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ベーレンライター版による 「第九」の仙台初演

(98・2・3掲載)


  一昨年末に出版されたベーレンライター版の「第9」(ジョナサン・デル・マー校訂)の楽譜は、これからの時代のベートーヴェン演奏の新しい標準として、着実にプロのオーケストラの間に浸透しはじめています。出版に前後していち早くこの版の「日本初演」を果たしたのは、それまでにペータース版やヘンレ版を使って全曲演奏を敢行してきた高関健が指揮をした新日本フィルでした。
 そして昨年の「第9」シーズンには、ついに仙台でも「新校訂原典版」と銘打ったご当地の仙台フィルの演奏によって私たちの前にその姿をあらわしたのです。
 生演奏やテレビの
ON AIRによってこの版に接した人は、この版の「売り」である第4楽章のHrのタイを聴いてさぞびっくりしたことでしょう。現物の楽譜はこんなふうになっています。

(ベーレンライター版 BA 9009 265ページより転載)

ちなみに、現行のブライトコップフ版はこんな音です。


もう一つ、767小節からの四重唱の歌詞でもきっと驚かれたことでしょう。

(ベーレンライター版 BA 9009 302/303ページより転載)
 普通は "Freude, Tochter aus Elysium!" と歌われている部分なのですが、ここでは"Tochter, Tochter aus Elysium!" となっています。
 実は、この部分はもともと楽譜どおりには歌わないのが慣例になっていました。正確にいうと、次の表のような状況だったのです。

767小節(1回目) 769小節(2回目) 777小節(3回目) 779小節(4回目)
ブライトコップフ Freude Freude Tochter Tochter
実演の慣例 Freude Freude Freude Freude
ベーレンライター Tochter Freude Tochter Tochter
 つまり、この部分は今までは全部同じ歌詞で歌っていれば良かったのが、ベーレンライター版の出現によって歌手達はとんでもないプレッシャーを背負わされることになってしまったのです。なにしろ、この歌詞には規則性とか一貫性といったものが全く存在しないのですから。

 デル・マー校訂版の基本的なコンセプトは、ベートーヴェンの自筆稿を可能な限り忠実に再現することにあるように見受けられます。それで、これまでの校訂者が作曲者の誤記として「正しく」直してしまった箇所が元に戻された結果、このようにいままで聞いたことがなかったような不自然な部分が出てくるようになってしまったのです。
 この他にも、従来のブライトコップフ版とは異なっている箇所はたくさんあります。その詳細は金子建志氏の労作「交響曲の名曲・1」(音楽の友社刊)を参照していただくことにしましょう。これは、一見緻密に見えて実は本質的なことは何一つ述べられていないという、いつもの金子氏らしいとてもお寒い本なのですが、データとして読む分には、それなりの価値は十分にあるでしょう。
 この本の中では全く触れられていませんが、以前、私たちがこの曲を演奏した時に問題になった箇所がありました。左の譜例のいちばん最初の音、第4楽章の758小節の前半です。木管はCナチュラルになっているのに、合唱のアルトとVaはCシャープという不思議な部分です。
 この箇所を中新田の石川さんはCナチュラル、角田の寿一さんはCシャープと、どちらも同じ音に直して演奏しましたよね。デル・マー校訂版ではここが自筆稿通りそれぞれ別の音になっています。校訂報告でも「他の箇所(たとえば第1楽章の217小節など、自筆稿では半音でぶつかる部分が数多く見られます。)ではベートーヴェンは間違いを認めるかもしれないが、ここは確実に緊張感があって美しい。」と言い切っています。
(ベーレンライター版
BA 9009 301ページより転載)

 ところで、いつも演奏するたびにマーチの部分のスタッカートのつけ方には疑問をもっていたのですが、残念ながらデル・マー版でもこの部分には手を入れてはいません。

(ベーレンライター版 BA 9009 243ページより転載)
 自筆稿は確かにこうなっているのでしょうが、この通りに演奏すると非常に間が抜けた感じになってしまいます。当日ピッコロを担当していた仙台フィルの山元さんも、全部スタッカートを付けて吹いていました。こうなってくると、「CD紹介」でとりあげたジンマンがどのように演奏するのかとても気になってきます。
早いとこ彼のCDが出るように"アルテ・ノヴァ"さんにはお願いしたいものです


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