EHP2005年10月号 Editorial
子どもの健康と環境:大西洋をはさむ対話
フィリップ J. ランドリガン、ジョルジオ・タンバーリーニ

情報源:Environmental Health Perspectives Volume 113, Number 10, October 2005
Children's Health and the Environment: A Transatlantic Dialogue
By Philip J. Landrigan and Giorgio Tamburlini
http://ehp.niehs.nih.gov/docs/2005/113-10/editorial.html

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2005年10月8日


 環境による健康への脅威から子どもを守るための重要な措置は、アメリカ及びヨーロッパの双方で過去10年間にわたってとられてきた。その進捗は、幼児と子どもは有害化学物質への曝露と感受性が大人とは異なるということ、したがってリスク評価、規制、及び法において特別の保護が必要であるということについての共通の認識に基づくものである。しかし、この共通の科学的基盤にもかかわらず、大西洋をはさむ両側での”子どもの環境健康(Children's Environmental Health (CEH))”に関する展開は全く異なるものであった。これらの際だったそして時には補完的な進捗は、両大陸の社会、法、そして規制の文化の違いを反映している。

 子どもの独特な脆弱性についての政策策定者らの共通認識がアメリカでの原点であり、それは1993年の米国立研究協議会(NRC)報告書 『幼児と子どもの食物中の農薬 (National Research Council 1993)』 の刊行にまでさかのぼる。この報告書は子どもと大人の有害化学物質に対する感受性と曝露において大きな相違があることを見出している。この報告書は規制の実施に大きな空白があることを明らかにし、環境に対する脅威を評価するため毒物学的テストの拡大を求めた。また、子どもの保護を強化するためにリスク評価と規制の改革を主張した。NRC報告書の中心的な貢献は、小児科の専門的分野から国家の政策形成の幅広い領域まで、子どもの脆弱性の考慮を高めたことであった。

 NRC報告書の勧告は、農薬使用を規制するアメリカの主要な制定法である食品品質保護法(FQPA 1996)を通じて、1996年にアメリカで連邦政府の政策に導入された。食品品質保護法(FQPA)は子どもの独特な脆弱性を肯定した。それはリスク評価において子どもの明示的な考慮を求め、規制において子ども保護のための安全係数を義務付けた。これらの原則は1997年春に、全てのアメリカ政府機関は政策決定においては子どもの健康と安全を考慮すべきことを求める”子どもの環境健康と安全に関する大統領令”の中で再確認された(Clinton 1997)(訳注1)。このアメリカの経験は国際的に共有され、G8環境大臣会合によって満場一致で承認された1997年の”子どもの環境に関するマイアミ宣言”の公布をもたらした(訳注2)。最近、アメリカでは”子どもの環境健康(CEH)”政策は遅れてきているが、しかし国として研究や医療の分野で重要な貢献を続けている。

訳注1大統領命令 13045 環境健康リスク及び安全リスクからの子どもたちの保護 (当研究会訳)
訳注2:G8環境大臣会合 1997年5月5日-6日、マイアミ (訳:環境省)

 これらの前進は、1998年に国立環境健康科学研究所(NIEHS)と米環境保護局(EPA)が、現在は11ある”子ども環境健康疾病予防研究センター(Centers for Children's Environmental Health and Disease Prevention Research)”の全国ネットワークを確立した1998年にさかのぼる。これらの学際的なセンターは科学的知識の強力な生成源として成熟し、環境小児科の分野で空前の成果を上げ、”子どもの環境健康(CEH)”の次世代のリーダーとなる若い科学者や医師の養成に有効であった。

 センターの研究は、喘息、神経性行動障害、内分泌機能不全、自閉症、そして低レベル鉛毒性の環境的原因の理解に重要な貢献をした。この仕事からの成果は既に疾病予防の指針となっている。センターの業績をハイライトするいくつかの報告書が『環境健康展望(EHP)』の今月(10月)号に発表されている(訳注3)。

訳注3:
子どもセンター:子どもと化学物質について調査 (当研究会訳)

 全国子ども調査 (National Children's Study (NCS))はアメリカにおける第二の研究開発の出現である(National Children's Study 2005)(訳注4)。全国子ども調査 (NCS)は、妊娠(あるいはその前)から21歳になるまでのアメリカで生まれた子どもたちの統計的代表サンプルとして10万人の子どもたちを追跡する前向き疫学研究(prospective epidemiologic study)である。その目標は子どもの健康、成長、発達、そして疾病のリスクに、単独で又は組み合わせで影響を与える化学的、生物学的、物理的、そして生理学的な環境中の要因を特定することである(Trasande and Landrigan 2004)。

訳注4:
The National Children's Study (NCS): the Impact of Environment on Children's Health and Development
Committees & working groups for The National Children's Study

 小児科医療の実践におけるアメリカの主要な革新は、”小児科環境健康特別ユニット(Pediatric Environmental Health Specialty Units (PEHSUs) )のネットワーク展開であった(有害物質疾病登録機関(ATSDR)2005)。このネットワークは現在、アメリカ全土で11か所あり、またカナダ、メキシコ、スペイン、そして(まもなく)アルゼンチンにも設立されている。小児科環境健康特別ユニット(PEHSUs)は、有害環境に起因する疾病を持った子どもたちの診断と治療のために、小児科環境医学の専門技術へのアクセスを改善するために、そして子どもの健康への環境脅威について健康介護実務家を教育するために設計された臨床ユニットである。

 ヨーロッパでは、環境の脅威から子どもを守ることの進捗は当初はアメリカより遅れていたが、近年はヨーロッパが追い越そうとしている。

 ヨーロッパでは”子どもの環境健康(CEH)”は1999年にロンドンで開催された第3回環境健康大臣会議において、初めて政治問題として登場した。この会議では、マイアミ宣言(1997年の第8回環境大臣会議)を引用し、子どもを環境曝露から保護することの重要性が強調された。それは行動の優先領域を特定し、第4回大臣会議にいたるまでのプロセスに着手した。

 2004年にブダペストで開催された第4回大臣会議は子どもの環境健康(CEH)にとって重要な分岐点であった(訳注5)。世界保健機関(WTO)欧州事務所と欧州環境健康委員会によって準備がなされた。WHO欧州地域の全52加盟国と非政府組織及び産業界及び労働組合の代表が活発に参加した8つの大きな会議があった。目標は、新規の”欧州子ども環境健康行動計画(Children's Environment and Health Action Plan for Europe (CEHAPE))の理論的根拠、構造、及び目標”を定義することである(ヨーロッパ地域における健康と環境大臣会議 WHO 2004)。このプロセスの二つの主要な成果物は a) WHO欧州事務所と欧州環境庁によって刊行された子どもの環境健康に関する科学的証拠の詳細な検証(Tamburlini et al. 2002)と b) 環境曝露に関連したヨーロッパにおける子どもと青年男女の疾病罹患を初めて定量化した研究(Valent et al. 2004)である。

 ブダペスト会議において、欧州子ども環境健康行動計画(CEHAPE)は最高首脳レベルで承認されており(Valent et al. 2004)、したがって、子どもの健康に対する環境の脅威を緩和するという全欧州加盟52か国の公約が確認されている。CEHAPEの重要な特徴は、戦争又は極貧のような特にひどい状況にある子どもたちが、怪我、心理的トラウマ、急性及び慢性感染症、廃疾、死亡の最も高いリスクに曝されているということを認識したことである。CEHAPEは、これらの状況とそのリスク要素を防ぐことに特別の注意が払われるべきことを力説している。

訳注5:
ヨーロッパの子どもに目を向けた環境健康アクションプラン−第4回 ヨーロッパ健康と環境大臣会議(ブダペスト)/ WHO (当研究会訳)

 欧州加盟国が現在直面している課題はCEHAPEを実施することである。この作業は、ローマにあるWHO欧州事務所−CEHユニットが調整を行っている。このプロセスを推進するためのツールには次のようなものがある。子どもの環境健康に関する証拠をまとめた本、各国がCEHAPEの枠組みを自国の行動計画にどのように織り込んでいくかを示したツール、予防の成功事例集、子どもの環境健康(CEH)指標集(Licari et al. 2005; Nemer and von Hoff, in press)

 ロンドンとブダペストでなされた公約に基づき、欧州委員会は子どもの環境健康(CEH)への取り組みを強化している。欧州子ども環境健康行動計画(CEHAPE)の実施のために加盟諸国に対し資金提供を行い、下記のような長期政策と行動計画を展開した。

  • REACH (Registration, Evaluation and Authorization of CHemicals 化学物質の登録、評価、認可)
  • SACLE (Science, Children, Awareness raising, Legislation, Evaluation 科学、子ども、周知、立法、評価)
  • 欧州環境健康戦略 (The European Environment and Health Strategy )
  • 004〜2010年環境健康行動計画 (The 2004-2010 Environment and Health Action Plan)
 2003年に欧州委員会によって提案されたREACHは、これらの提案の中で最も野心的なものである(European Commission 2003)。それはヨーロッパの新しい化学物質規制の枠組みであり、その目標は有害化学物質に関する現在の知識の欠如を埋めることにある。REACHは、製造者又は輸入者当り年間1トン以上製造又は輸入される全ての化学物質の安全及び有害情報は公開されるべきことを求めている。REACHの下では、化学物質が安全であることの証明責任は産業側にる。REACHの下では、より安全な物質を開発するための技術革新は研究開発に対して免除を与えることによって推進される。もしREACHが完全に採択されれば、実験室ではなく、世界中で子どもたちを使ってテストが行われているという現在の毒物学実験の終わりを促進するであろう。

 REACHは現在、欧州議会によって審議されている。最近の公聴会で、現在の欧州委員会−前任の欧州委員会よりも産業側の懸念により注意を払っているように見える−は、ヨーロッパ産業界の競争力に対する子どもの健康とのバランスの重要性について討議した。

 ヨーロッパにおける研究者と小児科開業医の中で、子どもの環境健康(CEH)はアメリカよりもペースは遅いが勢いを増しているように見える。CEHは疫学的調査への注目を増大しており、子どもの大気汚染と神経毒に関する影響を検証した最近の研究調査などがある。大規模な将来を見越した子どものコホート調査が、いくつかの国で実施中(例えば、イギリスや北欧諸国など)、あるいは着手されようとしている(イタリア)。CEHに焦点を当てた新たな研究コンソーシアムがイタリアのトリエステで”子ども病院”の指導の下に設立された。

 大西洋をはさんだ両側での子どもの環境健康(CEH)に関する研究、実施、及び政策の発展は魅力的なそして相互に関連するプロセスである。大きな進捗が得られたが、この進捗はいくつかの疑問を投げかけている。例えば、ヨーロッパの政策取り組みはアメリカの政策に対してどのような影響を与えているのか? REACHの採択は化学物質テストに関するアメリカの自己満足に釘を刺すか? 欧州子ども環境健康行動計画(CEHAPE)は、アメリカに対し子どもの環境健康(CEH)のためのベンチマークと国家目標の設定を急がせることになるか? そして、アメリカの”子ども環境健康センター(Children's Environmental Health Centers)”から出現している、そしてまもなく全国子ども調査 (National Children's Study)から得られるであろう新たな科学的成果がヨーロパの政策にどのように影響を与えるのか? この研究成果から生ずる情報はある種の化学物質の禁止や制限につながるのか?

 そして、世界の発展はどうか? 産業発展国からの新たな科学と政策は産業発展途上国に影響を与えるか? グローバル化が進む中で、発展途上世界の国々は、北大西洋をはさむ両側でますます歓迎されなくなっている従来以上に危険な産業と有害な化学物質を受け入れている。その結果はどのようになるのか?

 これらは厳しい重要な疑問である。もし、我々の子どもの健康保護に重要な価値を認めるなら、我々はこれらに立ち向かうべきである。

 フィリップ J. ランドリガンは、マウントサイナイ大学医学部子ども健康環境センター理事、地域予防医学部議長、Ethel H. Wise教授である。

 ジョルジオ・タンバーリーニは、小児科医であり子ども公衆衛生の専門家である。彼は、WHO及びその他の国際機関のコンサルタントとして1990年以来、国際レベルで子どもの公衆衛生の分野における研究と発展に関与している。彼は現在、イタリアのトリエステにある子ども健康研究所”Burlo Garofolo”の科学部長である。

Philip J. Landrigan
Department of Community & Preventive Medicine
Mount Sinai School of Medicine
New York, New York
E-mail: phil.landrigan@mssm.edu

Giorgio Tamburlini
Institute of Child Health
IRCCS Burlo Garofolo
Trieste, Italy

 本稿に対し下記より支援を受けた。
  ・子どもの環境健康と疾病防止のためのマウントサイナイ・センター(P01 ES009584)
  ・マウントサイナイ・スパーファンド基礎研究プログラム(P42 ES007384)
  ・米環境保護局(RD 83171101)

 著者らは金銭上の利害とは無関係であることを宣言する。


参照

ATSDR. 2005. Pediatric Environmental Health Specialty Units (PEHSU). Atlanta, GA:Agency for Toxic Substances and Disease Registry. Available: http://www.atsdr.cdc.gov/HEC/natorg/pehsu.html [accessed 12 September 2005].

Clinton WJ. 1997. Executive Order 13045: Protection of children from environmental health and safety risks. Fed Reg 62:19883-19888.

European Commission. REACH (Registration, Evaluation and Authorization of Chemicals). 2003. Available: http://europa.eu.int/comm/environment/chemicals/reach.htm [accessed 12 September 2005].

FQPA. 1996. Food Quality Protection Act of 1996. Public Law 104-170.

Environment Leaders' Summit of the Eight. 1997. Declaration of the Environment Leaders of the Eight on Children's Environmental Health. Miami: May 1997, Available: http://www.g8.utoronto.ca/environment/1997miami/children.html [accessed 12 September 2005].

Licari L., Nemer L. and Tamburlini G. 2005. Children's health and environment : developing action plans. Copenhagen:WHO European Office. Available: http://www.euro.who.int/eprise/main/WHO/InformationSources/Publications/Catalogue/20050812_1 [accessed 30 August 2005).

Ministers of Health and Environment in the European Region of the WHO. CEHAPE (Children's Environmental Health Action Plan for Europe). 2004. Declaration. Available: http://www.euro.who.int/document/e83335.pdf [accessed 12 September 2005].

National Children's Study. 2005. Homepage. Available: http://nationalchildrensstudy.gov/index.cfm [accessed 8 September 2005].

National Research Council. 1993. Pesticides in the Diets of Infants and Children. Washington, DC: National Academy Press.

Nemer L, von Hoff K, eds. In press. Children's Health and Environment Case Studies Summary Book. Copenhagen:WHO European Office Available: http://www.euro.who.int/childhealthenv/Policy/20040921_1 [accessed 12 September 2005].

Tamburlini G, von Ehrenstein O, Bertollini R, eds. 2002. Children's health and environment: a review of evidence. A joint report from the European Environment Agency and the WHO Regional Office for Europe. Copenhagen: European Environment Agency. Available: http://www.euro.who.int/document/e75518.pdf [accessed 1 January 2005].

Trasande L, Landrigan PJ. 2004. The National Children's Study: a critical national investment. Environ Health Perspect. 112:A789-790.

Valent F, Little D, Bertollini R, Nemer L, Barbone F, Tamburlini G. 2004. Burden of disease attributable to selected environmental factors and injury among children and adolescents in Europe. Lancet 363:2032-2039.



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