がしゃん、という音に銀次が波児を振り返る。
「……あー……頼むから俺のことは気にしないでくれ」
思わず皿を取り落としたらしい波児は、もはや突っ込む気力もなくなったのか、力なく笑って手を振った。
「……銀次クン……」
少しだけ上ずった声に慌てて向き直ってみれば、赤屍は頬をわずかに染めて、銀次から視線を外している。
「……え?」
「そんな、そうならそうと最初から言ってくれていたら良かったのに……」
「……え? ……えええっ?」
「困った人ですね、不意打ちで人をこんなにどきどきさせて。キミのせいで、ベルリン・フィルなんてどうでも良くなってしまいました」
「あ……赤屍さんっ!」
混乱の渦の真っ只中で、それでも本能的に「これはいける!」と確信した銀次が、がしっと赤屍の両手を掴む。ためらいなくその手をそっと握り返して、上気した桜色の頬の死神は、銀次を見つめ返した。
まさか自分は決定的瞬間に立ち会っているのではないか、いやありえない、と悩む波児の前で、ふたりは点描でも撒き散らしかねない勢いで見つめ合っている。
「じゃ、じゃあですね、そそそそうと決まればさっそく」
「そうですね、行きましょうか」
うきうきと立ち上がりかけたすらりとした黒衣の姿に、なんとはなしに危険信号が働いて、波児は声をかける。
「ちょっと悪いんだがおふたりさん……今から、どこに行くつもりだか教えておいてもらえるか?」
「いやだなぁそんなこと聞くなんて、ヤボ――」
盛大に照れる銀次に手を取られたまま、その赤い瞳を嬉しそうになごませて、赤屍は答える。
「無限城に決まっているでしょう?」
「とうとうキミも決心してくれたんですね銀次クン、誕生日に私の命が欲しいだなんて……さぁ、行きましょう、無限城ならキミの力を最大限に引き出してくれる」
「ち……ちちちがいますーーーーーー! オレが欲しいのは赤屍さんの、」
「私の、なんですか?」
今まさに、銀次を引きずって店を出ていこうとしていた赤屍が、不思議そうに振り返る。
「え、えーと? あ、赤屍さんの……」
どう言ったら良いものやら、と散々悩んだ銀次は、「私の?」と、じれた様子で聞き返す赤屍に、焦って思わず口をすべらせた。
「赤屍さんの身体――……」
「……………………カラダ?」
「ちっ、違います今の間違い! なし! いや間違ってないけど、けど今のなし! 誤解です赤屍さん!」
「ちょっと落ち着きましょうよ銀次クン……つまり私の身柄が欲しい、ということですか?」
理解に苦しむ様子で、それでも珍しく、何とか歩み寄りを見せて赤屍は問い返す。
だが銀次に「歩み寄り」という能力は存在しなかった。
「ミガラってなんですか?」
「……」
「と、ととととにかくですね、オレ、今日は赤屍さんと一緒にいたいんです」
「……それはつまり身柄が欲しいわけですよね?」
話にならないと悟ったのか、赤屍は波児の方に顔を向けた。俺に話をふるな、と逃げ出したい気持ちを必死に押さえ、
「ま、まぁ……そういうところなんじゃないか?」
「今日じゃないとだめなんですか?」
「いや……俺に聞かれても」
「だって銀次クンは何を言っているかよくわからなくて」
「はい、はいはいはいはい! 今日じゃなくてもいいです! 予定空けますどうせ依頼も来ないし! ずっと空けて待ってます!」
必死に跳ねながら、なんとか赤屍の視界に入ろうと、たれ銀次が涙ぐましい努力を続けている。
「身柄――……ねぇ」
「お願いします、赤屍さん!」
物好きだなぁ、と言いたげな視線を向けて、考えることわずか2秒。あっさりと、実にあっさりと、
「いいですよ。明日でも逢いましょう」
何をしたいのかわかりませんが、楽しみにしてますね、とたれ銀次の頭をぱふぱふ叩いて毬つきのように弾ませて。赤屍は飄々と外へ出ていった。
「うぃーす」
肩で面倒くさげに扉を押して、入って来た蛮が見たものは、真っ白に燃え尽きている銀次と、それを放置してカップを拭いている波児の姿だった。
「……………………………クソ屍が来たのか?」
「ああ」
「で、何よ?」
「明日、デートだとさ」
「……デート、ねぇ」
「生きて戻ってくるといいな、銀次」
「殺しても死にゃしねえだろ」
「ま、とりあえずは……ハッピーバースディ、なんじゃないか?」
「……ケッ。たかがデートの誘いひとつで燃え尽きてみろ。身ィもたねーぞ、てめー」
銀次をどつきながら、片手で受け取ったコーヒーを飲む蛮の声も、耳に入らない銀次の脳裏には。ただ、「楽しみにしてますね」の一言だけが、麗しの死神の極上の笑顔(銀次ヴィジョン)とともに、延々とリフレインされていたという。
Fin
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