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(04/2/15作成)

(04/4/10掲載)

[ 劇伴(「のだめ」ネタ2) | 誤訳(「のだめ」ネタ3) | 人名(「のだめ」ネタ4)]


改訂版(日:かいていばん、英:Revised Edition) 
 作曲家が一度作った曲を、さまざまな動機で別の形に改めたものを言います。結果として、もとのものよりひどいものになってしまったため(最低版)、海の中に放り込んでしまいたく(海底版)なろうが、「前の方が良かった」と主張する人に訴えられて裁判が開かれようが(開廷版)、それは作曲家としての良心がなせる業なのでしょうから、外部の人が口を差し挟むものではありません。もっとも、モーツァルトのように、前に作ってあった別の曲を、注文主に合わせて書き直して「新作です」と言って渡すのは、明らかに問題ですが。バッハも同じようなことはやっていますが、まあ彼の場合は日々の作曲のノルマが膨大な量だったと言うことで、許してやりませんか。ブルックナーのように、改訂版を作ることが生き甲斐になってしまった人も、困ったものです。後世の研究家や演奏家が、それによってどれほど迷惑を被ったことか。

 このような「改訂」の衝動に駆られるのは、何も作曲家に限ったことではありません。作ってはみたものの、色々不満が出てきて直したくなるというのは、創造に携わるものには共通の心情なのですから。ここで、そんな創造の一形態である「マンガ」を例にとって、改訂の実際を検証してみることにしましょう。
 取り上げたのは、二ノ宮知子さんの「のだめカンタービレ」という作品です。音楽大学を舞台に、ピアノ専攻の学生「のだめ」こと野田恵と、指揮者志望の千秋真一の二人を中心に繰り広げられる、言ってみれば他愛のないラブコメディなのですが、素材としてクラシック音楽が使われているということで、各方面で注目されており、「朝日新聞」の文化欄にまで特集記事が掲載されるほどの盛り上がりを見せています。と言うのも、今まであったこの種のものと異なり、ここで描かれている「クラシック音楽」はとことんリアリティが追求されていて、このようなものにかけてはうるさいクラシックファンさえも、十分納得させられるだけのクオリティの高さが確保されているからなのです。なんでも、この作品のサウンドトラックとしてのCDまで発売されたとか、日頃クラシックに関してはそれほどのこだわりを持たない「ライトユーザー」から、かなりヘビーな嗜好をもつ「コアユーザー」まで、さらには日頃全くクラシックなどには縁の無い層までも取り込みつつ、この作品のファンは確実に広がっています。

 それだけの読者層を獲得したことで、この作品は、逆にとてつもないマニアックな突っ込みを受けることにもなりました。その道のマニアにとってみれば、しょせんはシロートが書いたもの、本気になって探せばいくらでもほころびは見つかるだろうという、ある種の挑戦が始まったのです。

 例えば、第1巻の9ページ目、真一がピアノのレッスンを受けている場面です。ハリセンを持ったユニークな先生から受けているレッスンは、「協奏曲コンサート」のためのもの、先生のセリフから、それは「ベートーヴェン」のものだということが分かります。
 音楽を視覚的にあらわすのには、様々な方法がありますが、二ノ宮さんが使っているのは実際の楽譜を示すこと。ここでも、楽譜のコマのすぐ下に、真一の鍵盤を叩く指先が描かれたコマがありますから、この楽譜の音が、今真一が弾いている曲なのだと言うことが分かるようになっています。これが、いわばこの作品における「文法」なのです。しかし、よくご覧ください。この楽譜、確かにベートーヴェンが作ったピアノ曲には違いありませんが、それは「協奏曲」ではなく、「月光の曲」として広く知られる嬰ハ短調のピアノソナタ作品27-2の第3楽章のものなのです。

 このシーンには、もう一つ不思議な楽譜が登場しています。真一は本当は指揮者を目指しており、ピアノのレッスンなど受ける気はさらさらありません。そこで、レッスン室にもオーケストラ曲のスコアを持ち込んできています。ハリセン先生が、そんな真一のやる気のない態度に業を煮やして「なーにやっとんじゃー ゴルァ!!」と、手に持ったハリセンで真一の横っ面を張り飛ばすと、勢い余って譜面台の上の楽譜が床に落ちます。そこで、レッスン曲(とりあえず「月光」)の下から、そのスコアが出てきて、さらに怒りを買うというシチュエーションになります。そこで、15ページ目にはそのスコアの中身が描かれています(これはもちろん現物を表したもので、先ほどの「音」を示す描写とは微妙に異なる「文法」です)。
 この曲は、どうやらヨハン・シュトラウスのワルツ、「美しく青きドナウ」のようですね。しかし、楽器を見てみると、なんだか見慣れないものがありませんか?「A.Saxes」とか「T.Sax」、シュトラウスの時代に「アルト・サックス」や「テナー・サックス」などと言う楽器がありましたっけ。それと、上の方の段は木管でしょうが、調号が何もありません。「青きドナウ」は、確か冒頭でフルートがF♯をppで吹かなければならない難所があったような記憶がありますから、ハ長調ではなかったような気がするのですが・・・。そう、これはどうやら吹奏楽用に編曲した「青きドナウ」のようなのですね。それだったら、サックス族が入っているのも納得ですし、調号の問題も、おそらくシャープ系は吹きずらいので、簡単なハ長調に移調したのでしょう。となると、シンフォニー・オーケストラの指揮者(もちろん、それはこの前後の話で明らかです)を目指している真一が後生大事に隠し持っていたものは、吹奏楽用のスコアということになりますね。これはちょっと不思議。

 おそらく、これらのいささか不思議な現象は、言ってみれば二ノ宮さんのちょっとした油断の産物だったのでしょう。なにしろマンガ家といえば、その生活は締め切りが近づけば連日が徹夜という、想像を絶する多忙さであることは、私でもよく知っています。資料を探す時間もないまま、「まさか、ここまできちんと見る読者はいないだろう」という気持ちで、その辺にあった適当な楽譜を貼り付けてしまったのではないでしょうか。ところが、クラシック音楽のマニアというのは、そんな甘い気持ちが通用するような人たちではなかったのです。彼らにしてみれば、「やっぱりこんなものか」という気持ちで、見つけ出したアラを得意げにネット上で公開するのは、至上の喜びだったに違いありません。

 そこで、「改訂版」の登場です。この第1巻は2002年の1月に第1刷が発行になっていますが、今まで見てきたものは、2003年の2月に発行された第6刷(左)によるものです。最近、コシマキが変わったものを書店で見かけたので、その奥付を見てみたら、それは2004年1月発行の第13刷(右)、これは、そんな不思議な部分がきちんと直された、まさに「改訂版」となっていたのです。

 個々に見ていきましょう。9ページのレッスン曲は、確かにベートーヴェンのピアノ協奏曲、第1番の第1楽章のリダクション・スコア、ソロピアノが最初に入る部分になっています。これなら、何の矛盾もありません。
 そして、15ページ、確かに、楽譜は変わっています。これは紛れもなくシンフォニー・オーケストラのスコアです。しかし、いったいこれは誰の曲なのでしょう。私は分かりましたが(こちらに正解があります)生半可なクラシック・ファンには、到底解答は見つけられないことでしょう。もしかしたら、これは二ノ宮先生からの、口やかましいクラシック・ファンに対する挑戦なのかもしれませんね。

 そんな二ノ宮先生渾身の改訂版、しかし、このシーンになぜこの作曲家のスコアが登場するのか、という点に関しては、依然疑問は残ります。というのは、その前のページに登場するその「スコア」の表紙には、「BEETHOVEN」という文字が見られるからです。あるいは、それは「協奏曲」のスコアなのかもしれません。協奏曲のレッスンを受けに行くのに、その曲のスコアまできちんとチェックしていくのが、指揮者志望の学生としては自然な行動、別な作曲家の別な曲をパート譜の後においておくなんて方が、理解に苦しむ行動です。そもそも、その作曲家の名前は、このシーンには一度も登場していないのですから。だとしたら、この楽譜は・・・。

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