最強にして最凶の運び屋と言われるドクター・ジャッカルが、「好きになれない」と公言するこの街――新宿は、仕掛屋にとっては重要な市場である。昼の街西新宿、夜の街東新宿。のし上がるにはまず、新宿で名をあげることだ。
だから新宿には、野心溢れる若い仕掛屋が多く集まる。仲介屋からの、飛び込みの仕掛を捕まえるために。大物になれば、新宿に常時いる必要はない。向こうから探してでも、依頼が舞い込む。
東新宿の片隅に、常に閑古鳥、ひっそりと営業中のこの喫茶店――「HonkyTonk」もまた。若い仕掛屋の多く出入りする、仲介所のひとつだった。
「あんたのおかげで、ウチは近頃、仲介屋に繁盛しててね」
「私の?」
「情報屋たちの間じゃ、この店がドクター・ジャッカルの巡回先になったって噂でもちきりだよ」
気に入ったのか、他の品名を覚えるのが面倒くさいのか。店に来ればいつも「ランチセットA」を頼むようになった赤屍は、今日も、サンドイッチを待って優雅にスツールに腰掛けている。隣の席に、トレードマークの帽子がきちんと乗せられていた。
たまには黙ってBセットを出してみて、反応を観察してみようか。そんな、どこぞのバビロニアンのようなことを考えながら、波児はおとなしくAセットを出してやった。
「ここに来ると、いろいろと面白いものが見れますから」
そんなにちょくちょく来るわけではないが、気が向いた時にふらり、と現れる。そして銀次と蛮を、いろんな意味で混乱の渦に巻き込んでは、至極満足げに去っていく。赤屍曰く「来るたびにおかしな騒ぎが起こって面白い」のだが、残念なことに、その「おかしな騒ぎ」の原因が自分だとは、微塵も気づいていない様子であった。
「そういや……今日は一段と、面白いものが見れるかもしれないなぁ」
「それは来た甲斐がありました」
ゴム手袋を外した手でサンドイッチをつまみながら、心から嬉しそうに、無邪気な死神は首を傾げた。
「……銀次も気の毒に」
「なぜですか?」
「いや。……知ってるかい、今日は銀次の――」
「赤屍さぁぁーーーーーん!」
ドアが吹っ飛びそうな勢いで飛び込んできた物体が、転がってるんだか走ってるんだかわからない様子で赤屍に飛びかかる。
ばしっ! と一発で叩き落とされ、床にのびたのは――
「おや、銀次クン」
「……はたくことないと思いますぅぅ……」
床でめそめそたれているのは、今日もよくたれている銀次だ。
目の前の物騒な麗人が、仕事で敵対関係にない間は無害だ――ということをやっと学んだらしく、近頃の銀次は随分と傍若無人である。とりあえず、今日は抱きつくことに失敗したらしい。
「すみません、飛び掛かってきたのでつい」
悪びれない笑顔をにっこりと向けた赤屍に、しばし、お約束で見惚れてから、銀次は「はっ!」とそのビーズ玉のような愛らしい瞳を光らせる。
「赤屍さんっ!」
「はい?」
「今日お暇ですか!?」
ひしっと両手両脚で赤屍の脚にかじりつき。暇じゃなくても帰さない、という意思満々で――ついでにその脚にごろごろ頬ずりでなつきつつ――銀次は尋ねる。
笑顔のままの返答は、明快にして簡潔だった。
「いいえ?」
「そっ……そんな!」
「依頼人がチケットをくれたものですから、今日は夕方から、ベルリン・フィルを聞きに行こうと……」
「それ、断れないんですかぁ?」
ベルリン・フィルのありがたみなどわかるはずもない銀次が、眼をいっぱいにうるませて脚にかじりついたまま見上げる。あっさりと「断る気なんてありませんから」と言い放ってから、赤屍は銀次のかじりついている脚が上に来るように、おっとりと脚を組んだ。脚にかじりついたままのたれ銀次は、自然、赤屍の顔との距離が近づく。
赤屍の膝の上に顎をのせたまま、「ななななな」と赤くなって固まった銀次に、ぐぐ、と顔を近づけて、罪の意識のない死神は不思議そうにしげしげと、目の前の赤い顔を眺めた。
「私の予定を聞いてどうするんですか、銀次クン?」
「え、」
「何か仕事の依頼でも?」
「いいいいえそうじゃなくて。そうじゃなくてですね」
脚にかじりついたままもじもじためらう銀次に、哀れに思ったか波児が助け船を出す。
「銀次のやつ、今日が誕生日なんだよ」
「ああ、それはおめでとうございます」
にこやかに祝いを述べた赤屍が口をつぐむと、その場に沈黙が降りた。
赤屍は波児に「それが何か?」という視線を向け。波児は銀次に「続きはおまえがちゃんと言えよ」という視線を向け。銀次は赤屍に何か言いかけて言い出せず。沈黙は丸一分ほども続く。
「……え……ええとですね、赤屍さん」
沈黙と緊張に耐え兼ねた銀次が、蚊の鳴くような声で、ぼそぼそと喋り出した。
「オレね、赤屍さんから誕生日プレゼントが欲しいなー……なんて」
ぱちぱち、と赤い瞳をまたたかせたのち、プレゼントですか、と赤屍は考え込む。いたたまれなくなった銀次が、「やっぱいいです」と言いかけた時、
「キミにはいつも楽しませてもらっていますからね。いいですよ、何か欲しいものはありますか?」
非常に幸運なことに上機嫌の赤屍は、愛想よく笑って銀次を見下ろした。
しばらく茫然と見上げたのち、感極まってしくしくと赤屍のスラックスにとりついて泣き出した銀次に、思わず波児まで目頭が熱くなる。たしかにあのジャッカルからプレゼントをもぎ取るなど、並大抵の神経でできることではない。
「……銀次クン?」
「はっ、ははははははい!」
「で、何が欲しいんですか?」
「オレの……オレの欲しいもの、くれるんですか?」
勢い込んでさらにスラックスをよじ登り、膝の上にちょこんと乗った涙まみれの銀次の鼻っ面に、「はい」とナプキンを押しつけてやってから、
「それは、欲しくないものをあげても意味がないでしょう」
と、赤屍はあっさりと答えた。
「そ、そうですよね! オレ、欲しいものあるんです」
「何ですか?」
「赤屍さん!」
「はい?」
「そうじゃなくて、」
「オレ、赤屍さんが欲しいんです!」
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