火曜日はチーズデー。

(26/2/1-26//)

Blog Version

2月15日

MOZART
Requiem, Jupiter, Eine kleine Nachtmusik
Kathleen Battle(Sop)
Ann Murray(MS)
David Rendall(Ten)
Matti Salminen(Bas)
Daniel Barenboim/
Choeur de l'Orchestre de Paris(by Arthur Oldham)
Orchestre de Paris
WARNER/5026854143491


ダニエル・バレンボイムと言えば、木版画には関係なく(それは「馬連(ばれん)」)、卓越したピアニストとしてキャリアをスタートさせた人ですが、やがて指揮者としても頭角を現し、イギリス室内管弦楽団を始め、パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団の音楽監督を務め、それ以外のベルリン・フィルやウィーン・フィルなどとも定期的に演奏するという、コンサート指揮者としての最高のキャリアを築きます。さらに、オペラ指揮者としても、バイロイト音楽祭、ベルリン国立歌劇場、ミラノのスカラ座など、幅広い活躍を行っています。まあ、これほど多岐にわたって長い間第一線で活躍している指揮者もいないでしょうね。
そんなバレンボイムは、これまでのモーツァルトの「レクイエム」を2回録音しているようですね。最初のものは、1971年にイギリス室内管弦楽団と、ジョン・オールディス合唱団、そして、シーラ・アームストロング、ジャネット・ベイカー、ニコライ・ゲッダ、そしてディートリヒ・フィッシャー=ディースカウというソリストたちとの録音でしたね。それは、こちらで聴いていました。
そして、もう1回は、彼がパリ管弦楽団の音楽監督だった時、1984年に、そのパリ管とその付属の合唱団、そしてソリストはキャスリーン・バトル、アン・マレイ、デイヴィッド・レンドール、マッティ・サルミネンという、こちらも錚々たるメンバーが揃えられた録音でした。いずれも、レーベルはEMIです。
こちらの方はまだ聴いたことがなかったので、前のものとの比較も交えながら、聴いてみました。
まず、いずれの録音も、演奏の様式的なものはほとんど変わってはいないように思えました。基本的にフル・オーケストラの豊かな響きで、華麗なサウンドを構築し、圧倒的なパッションを送り出す、というスタイルですね。
ただ、今回のパリ管では、イギリス室内管による前回に比べたら弦楽器のプルトはかなり多くなっているような気がします。ですから、弦楽器の響きはかなりゴージャズに聴こえてきます。前回は録音によって弦楽器のレベルも上げているようですが、本物の「音の塊」としては聴こえてきません。ただ、今回は相対的に管楽器が引っ込んで聴こえる、というバランスにはなっています。
合唱も、やはり今回の方が人数は多いように感じられます。ただ、その熱気あふれる歌い方は、どちらの録音にも共通していて、本当に胸のすくような迫力のある合唱が楽しめます。そして、それがピアニシモになった時にも、しっかり緊張感を保っている、というところも共通しています。
それぞれのソリストたちも、かなり名前が知られた方々が揃っているので、それぞれに楽しめます。今回のソプラノはバトルですが、こちらの方が前回のアームストロングよりも華麗さがあって、この曲には向いているような気がします。
アルトの2人、マレイとベイカーはそれぞれに芯のある強靭な声が聴こえます。テノールは、今回のレンドールはちょっとソフト過ぎて、前回のゲッダには完全に負けてます。
そしてバスのパートですが、前回はなんとバリトンのフィッシャー=ディースカウが歌っていたんですよね。ですから、「Tuba mirum」のソロなどは、確かに美しいのですが、なにか違和感があるんですよね。不遜な言い方ですが、ここはもっと厳かな歌い方が欲しいな、とか。その点、今回のゲッダは素晴らしかったですね。
いずれにしても、最近の録音やコンサートではほとんど聴かれることがなくなった、マッシヴでインパクトのある演奏でした。こんな時代もあったのだな、という郷愁すらおぼえます。「Lacrimosa」での、最後の「Amen」に向かうエネルギーは、なかなかのものでしたね。これだったら、「アーメン・フーガ」のような余計なものはいらなくなることでしょう。
このサブスクのアルバムでは、同じバレンボイムとパリ管との演奏で、モーツァルトの「ジュピター」と、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」という「名曲」がカップリングされています。それらも、この「レクイエム」と同じテイストの直球勝負で一貫されていて、シンプルに楽しめるような演奏になっています。

Album Artwork © Parlophone Records Limited


2月12日

BACH
3 SONATEN FÜR QUERFLÖTE UND CEMBALO
Aurèle Nicolet(Fl)
Karl Richter(Cem)
WARNER/5026854442617


かつてのフルートの「巨匠」、オーレル・ニコレは、ハンス・ペーター・シュミッツという、フルーティストであればだれでも読んでいたフルート教本を記されていた大先生の後を受けて、1950年から1959年までベルリン・フィルの首席奏者を務めていました。その頃の指揮者はチェリビダッケ、フルトヴェングラー、そしてカラヤンでした。
そして、オーケストラを退団したあとは音大での指導者になると同時に、ソリストとして大活躍をすることになります。その頃はまだフルートのソリストとしては他にはジャン=ピエール・ランパルぐらいしかいませんでしたから、この2人はまさに「2大巨匠」として、フルート界に君臨しており、多くのアルバムが作られていました。
その頃のフルート愛好家の間では、華麗なランパルと、質実剛健なニコレとのどちらの「推し」なのか、というのが話題になっていたようで、それほどこの二人の「芸風」は異なっていましたね。
レパートリーも微妙に異なっていて、ニコレの場合はその時代に作られた「現代音楽」を積極的に紹介していたことでも知られています。日本の作曲家武満徹の作品もよく取り上げていましたし、彼の最後の作品となった「エア」はニコレに献呈されていますからね。
ランパルも、彼のために同時代の作曲家によって作られたものがたくさんあります。ただ、それらはハチャトゥリアン、バーンスタイン、ペンデレツキ、ボラン(ボリング)といった、いわゆる「現代音楽」とはちょっと異なるジャンルの場合が多いようですけどね。
そんなニコレが、おそらく最初に録音したバッハのフルート・ソナタ集です。カール・リヒターのチェンバロとの共演です。当時のレーベルはTELEFUNKENの「Das Alte Werk」で、最初にリリースされたのが1965年なので、録音はそれ以前に行われたのでしょう。このレーベルは、DECCAと合併してTELDECとなるのですが、現在ではWARNERレーベルの中に吸収されています。
ニコレが次にバッハのソナタを録音したのは、1969年(第1集)と1973年(第2集)で、レーベルはARCHIV、チェンバロは同じリヒターでした。
さらに、1984年には、日本のDENONレーベルに「デジタル」録音を行います。この時の共演者はチェンバロがクリスティアーヌ・ジャコテ、チェロが藤原真理でした。
演奏自体は、TELEFUNKEN盤とARCHIV盤とではほとんど変わりません。ただ、録音面ではかなり変わっていて、後者の方がよりふくよかな音が聴こえます。そして、今回のアルバムでは、なんとも乾いた、直接音だけが聴こえてくるというものでした。
そんな中で、フルートは、もう細かいところまではっきり聴こえてしまいますから、ほんのちょっとしたミスまでもよく分かります。
さらに、ここでカール・リヒターが演奏していたのは、その当時では当たり前の「モダン・チェンバロ」でした。麺は入ってません(それは「モダン焼き」)。それは、はっきり言って「チェンバロ」とは全くの別物で、もっと強靭なサウンドを誇る楽器でしたから、その「乱暴」な響きはとても耐えがたいものでした。おそらく、その楽器には多くのストップが付いていたようで、ところどころで音色がガラリと変わるのですが、それがとても唐突で、ほとんどフルートを邪魔しているように感じられるところさえあるほどでした。
ARCHIV盤では、録音のおかげで幾分柔らかな音にはなっていますが、その本質は変わりません。
それが、20年後のDENON盤になると、まずはチェンバロが変わります。それは、本来のチェンバロの音が出せる楽器でしたので、とても爽やかな響きとなり、決してフルートを邪魔するようなことにはなりません。
さらに、この頃になるとニコレ自身の演奏も変わっています。音楽界全体では曲が作られた時と同じ環境を作るという「ピリオド志向」がとられるようになり、バッハのようなバロックの音楽では、楽器そのものも別のものになり、演奏スタイルも大幅に変わってきます。ニコレがピリオド楽器を使うことはありませんでしたが、例えば、ロ短調のソナタの第2楽章で、リピートした時には装飾を付ける、という、今では当たり前になった奏法を取り入れるようになっていました。それが、なんともぎこちない装飾であるというのが、なにかほほえましいところです。
ニコレを取り上げたのは、今回が初めてなんですね。

Album Artwork © Parlophone Records Limited


2月10日

MOZART
Requiem
Zwei Sängerknaben(Sop, Alt)
Kurt Equiluz(Ten)
Alois Buchbauer(Bas)
Ferdinand Grossmann/
Wiener Sängerknaben
Wiener Konzerthaus-Kammerorchester
VOX/NX-2863


最近デジタルリリースされたモーツァルトの「レクイエム」です。これは、以前は「1960年ごろ」に録音されていたというデータがあったようですが、今回調べてみたら、もともとはBERTELSMANNという、後にBMGとなってRCAなどを傘下に収めることになるドイツのレーベルから1958年にリリースされたLPでした。
この頃はすでにテープレコーダーによるステレオ録音は始まっていたのですが、ステレオのLPはまさにこの年に初めて作られるようになっていましたから、その時にはまだモノラルのLPでした。しかし、1966年にWORLE RECORD CLUBという通販専門のレーベルからからリリースされた時にはステレオのLPになっていました。
それが廻り回って、今回NAXOS傘下のVOXからリリースされたのですね。
演奏しているのは、フェルディナント・グロスマンの指揮、ウィーン少年合唱団とウィーン・コンツェルトハウス室内管弦楽団、そして4人のソリストたち、となっています。グロスマンというのは、当時のウィーン少年合唱団の指揮者ですね。殺人鬼ではありません(それは「コロスマン」)。
ただ、少年合唱では女声のパートしか歌えませんが、この曲は混声合唱のために作られているので、男声パートは、クレジットはありませんが、この頃はこの合唱団とよく協演していた、OB達による男声合唱団「コルス・ヴィエネンシス(Chorus Viennensis)」が共演していたはずです。グロスマンは、この合唱団の指揮もしていましたからね。さらに、ソリストのうちのソプラノとアルトは、ウィーン少年合唱団のメンバーです。
そして、クルト・エクウィルツは、バッハの宗教曲など数多くの録音を残しているテノールですが、かつてはこの少年合唱団のメンバーで、グロスマンの指揮の下、ソリストも歌っていたという人ですね。ただ、バスのアロイス・ブフバウアーという人は、どこにもデータがありませんでした。
使われている楽譜は、もちろんジュスマイヤー版、演奏のテンポも、もはや現代ではまず聴くことのできない、ゆったりとしたものでした。でも、こういうものを今聴くと、逆に昨今のテンポがいかにセカセカしたものだったか、ということにも気づかされます。ですから、この演奏には、なにか包み込まれるような安心感が、まずありました。
さらに、録音もかなりのクオリティですし、もちろん真正のステレオでした。その音場も、例えばトランペットは右から聴こえて来るのに、それとペアになって演奏しているティンパニは左から真ん中あたりから聴こえてきますから、「Dies irae」などではかなりスペクタクルな感じが味わえます。弦楽器や木管楽器の響きも美しいですね。
そして、何よりも素晴らしいのが合唱でした。正直、このウィーン少年合唱団だけの演奏というのは、なにか拙さや儚さといったものが付きまとっている印象が強くあって、ちょっと違うのでは、という気がしているのですが、ここでの彼らはほとんど大人の合唱と変わらないほどのクオリティを見せているのですね。いや、余計なビブラートや、「張り切り」がない分、大人ではできないようなピュアな響きももたらしているのですから、ちょっと驚いてしまいました。
「Kyrie」のフーガなどは、ゆったりとしたテンポのせいでもあるのでしょうが、メリスマの一つ一つの音をきっちり切って、とても丁寧に歌っていましたね。そこには、少年合唱につきもののピッチの怪しさなどは全くありませんでしたし。
サポートの男声パートも、かつては同じ教育を受けていたのでしょうから、全く同じテイストで合唱に加わっていて、全体としても幅広いダイナミックレンジを表現することに貢献していましたね。
さらに、ソリストの少年2人も、素晴らしい演奏でした。特にアルトを歌っている人などは、大人顔負けの表現力と、しっかりとした音の響きでしたね。ソプラノの人も、いくらか不安定なところもありますが、高音などは見事に輝かしい音を聴かせていましたよ。ですから、この2人の名前は、「2人の少年合唱のメンバー」というだけではなく、きっちりお名前をクレジットしておいてほしかったものです。もしかしたら、エクウィルツのような大歌手になっていたかもしれませんからね。

Album Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd


2月9日

HEAD SPACE:CANDLELIGHT
Jeremy West (cornett)
The King's Singers
SIGNUM/SIGCD950


「キングズ・シンガーズ」の最新アルバムです。録音は2025年6月に行われています。
つまり、これは、ベース担当のメンバーが、14年間在籍していたジョナサン・ハワードからピアーズ・コナー・ケネディ(↓右端)に替わってからの、初めてのアルバムということになりますね。
というか、今年中には、今のメンバーの中での最古参で、14年間メンバーを務めたバリトンのクリストファー・ブルーアトン(↑右から3人目)がジョセフ・エドワーズという人に、そして参加から10年目となるカウンターテナーのパトリック・ダナキー(↑左端)がピーター・ヒックスという人に替わるのだそうです。いずれも、本人たちが辞意を表明したことにより、オーディションを経てメンバーに選ばれたお二人です。
ということで、彼らが加わった時には、日本人とイギリス人のハーフのテナー、ジュリアン・グレゴリー(↑左から3人目)が最古参ということになりますね。この方には、ぜひ長く居てほしいと思っているのですが、どうなることでしょう。
ということで、次にリリースされるアルバムでは、またメンバーが替わっていることでしょう。なんでも、このグループのメンバーの滞在期間は、平均で12年と言われていますから、まあこのぐらいが普通のことなのでしょうね。常に新しいメンバーと交代して新陳代謝を図るというのは、確かに大切なことです。
そのようにして60年近くも活動していれば、そのレパートリーも底をついてしまうかもしれませんね。そのせいかどうかは分かりませんが、今回はなにやら「HEAD SPACE」というタイトルの新しいコンセプトを前面に打ち出してきたようですね。これは「瞑想」や「ヒーリング」などとの同義語みたいに使われている言葉みたいですね。まあ、実際にここで演奏されている曲から見ると、確かに「頭を空っぽ」にできるような音楽が取り上げられているような気はします。
ということで、全部で14あるトラックの最初と最後には、グレゴリオ聖歌でしょうか、単旋律のシンプルなプレーン・チャントが歌われています。もちろん、ハーモニーなどは付いていない、メロディだけをユニゾンで歌う、というものですが、そんなシンプルさの中にも、やはりこのグループが培ってきたものがしっかり詰まっているように感じられます。
さらに、最初の女性作曲家と言われている、12世紀に活躍したヒルデガルト・フォン・ビンゲンの作品も、ユニゾンで歌われています。
同じようにシンプルなのが、イギリスの17世紀の作曲家、オーランド・ギボンスが、教会歴に合わせて、様々な曲を集めた「教会讃歌と歌曲」から4曲を選んで、歌詞を付けずにハミングで歌ったという試みです。その内の2曲には、古楽器の「コルネット」の即興演奏が加わって、とても鄙びたサウンドを聴かせてくれます。このあたりで聴こえてくるベースの新しいメンバーの声は、なかなか重みがあってとてもいいですね。ピッチも正確ですし。
さらに、現代の作曲家による、やはり「シンプル」な曲も取り上げられています。まずは1977年生まれのアイスランドの作曲家、アンナ・ソルヴァルドスドッティルの民族的なアイスランドの聖歌です。言葉が全く分からない、というのも、魅力的です。
1952年生まれのジュディス・ビンガムの「Ave virgo sanctissima」は、現代的なハーモニーが、この中では最も使われている曲ですが、別に難解なものではありません。何回も繰り返し聴きたくなるほどです。
そして、「重鎮」のアルヴォ・ペルトの「Zwei Beter」は、初めて聴きましたが、前半は結構面倒くさかったものが、後半はいつものペルトらしいハーモニーに変わります。
もう一人の「現代作曲家」がジョン・ケージです。そして、取り上げた曲がなんと「4分33秒」ですよ。なにが出てくるのか期待しましたが、まさに「楽譜通り」の「演奏」でしたよ。
最後にはグリーグの「Ave, maris stella」で、屈託のないハーモニーを存分に味わえます。これはブルーアトンの編曲、そしてギボンスの曲はダナキーの編曲、これらが彼らの「置き土産」だったのでしょうか。

CD Artwork © Signum Records


2月7日

MOZART
Grande Messe en Ut mineur
Giulia Bolcato, Elionor Mart?nez(Sop)
Elionor Mart?nez(MS)
David Fischer(Ten)
Matthias Winckhler (Bas)
Jordi Savall/
La Capella Nacional de Catalunya
Le Concert des Nations
ALIA VOX/AVSA9965(hybrid SACD)


モーツァルトが最後に作ったハ短調のミサ曲は、彼のミサ曲のなかではおそらく最も演奏頻度の高いものではないでしょうか。ただ、作曲家はこの作品の途中まで作ったところで、とりあえず足らないところは他のミサ曲などを加えて1回は演奏するのですが、結局全曲を完成させることはありませんでした。
つまり、彼の自筆稿では「Credo」の後半と、「Agnus Dei」が作られないままで放っておかれていたのですね。さらに、「Credo」の前半も、一応演奏できる形にはなっていますが、まだ書き残したパートが残っているという「未完成品」なんです。
ですから、1840年に最初に出版された時には、その「欠落部分」も含めた、作曲家が書いたものがそのまま印刷されています。これが「ヨハン・アンドレ版」です。
そして、1882年に、最初の「モーツァルト全集」が作られた時には、未完だった「Credo」は「付録」みたいな形で、楽譜の最後に収録されていました。これは「フィリップ・シュピッタ版」と呼ばれています。
1901年には、モーツァルトが作っていなかった部分は、彼の他の作品から流用して、オーケストレーションも多少変更した「完全版」が作られます。これが「アロイス・シュミット版」です。
その後、曲としては完成していてもパートによって欠損がある部分を修復して、1956年にとりあえず演奏できるような形にしたものが、「ロビンス・ランドン版」です。ランドンは「レクイエム」でも同じようなことを行っていますね。
さらに、ベーレンライターの新モーツァルト全集の一環として、ランドンとは異なる音型などで未完成の部分が「修復」が施された「ヘルムート・エ−ダー版」が1983年に刊行されます。これが、ある時期まではこの曲の標準的な楽譜として広く使われることになります。
その後、同じコンセプトで「フランツ・バイヤー版」が1989年、
「リチャード・モーンダー版」が1990年に出版されます。このあたりは、モーツァルトの「レクイエム」と同じ流れですね。
そして、2005年になって、やはり「レクイエム」の修復稿を作っていたロバート・レヴィンが、シュミット版のように、作曲されていなかった部分まで含めての全修復を行った楽譜を作ります。
その後は2010年の「クレメンス・ケンメ版」、
2016年の「フリーダー・ベルニウス/ウーヴェ・ヴォルフ版」、
2019年の「ウルリヒ・ライジンガ−版」という、エーダー版と同じコンセプトの楽譜の出版が続きます。ライジンガ−は、最新の「ケッヘル」の編纂にも関わっています。ロボットではありません(それは「マジンガー」)。
そして、今回の2025年2月に録音された、ジョルディ・サヴァール指揮のラ・カペラ・ナシオナル・デ・カタルーニャによる演奏で使われているのが、このオーケストラでオルガンを演奏しているルカ・グリエルミによって、レヴィン版のように「全曲」が修復されている楽譜です。
レヴィン版の場合には、アルトのソロによる「Agnus Dei」に、このミサ曲が作られた2年後に、この曲の「kyrie」と「Gloria」をそのまま使い回しして作られたカンタータ「悔悟するダヴィデ」という作品の中で新たに作られた8曲目のアリア「Tra le oscure ombre funeste(暗く運命的な影の中で)」を逆に使いまわすという、なかなか粋なことを行いました。この、本来はソプラノソロのためのアリア、短調で始まったものが後半長調に変わるのですが、そこから「Dona nobis pacem」のテキストが合唱で歌われるようになっています。
グリエルミ版では、未完の「Credo」の後半、「Crucifixus(十字架に架けられた)」で始まるテキストに、同じようにこのアリアを使いまわしています。そして、そのままこの曲の後半はおめでたい「Et resurrexit(復活した)」で、明るく終わります。
まあ、曲がりなりにも、弟子によって全曲が「完成」されていた「レクイエム」とは違って、そもそもモーツァルトが完全に投げ出してしまった「ハ短調」なのですから、その欠落の部分を修復するということ自体がナンセンスなので、このような「全曲版」には「正解」も「価値」もあり得ません。
とは言っても、そんな「まがいもの」に、誠実に挑んでいるサヴァールたちの演奏は、確かな感動を呼ぶものでした。

SACD Artwork © Alia Vox


2月5日

SEASONS
高橋悠治(Pf)
ALM/ALM-14


1974年に録音され、1977年にリリースされたLP(こちらからPDFが見られます)が、半世紀の時を経て同じ品番で初CD化されました。そのインレイには
2025年復刻版:本作は1977年初版LP (AL-14) を元にDXDデジタルリマスターされています。 LPに由来するノイズが含まれています。
というコメントがありました。つまり、オリジナルのマスターテープからではなく、そこからカッティングされて製造された市販LPをレコードプレーヤーで再生し、そのアナログ出力をデジタル化したものからCDを作った、いわゆる「板起こし」というものです。食べられません(それは「雷おこし」)。さらに、そのデジタル変換に関しては「DXD」というもので行われている、とも書かれていますね。
この「DXD」というのは、「Digital eXtreme Definition」の略称です。あの、世界最高のサウンドを誇るノルウェーの「2L」というレーベルが早くから採用していたもので、まさに「究極の解像度」をもつデジタル録音のことです。具体的には、CDで採用されている規格は16bit/44.1kHzという規格のPCMですが、DXDでは、最低でも24bit/352.8kHz、現在では最高で32bit/768kHzなどという、ものすごいものまである規格です。要は、限りなくアナログ音源に近づいたデジタル録音、ということですね。
これは推測ですが、なんせ、半世紀前に録音されたものですから、マスターテープは確実に劣化しているはずです。ですから、録音された直後にカッティングされたLPのほうが、的確に再生されればマスターテープよりも良い音が聴けるということで、このようなことを行ったのではないでしょうか。もちろん、LP再生時のノイズに関しては、我が家で同じLPを再生した時には派手に聴こえていた「パチパチ」というような決まったノイズは、しかるべき方法で除去されているようですね。
この時期、ピアニストで作曲家の高橋悠治は、コンサートやレコーディング、さらには書籍の執筆など、まさに「時代の寵児」として大活躍をしていました。特に、クセナキスとの関係は密だったようで、彼の著書を翻訳したり、コンサートでも取り上げたりしていましたし、クセナキスが来日した時の講演会では、「通訳」を務めていましたね。最後には「ヘルマ」の生演奏まで。さらに、日生劇場での「劇団四季」の「ウェストサイド物語」の指揮などという、「らしくない」仕事までやっていたようですが。
このアルバムは、1974年5月30日に神奈川県立音楽堂で開催されたリサイタルのライブ録音です。ジョン・ケージとバッハという、彼の最も得意とするレパートリーだったので、ぜひ聴きに行きたかったのですが、同じ日にマゼール指揮のクリーヴランド管弦楽団のコンサートがあったので、そこには行けませんでした。ですから、そのライブアルバム(今見ると、「実況録音」と書いてありましたね。)が出た時には、即刻購入しましたよ。
確かに、「実況録音」だけあって、ここでは、LPのサーフェス・ノイズと一緒に、観客の咳払いの音などがしっかり入っていました。
まずは、ジョン・ケージの曲が3つ、「チープ・イミテーション」と「メタモルフォーシス」と、アルバムタイトルの「ザ・シーズンズ」が演奏されています。別のリサイタルでは、ケージのプリペアド・ピアノのための曲(DENONからアルバムも出ています)を、実際にピアノに「プリペア」するところから実演して聴かせていた、ということをやっていたほど、よく演奏していた作曲家ですが、これは「プリペア」も「即興演奏」もない、きっちり楽譜に書かれた音楽です。最後の曲は、オーケストラのために作ったもののリダクションです。
ここでは、ピアニストの強靭なタッチがとても生々しく伝わってくる録音が、今回のようなフォーマットからもしっかりと味わうことができます。
そして最後がバッハの「パルティータ第2番BWV 911」です。彼はなんせバッハの楽譜の校訂まで行っていますから、ここでも決して情に溺れないがっちりとしたバッハ像を聴かせてくれていました。
もはや87歳。まだコンサートなどを行っているようですが、半世紀前の「推し」が醜態をさらすのを聞くのには、辛いものがあります。

CD Artwork © Kojima Recordings, Inc.


2月3日

BRUCKNER
Te Deum*, Messe Nr. 3
Christina Landshamer*, Erika Baikoff(Sop)
Sophie Harmsen*, Wiebke Lehmkuhl(Alt)
Daniel Behle* Sebastian Kohlhepp(Ten)
Franz-Josef Selig* Matthew Rose(Bas)
Pablo Heras-Casado/
SWR Vokalensemble(by Frank Markowitsch*,
           Benjamin Goodson)
WDR Rundfunkchor(by Paul Krämer)
SWR Symphonieorchester
SWR/SWR19168CD


これは、一応CDとしてリリースされているアルバムですが、もちろんデジタル配信も行っています。そして、このレーベルではその時の品番もCDと同じ「SWR19168CD」になっています。ただ、配信の場合、CDと同じカップリングになっているものはそのように同じ品番なのですが、このアルバムでは、同じものを曲ごとに「分売」していて、「テ・デウム」は「SWR19168EP1」、「ミサ曲第3番」は「SWR19168EP2」となっていました。本来は「7インチ径、45回転のレコード盤の演奏時間を延ばした改良形」という意味で使われていた「EP」ですが、最近ではその言葉が、このような場合にも使われるようになっているのですね。
そう、このCDでは、演奏時間20分半の「テ・デウム」と、演奏時間55分半という、合わせて76分の、ほとんどCDの容量ギリギリまで収録した、ブルックナーの2曲の宗教曲を聴くことが出来るのですよ。ですから、それをそのままデジタル化すればいいのでしょうが、サブスクならともかく、ダウンロードで課金されるとなると、そんなに長いのは嫌だ、ということになるのでしょうかね。
指揮者のパブロ・エラス=カサドについては、これまではあまり良い印象は持てなかったのですが、バイロイトのライブ映像を見たあたりから、まあなかなかやるじゃないか、という気にはなってきましたね。おそらく、彼の場合は純粋なオーケストラの曲ではなく、オペラのような歌や合唱が入ったものの方が、良い結果が表れているのではないか、という気がしてきました。
そして、今回の、ブルックナーの声楽とオーケストラの作品の中では、最も規模の大きな作品への挑戦です。これだったら、少しは期待してもいいかもしれませんね。
ご存知のように、ブルックナーが本格的にオーケストラのための大規模な交響曲などを作り始めたのは、かなり年を取ってからのことです。それまでは、もっぱら教会で演奏される小規模な合唱曲などを作っていたのですね。例えば、最近ではとみに録音が増えた数多くの「モテット」などは、とてもシンプルなメロディと、ほんの少し驚くところがあっても、基本的に極めて古典的なハーモニーに終始しているために愛聴者も多くなっているはずです。
そんな人が、いきなりオーケストレーションの修行を始めたりして、苦労の末にあの堂々たる交響曲を作れるようになったのでしょうが、やはりそれらはなかなか普通の人には親しめないような、なにか敷居の高いものになっているのは、間違いないでしょうね。
今回の2曲の宗教曲は、そのようなノウハウを手に入れた後に、昔から親しんでいた合唱音楽へ立ち返って作ったもの、という位置づけが出来るかもしれません。そのように考えると、これらの曲への取り組みが、にわかに親しみのこもったものになって行くような気がします。
実際に、「テ・デウム」から聴き始めると、まずは、2つの放送局付属の合唱団のレベルの高さに圧倒されて、オーケストラよりは合唱の方に耳が行ってしまうことになります。おそらく、このあたりが、エラス=カサドとの共演でさらに密度が高まり、こんなエキサイティングな演奏が実現した部分なのかもしれません。ほんと、この合唱団の超ピアニシモなどは、絶品でした。
そして、曲を聴いているうちに段々気が付いてきたのが、やはりこの指揮者は「歌」との共演によってとても豊かな表現力が発揮できるのだな、ということです。そうなってくると、ブルックナーに対しての聴き方までも、これまでのものとは変わってきたほどです。オーケストラだけで演奏されたブルックナーのフレーズが、そこに合唱が加わり「ことば」が聴こえて来ると、まるで別物に変わってしまっていたのですね。
「ミサ曲」では、なおさらその状況がはっきりしてきます。特に、様々な「物語」が詰まっている「クレド」では、まさにドラマを見ているように眼前に様々なシーンが広がってくれど。これはまさに「ことば」のなせる業以外にはありません。
そんな演奏を、クールに聴かせてくれる素晴らしい録音にも、拍手です。

CD Artwork © Naxos Deutschland GmbH


2月1日

ZENDER
Schubert's Winterreise
Allan Clayton(Ten)
Nicholas Collon/
Aurora Orchestra
SIGNUM/SIGCD964


2019年に鬼籍に入られたドイツの現代作曲家ハンス・ツェンダーは、1993年にこのシューベルトのリート・ツィクルス「冬の旅」の再構築版を作りました。それは、翌年、ハンス・ペーター・ブロホヴィッツのソロに、ツェンダー自身が指揮をしたアンサンブル・モデルンのバックで録音され、大反響を招いていましたね。
それ以後、プレガルディエン親子の録音などもありましたが、今回は1981年生まれのイギリスのテノールで、オペラではヘンデルからブレット・ディーンまでを歌い切っているというアラン・クレイトンのアルバムが登場しました。録音されたのは2024年の3月です。
バックはニコラス・コロン指揮のオーロラ管弦楽団のメンバーです。その編成は、ブックレットによれば、弦楽器がファースト・ヴァイオリンからコントラバスまでそれぞれ1人の5人、フルートとピッコロ(+アルトフルート)が2人、オーボエ(+コールアングレとハーモニカ)が2人、クラリネット(+バスクラリネットとハーモニカ)が2人、ソプラノ・サックスが1人、ファゴット(+コントラファゴットとハーモニカ)が2人、ホルン、トランペット(+コルネット)、トロンボーンが各1人、打楽器(+ハープ、アコーディオン、ギター)が7人の、計24人です。
ただ、プレガルディエン盤ではヴィオラが2人となっていますし、スコアでの指示(↓)もやはり2人なので、これは何かの間違いでしょう。些細なことです。
久しぶりにこの曲を聴いたので、その内容はすっかり忘れていました。なにしろ、1曲目の「Gute Nacht」が始まっているはずなのに、スピーカーからは何の音も聴こえてこないものですから、配線の点検をしてしまいましたよ。もちろん、それは超ピアニシモでタム・タムの表面を指でなぞっている音なのですが、ヘッドフォンでないと最初の音は気付かないほどの弱い音でしたからね。
それは、オリジナルのピアノ伴奏のリズムをそのまま模倣しているのですが、それがどんどん発展していって金管楽器なども加わり、とてつもなく長い前奏が続きます。と、そこにヴァイオリンがオリジナルの前奏を奏で始めると、弦楽器だけの穏やかな世界になり、そこでやっとテノールの登場です。これは、オリジナルとは全く変わらない雰囲気の音楽、クレイトンの澄み切った声が心地よく響きます。
そんな感じで、2節目までは、ところどころ変なアクセントはあるものの、一応ノーマルな姿で進んでいきます。それが3節目に入って、「Lass irre Hunde heulen vor ihres Herren Haus!」という歌詞の部分になった途端、その「Hunde(犬)」に反応して、突然金管が激しい犬の鳴き声を模倣すると、歌手も一緒に叫び始めます。そのあとではもう「歌」はなくなり、「シュプレッヒゲザンク」、つまり「ラップ」が始まり、バックも大騒ぎ、太鼓は鳴るわ、ピッコロはとんでもない音程で叫ぶわと、カオスに突入です。その後は、長い間奏でなんとか平静に戻って、最後の4節がしめやかに歌われ、曲が終わります。
まあ、こんな感じで、もう何度も聴いた曲のはずが、全てに新しい発見があって、まさにサプライズの連続です。というか、全24曲を聴き通すには、かなりの体力が必要だな、と感じてしまいましたね。
最後の曲「Der Leiermann(ハーディ・ガーディ弾き)」などは、前奏のドローンの模倣の部分が、まるで雅楽のような雰囲気で始まります。管楽器が「笙」のように音を重ねて、クラスターを作っているのですね。そんな東洋風な雰囲気に乗って、リフに乗って、歌が始まります。そして、ここではそのリフを、エコーのように別の楽器が追いかけています。
それが後半になると、そのリフが別の調になって現れます。でも、歌のキーは変わりませんから、そこは我慢して歌い続けますが、バックは執拗に違うキーで攻めてきます。そんな挑発に頑として戦っているソリストは、本当に大変だな、と思ってしまいますね。
そして、歌い終わったところから、今度はリゲティの「Atmosphéres」のようなクラスターが始まり、それが長い時間をかけてフェイド・アウトしていくのです。感動的ですね。

CD Artwork © Signum Records


おとといのおやぢに会える、か。



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