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(08/7/13作成)
(13/3/27,8/3一部改訂)
(20/2/23一部改訂)

[ヨハネ受難曲のCD]


「稿(独:Fassung, 英:version)」の違い
 バッハの「ヨハネ受難曲(独:Johannespassion, 英:St. John Passion)」は、バッハの生前に4回演奏されています。その度にバッハは改訂した楽譜を用いました。さらに、その他にもう1度あったはずの機会のために新しいスコアを書き始めていますが、その演奏が中止になったためそれは未完に終わってしまいました。

■第1稿
 この曲が初演されたのは、バッハがライプツィヒに就任した翌年の1724年でした。ここで演奏された時に使われた楽譜が「第1稿」ですが、スコアは失われており、パート譜しか残ってはいません。しかし、そのパート譜は後の演奏でも用いられ、その際に変更の書き込みなどがなされているため、正確にはどの部分が「第1稿」なのかは特定できないこともあるということです。

■第2稿
 初演の翌年、1725年に行われた演奏の際の楽譜が「第2稿」です。これは、新しい別の曲であることを印象づけるために、部分的に新しい曲に置き換えられています。

■第3稿
 1732年に行われた演奏のための楽譜です。第2稿での改訂は元に戻されますが、ここでは、市議会などからの圧力によって、マタイ福音書からテキストが取られていた部分などが削除されたり他の曲に差し替えられています。それに伴い、最後の曲であったコラールも削除されました。

■未完のスコア
 1739年に新たに作られたスコアです。今までの楽譜をそのまま書き写すのではなく、細かいところで改訂を行っています。例えばエヴァンゲリストのレシタティーヴォの旋律線なども、大幅に変わっています。バッハ自身は10曲目の途中まで書いたところで中断しました。それ以降は1749年にバッハの弟子の写譜家、ヨハン・ナタナエル・バムラーによって主に第1稿のスコアからコピーされました。

■第4稿
 バッハの最晩年、1749年の時の演奏のための楽譜です。第3稿で削除された部分は元に戻り、曲の形は第1稿と殆ど同じものになりました。この演奏のために新たに追加されたパート譜(チェンバロやコントラファゴット)もありましたが、以前のパート譜をそのまま使っていたため、1739/1749年のスコアでの改訂は反映されてはいません。ただ、やはり外圧によって、いくつかの曲の歌詞が変更されています。

「版(独:Edition, 英:edition)」の違い
■旧バッハ全集BREITKOPF & HÄRTEL版)
 1863年に旧バッハ全集としてヴィルヘルム・ルスト Wilhelm Rustの校訂で出版された楽譜は、「未完のスコア」を忠実に再現したものでした。したがって、1曲目から10曲目までは、バッハの生前には演奏されることのなかったものです。付録として、第2稿で差し替えられた3曲のアリアが付いています。


DOVERによるリプリント版(1993

■新バッハ全集BÄRENREITER版)
 アーサー・メンデル Arthur Mendelの校訂によって1974年に新バッハ全集として出版された楽譜では、10曲目までは「未完のスコア」を採用しますが、それ以後の曲は適宜別の「稿」のものが用いられています。さらに、第4稿で加えられたコントラファゴットの有無も加えられています。付録として、すべての稿の情報が掲載されています。


音楽之友社によるリプリント版(1978

CARUS
 シュトゥットガルトの楽譜出版社CARUSでは、オリジナルの「稿」の出版を進めています。今までに第2稿(2004年)と第4稿(2002年)が出版されました。第4稿はポケットスコアも出ていますが、第2稿はまだ大判スコアだけのようです。さらに、「未完のスコア」に関しても、「Traditionalle Fassung(1739/1749)」として、新全集版とは異なる見地からの出版を行っています(この件の詳細はこちら)。


第2稿のフルスコア


Traditionalle Fassung(1739/1749)のヴォーカルスコア


第4稿のポケットスコア


以上の「稿」と「版」に於ける、それぞれの曲の違いの一覧表です。新しい稿によって変更された部分が色分けされています。タイトルが青字のところは、クリックすると譜例が開きます。
第1部 第1稿(1724 第2稿(1725 第3稿(1732 未完のスコア(1739/1749 第4稿(1749 旧バッハ全集(1863 新バッハ全集(1974
(1)合唱:Herr,unser Herrscher おそらくフルートはなし(註1) コラール(1II:O Mensch, bewein dein Sünde groß)に差し替え 第1稿と同じ、フルートが加わる 第1稿の細部に多くの変更 第1稿と同じ、フルートが加わる (1)未完のスコアと同じ 未完のスコアと同じ(註2)
(2)レシタティーヴォ:Jesus ging mit seinen Jüngern 第1稿と同じ 第1稿と同じ 同上 第1稿と同じ (2-6)同上 同上
(3)コラール:O große Lieb 同上 同上 同上 同上 (7)同上 同上
(4)レシタティーヴォ:Auf daß das Wort erfüllet würde 同上 同上 同上 同上 (8)同上 同上
(5)コラール:Dein Will geschen, Herr Gott, zugleich 同上 同上 同上 同上 (9)同上 同上
(6)レシタティーヴォ:Die Schar aber 同上 同上 同上 同上 (10)同上 同上
(7)アリア(アルト):Von den Stricken meiner Sünden 同上 同上 同上 ソロとオブリガートは第1稿と同じだが、通奏低音は変更(1739年の変更とも微妙に異なる) (11)同上 同上
(8)レシタティーヴォ:Simon Petrus aber folgete Jesu nach 同上 同上 同上 第1稿と同じ (12)同上 同上
(9)アリア(ソプラノ):Ich folge dir gleichfalls 同上 同上 146小節目の後に1小節追加、後奏を8小節カット、細部に多くの変更 第1稿とは異なる歌詞、第1稿の146小節目の後に1小節追加、後奏のカットはなし (13)同上 同上
(10)レシタティーヴォ:Derselbige Jünger 同上 同上 第1稿の細部に多くの変更 第1稿の20小節目の通奏低音を変更 (14)同上 同上
(11)コラール:Wer hat dich so geschlagen 同上 同上 第1稿と同じ 第1稿と同じ (15)同上 第1稿と同じ
バスのアリア(11+:Himmel reiße, Welt erbebe)を挿入
(12)レシタティーヴォ:Und Hannas sadte ihn gebunden 第1稿と同じ マタイ福音書のテキストによる31小節目のアウフタクトから9小節を削除、ロ短調で終止 第1稿と同じ 第1稿と同じ (16-18)同上 同上
(13)アリア(テノール):Ach, mein Sinn 管楽器は入らない 別のテノールのアリア(13II:Zerschmettert mich, ihr Felsen und ihr Hügei)に差し替え 別のアリア(消失)に差し替え "tutti gli stromenti"(全部の楽器で)という表記あり 同上 (19)同上 未完のスコアと同じ(注釈付き)
(14)コラール:Petrus, der nicht denkt zurück 第1稿と同じ 低い音に移調 第1稿と同じ 同上 (20)同上 第1稿と同じ
第2部 第1稿(1724 第2稿(1725 第3稿(1732 未完のスコア(1739/1749 第4稿(1749 旧バッハ全集(1863 新バッハ全集(1974
(15)コラール:Christus, der uns selig macht 第1稿と同じ 第1稿と同じ 第1稿と同じ 第1稿と同じ (21)未完のスコアと同じ 第1稿と同じ
(16)レシタティーヴォ:Da führeten sie Jesum 同上 同上 同上 同上 (22-26)同上 同上
(17)コラール:Ach, großer König 同上 同上 同上 同上 (27)同上 同上
(18)レシタティーヴォ:Da sprach Pilatus zu ihm 同上 同上 同上 同上 (28-30)同上 同上
(19)アリオーソ(バス):Betrachte, meine Seel 楽器編成はヴィオラ・ダモーレ2本、リュート、通奏低音 別のテノールのアリア(19II:Ach, windet euch nicht so, geplagte Seelen)に差し替え 第1稿の楽器編成が、弱音器付きヴァイオリン2本、オブリガート・オルガンに変更 同上 第3稿の楽器編成にオブリガート・チェンバロが加わる、歌詞を変更 (31)同上 第1稿と同じ(注釈付き)
(20)アリア(テノール):Erwäge, wie sein blutgefäbter Rücken オブリガートはヴィオラ・ダモーレ2本、通奏低音にヴィオラ・ダ・ガンバが加わる 第1稿のオブリガートが弱音器付きヴァイオリン2本に変更、通奏低音にヴィオローネは入らない 同上 オブリガート、通奏低音は第3稿と同じ、歌詞を変更 (32)同上 第1稿と同じ(注釈付き)
(21)レシタティーヴォ:Und die Kriegsknechte flochten 第1稿と同じ 21b(34)の管楽器パートをヴァイオリンで補強 同上 第3稿と同じ (33-39)同上 第1稿と同じ(注釈付き)
(22)コラール:Durch dein Gefängnis, Gottes Sohn 同上 第1稿と同じ 同上 第1稿と同じ (40)同上 第1稿と同じ
(23)レシタティーヴォ:Die Jüden aber schieen und sprachen 同上 同上 同上 同上 (41-47)同上 同上
(24)アリア(バス、合唱):Eilt, ihr angefochtnen Seelen 同上 同上 同上 同上 (48)同上 同上
(25)レシタティーヴォ:Allda kreuzigten sie ihn 同上 25b(50)の管楽器パートをヴァイオリンで補強 同上 第3稿と同じ (49-51)同上 第1稿と同じ(注釈付き)
(26)コラール:In meines Herzens Grunde 同上 第1稿と同じ 同上 第1稿と同じ (52)同上 第1稿と同じ
(27)レシタティーヴォ:Die Kriegsknechte aber 同上 同上 同上 同上 (53-55)同上 第1稿と同じ
(28)コラール:Er nahm alles wohl in acht 同上 同上 同上 同上 (56)同上 第1稿と同じ
(29)レシタティーヴォ:Und von Stund an 同上 同上 同上 同上 (57)同上 第1稿と同じ
(30)アリア(アルト):Es ist vollbracht 中間部のヴィオラ・ダ・ガンバは通奏低音とユニゾン 同上 中間部のヴィオラ・ダ・ガンバは独唱とユニゾン 同上 第3稿と同じ (58)同上 第3稿と同じ(「あるいは通奏低音と同じように」という注釈つき)
(31)レシタティーヴォ:Und neiget das Haupt 同上 第1稿と同じ 同上 第1稿と同じ (59)同上 第1稿と同じ
(32)アリア(バス、合唱):Mein teurer Heiland 合唱パートは弦楽器の補強なし 弦楽器が合唱パートをユニゾンで補強 第2稿と同じ 同上 第2稿と同じ (60)同上 第2稿と同じ
(33)レシタティーヴォ:Und siehe da 3小節の短いバージョン(テキストはマルコ福音書) 7小節のバージョン(テキストはマタイ福音書) シンフォニア(消失)に差し替え 第2稿と同じ 第2稿と同じ (61)同上 同上
(34)アリオーソ(テノール):Mein Herz, indem die ganze Welt 楽器編成は弦楽器と通奏低音、おそらく木管楽器はなし フルート2本とオーボエ・ダ・カッチャ2本が加わる 同上 フルート2本とオーボエ・ダモーレ2本が加わる (62)同上 第2稿と同じ(注釈付き)
(35)アリア(ソプラノ):Zerfließe mein Herze 楽器編成は未確定 オブリガートはフルートとオーボエ・ダ・カッチャ オブリガートはフルート2本とオーボエ・ダ・カッチャ2本 オブリガートはフルート+弱音器付きヴァイオリン(ユニゾン)とオーボエ・ダ・カッチャ (63)同上 同上
(36)レシタティーヴォ:Die Jüden aber, dieweil es der Rüsttag war 第1稿と同じ 第1稿と同じ 第1稿と同じ 第1稿と同じ (64)同上 第1稿と同じ
(37)コラール:O hilf, Christe, Gottes Sohn 同上 同上 同上 同上 (65)同上 同上
(38)レシタティーヴォ:Darnach bat Pilatum 23小節の譜割り 第1稿と同じ 25小節の譜割り 第3稿と同じ 第3稿と同じ (66)同上 第3稿と同じ
(39)合唱:Ruht wohl, ihr heiligen Gebeine 同上 第1稿と同じ 第1稿と同じ 第1稿と同じ(歌詞変更の可能性もある) (67)同上 第1稿と同じ
(40)コラール:Ach Herr, laß dein lieb Engelein 別のコラール(40II:Christe, du Lamm Gottes)に差し替え 削除(39曲目で終わる) 同上 同上 (68)同上 同上
第1稿(1724 第2稿(1725 第3稿(1732 未完のスコア(1739/1749 第4稿(1749 旧バッハ全集(1863 新バッハ全集(1974
註1:このWollnyのコメントは第1曲だけについてのものですが、Pieter Dirksenは、第1稿全体にわたってフルートは使われていなかったと主張しています。
註2:新バッハ全集には、旧バッハ全集にはなかった、第4稿で加えられたコントラファゴットの情報が含まれています。

参考:
Johannespassion Fassung IV(1749) ,Traditionalle Fassung(1739/1749) herausgegeben von Peter Wollny/Carus-Verlag, Stuttgart
2008615日 東京エレクトロンホール宮城に於ける「グリーン・ウッド・ハーモニー定期演奏会」での、川端純四郎氏によるプレトーク



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