢餓の冬(Hunger Winter)”の期間の妊娠で生まれた赤ちゃんは、それ以前又はそれ以後の赤ちゃんに比べて、短身長で、細く、頭と胎盤が小さかった。後年、飢餓の赤ちゃんは、飢餓の直ぐ後の赤ちゃんより、肥満、糖尿病、及び心臓疾患になりやすかった。彼らは若死する傾向があった[1]。

 オランダの飢餓は、子宮中でさらされる環境的ストレス要因が胎児プログラミングとして知られる現象である成人になってからの疾病リスクを決定する早期の手がかりを与えた。その後の数十年間にわたり、ぜんそく、がん、そして神経発達障害を含む多くの慢性症状は、子宮中での環境的暴露にまでさかのぼるかもしれないという証拠が増大した[2]。専門家らはこの新たに出現している概念を developmental origins of health and disease 略して DOHaD (訳注1)(訳注:成人病胎児期起源仮説? 確定した日本語訳はないようである) と呼んでいる[23]。

 胎児プログラミングは生物医学研究の中で最も急速に拡大している分野のひとつである[4]。しかし、この現象の基礎となるメカニズムはまだ不明瞭である。遺伝子が DNA 自身ではなく、どのように発現するかに影響する(DNA の塩基配列の変化なしに起こる)後成的な変異−変化が、これらのプロセスの多くの根底にあるかもしれない。研究者らは現在、しばしば見過ごされるが、しかし重要な器官である胎盤の構造、機能、及びエピゲノム(訳注2)に関連して DOHaD を調査している。

 早い時期から人間は、胎児をへその緒を通じて母親の血液供給につなぎ、栄養と酸素を母親から胎児に供給する、神秘的ではないにしても重要なこの一時的な器官の役割を推測してきた。古代エジプト人は胎盤を”外部の霊魂(External Soul)”として崇め、一方ヘブライ語聖書はそれを”生命の束(Bundle of Life)”と呼んだ。古代ギリシャ人はきらめく真紅の 嚢(のう)についてもっと身体的記述をした。彼らはそれを”胎盤(placenta)”又は”フラットケーキ(flat cake)”と呼んだ[5]。

 しかし数千年の間、胎盤は最も理解されていない人の器官の中のひとつであった。深刻な胎盤異常は母親と胎児に健康影響を直ちにもたらすことが知られていたが、正常に見える胎盤がその後、一生の健康に影響を及ぼすことがあり得るということについては誰も考えもしなかった。”つい最近まで胎盤は科学界によって、胎児を母親の循環につなぐ静的なプラグであると考えられていた”と、英国ケンブリッジ大学の胎盤病理学者、グラハム・バートンは言っている。そのような見解は変わってきている。

 分子技術と画像技術、”オミックス(Omics)(訳注2a)”分野、そしてデータ科学の最近の進展は、妊娠期間を通じて、その分子構造と機能が変化する動的な器官として研究者らが胎盤を見ること可能にしている[6]。現在科学者らは、母親と胎児の間の栄養と廃物の移動の役割に加えて胎盤は、胎児の母親の免疫システムとの相互反応と母親の血液中の分子への暴露を調停することを知っている[7]。胎盤はまた、胎児の成長と発達を促すホルモンやその他の重要な分子を生成する神経内分泌器官として機能する[7]。胎盤は本質的に胎児の環境の主調整者かもしれない[8]。

新たな胎盤暴露の展望

 二十世紀中頃のサリドマイド事件は、出生前期の胎児の脆弱性を明らかにし、胎盤は有害暴露に対して不浸透性のバリアではないという証拠を示した。1961年にサリドマイドがそれを服用した女性の赤ちゃんの多くが手や足が欠損して生まれる原因であると決定される前の4年間、医師らは妊婦のつわりに対してサリドマイドを処方した[9]。

 研究者らは直ぐに、サリドマイドよりもっと微妙な影響を低レベルでもたらす化学物質−例えば鉛、水銀、ポリ塩化ビフェニル((PCBs)、そしてニコチン−もまた胎盤を通過し、胎児の血液供給系に入り込み、胎児を損傷することを発見した[10]。一旦胎盤に入り込むと、これらの化学物質は、胎児の脳やその他の発達中の組織に直接悪影響を与えるのではないかと研究者らは疑った。

 国立環境健康科学研究所(NIEHS)の健康科学管理者サド・シャグは、”我々は長い間、胎盤を通過したのか、しなかったのか、そのどちらかであると決めてかかっていた”と言う。胎盤がこれらの汚染物質にどのように反応するのか、そしてそれらが胎盤それ自体の機能を変更することがあるのかということについて、実際には誰も注意を払っていなかった。

 胎児の毒性学の有力なモデルは、化学物質は胎盤を通過して胎児に到達するが、胎盤の機能を変更することはないと仮定した。当時はまだ、このモデルは研究者らが発見しつつあった発達影響との関係を完全には説明することができなかった。すなわち、実験的及び観察的研究は、妊娠の最も早い数週間における脳の発達と性分化にとって脆弱な期間に目を向けていたが[11]、胎盤構造の研究は、有毒物質はこれらの早期の段階ではおそらく胎盤を通過しないということを示唆していた[1]。過去数十年間の技術的進歩により、研究者らが胎盤の構造と分子的特徴をもっとよく観察することが可能になるにつれて、静的な胎児のモデルは変化し始めた。

 胎盤は妊娠中に多くの変化受ける。最も早い時期には、出産時に見られる胎盤とは非常に異なる外観と機能をもつ。最もよく知られている胎児への栄養供給管としての役割は、妊娠数週間後まで開始しない。最初の数週間、発達中の胎芽は子宮内面の腺から栄養物を受け、一方、胎盤細胞は子宮壁に差し込まれ、母親と胎児の接点である丈夫な枠組みを形成する。主要な器官が分化し始めるこの発達の早い期間においては、母親の循環系への胎芽のアクセスは非常に限定されている。受胎後、約10週経過してから母親の血液供給につながる。この時点で母親の血液供給に浸った胎盤細胞は酸素、栄養物、そしてその他の分子を胎児に送り始める[1]。残念ながらこの新たに形成された接続はまた、環境化学物質が母親の血液から胎児に通過することを可能にする。

 それでは、化学物質暴露は直接的に胎芽に接することなく、この重要な期間にどのようにして発達に影響を及ぼすのであろうか? 受胎直後から胎盤は小さな工場であり、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)(訳注3)のような化学物質を製造し分泌している[12]。hCG は、妊娠中に様々な役割を演じる重要な胎盤情報伝達ホルモンであり、最も知られているのは母親の卵巣によるステロイドホルモンの生成を維持するのを助けることであり、これは初期妊娠を維持する。hCG はまた、テストステロン(訳注:男性ホルモンの一種)の生成を刺激するのに重要であり、男胎児の性的分化を導くのを助ける。ピッツバーグ大学の分子生物学者であり疫学者であるジェニファー・アディビは、げっ歯類の性的分化を変えることが知られている[13141516]オルトフタル酸エステル類のような内分泌活性化学物質は、胎盤による hCG 生成を変えることにより、そのように作用するのではないかと感づいていた[17]。

 この仮説を検証するために、アディビは培養液中の胎盤細胞に、殆どのアメリカ人の体内で循環しているものに匹敵するレベルのフタル酸エステル類を投与することにより、暴露細胞は非暴露細胞に比べて hCG の生成が少ないことを発見した。それから彼女は 541人の妊婦の血中のフタル酸エステル類のレベルと彼女らの赤ちゃんの肛門性器間距離(AGD)を比較した。血中フタル酸エステルのレベルがより高い女性は、妊娠第一期(first trimester)における hCG のレベルがより高い傾向があった 。AGD は通常、女の新生児より男の新生児の方が長いが、これらの女性は通常より短い AGD (女性化の印)の息子を持つか、あるいは通常より長い AGD (男性化の印)の娘もつ傾向があった[17]。AGD の変動は男女双方の生殖機能のいくつかの測定における相違と関連していたが、臨床的影響はわかっていない[1819]。

 これらの新たな発見は、フタル酸エステル類と、もしかしたら他の内分泌かく乱化学物質が胎盤機能を変えることにより間接的に胎児の発達に影響を与えることが可能かもしれないという証拠を提供するものである。直接的影響のように、これらの間接的影響は後の人生における疾病発症に影響を及ぼすかもしれない[17]。”我々は、胎盤の環境的変化への対応の仕方は、プログラムの重要な要素であり、以前には見過ごされていた”と、アディビは述べている。

マーカーとメカニズム

 オランダの飢餓研究に加えて、出生時の体重や胎盤のサイズのような全体的な特性を成人になってからの健康に関連付ける観察研究が 20世紀の後半に実施された[20]。これらの研究は、後に DOHaD 仮説となったものについて科学的な基礎を形成した。

 1990年代の初めに、イギリスの疫学者 デビッド・バーカーは、低体重で生まれた南イングランドのある郡に住む男性と女性は、正常な体重で生まれた人々に比べて後の人生で、2型糖尿病と高血圧症になりやすく、心臓疾患で死亡することが多いと報告した[20]。バーカーはこれを”節約表現型(thrifty phenotype)”と呼んだが、そこでは栄養不良に直面した胎児は、継続する食物不足の状況に適合するのに役立つ、ある代謝特性を持つようになる。これらと同じ特性が、後の人生における豊富な食料の環境において、体重が過剰となり、関連する慢性疾患を被りやすいという不利益を彼らにもたらす。バーカーは、子宮内の環境の質は胎児の生理機能と代謝機能を永久的に変更し、それによって子どもの生涯の健康軌道に影響を及ぼすことがあるという仮説を立てた。

 バーカーらの初期の研究は、 DOHaD について非常に一般的な考え方を我々に与えた。研究者らは現在、これらの初期の形態学的な観察のあるものの基礎となると考えられるエピジェネティック(epigenetic)(後成的)(訳注4)なメカ二ズムを詳細に調査している。遺伝子発現のエピジェネティック制御は DNA の直接メチル化によって達成される。メチル化においては、”メチル基”と呼ばれる小さな分子が遺伝子に特定のパターンで付加される。メチル化は遺伝子を DNA レベルで直接オンまたはオフにし、DNA が伝令 RNA (mRNA)(訳注5) に転写できるかどうかに影響を与える。細胞構造と機能を指示するたんぱく質を作るのが mRNA である[7]。

 いったん転写されると、mRNA は、遺伝子発現を制御するのを助ける RNA の小さな非コード鎖であるマイクロ RNA(miRNA)(訳注6) によって”沈黙”させられる。マイクロ RNA は、遺伝子コードを変更せず、むしろその発現に影響を及ぼし、エピジェネティック制御のためのもう一つのメカニズムを提供する[7]。

 体内の異なる組織は異なるメチル化修飾パターンを持っている。これらのメチル化パターンは個々のエピゲノム(訳注2)(訳注:DNAの塩基配列を変えることなく遺伝子のはたらきを決めるエピジェネティクスの情報の集まり)の基礎を形成する[8]。ヒト研究は、内分泌活性化学物質、重金属、ストレス、及び栄養不良への環境的暴露は、胎児の臍帯血中の DNA メチル化パターンに影響を及ぼすかもしれないことを示した[8]。研究者らは現在、発達中に形成する最初の複雑な器官である胎盤中の DNA メチル化の正常及び異常なパターンをしっかり把握するようになった[7]。”胎盤は、胎児プログラミングの高いレベルの制御と他の組織よりもっと広い範囲の影響を示す”と、エモリー大学の環境疫学者であるカルメン・マーシットは述べている。

 マーシットは、ヒ素のような環境汚染物質への子宮内暴露と DNA メチル化パターンとの間の関係を研究している。どこでメチル化の相違が生じるのかを見つけることは、研究者らが暴露経路中で重要な役割を演じるかもしれない特定の候補遺伝子を特定することに役立つ[22]。

 エピジェネティック研究は、胎盤のエピゲノムと多くの幼児の健康指標(マーカー)との関連を示すために始まった。ある遺伝子領域における DNA メチル化パターンの変動は、幼児の出生体重、出生時の在胎期間、及び神経行動学的測定と関連している[7]。”次の重要なステップは、これらのエピジェネティック変化−例えば、DNA メチル化又はマイクロ RNA 発現パターンの変化が健康に問題となるような方法で遺伝子発現を変更するかどうか−の機能的関わりを理解することである”とマーシットは述べている。

 チャペルヒルにあるノースカロライナ大学の毒性学者レベッカ・フライは、有毒金属への胎盤暴露がどのように疾病感受性に影響を及ぼすのか決定するのに役立てるために、易感染性の胎盤に分子の手がかりを探している。彼女は、妊娠中毒症と胎盤中のカドミウムなどの金属レベルとの関連を見つけた[23]。妊娠中毒症は、酸素欠乏と代謝ストレスを胎児に、高血圧を母親に、そして後に心臓疾患と脳卒中のリスクを子どもにもたらす妊娠合併症である。この病気は妊娠の約 3〜7%に発症する[24]。

 医師は妊娠中毒症を何が引き起こすのか正確にはわかっていないが、その病気は胎盤中での不適切な血管形成と関係がある。妊娠中毒症を止める唯一の方法は胎盤を娩出(べんしゅつ)すること(to deliver the placenta)であり、したがって妊娠中毒症の女性に誘発分娩がしばしば行われるが、このことは彼女らの子どもは早産で生まれることを意味する。”これらの幼児には後に、神経発達に関連する問題を含んで、多くの健康障害が生じる”と、フライは述べている。

   妊娠中毒症の母親の胎盤中のエピジェネティック・パターンの機能的結果を評価するフライの研究は、幼児の成長、神経発達、及び免疫機能を含む有毒金属と健康影響の間の観察される関連の原因となる生物学的経路を説明するのに役に立つかも知れない。”もし我々が、どの生物学的経路が変更されるのかを最初に理解すれば、我々はこれらの遺伝子の誤った発現に影響を及ぼすための療法を探すことに着手できる”と、彼女は述べている[25]。

結果に及ぼす分子の影響

 胎盤中のどこで、そしてどのように後成的(エピジェネティック)な変更が起きるのかについての研究は、この一時的な器官の分子的展望と、これらの変化の機能的妥当性について、より良い理解を研究者らにもたらしている。

 最近の研究は、マイクロ RNA (miRNA)(訳注6)と妊娠中毒症や胎児発育不全を含むいくつかの胎盤関連疾病を結び付けている。細胞研究はさらに、金属やビスフェノールA(BPA)を含む多くの環境的ストレス要因への胎盤暴露は miRNA 発現を変更するかもしれないことを示している[7]。ある研究で、環境的に妥当な濃度の BPA を投与され、細胞中で変更された miRNA 発現は、細胞が DNA-損傷分子に対して感受性を高める原因となった[26]。

 生命の早い時期の乳がんリスク要素を研究するハーバード大学の疫学者カリン・ミシェルズは、miRNA は疾病リスクの非常に早い時期のマーカーを提供するかもしれないと述べている。”miRNA は子宮中におけるがんのメカニズムを定義するのに役立つであろう”とミシェルズは述べている。彼女は最近、二種類の内分泌かく乱化学物質−フタル酸エステル類とフェノール類−への胎児期暴露は、最近胎盤を娩出した約200人の妊婦の miRNA 発現パターンの相違−これは人間における毒性の潜在的なメカニズムを示唆してる−に関連していたことを示した[27]。

 ゲノム刷り込み(訳注7)もまた手がかりを与えるであろう。ほとんどの遺伝子について、我々は二つの作業コピー(対立遺伝子(訳注8))をひとつづつ両親のそれぞれから受け継ぐ。刷り込まれた遺伝子により、受け継がれた対立遺伝子のひとつだけが機能し、もう一つのコピーは DNA メチル化により沈黙させられる。沈黙させられる遺伝子のコピーは、対立遺伝子がどちらの親のから受け継がれたかに依存する。ゲノム刷り込みは、それによって後成的変更が一世代から次世代に継承されるプロセスである「継代エピジェネティック遺伝}(transgenerational epigenetic inheritance) についての数少ない知られているメカニズムのひとつである。

 多くの刷り込まれた遺伝子は胎盤の発達及び胎児の成長に関与する[28]。刷り込まれた遺伝子がもたらす問題は、糖尿病、がん、生殖疾患、及び行動障害を含む多くの疾病に関連している[28]。実験的研究では、有毒金属と内分泌活性化学物質への暴露は胎盤中の刷り込まれた遺伝子の制御における相違に関係している[29]が、これらの変化が成長中の胎児の長期的健康にとって何を意味するのかまだ明確ではない。

 DOHaD 仮説の一貫した特徴は、多くの疾病の様子と進行における性特有の相違の発生である[30]。また、神経発達と認識力の獲得に性特有の相違がある。実験的モデルは生命初期の環境的損傷への暴露は成人の心臓疾患リスクにおける性特有の相違をプログラムすることができることを示唆している[31]。しかし、生物学的性がどのように疾病の進行の基礎となるメカニズムに影響を及ぼすのかは全く不明確である[32]。研究者らは、これらの相違のあるものは胎盤までさかのぼって追跡できると信じている。

 人間を含む多くの哺乳類は、胎盤構造と機能に性特融の相違を示す。ミズーリ大学の獣医で環境化学者であるチェリル・ローゼンフェルドは、男胎児と女胎児の胎盤は環境ストレスへの対応の仕方が異なるかもしれず、彼女が言うにはその相違は男胎児と女胎児に異なる健康軌道(推移)を設定することができると説明する。

 ローゼンフェルドは、雌マウスの仔を支える胎盤は、雄マウスの仔の胎盤より、母親の食餌の変化に感受性が高かったことを示した[33]。マウスにおける母親の食餌に関する更なる研究が、雄と雌の子孫(offspring)の胎盤中の DNA メチル化と遺伝子発現パターンの相違、及び、子孫の高脂肪食餌への反応の仕方に関連する性依存の相違を発見した[34]。げっ歯類における母親のストレスも同様に、雄と雌の胎盤中のエピジェネティック制御と遺伝子発現に異なるパターンをもたらし、さらに雄の子孫は成獣になってからストレスに対して不適応な炎症及び行動反応を示した[35]。

 研究者らは、人間において胎盤の心血管系及び脳の発達への影響の及ぼし方に性特融の相違があるという仮説を設けており、1944年のオランダの飢饉は人間における胎盤−心臓の関係の証拠を提供した。男性は、胎盤に由来することが疑われるある心血管系及び神経系疾病に不釣り合いに影響を受けているように見える[30]。飢饉のピークであった数か月に子宮内にいた息子らは奇妙な形をした胎盤を持っており、これらの変化は、後の高血圧症に関連していたが、この関連は娘らには見られなかった[30]。しかし、特定の暴露に対する胎盤の反応における性依存の相違を調査した研究は少ない[30]。

課題と機会

 ”全ての胎盤は母親と胎児の間の緩衝物として機能するが、異なる生物種の間でそのように構造的に異なって進化した器官は他にない”とローゼンフェルドは言う。ある生物種において重要な機能を演じる分子の経路は、他の生物種には存在しないかもしれない。例えば、マウスは hCG を生成しないが、人間では hCG によって指示される機能を他の方法で制御する。

 胎盤構造の多様性は、研究者らが因果関係を確認するための適切な動物モデルを確立するのを難しくしている。妊娠中毒症のような胎盤の疾病もまた動物でモデル化するのは難しいであろう。

 研究者らは潜在的な実験モデルのために胚性幹細胞(embryonic stem cells)(訳注9)に注視している。ヒト胚性幹細胞は胎盤細胞に分化することができ、これらの細胞は異なるストレス要因に曝露することができ、その結果人間の妊娠の条件のあるものを複写する。生体外(in vitro)アプローチは、胎盤形成の最も早い段階の間に、この器官が子宮に付着する前であっても、生じるかく乱を理解するうえで手がかりとなり得ると、ローゼンフェルドは言う。

 胎児発達の重要期間に胎盤を調査することは、もう一つの課題を提起する。ほとんどのヒト胎盤の研究は正期産で娩出された胎盤について行われているが、正期産胎盤の外見と機能は妊娠第一期の胎盤とは非常に異なる。”それは、心臓がすでに停止してから、心臓を調べるようなものだ”と、ユニス・ケネディ・シュライバー国立小児健康人間発達研究所の デビッド・ワインバーグは述べている。”胎盤の機能と発達を真に理解するためには、我々は胎盤を妊娠全期間を通じて監視できる必要がある”。

 ワインバーグは、同研究所のヒト胎盤プロジェクト(HPP)のプロジェクト・リーダーである。この HPP は妊娠中及びその後の母親と胎児の健康に胎盤がどの様に影響を及ぼすのかをよりよく理解するために2014年に立ち上げられた[6]。HPP の研究者らは、妊娠全期間を通じて胎盤の発達と機能を非侵襲的にリアルタイムで評価できる新たな技術と手法を考案するために働いている。開発されているツールの多くは研究者らが胎盤への環境的影響をよりよく評価することを可能にするであろうと、ワインバーガーは述べている。

 ワインバーガーによれば、わくわくするようなアプローチのひとつは、胎盤からのメッセージを母親に中継する生体液中の小さな細胞構造である胎盤由来のエクソーム(訳注10)の研究である[36]。研究者らは、これらのエクソームの豊富さと構造を調査することにより、妊娠全期間を通じてそれらがどの様に変化するを見ている。そのような分子は、母親の血液中で測定できる胎児の健康のリアルタイムのマーカーを提供するかもしれない[37]。

 胎児のプログラミングのより良い理解という範囲を超えて、胎盤はもっと多くのことを研究社会に提供するかもしれないと、ワインバーガーは言う。例えば、どのように胎盤細胞が増殖し子宮の壁に侵入するかを知れば、がん研究に役立てることができるであろう。”我々は、これらのプロセスを理解することは母親や胎児を益するだけでなく、妊娠をはるかに超えて広がる展開をもたらすことができる”と、彼は述べている。

コラム
独自の胎盤マイクロバイオーム


 科学者らは長い間、子宮は無菌の環境であると考えていたが、胎盤は無菌ではないかもしれないことが分かってきた。最近の研究は、全ての胎盤は微量のバクテリアを含んでいることを示唆している。2014年、ベイラー医科大学の胎児医療専門家シェルスティ・アーガードに率いらた研究チームは、320の健康なヒト妊娠から得た胎盤の中に明確なバクテリアの痕跡を見つけた[38]。今年の初めに発表された研究は、これらの胎盤微生物は出産直前に人間の腸に移住を開始するかもしれないことを示唆した[39]。

 この発見は物議をかもした。ある研究者らは、胎盤のような微量の微生物を持つサンプル中での微生物の発見は DNA 汚染の結果であろうと警告する[4041]。人の胎盤中の微生物が、真のマイクロバイオーム−持続する別個の微生物社会−を構成するのかどうか、そしてどのようにしてこれらの微生物はそこに達したのかについての疑問は残る。

 アーガードは現在、母親の食餌を含んで環境要因がどの様にこの潜在的な胎盤マイクロバイオームに影響を与えることができるのかを推論するために、実験動物を使用して研究している。胎盤マイクロバイオームを理解するための取り組みは、 DOHaD についての重要な見識を提供するかもしれない。 ”マイクロバイオームは、我々の代謝の根拠を形成するのに役立つ”と、アーガードは述べている。”もし、発達の重要な時期(critical window)の代謝環境を乱せば、生涯の影響をもたらすであろう”。


参照

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30. Rosenfeld CS. Sex-specific placental responses in fetal development. Endocrinology 156(10):3422?3434 (2015), doi: 10.1210/en.2015-1227.

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訳注1:DOHaD
DOHaDとは/昭和大学 DOHaD 班
大隅典子の仙台通信/「DOHaD」という概念
胎生期から乳幼児期における栄養環境と成長後の生活習慣病発症のリスク

訳注2:エピゲノム
なぜ今、エピゲノムなんですか? エピゲノムって、なんですか?
エピゲノムと疾患

訳注2a:オミックス
序章 Omics入門/東京大学先端科学技術研究センター
 Omicsとはなにか:包括的に生命情報を扱う方法
オミックス医療とは/日本オミックス医療学会
 オミックス情報とは、網羅的な生体分子についての情報であり、具体的にはゲノム(Genome)やトランスクリプトーム(Transcriptome)、プロテオーム(Proteome)、メタボローム(Metabolome)、インタラクトーム(Interactome)、セローム(Cellome)と呼ばれる、様々な網羅的な分子情報をまとめた情報、知識、集合のことを指す。

訳注3:ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)
hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)|腫瘍マーカー
ヒト絨毛性ゴナドトロピン/ウィキペディア
(妊娠が成立すると急速に分泌される糖タンパク質)

訳注4:エピジェネティクス
エピジェネティクスについて
(後天的に決定される遺伝的な仕組み)
エピジェネティクス/ウィキペディア

訳注5:伝令 RNA (mRNA)
メッセンジャーRNA(mRNA)とリボソームRNA
伝令 RNA/ウィキペディア

訳注6:マイクロ RNA (miRNA)
miRNA(microRNA)とは
miRNA/ウィキペディア

訳注7:ゲノム刷り込み
ゲノムインプリンティング 〜ゲノムインプリンティングとは?
ゲノム刷り込み/ウィキペディア

訳注8:対立遺伝子
高校生物遺伝についてです。 対立遺伝子ってなんですか?
対立遺伝子/ウィキペディア

訳注9:胚性幹細胞

ES細胞 (ES cell (Embryonic Stem Cell))/東邦大学
胚性幹細胞/ウィキペディア

訳注10:エクソーム
エクソーム (exome)
エクソン/ウィキペディア

訳注:関連情報


化学物質問題市民研究会
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