ただ今チョコレート運搬中――2




「と、言うわけなんですが」
「……んで、何でオレんとこに来る……」
「とりあえずキミあたりから当たって行こうかと思いまして」


黒い包装紙の小箱を、一応ターゲットだということで丁重に掲げた黒衣の死神を、蛮はあからさまにうんざりした顔で斜めに眺めた。
言わずとしれたここは「Honky Tonk」。すでに蛮の目の前には、ヘヴンと夏実が置いていった義理チョコが、銀次の分まで計4つ、並べてきちんと置いてある。
「もてるんですねぇ」
「……嫌味か?」
「なぜですか?」
心から不思議そうな赤屍の顔を見て、そういやこいつに義理チョコの概念などわかるはずもなし、としみじみと溜息をつく。そんな蛮に飽きたのか、気まぐれな死神は、微妙にひとつ席をあけた隣に座ってぶすっとココアを飲んでいる卑弥呼に顔を向けた。
「こんばんは、卑弥呼さん」
「……ひさしぶりね」
「チョコレート、渡さないのですか?」
ブーッ! とココアを吹き出した卑弥呼を、やはり心から不思議そうに見やり。
「先日、仕事帰りにチョコレート専門店に入っていったでしょう? てっきり、こちらの彼に渡すものだと思っていたのですが、違いましたか?」
「ななななななんでそれ知ってるのよっ――じゃなくてなんであたしがこんなやつにっ!」
まさか、店に入ってきてみれば、ヘヴンと夏実が大騒ぎをしていたせいで、蛮にチョコレートを渡す機会を逸したのだ――などと言えるはずもなく。卑弥呼は狼狽のあまり、スツールを蹴飛ばして立ち上がる。
「では、どなたに渡したのです? …………まさか馬車?」
なぜか微妙に不満げになったその声調には気づかず。「違うに決まってるでしょ! 義理チョコは渡したけど!」と、更に墓穴を掘るような台詞を卑弥呼は吐く。
「義理、チョコ……というものが何なのかは知りませんが、つまり、他に渡す人がいる、ということですね?」
非常に無邪気に、そして生真面目に確認した赤屍に、とうとう卑弥呼は絶句して天井を仰いだ。
「……あのな、」
それまでずっと黙って珈琲を飲んでいた蛮が、嫌そうに、だが一応のフォローのつもりか声をあげる。
「何でしょう?」
「てめーの仕事の話だけどよ」
「はい」
「その包装紙、明らかにオレのキャラとは外れてると思わねーか?」
「……この包装紙に、銀次クンの意中の人とやらのイメージが重なっているのですか?」
どこまでも鈍い黒衣の、赫瞳の麗人にもう一度、深深と溜息をつき。
「オレの知ったこっちゃねーよ。もういいから食っちまえそれ」
「は?」
「相手の名前言わねー銀次が悪ィってことで、あいつにもいい教訓になんだろ。てめーで食っちまえ」
「……はぁ」
「それで依頼はチャラ。てめーに払う金なんかねーよマジで」
「ああ、やっぱりお金がなかったんですね。そうじゃないかとは思っていたのですが」
「『てめーに払う』金がない、って言ってんだろ」
「無理しなくて良いんですよ、駆け出しとは誰でもそんなものです」
くるくる、と指先で器用にチョコレートの箱を回しながら、赤屍は納得したようにひとり頷く。
「いいでしょう。依頼はキャンセルしておきます。――このチョコレートを、キャンセル料にね」


黒衣の死神が、そのたおやかな後ろ姿を扉の向こうに消したのち、蛮は「おい」と固まっている卑弥呼に声をかけた。
「な、ななな何よ」
「どーせてめーのことだ。その本命とやらに渡しそびれたんだろ、チョコ」
「ほっ……本命なんていないもんっ!」
「あーはいはい。んで、それ、ひとりで食うつもりか? 太るぞ」
「えっ……あ、」
ぱっ、と卑弥呼の顔が一瞬輝く。不意に生き生きと、その大きな童めいた瞳を蛮に向けて、卑弥呼はポケットからアイスブルーのクールな小箱を取り出すと蛮の顔めがけて、思いっきり全力投球した。
当然、その箱は意表をつかれた蛮の額にクリーンヒットする。
「あイテ!」
「あたしがこれしきのことで太るはずなんてないけど、食べて太ったとか散々言われるのも癪だし。あんたにくれてやるわよ、蛮」
じゃあね! と肩を怒らせて立ち去る、律動的な歩調の後ろ姿を、赤くなった額を撫でながら見送り。
「……いっつまでも世話の焼けるガキだぜ……ったく」
掌の上に乗せた小箱を眺め、蛮はさすがに、やや照れた様子で苦笑した。


容赦なく差し込む朝日と、容赦なく刺し込む頭痛に、銀次は低いうめき声を上げた。
そんな自分の声で、眼が醒める。
「……あ、れ、」
かすれた声を出すと、さらにがんがんと頭が痛んだ。吐き気が頭痛よりマシなのは、不幸中の幸いだ。
「……うー……どこだここ……」
「私の部屋ですよ」
ものやわらかなテノールが隣から聞こえてきて、思わずがばっ! と跳ね起きる。跳ね起きてからのたうちまわる銀次を冷ややかに眺めて、赤屍はまたひとつ、チョコレートを口に運んだ。
隣に長々と寝そべって、両肘を突いて半身を起こし、優雅に赤屍が口に運んでいるものの正体を知って、銀次が二日酔いのためだけでなく、一気に血の気の引く音をたてて蒼ざめる。
「あ、あ、あ、あああああかばねさん、その、そのチョコは……」
「キミが意中の人とやらに届けてください、と私に依頼したチョコレートですよ」
「お、おおおオレがっ?」
「覚えていないんですか? 随分泥酔していましたから、無理もありませんか」
ぽり、と呑気にチョコレートをかじった赤屍は、シックでシンプルな、タイル型の小さなチョコレートをひとつ、銀次に放る。
「どうぞ、キミのですから」
「あ、あの、え、で、でも、そのチョコは、その、」
「意中の人の名前もわかりませんし。美堂クンが言うには、私に払う依頼料などないそうですから。美堂クンの了解のもと、依頼キャンセルということで、このチョコレートをキャンセル料にいただきました」
放物線を描いて、綺麗に銀次の掌の中に落ちたチョコレートには、もはや興味を示す様子もなく。また新しいチョコレートを、赤屍は口に運ぶ。
茫然とそれを眺めていた銀次が、茫然とした声のままで、ぽつり、と尋ねた。
「……美味しい?」
「美味しいですよ。甘くなくて」
あっさりと答え、ぱりん、と薄いビターチョコレートをくわえて割る。たしかに、気に入ったらしい。
口を開けてそれを眺めたままの銀次を見て、何を思ったか、割って手に残った方の欠片を、口の中に放り込んでやった。
「美味しいでしょう?」
「……おいしい、です」
「よかったですね」
何がよかったのか、自分でもよくわからないが、一応赤屍はそう言ってみた。意中の人とやらに届けるはずだったチョコレートを、よりによってドクタージャッカルに食われてしまったのだ。いきなり泣き出してもしょうがないはずの銀次は、なぜか茫然と眺めてくるだけである。あまりのことに声も出ないのだろう、と判断して、もう一枚、赤屍はチョコレートを口に運んだ。
「…………うん」
ぼんやりと赤屍を眺めたまま。気が抜けたように、銀次は頷く。
「……よかった、です……」


蛮の嫌がるチンケな依頼をひとりで黙々とこなして、女の子の群れの中で冷ややかな視線を浴びながら買った、シックでシンプルで、甘さのかけらもないビターなチョコレート。
店員に「本当にいいんですか」と何度も念を押されながら包んでもらった、かわいげのない、黒い包装紙に細い細い赤のリボン。
誰をイメージしたものかなんて、きっと蛮には一目瞭然だったのだろう。
「……ありがとう、蛮ちゃん……」
まだ自分が夢の中にいるような、そんな頼りないしあわせをしみじみと噛みしめながら、口の中でそう、つぶやく。
「何か言いましたか?」
とことん鈍い、困った死神がこっちを振り向く。
「なんでもありません。……チョコレート、ついてますよ」
「どこにです?」
「ここ」


ちゅ、と音を立てて唇を吸い。
「とれました」
「……銀次クン?」
「じゃ、オレ帰ります! チョコ気に入ったんならまた持ってきます! んじゃ!」
にこやかに笑ったまま、メスを出して来た綺麗な死神に。こちらも笑顔のまま後ずさり、一気に背を向けて、脱兎の如く逃げ去る。
「……何だったんですか、いったい」
ひとり取り残された赤屍は、しばし呆気に取られて、バタン!と閉まったドアを眺めやり……考えるのが面倒くさくなったのか、パリン、ともう一枚、チョコレートをかじる。
「……たしかに、美味しいですね」
生まれてからこのかた、一度もご縁のなかったバレンタインというこのイベント。今年のこのばかげた騒ぎは、なぜかなんとなく、悪い気分ではなくて。
ベッドの上で、ひとり、ふふ、と笑って赤屍は、チョコレートを放り出してベッドにころん、と寝転がった。明日にはきっと忘れてしまうであろう、この小さな心の異変とほろ苦い味を、楽しみながら。


Fin