石をいじっていると気が落ち着くのだよ、とギムリは言う。
レゴラスは、気が知れないね、と言いつつも、長椅子にうんと寝そべって、ギムリの手元をじっと眺めていた。
ドワーフが使うにはあまりに丈の長すぎるこの長椅子が、誰のためのものか、レゴラスはちゃんと知っている。
だから必ず、彼はこのドワーフの部屋に来ると、「あんたに独占させるために買ったわけじゃないんだよ!」と怒るドワーフを尻目に、高慢な猫のように優雅に、それが当然の権利であるかのように、長々と、その上に寝そべって心地よさげに伸びをする。
怒るドワーフが、なぜか、少し嬉しそうな顔に見えることを、誰も、指摘はしない。


工人アウレのめぐし子の裔は今、なにやら白い粘土の塊のようなものに、ひどく気を遣って鑿を当てているところだった。無骨とうつるごつごつした手が、いとおしむように繊細に、やさしげに、白い塊を愛でている。その手元を、基本的に大雑把でそのような作業を好みはしないエルフが、眼を見張って、じぃ、とただただ見つめている。長椅子の肘掛に頬を預け、しどけなく脚を逆の肘掛に預け。窓から落ちかかる日の光は、エルフの髪の上で跳ねることを喜び、その瞳の上で踊ることを楽しんだ。
エルフはここしばらく、ドワーフの行うその作業に魅入られたように、彼の工房に通いつめていた。エルフの緑の瞳の先で、木の棒と粘土と、ぐるぐる巻きつけた縄と、その上にまたくっつけた粘土と――そんな、おかしな不恰好ないくつかの材料でしかなかったものが、奇跡を生む無骨な手のうちで姿を変え、小さな粘土の、すらりとした鹿の像になっていく過程をじっと、見守っていた。
それから、森の子には理解しがたいいくつかの過程が飛ぶように過ぎ去り、今、森の子と岩の子の目線の先には、人の子の指先から肘までぐらいはある、白い塊が存在している。
その白い塊――石膏の鋳型なのだが、森の子がそれを知るよしもない――がぱかりと割れ、中からでてきたものにエルフは驚きの声をあげた。
「おお、ギムリ、……ギムリ旦那! あの時の粘土の像がどうして中にあるんだい?」
やすりを手に取ったドワーフの、髭に覆われた気難しい口元が、わずかにゆるむ。
「エルフってのは、本当に何も知らないんだね、レゴラス。あの粘土の像は、この石膏の鋳型を作るためのものだよ。今ここにあるのは、その鋳型で造った青銅の像じゃないか」
「金属の像かい」
長椅子の上で伸び上がって、エルフはドワーフの手元を覗き込もうとする。
「いけないよ、レゴラス旦那、まだいけない。ここからはとても繊細な作業なんだ。わたしはあんたに、ちゃんと完成したものを見てほしいからね。わたしの手元を見てはいけないよ」
「それは牡鹿だね、ギムリ、君の造った像なら皆が欲しがるのだろうなぁ!」
羨ましそうなエルフの声に、おや、とドワーフは手を止めて振り返る。
「珍しいね、レゴラス。あんたが何かを欲しがるなんてことが、あるとは思わなかったが!」
「だってあの粘土の鹿が、とてもいきいきとしていたんだもの!」
「それは残念だね、あんたがもう少し前にそう言ってくれていたなら、わたしは喜んで、これをあんたに差し上げたんだが」
手の中で、躍り上がった形のまま美しく凍りついている鹿を眺め、ギムリはふむ、と嘆息する。
「これは夕星王妃に差し上げる約束をしてしまってね」
「良いんだよ、アルウェン姫――いや、王妃は裂け谷の淡く優しい森を、きっとその鹿に見て御心をやすめられるだろうからね」
レゴラスの瞳にかすかな郷愁が浮かぶ。
無骨で繊細なドワーフは、それに気づかぬふりをして鹿に慎重に手を加えながら言った。
「わたしらドワーフが得意とするのは細工物でね、こういう像は、わたしの本領ではないんだが。それでも良ければ、次の作品はあんたにあげるとするよ」
エルフが少しでも、ドワーフの細工物を欲しがるそぶりを見せたのはこれがはじめてだった。そもそも、このエルフは何か、形あって命なきものに執着するそぶりなど微塵も見せることはないのだった。彼にとって、形あるものはすべて、いつかは損なわれてしまうものでしかなかったのやもしれず――そして、喪われていく生命、繰り返される生と死、美しい森の子はそんなものを、いつくしみ、かなしみはしたものの、それを醜く引き止めるそぶりは一度も、見せたことはなかった。
レゴラスは眉を寄せて少し考え込む様子を見せた。
彼はものを持ち歩かない。驚くべき軽装の理由は、彼の寿命の長さのゆえもあるかもしれない。どのみち、彼は、「一生」何かを持ち歩くということはできない。いつかは壊し、いつかは失くすだろう。
だから彼は、「たいせつなもの」そのものを造らないのかもしれない。
「……考えていたんだけどね、ギムリ、」
レゴラスは視線を上げて、ギムリの手の中の、ギムリによって生み出された作り物の命を見つめた。
「なんだい、レゴラス」
時折、このエルフはひどく突拍子もないことを言う。その発言に驚いて手を滑らせたりしてはいけない。ギムリは鹿を脇に置いた。
「鹿を造れるということは、エルフも造れるのだよねえ?」
「……あんたたちみたいに綺麗な種族を、精密に再現するのは少し難しいかもしれんがね」
陽光の踊る髪が、ちらちらと二筋三筋、椅子の上に落ちかかっているのをギムリは眺め、早くも、そのカーブをどう再現するかに思いをめぐらせている自分に気づいた。
「それは問題ないよ、だって、わたしが造ってほしいのはわたしなのだからね! 王妃様や森の奥方のような、光り輝く方たちとは違う、ごくふつうのエルフなのだから」
「……まぁ、そう考えるのはあんたの自由だよ」
生気に満ちている、という点ではどのエルフよりも光り輝いている目の前のエルフを、つくづく眺めてギムリはまばたきし、それから言葉の意味に思い至って、眼を見開いた。
「あんたは自分の像が欲しいのかい!?」
「いけないかな?」
不思議げに、肘掛の上でころりと頬をすらせ、レゴラスはうつぶせから仰向けに姿勢を変えてギムリを眺める。
「いけなくはないが、その……なんでそんなものが必要なんだね?」
するとレゴラスはさも驚いた、と言った様子で手を打ち叫んだ。
「なんでって、わからないのかねギムリ旦那!? 君の手でわたしを作ってほしいからに決まってるじゃないか、もうひとりの、生まれ変わった、大好きなドワーフ殿の造ったわたし、ああ、なんて素敵なことなんだろうね!?」


机の上に顔ごと突っ伏したドワーフを、エルフは言い終わってから不思議そうに首をかしげて見やった。


「……なんて夢見がちなエルフなんだ、このエルフは」
「夢見がち? 違うよギムリ、本当のことじゃないか」
「ああもう良いよ、わかったわかった、それで何だね、わたしはブロンズのおまえさんを造れば良いのかね」
髭と髪と眉毛のせいで、自分が赤面しているのも大方は隠れてくれているだろう――そう思ってギムリは少しほっとして、己の頬を軽くなでる。
このエルフのとんでもない一言に振り回される、そんな自分をいまいましく思いつつも、そんな毎日がいやではない、そう思えるから不思議である。
問いを投げかけられて、エルフは少し困ったように首をかしげたまま、「ブロンズ…」と口の中でつぶやいている。まさか「ブロンズ」が何かを知らないんじゃなかろうね、と口を開きかけて、エルフがおずおずと、
「ギムリ、……あのね、君がこういうものを扱わないとは知っているのだけど、」
と言い出したその声音の深刻さに、思わず振り返った。
「何だねエルフ殿、わたしがどんなものを扱わないと?」
重ねて問われたエルフは言いにくそうに肩をすくめる。
「その……木の像とかは彫ってもらえないのだろうか、とね」
「木像かね」
それはたしかにあまり扱わない、とギムリは渋い顔になった。
ドワーフは金属と宝石の輝きに魅せられたのであって、木で作ったものなどに、基本的に魅力は感じない。
「何で木なんぞ」
そう思わずつぶやくと、レゴラスは怒られちゃったよ、とでも言いたげな困り眉で床を見ている。
その口が少し拗ねたように尖ってから、
「だって木は腐るじゃないか」
と、言ったのにはさすがに、つきあいの長いドワーフも意味を図りかねて「は?」と身を乗り出した。
エルフは顔をあげ、「だからね、」と彼にしては珍しい辛抱強さで言葉を繰り返す。
「木は腐るから、土に還ることもできるだろう?
 いつか君やアラゴルンや、皆が土に還った時に、埋めたら同じ土になれるじゃないか。
 わたしは君たちと同じ土にはなれないのだよ、きっと、わたしは遠い地に行ってしまうからね」


何度か口を開き、何かを言おうとして、そしてその度に絶句して、ギムリは結局、黙って首を横に振った。
「このエルフは、」
やはり言葉は続かず、
「……まったく、このエルフは!」
それだけを慨嘆の言葉として繰り返し、また怒られるのかな、と困ったように寝椅子の上でくたくたしている、呑気なエルフから顔を背ける。
「ギムリ、ギムリ、ギムリ君!」
機嫌をとりたいのだろうか、歌うように名前を連呼されて、ますます仏頂面になったギムリはとうとう、大声でその、ギムリの名前だけの即席の歌を断ち切った。
「ああ、ああ、わかったよ、わかったよレゴラス、あんたの木像を造ってやるとも!」
「本当かい!」
嬉しそうに長椅子から転がり落ちて、レゴラスはひょこんと立ち上がる。
「ありがとうギムリ!」
力任せに抱きしめられて、ギムリはやはり、あの鹿の像を手元から離しておいて正解だった、と嘆息したのだった。




波の音を聞きながら、レゴラスは胸に抱きしめたものを、ゆっくりと指先でたどり、また抱きしめた。
「船の準備が整ったよ、レゴラス旦那」
背後から、年老いたドワーフのがらがら声が聞こえたが、なぜか振り返ることができず、自分のつま先を見てもじもじとまた、胸に抱きしめたものをいじる。
「ドワーフ君、」
レゴラスは遠まわしな呼び方をして、小さくため息をついた。自分のつま先を眺めたまま。
やれやれ、といった声音で、ドワーフが隣に、同じ方向を――海の方向を向いて立つ。
「それは持って行くのかね」
「うん、それでね、今わたしは心が二つに裂けそうになっているんだよ」
レゴラスはそっと手を開き、両手の中に包み込まれていた、小さな己の木像を覗き込んだ。
眼の部分にエメラルドをはめこんだ、東夷の仏の像のような、穏やかな顔のレゴラスの像。
「その像は、わたしと一緒に埋めておくれよ、レゴラス」
ドワーフは前を向いたままそうつぶやいた。
「……うん、そう……するよ」
ためらいがちにレゴラスは答え、また、ぎゅっと像を抱きしめる。
しばしの沈黙。
ギムリには、レゴラスの躊躇の理由が痛いほどわかった。
彼らはふたり、トル・エレスセアへと、遠く大海を越えて赴く。……彼らの最愛の王のなきがらを、この中つ国に置き去りにして。
レゴラスは、いつか近いうちに必ず死ぬであろうギムリの傍らに、己の像を埋めたい反面、今遠く海を隔てた地へと、離れてしまう王の亡骸の隣に、この像をそっと置き去りにしたい気持ちに苛まれているのだ。
「あんたの考えることなんて、みんなお見通しさ」
ぽつりとギムリは再びつぶやく。
「うん」
レゴラスは頷いた。
120年のつきあいとは、そういうものだった。
「だから」
ぶっきらぼうに前を向いたまま、ギムリはレゴラスの肘の辺りに硬いものを押しつける。
「アラゴルンと、あの気持ちの良いホビット衆の傍に置いていってやるのは、こいつにしておくといいよ、レゴラス」


レゴラスは震える手で、小さなレゴラスと、ギムリの木像を受け取った。
「ギムリ、」
「……なんだね、わたしが一緒じゃ不満かね」
「ギムリ、ギムリ、わたしは君が大好きだ」
「し、知ってるさ、そんなことは」
「大好きだ、大好きだよギムリ、……ねぇギムリ旦那、君の名前はわたしには本当に、魔法の呪文のようだ、君の手は、アウレにも勝る魔法の手だよ……」
小さなレゴラスと、小さなギムリを抱きしめて、レゴラスはその場にしゃがみこみ、顔を覆う。
不器用な手つきでその髪を撫で、ギムリはいつまでも、眼に痛い海の蒼を眺めていた。



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